ネメシスシティのトラブルシューター

不佞

エピソード1

第1話 トラブルシューター

 朝日がようやくその姿を全て現し、街が騒々しくなる、そんな時間帯。ビルの谷間、その灰色が青空を覆い隠す裏路地。そんな場所を駆け抜けるいくつもの影。


 息を切らし走り続ける。追い付かれたら、また酷い目に遭わされる。嫌だ。嫌だ。嫌だ。怖い。助けて。


 見知らぬ街、見知らぬ場所、身に覚えはあれど見知らぬ追っ手。彼らは自分よりも身体が大きく、いずれは追い付かれてしまうだろう。そして程なくそれは現実となる。


「やっと追い詰めたぞクソガキが!」


 数人の男たちに袋小路に追い詰められた、ボロを纏ったその小さな、長い金髪に碧眼の小さな少女は、追いかけてきた男に蹴り飛ばされ、痛む鳩尾を抑えてゴミ袋の山に沈み込んだ。空気が詰まったのか、数秒遅れて咳き込む。胃の中身が出なかったのが奇跡かもしれない。起き上がろうと身じろぎしたところを、たった今殴り飛ばした男が、抑えた手ごと思い切り踏みつける。


「っ!あぁっ……!」


「手こずらせやがって!テメェ一人にかける時間とコスト考えたことあんのか、あァ!?」


 怒声に竦む少女は、それでも何とか逃げ出そうともがき、立ち上がろうとするが、それを許さない男は更に強く足を押し付ける。


「いい加減にしやがれ!テメェは売られたんだ!身の程弁えろ!」


 何度も踏み付けられる。痛い。苦しい。辛い。助けて。少女は痛めつけられながら、そんなことを考えて歯を食いしばる。


「兄貴、大事な商品なんスから、それくらいで……」


「黙ってろ!奴隷には相応の躾ってもんがあんだよ!特にこういう自分の立場も分からねぇようなクソガキにはな!」


 手下の言葉には耳を貸さず、踏み付けたままの手をグリグリと体重をかけながらいたぶる。躾と言えば聞こえはいいだろうが、誰がどう見てもやっていることは単なる暴力であり、ストレスの発散だ。


 痛みに耐えながら、しかし少女は未だ、逃げ出すチャンスを諦めてはいなかった。


「おい」


 不意に、男たちの後ろから声がかかる。振り向くと、路地の入り口に一人の少年が立っていた。


 背は低い。140センチあるかどうか、少女と同じくらいだろうか。炎か血か、総髪ポニーテールにまとめた長い髪は真紅、更に右目にかかる前髪の一房だけ一際に深く、赤い。不機嫌そうな鋭い目つきは幼い顔立ちにそぐわず鋭く、その瞳はアメシストを思わせる紫。中性的に整った顔立ちは美しいの一言に尽きる。


