第2話 アーリー・ダスク

 大罪国。


 世界最大のその国は、様々な種族が街を闊歩する混沌の坩堝るつぼだ。


 ここはビルの建ち並ぶ、時折クラクションが喚き散らす騒がしい大都会。空気は排気ガスで汚れ、人々は騒がしく活気づいている。


 日々、チンピラもギャングも縄張り争いを繰り広げているが、世間はそんなものなど見て見ぬ振りだ。巻き込まれればたまったものではない。人は日々、事なかれ主義を貫きながら生きている。


 それがこの大罪国最大の州・ラース州。


 ジャコーズたちはこの州でも一際大きな都市・ネメシスシティに事務所を構え、トラブルシューターを生業としている。本来の意味は争い事を調停・解決する仕事だが、この国では便利屋・何でも屋を指す。


 たまに探偵のようなこともしているが、大半は力で物事を解決するようなものばかりだ。大規模に組織だっていないだけで、ギャングにマフィア、チンピラと大して変わりはしない。


 そして、彼らもまた然り。


─────


 現在、ジャコーズと桜がいるのは隣町との境、裏通りの酒場・アーリーダスク。ジャコーズたちはこの酒場を贔屓に情報を買いに来ている。


 昼間ということもあり特に目立ったライトは着いていないが、夜はド派手なネオンが眩く輝く、若干趣味を疑うようなライトアップがされる。


「おーっす、マスター」


「ハァイ、元気してるかしら?」


 店内に入り、挨拶したところで見知った顔が無いことに気付いたが、気にせずカウンターに向かう。


「よー、チビッコに桜かー。二人とも、今日も元気そうだなー」


 カウンターで食器を拭いていたマスターが挨拶を返してきた。スキンヘッドに髭面の大男。身長百九十センチの桜よりも頭ひとつ分以上大きい。名前はマーカスというが、名前で呼ばれることはほぼ無い。


「おうよ。マスター、聞きたいことあるんだけど、これについて知らねえかな」


 ジャコーズは折りたたんである紙をマスターに渡す。00219番の記憶を取りもどすために、彼女に関する現時点での情報、そして記憶に関する魔法を使える人物についての質問が書かれているものだ。口頭で話して、他の客に聞かれればまずいことは、こうやって紙に書いて渡すのが基本である。


「あぁこれかー。首輪の彫りものと、探してる奴の方なら知ってるよ。少し待ってろー」


 いかつい外見に反して間延びした話し方をするマスターは、メモを見ながらバックヤードに下がっていった。ジャコーズは席に座り、桜は立ったままでマスターを待つ。


「何か今日は知らねー顔ばっかりだな、ここ隠れ酒場もいいとこなのに珍しい」


「立地が悪くて目立たないくせに、夜だけははピカピカとアピールしてるのが面白いわよね。ビルの上からでも空が少し照らされてて分かりやすかったわよ」


「いい趣味してるよな。理解したくねぇけど」


「お前のための看板じゃないからなー、しなくてもいいぞー」


「うおっと」「あら、早いわねマスター」


「ほれ、こいつだ。持ってけー」


 マスターが差し出した封筒を、桜が受け取った。ここで広げるわけにはいかないのでジャケットの内ポケットに入れる。


「ええ、ありがと♪振り込みはいつものとこよね?」


「おう、それでいい……何だ-?」


 マスターの視線を辿り、二人が振り返ると、先ほどから飲んでいた客たちが立ち上がり、こちらに向かって歩いてきていた。ジャコーズは警戒の色を目に浮かべる。


「よう。その紙、渡してもらおうか」


「あ?」


ジャコーズが聞き返すと、話しかけてきた客が続ける。


「あと、お前らが匿っている奴隷も引き渡せ。そしたら半殺しで済ませて──ぶぶぁ!?」


 言い終わらぬうちに、席から跳躍したジャコーズの拳が客の顔面にめり込んだ。尻餅をついた客──追っ手の男が立ち上がる。


「やっちまえ!一人残して、あとは殺して構わねぇ!」


 かくして、乱闘の火蓋が切られた。


「後で弁償だぞー」


 マスターはそう言いながらバックヤードに入り、鍵を閉めてしまった。


 数分後。荒れに荒れた店内で乱闘は続く。


 他の一般客は乱闘騒ぎに巻き込まれまいと全員逃げてしまった。


 なお結果として皆、食い逃げである。


 ジャコーズも桜もまだ一撃たりとも貰っておらず、対して相手は数人を残して全員積み重なるように倒れている。


「それにしても、手回しが早いわね。まだ三時間くらいでしょ、アタシたちがあの子を保護してか、らっ!」


 桜がナイフを構えた男の顔面にハイキックを叩き込みながら言う。


「あいつが奴隷ってことは、奴隷市場からの手回しだとは思うんだけどな。オラァ!」


 ジャコーズはビールジョッキを両手に振り回し、左右から来た二人を同時になぎ払う。ついでに正面からきた男の腹に鋭い蹴りを突き刺した。ジャコーズにとってその小さな身体は、どれだけ大きな相手であろうとハンディキャップにはならない。


