エピソード2

第10話 ライクアローズ

「待てー!ぜぇ、ぜぇ……待ちやがれ、こらー!」


 赤髪の少年、ジャコーズが追うのは猫。

 今回受けた依頼は今追っている、依頼人の飼い猫を捕まえることだ。

 手には猫用のケージを持っているため、走りにくいことこの上ない。


 なお、桜はナンパに、結壁はエルイールと買い物に。デッドマンに至っては朝から既に姿は無かった。


「あいつら、覚えて、やがれっ……!」


 影は人の数倍の速さで移動し、器用に壁を駆け登り、屋根伝いに走っていく。


「くそっ、逃がすか!」


 ジャコーズも負けじと壁を蹴り民家の屋根に登るが、小さい影はかなり離れてしまっていた。諦めず追いかけ続けているが、いい加減に息切れが酷い。かと言って、やっと見付けたのだ。ここで足を止める訳にはいかない。


 目標を見失わずに追いかけられているのはほとんど野生の勘とも言える直感で進む方向を変え、辛うじて距離を縮めることが出来ているだけにすぎない。外れれば当然、そこでまた振り出しである。


 依頼から既に三日、追いかけ始めてから七時間近く。もうすぐ昼食抜きで追いかけ続けていたために、ジャコーズの体力もそろそろ限界だった。おまけに日もそろそろ暮れ始める頃だ。


 猫がようやく動きを止める。向こうも恐らく空腹と体力が限界だろう。こちらを振り向き、警戒している。


「なあ、いい加減にケージに入ってくれよ……ほら、おやつ!おやつあるぞ!」


 ジャコーズがジャーキーを取り出してひょこひょこと振るが、警戒の色は解けない。


 お互い動けずにいたその時。猫の背後に何かが降ってきた。


 猫が驚き、地面に突き立ったそれの匂いを嗅いだ途端、突然その場に転がってしまった。そのまま突き立ったものに頬ずりしている。


(今だ!)


 ジャコーズは駆け寄り、手早くケージに猫を仕舞い込むと、そこに尻餅をつくようにへたり込んだ。


「っ……だあっ!つ、疲れた……」


 猫は観念したのか、大人しくなった。ジャーキーをケージの隙間から入れてやると、美味しそうに食べ始める。


「ったく、手こずらせてくれたぜ……ん?」


 先ほど降ってきたものを見るそれを引っこ抜くと、それは矢だった。鏃には薔薇が彫り込まれている。


 矢に結び付けられたものがあり、匂いを嗅いでみるとマタタビだった。


 周囲を見回すが、それらしい人物は見当たらない。しかし。


「……後で礼をしなきゃな」


ジャコーズはこの矢の持ち主を知っている。


 すっかり日も暮れた頃、猫を依頼人の自宅に届け、報酬を貰い帰路につく。依頼人に涙ながらに喜ばれ、報酬を少し多めに貰えたのは有難かった。


(マスターのとこで飯でも食って帰るかな)


 携帯電話を取り出し、事務所に電話をしようとしたその時、デッドマンから電話が掛かってきた。


「おう、今電話しようと──なんだって?」


 デッドマンからの伝言に、ジャコーズはげんなりした顔をしながら外食を諦めるのだった。


─────


 ジャコーズが事務所に帰る頃には、夜は十時を回っていた。


「ただい──」


「ジャコーズ様っ!」


 扉を開けるなり、ジャコーズは急に抱き付かれた。ジャコーズの身長は140センチあるか程度のため、相手の胸に押し付けられる形である。


 もっとも、抱き付いてきた人物は少女ではあるものの、まだ成長途中のために決して大きいとは言えなかったが。どこがとは言わない。


「いや、こら離せって!」


「嫌ですわ!せっかく久しぶりにお会いできたと言うのに貴方様から離れるなんてあり得ませんの!」


 玄関先で騒いでいると、エルイールがキッチンから出てきて出迎えてくれた。


「おかえり、ジャコーズ。凄いわねその子、ガールフレンド?」


「ただいま!お袋、ちょっとこいつ引き離すの手伝ってくれよ!」


 ジャコーズは引き離そうとするが、意外に力が強い。本気を出せば簡単ではあるのだが、そこまで邪険にすると面倒なことになる人物であることを知っているために困ってしまう。