 ファー付きのジャケットにラフなジーンズ姿がよく似合っていた。


 右の手はジーンズのポケットに。


 そして左の手には、鞘に収められた一振りの刀。


「あァ、何だテメェは!見せモンじゃねぇぞガキ!」


「なぁお前、依頼人か?」


 男の恫喝に一切反応せず、少年はもう一度言った。声変わりをしているかどうかさえ微妙な高さの声だった。


「そこで踏まれてる奴。お前が依頼人か?」


「……ッ、そう……です……うぁっ!」


 再度の質問に、少女は何とか返事をすることができたが、再度強く踏みつけられ、痛みに声を上げる。


「ガキ、テメェ……便利屋シューターか!お前ら、ガキだからって構うな、やっちまえ!」


 男がそう言うと、ナイフや銃を取り出した手下が少年に向けて襲いかかる…しかし。


「ガッ……!」「イギッ……!」


 うめき声を出しながら次々に手下たちが何かに弾かれたように倒れていく。少年は特に何かしている様子はなかった。


「魔力弾だ、死んでねーよ。そういう弾使ってるらしいし。このまま帰んなら見逃すけど……オッサン、どうする?」


 手下がどんどん倒され、開かれた道を少年が歩いてくる。怒りのあまり額に血管を浮かせた男は、手下が全員倒れた頃にようやく少年に向き直り、拳銃を取り出して叫んだ。


「なめんじゃねぇぞ、ガキが──」


 光が疾る。しかしそれは銃口からではなかった。


「遅ぇよ」


 拳銃を握った自身の腕が飛ぶのを目にして呆然とする男。


「え──あ、ぎあああぁァッ!?」


 数瞬遅れて溢れ出す血。数秒の後、思い出したかのように上がる悲鳴。少年はいつの間にか抜刀しており、一瞬で刀の間合いに入り、男の腕を切り落としたのだ。


「すぐ繋げば元通りになんだろ。見逃してやっから、さっさとどっか行けよ」


「ひ、ヒイィッ!」


 更に追加で恐怖の声を上げた男は、自身の切り落とされた腕を拾い、転がる手下をそのままに逃げ去った。


 少女は目の前に立つ少年を見上げる。たった今斬った男の血に濡れた刃。あっという間にその血が蒸発するように消え、元の輝きを取り戻す。


 刀を収め「ほら」と手を差し出してくるその手を取ろうとして──できなかった。気を失ってしまったのだ。


「あ、おい!ったく、仕方ねーな……」


 少年は携帯電話を取り出すと、先刻手下たちを撃ち倒したであろう人物に電話をかけた。


「おう桜、ありがとな。どうやらこいつが依頼人で合ってるみたいだ。気ィ失ったみたいだから車回してくれ、事務所に帰ってから話を聞こうぜ……おう、待ってっからな。落ち合う場所は──」


─────


 目を開く。知らない部屋のにおいを感じつつ、少女はゆっくりと身体を起こした。視線を下げると、簡素だが清潔な服に着替えさせられていることが分かる。首に手をやると、奴隷の証として着けられた首輪はそのままだった。


(病院……?)


 少女は考えたが、それにしては煙草の臭いがする。


 気を失う前、何度も踏み付けられた手を確認すると、傷どころか痛みさえない。身体も確認すると、逃げ出す前、何箇所にも付けられた痣さえ綺麗さっぱり無くなっていた。


 ベッドから下りようと左右の床を確認すると、スリッパが揃えて置いてあった。自分に用意されたものかと思い、それを履く。


 隣の部屋を開けると、そこは事務室のようだった。会社の事務室と言うより、ヤクザの部屋のような雰囲気を漂わせていたため、連れ戻されたのかと少し怯えがくる。緊張から、息が細くなる。そのまま戸惑い立ち尽くしていると、別のドアが開いた。


「あら、起きたのね!」


 部屋に入ってきた人物は、背の高い男だった。明るいブラウンの髪は長く、耳と片目を隠している。長さの違うふたつのネックレスが、黒いシャツによく映える。アンダーリムの眼鏡を掛けており、助けてくれた少年とは違うベクトルで美しい顔立ちをしていた。


 ただ気になったのは、その口調だが。


「心配したのよ〜、あの子が待ち合わせの場所に行っても誰もいないものだから。見つかってよかったわぁ。それよりも傷の具合はどう?痛いとこがあるなら言ってね、すぐ手当てしちゃうから。そうそう、多分お腹減ってると思ってご飯用意してるところなの、是非一緒に食べましょ!あとは──」


「えっと、あ……えっと……その……」


 矢継ぎ早にまくしたててくる女性口調の男に少女がしどろもどろになっていると、


「桜さん、依頼人さんが慌ててるじゃないですか」


 開いたままの入り口から、呆れた顔をした、食事の乗ったトレイを二人分持ったエプロン姿の青年が姿を現した。真っ黒な髪に東洋人と思わしき顔立ち。エプロンの下のカッターシャツに黒いズボンの姿はスーツか、それとも学生服なのか。


「あら、ごめんなさいね。アタシったらつい」


「い、いえ……」


 少女が返事をすると、東洋人の青年はトレイをテーブルに置いた。


「残りふたつ持ってきますね、座ってお待ち下さい。先に食べてても大丈夫ですよ」


「はーい、ありがとねー、リョーちゃーん」


 その背に礼を言うと、桜と呼ばれた男は椅子に座るように促した。


「さ、座って。ご飯にしましょ」


 はい、と戸惑いながら返事をして、言われるままに座る。


 ライスにサラダ、ポタージュ、オムレツ。少女にとっては、何日ぶりかの普通の食べ物だった。


「……いただき、ます……」


 フォークをとり、オムレツを恐る恐る口に運ぶ。


 ……美味しい。


 逃亡生活どころか奴隷生活の間でさえ久しく味わえなかったちゃんとした食事に、思わず涙と嗚咽がこぼれ出した。


 桜は「あらあら」と食事を中断して少女に近付くと、ハンカチを取り出し、溢れる涙を何度も優しく拭いた。


「よっぽど辛い目に遭ってたのね。大丈夫よ、あなたに酷いことをする人はここにはいないわ、来たとしても、アタシたちがちゃぁんと守ってあげるから。ね、だから安心してちょうだい。泣き止むまでこうしててあげるから」