「おら、どうしたァ!」


「ちょっとジャコーズ、後ろ!」


 桜の言葉にジャコーズが姿勢を低くしつつ、距離をとりながら振り向く。頭に衝撃が走った。間合いの開け方が悪かったらしい。相手の持っていた警棒を喰らってしまったようだ。


「……ちっ、オレもまだ未熟者ってことかよ」


 男が振りかぶり、それが振り下ろされるために動く寸前。ジャコーズはその肘に向けてジョッキを投げつけた。腕が後ろに反り、男が攻撃のタイミングと調子を崩したのを見逃さず、鳩尾みぞおちに全力で拳を打ち込んだ。


 喉の奥から空気を漏らしながら頭がジャコーズの頭の位置まで下りてきたところにアッパーカットを喰らい、男は吹き飛び、これまで無事だった最後のテーブルの上に倒れる。並んでいた料理の皿はまとめて床に落ちた。ついでにそのままテーブルも倒れる。


 桜の方を見やると、ちょうど最後の一人が倒れるところだった。


「よっわ。何だこいつら、十人以上いてこれかよ」


「何言ってんのよ、ほら頭。血が出てるでしょ」


 そう言いながら、桜が傷の近くに手のひらをかざす。小さく何かを呟くと、うっすらと桃色の光が浮かび、ジャコーズを照らした。待つこと数秒。ジャコーズの頭から流れた血が消えていた。痛みも無い。


「サンキュ。悪いな」


「もう、後で何か奢りなさいよ。仕方のない子なんだから」


 魔法。生きとし生けるものの体内に血液と共に流れる魔力というエネルギーは、古代より世界を書き換えてしまう異質なものとして、時には崇められ、また時には迫害の対象とされるほどに不思議を世に撒き散らしてきた。時代は移り、現代ではあらゆるものから魔力を抽出し、健康食品から果ては動力炉まで大雑把に幅広く使われる便利なエネルギーとして使われている。


 桜は自身のその魔力によって人の傷を癒やす力など、様々な魔法を持っている。桜の故郷では大して珍しい能力ではないが、後ろめたい仕事をしている以上、怪我だけでも治せるこの力はとても有難いものだった。


「さて、と…おいお前。多分お前がリーダーだろ」


 ジャコーズが胸ぐらを掴みつつ、倒れた男に問う。


「お前ら、あいつを追ってた奴の仲間だろ。誰からの命令か言ってもらうからな」


「……っ、クソが……!死んでも言うかよ……!」


 男の返答に、ジャコーズの目が先ほどの喧嘩とは違う怒りに満ちたものになる。襟元を掴んでいた左手を離し、首へと掴み直す。ジャコーズを睨み付けていた男が、その雰囲気に目を見開き冷や汗を流す。


「死んでもってか。ああそうかよ…だったら、死んだ方がマシな痛みってやつを教えてやるッ!!」


 ジャコーズが目を抉ろうと手をかざしたとき。


「駄目よ、ジャコーズ!」


「そこまでだ、荒事屋」


 止めようと叫ぶ桜とは別に、入り口からかかる声。振り向けば警官が数人と、コートを肩にかけたスーツ姿の女が入ってくるところだった。見た目は二十代後半。長い紫の髪に金の瞳。煙草を咥えている。端から見ればマフィアと言われても違和感は無いだろう。女は銃身の短いショットガンで肩を叩きながら、ジャコーズたちの元に歩いてきた。


「また派手に暴れてくれたね。処理する側のことも考えてくれ」


「何だよ、またお前かよ。マスターが呼んだのか?」


「そ、通報を受けてね。この街の半分くらいは私の担当だから。そしてその一割近くはあんたたちの喧嘩の処理なわけだけど。何か言い訳は?」


「喧嘩は売られる前に買うのが俺のモットーなんだよ」


「……まあ先手必勝は私も好きな言葉だけどね」


「そうだナイネちゃん。この子たち、アタシたちを追ってきてる奴らみたいなんだけど、何か分かることないかしら?」


 ナイネ・チャリオット。ネメシスシティでも指折りの刑事であり、ジャコーズたちの協力者の一人でもある。暴力警官として名が広まっているが、人となりを知っている者からは高い信頼を置かれている。