「はーなーせー!」


「いーやーでーすーわー!」


「お前良いとこのお嬢だろ!ほら、なんだっけ。はし……はし、ええと?」


「はしたない?」


 ジャコーズが言葉に詰まっていると、エルイールが助け船を出してくれた。


「そうそれだ!ハシタナイだ!お嬢様だろ?ハシタナイだから、な!?」


 言われた単語を適当に反復するように言うと、ようやく渋々ながら離れてくれた。


 ドレスのような装飾の黒いロングのワンピース。腰まで届く長さの金髪に碧眼の少女。その全身から発せられる雰囲気はまさにお嬢様の一言に尽きる。


「改めて、お久しぶりですわね。貴女様の愛する伴侶、ライクアローズ・ガーデンフィールドが参りましたわ」


 ライクアローズはスカートを軽く持ち上げ、優雅に一礼する。


「俺はまだ未婚だ……」


 ただでさえ尽きかけている気力が更にごっそりと持っていかれる気分を、ジャコーズは感じていた。




 とりあえず玄関から事務所に入り、ソファに腰掛ける。他のメンバーは全員帰宅したらしく、事務所に残っているのは三人だけだった。


「で、用件は何だよ?事務所の賃料は確か払ったよな」


 ライクアローズ・ガーデンフィールドはこの事務所を貸し出してくれている人物だ。十三歳という若さで亡き父の事業を引き継いでいる。


「ええ、今日は職員が増えたとの通達でしたので出向いたのですわ」


「履歴書は送ったろ。あとは連絡なら電話とかメールでいいじゃねーか。言っちゃ何だけど、ダウンタウンの更に裏にあるような便利屋事務所にわざわざ足を運ぶとか、貴族として自覚が足りねーんじゃねえのか?」


 ガーデンフィールド家は伯爵位を持つ家柄だ。ライクアローズはその当主であり、この周辺の土地は全て彼女の所有物である。


「爵位なんて形だけですわ。それにわたくしはこの事務所の管理者ですもの。職員の様子は直接見ておきたいタイプですから」


「本音は?」


「愛しい貴方様に甘えたい欲求に逆らえませんでした」


 頬に手を当ててモジモジとするライクアローズに、ジャコーズは呆れてものも言えなかった。


「それにしても……」


 ジャコーズの隣に座っていたエルイールがライクアローズをまじまじと見つめる。


「ジャコーズ、意外と隅に置けないのね。お母さんちょっと安心しちゃった。敬語は使えないしガラは悪いしで不安だったのよ」


 外見的にはほぼ同じ年齢にしか見えない二人なのだが、エルイールは人造生命にジャコーズの母の魂が融合・定着してしまった存在だ。


 数週間前に起きた事件以降、彼女は便利屋事務所の職員として一緒に働いている。ジャコーズはエルイールに頭が上がらず、複雑な心境で過ごしている。


「事情はデッドマン様に聞きましたが……こうして並んで見ると、本当にご姉弟にしか見えませんわね」


「今、もしかして姉弟って言ったか?兄妹じゃなく?」


ジャコーズの抗議にライクアローズは耳を貸さず、自己紹介を始める。


「改めて自己紹介をさせて頂きますね。この事務所のオーナーで、ジャコーズ様の婚約者、ライクアローズ・ガーデンフィールドと申します。お義母様、何卒よろしくお願い致します。伯爵位を持ってはいるのですが、ほとんど形式だけですのでお気になさいませんよう」


「いや、誰が誰と婚約してんだよ。俺は子供に興味はねーの」


「私が大人になるまで待って頂ければいいだけの話ではありませんか。それに、愛に年齢は関係はごさいませんのよ」


 臆面もなく堂々と言ってのけるライクアローズにジャコーズは溜め息を吐く。


「とりあえず用件は終わったろ。今日は走りっぱなしで疲れてんだ──ふぁ……あ。悪いが先に寝させてもらうぜ」


 空腹よりも眠気が先に来てしまったため、ジャコーズは立ち上がる。


「ええ、本当に今日はお疲れさまでした」


「やっぱ見てやがったなお前。ほら」


 ジャコーズは懐から取り出した矢をライクアローズに向けて放り投げる。


「サンキューな。お前の助けが無かったらもっと遅い時間になってた」


「そう言って頂けると、私も鼻が高いですわ」


「おやすみなさいジャコーズ。冷蔵庫にご飯があるから、起きたら温めてね」


「ああ、サンキューお袋。そんじゃ、おやすみ」


 そう挨拶して、後ろ手に手を振りながらジャコーズは隣の部屋に行ってしまった。


「そういえば、ライクアローズさんはジャコーズとはどうやって知り合ったのかしら。宜しかったら、教えて貰えないかしら」


 目を少し輝かせながら、エルイールはライクアローズに尋ねる。母親としては息子と年齢差のあるガールフレンドについてあれこれと聞いておきたいのだ。


「ローズとお呼び下さいませ、お義母様。そうですわね。私があの方と出会った日のこと、それから、今のお姿になってしまわれたこと。お義母様には話しておくべきですわね」


 そう言うと、ライクアローズは居住まいを正し、語り始めた。


「私とジャコーズ様が出会ったのは、もう五年も前になります」

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