第11話 ファイブ・イヤーズ・アゴー

 五年前──。


 酷く憂鬱な気分だった。


 ライクアローズはパーティーで長々と関係者たちに挨拶をする時間が本当に嫌いだった。よく知りもしない相手の顔と名を覚え、笑顔を作るのが気に入らなかった。


 当時八歳の子供であったライクアローズには、社交界など煩わしいものでしかなかったのだ。挨拶が終わると、何も食べる気も起きず、いつも逃げ出すように飛び出していた。


 その日もバルコニーへとやって来て、見慣れた景色を見ながら時間潰しをしようとしていたのだが。


 お気に入りの場所には先客が居た。


 手すりを背もたれに空を見上げる男が一人。光に照らされる髪は、綺麗だがぼさぼさの金髪。ファー付きのジャケットにジーンズという、パーティーには似つかわしくない出で立ちだった。おまけに左手には鞘に収められた刀を持っている。


「あん?……なんだ、何かトラブルでもあったか?」


 こちらに気付いた男が姿勢を戻し向き直る。背はとても高い。よく見ると髪を総髪ポニーテールに束ねていた。右目にかかる髪は赤色のメッシュが入っている。


「あ、いえ……そういう訳では……」


 筋肉質で背の高い、もう少し簡単に言えば強そうな、そんな見慣れない人物に少し物怖じしながら答える。


「そっか、何かあったら呼びな。俺はここで警備してっから」


「……どう見ても、さぼっているようにしか見えませんわ」


 思わずしてしまったライクアローズの指摘に、警備に雇われたらしい金髪の男は目を逸らす。


「あーうん。まぁ、さぼってるのは間違いねーけど、耳は良い方だし。ここなら静かだから変な物音がしたらすぐ分かるしな、うん」


 気まずそうな顔をする男に、ライクアローズは思わず吹き出してしまう。


「名乗るのが遅れて申し訳ありません。私、ライクアローズ・ガーデンフィールドと申します。貴方のお名前をお聞きしてもよろしいかしら?」


「俺か?ジャコーズだ。苗字は無え。パーティーの警備で雇われたんだけども、お偉いさんってのは俺みたいな外の人間を嫌がるからな。まあ最終的に追い払われてこの辺に回されたって訳だ」


 ジャコーズのぼやきにライクアローズは憤慨する。


「まあ!ご自身達が安全にパーティーなどしていられるのは、貴方のように頑張ってらっしゃる方々がいらっしゃればこそなのに……」


「まーま、そんな怒んなよ。大人には面倒事ってのが想像以上に多いもんだ。会場に俺みたいなのが居たら悪目立ちすっし、向こうは正規の警備員が守ってるから大丈夫だろ」


 追いやられた男に同情したのか。それとも興味本位だったのかは分からない。知らない世界の人間ではあるが──知らない世界の人間だからこそ──何となく話をしてみたくなった。


 自分のこと。ジャコーズのこと。


 堅苦しい家のこと。騒がしい町のこと。


 勉強のこと。修行のこと。


 弓のこと。剣のこと。


 父のこと。母のこと。


 子供のこと。大人のこと。


 それは友達を作ることも許されなかったライクアローズにとって、初めての高揚感だった。


 パーティーがお開きになる時間が近づいた頃、メイドがやって来た。


「お嬢様、そろそろお時間ですので……」


「どうやらパーティーはお開きみてーだな。んじゃ俺は報酬貰って帰るかね」


 そう言うと、ジャコーズは伸びをしながら屋敷の中へと向かう。


「不真面目な方はお給金を減らされてしまいますわよ?」


「嬢ちゃんの話し相手になったじゃねーか。特に異常も無かったし、それでめでたしだ」


 振り返り、悪びれもせず笑う男にライクアローズは呆れたが、何となくではあるが好感の持てる人物だと感じた。


「あの!」


「あん?」


 思わず、去ろうとしたジャコーズを引き留めてしまった。何かを言いたかったはずなのに、それが何かを把握出来なかった。


「えっと……その……」


 ジャコーズはライクアローズに向き直り、言葉を待つ。


 ああ、早く何か言わなければこの人は去ってしまう。彼と自分を繋ぎとめる何か……。


「お待ち下さ……!わたく、し──えっと……」


 メイドも困った顔をして、ライクアローズに落ち着くようにと背中をぽんぽんと叩く。


「俺は行くぞ?また仕事で来ることもあるから、言いたいことが整理出来たら、そん時に聞くぜ」


  ──そう言って、ジャコーズは去ってしまった。




 自室でパジャマに着替え、ベッドにうつ伏せに横たわる。


 楽しい時間だった。退屈な社交界に比べて外の世界の話は、とても胸が躍るものだった。


 娯楽小説すら読むことを禁じられ、来る日も弓の鍛錬と勉強ばかり。たまに門扉の外を笑いながら横切る子供たちの笑顔が、とても羨ましかった。


 そんな中、警備に雇われた、この屋敷に似つかわしいとは言えない人物。


 また来てくれると言っていた。次はどんな話をしてくれるのだろう。どんなことを教えてくれるのだろう。


 きっとそれは初めての、憧れという感情だったのだ。


─────


「そういえば、ジャコーズ様は他の警備の方と違っていつも私服なのですね。何故かしら?」


  午後の弓の鍛錬の時間、そんな疑問を口にする。


 ライクアローズは弓を射り、ジャコーズは近くのベンチの上で胡座をかいていた。


 屋敷の人間は皆、制服を着用している。ジャコーズだけ私服というのが単純に不思議だったのだ。


「ん?ああ……えーと、俺が雇われるときに頼んだんだよ。堅苦しいのは合わなくてな」


「ジャコーズ様は本当に自由に生きておられますのね」


 ライクアローズの放った矢が木人の額に直撃する。鍛錬の賜物か、動かない的限定で言えば五十メートル程度ならほぼ外すことは無い程の才能と実力がある。


「すげーな。俺、飛び道具とか全然駄目だわ」


「あら、お得意ではないのですか?」


「苦手どころかボール投げもマトモに狙ったとこに飛ばねーくらいだ。だから諦めて武術は剣一本、あとは喧嘩くらいだな」


「喧嘩ですか……。外の世界は危険が沢山ありますのね」


 ライクアローズは外を歩いたことはほとんどと言っていい程に無かった。父の関係者に会いに同行する際、車に乗って窓の外を眺めた程度しか知らないのだ。


 だからこそ、外の世界がどういうものなのかが分からない。テレビだって父の部屋にはあるが、部屋に入ったことは一度も無かった。


「まあ世の中いい奴ばかりって訳でもないが、そこまで危険に満ちてるかって言うとそうでもないぜ。まあ俺の住んでるとこはスラムだから騒ぎが絶えねーんだけど……」


 ライクアローズがジャコーズを気に掛けたのは、外の世界への憧れだったからだ。自分の知らない世界を教えてくれるその男は、自身と外とを繋ぐ存在。


 自分のことを構ってくれない父親より、色々な事を教えてくれるジャコーズに懐くのに、そう時間は掛からなかった。

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