「来たばかりの私に言われてもね。とりあえず荒事屋、経緯を話して」


「人探しのために情報を買いに来たら、こいつらがそれを奪おうとしてきたからぶっ飛ばした。方が付いたとこでお前が来た。そんだけだな」


 ジャコーズは00219番のことは伏せて、酒場で起きた事だけを話す。あり得ないとは思うが、もしも警察側に捜索願が出されていたりすれば面倒事が増えてしまうからだ。


 少なくとも相手の素性だけでもはっきりするまでは、警察まで同様に敵に回すことは避けたかった。


「ふぅん」


 ナイネは返事だけすると、まだ転がっている他の男の服を剥ぎ取った。


「なるほど。荒事屋、これ」


 二人が覗き込むと、男の肩に見覚えのある刺青があった。蜻蛉とんぼと水を象ったものだ。


「ジェラス・ファミリーの連中だね。エンヴィー州からわざわざやって来たのか、ご苦労なことだよ」


「ジェラス・ファミリー?隣の州のマフィアがわざわざ王城街を通ってまであの子を追って来たっていうのかしら」


 この国は七つの巨大な州と、中心となる巨大な王城に分けられている。城もまたいくつもの区画に分かれており、その中心部にはこの国を統率する王が存在している。統率王は州ごとにそれぞれ王を配置して結界を張らせているため、隣の州に行くには城の周囲にある城下エリアを経由しなければ来ることは不可能なのだ。


「でも、奴隷一人を追いかけてきたにしては人数が大袈裟よね。元々こっちにジェラス・ファミリーのメンバーがいたのかしら?」


「奴隷?」


「馬鹿、桜!」


「あらやだ」


 悪びれもせずに口を手で軽く押さえる桜を見て、自身の髪をワシャワシャかき混ぜながら、ジャコーズは「あーもう」と文句を漏らす。


「…俺たちの今回の依頼人はどっかから逃げてきた奴隷だ。こいつらが追っ手なら、多分エンヴィーから来てるんだろ。依頼内容は信用に関わるから言えねぇ。依頼を達成したらあとはお前ら警察に任せるから、今は俺たちに任せてくれねーかな」


 仕方がないのでジャコーズは正直に話した。しかし、その頼みに対してのナイネの返答はノーだった。


「そういうわけにはいかない。依頼内容は別に聞かないけど、どこの奴隷なのかはちゃんと身元を確認させてもらうよ」


「ならナイネちゃん。もしもあの子がジェラスから逃げ出した奴隷だったとして、貴女はあの子を引き渡すつもりかしら?」


「何でそんなことをしなきゃならないの。私は警察として身元を確認するだけ。そもそも私はギャングだのマフィアだのなんて潰れて然るべきといつも言ってるじゃない。二人とも歩きで来たんでしょ。車に乗って。送るから」


 桜の問いに、吐き捨てるようにナイネは返し、部下に処理を任せて酒場から出て行った。


 ナイネの信条は【街を管理するのは悪人であってはならない。それは自分自身も例外ではない】である。


「善悪二つだけで人間が語れるかよ。エゴイストが」


 ジャコーズは苛々いらいらしながらそう呟いた。


 酒場から出るとき、振り返るとマスターが腕を組みながら手を振っていた。また来いよ。そんな笑みを顔に浮かべて。


 なお、弁償代は後日請求書が届くのだった。食い逃げした客の分まで込みで。


─────


 三人は、横を向けば二人すれ違える程度の狭い路地を縦に並んで歩く。向かう先はジャコーズたちの住居兼便利屋の事務所だ。


「そういえばここ、郵便物とか届くの?事務所って確か──」


「ここに郵便物は届かねえよ、心配すんな」


「別の場所にあるダミーの住所に届くのよ。リョーちゃんが担当してくれてるから安心よ」


 ナイネは質問の答えに対して「ふうん」と相槌を打つと、それきり会話が途切れた。三人は長い付き合いだが、警察と便利屋では住む世界が異なるためか、共通の話題があまり無い。仲は良好であっても、日常の世間話をするほどの間柄でもないのだ。


 そこから無言のまま、更に一分ほど歩くと、突き当たりにドアがあった。事務所の入口だ。鍵はかかっておらず、そのままドアを開け、三人は中に入った。


「ただいまー。おーい、ちゃんと居るかー?」


 ジャコーズがドアを開けると、結壁と00219番はお茶を飲んでいた。


「おかえりなさい、二人とも。あれ、ナイネさんいらっしゃい。すぐにお茶を用意しますね」


「ああ、いいよ。今日は休みにきたわけじゃないから」


 ナイネはお茶を断ると、00219番の元に歩み寄る。不安そうに両手を胸の前でぎゅっとする00219番に、ナイネはしゃがんで、彼女の目線に合わせた。


「初めまして。私はナイネ、警察に所属する者だ」


 ナイネの言葉に00219番はビクッとして、そこから逃れようとするかのようにソファの隅へ逃げようとする。


「ああ、怯えないでほしい。私は君を連れ戻しにきたり、捕まえにきたわけでもないんだ。二人から話は聞いているよ。私は彼らの味方だ。つまりジャコーズたちと共に君を守る立場にある。信じてほしい」


 00219番は不安そうな顔でジャコーズたちを見る。桜は安心させるような笑みで頷き、ジャコーズは不満そうな顔で適当な方を見ているのだった。それを見て00219番は少しだが緊張を解く。


「確か二人は、記憶の操作という方向で調べているんだったね。場所なら心当たりはある。とは言うものの、使える能力が能力なだけに、特定の条件をクリアしないと会ってくれないものでね。数日、時間をくれないか。私に交渉させてほしい」


「交渉って、何すんだよ。まさか条件を満たしてないままで会うことができないかって話か?」


「まさしくその通りだよ。その代わりに、私たち警察によって保護の対象として護衛するのさ。保護することで犯罪の片棒を担がせない監視の役割もあるけどね」


 ナイネの言葉にジャコーズは考える。もしも交渉が決裂して狙いの人物に雲隠れされては堪ったものではない。ナイネとは協力関係ではあるが、それ以上に依頼を完遂するためにはあらゆる手を打たなければならないのだ。


「分かった、お前に任せる。なるべく早く頼むぞ」


ジャコーズの返事にナイネは頷く。


「任せてくれ、期待には応えてみせるさ」


 ナイネが事務所から出てから数秒後。


「桜、俺らの服に発信機とか着けられてねーか調べるぞ。多分あいつ俺が承諾する振りしてることに気付いてるはずだ」


「ま、そうでしょうね。事務所内もまとめてスキャンするから、ちょっと待ってね」


 そう言いながら、桜は魔法を展開する。事務所内がうっすらと水色に照らされる。


 ジャコーズたちの言葉に、結壁は驚いた顔をしていた。


「ジャコーズさん、警察に嘘吐いたんですか!?」


「当たり前だろ」


 ジャコーズは、にべもなく返す。


「俺たちは便利屋シューターだ。俺たちがあいつ一人信じるだけで動かないような奴に見えるかよ。手段をひとつしか持ってなくて、もしもそれが失敗したらその時点で全部パーだ。打てる手は打てってな」


 ついでに警察が嫌いだから、という理由もあったりしたが、言うだけ野暮なので黙っておいた。


 ふと00219番を見ると不安そうな顔をしていた。何かを言いたいのだろうが、言葉が思い浮かばないようだ。そんな彼女を見て、ジャコーズはその頭を軽くポンポンと叩く。


「依頼は絶対に達成してやるから、お前は安心してここに居ろよ。俺たちに任せろ。お前の大切な記憶、取り戻してやる。な?」


 そう言ってニカッと笑顔を見せるジャコーズに、00219番は少しだけ泣きそうな顔をして、そうはすまいと何度も両手で頬を叩く。そして次に目を合わせたときには、覚悟を決めた表情で「……はい!」と、力強く応えるのだった。


 やがてスキャンの魔法の水色の光が消え、いつもの風景に戻る。


「リョーちゃん、胸ポケットに盗聴器」


「……はっ?ええっ!?」


 桜に言われて結壁が驚き、慌てて確認すると、とても小さな盗聴器が出てきた。おまけに薄く柔らかく、ポケットの上から触っただけでは気付かないだろう。


「マジシャンかよあいつは!」


 結壁から盗聴器を受け取ったジャコーズは、事務所の壁にある金庫を開け、乱暴に放り込んで扉を閉じたのだった。

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