 桜は頭を撫でつつ、少女に優しい笑みを向けながらハンカチで涙を拭い続ける。


「ただいまー、帰ったぞ……って」


 そこに帰宅の挨拶をしながら部屋に入ってきたのは、自分を助けてくれた赤髪の少年だった。


「テメェ桜!何、依頼人泣かしてやがる!」


 少年はその美しい顔を怒りに染め上げ、部屋に入るなりもの凄い剣幕で近付き、桜の胸倉を掴み上げる。とは言うものの、少年の背は非常に低いため、桜が腰を折りながらという妙な構図なのだが。


「ちょっと、ジャコーズ落ち着きなさいよ!アタシが女の子を泣かすのは嬉し涙かエッチのときだけって知ってるでしょ!」


「うっせーわスケコマシが!そのブラついたもん切り落として本物にしてやろうか!」


「やめてよ、アタシを待ってる女の子たちが本当に泣いちゃうでしょ!」


「その節操の無ぇ下半身が大人しくなんなら安いもんだろ!そんなことより依頼人泣かせた理由を答えやがれ!」


「二人とも、何やってるんですか!」


 言い争う桜と、眉を吊り上げて怒るジャコーズと呼ばれた少年は、残りのトレイを持ってきた先ほどのリョーちゃんと呼ばれていた東洋人の青年に怒鳴られ、少しだけ落ち着いたようだった。


「……本当にお前じゃねーんだな?」

「当たり前でしょ、アタシを見くびらないでちょうだい」


 桜がそう言うと、一呼吸おいた後、ようやくジャコーズは「悪ぃ」と呟きながら桜から手を離した。桜は襟を正すと少女に向き直った。少女は何が起きたのか分からず、呆然としたまま硬直していた。あまりの出来事に、涙も止まっていた。


「ごめんなさいね、怖がらせちゃったわね」


 桜は少女の目に残っていた涙を拭くと、椅子に座り直した。


 ジャコーズは桜の向かいにドカッと座ると、椅子の上で胡座をかきながら、「ケッペキ、飯!」とぶっきらぼうに言った。


「ケッペキじゃなく結壁むすかべですよ、何度言えば直すんですか」


「うっせー、飯!」


 まったく、とぼやきながら結壁はトレイを置き、自身は少女の向かいに座った。


「お騒がせしてすみません、さ、遠慮なくどうぞ。お口に合うといいのですが」


「あ、はい。いえ、あの……美味しいです、とても」


 スプーンを持ち直して、そう少女が返すと、結壁は「それは良かったです」と嬉しそうに微笑んだ。


「食いながらだけど自己紹介しとくか。オレはジャコーズ。ファミリーネームは無ぇ。知ってると思うけど便利屋ってやつだ。そっちの女たらしは桜。本名はクソ長いから省略。んでこっちの黒髪はムスカベ……何だっけ?」


 ど忘れするジャコーズに、結壁は答える。


「スプーンで指さないで下さい。行儀が悪いですよ、まったく。結壁涼真むすかべりょうまです、よろしくお願いします」


「そうそうそれそれ。オレはケッペキって呼んでる」


「その呼び方やめて下さいよ、人を潔癖症みたいに」


「事あるごとに言葉の正しい使い方ーだの礼儀ーだのグチグチ言ってくるんだから、ピッタリのあだ名じゃねーか」


 結壁の反論に、ジャコーズはそう返す。結壁は必要以上に噛みつくことはせず「まったく……」とぼやきながら食事を再開した。どうやら口癖らしい。


「んで、お前の名前は?」


「依頼人にお前とは失礼ですよ。最低限の礼儀くらい学んで下さい」


「いちいちうっせーな、そーゆーとこがケッペキだっつってんだよ!」


「お客様に対する態度じゃないでしょう!いつもいつも貴方は!」


 ついに言い争いが始まった二人をスルーして、桜が名前を問う。


「お馬鹿二人がごめんなさいね。あなたの名前、聞かせてもらえるかしら?」


「えっと、はい……私の名前は00219番です」


 少女の名乗りを聞いた瞬間、言い争いが止まる。


「……それが、あなたのお名前?」


「……はい。奴隷番号00219番、それが私の名前です」


 少女──00219番の名乗りに、ジャコーズが問う。


「奴隷になる前は?ここは奴隷市場じゃねーんだ、お前の親がくれた名前を名乗っていいんだぞ?」


 その言葉に、00219番は返す。


「……分からないんです。確かに私には両親から貰った大切な名前があったはずなんです。奴隷にされる前はその名前を名乗っていたことも覚えています」


 一呼吸おいて、彼女は続ける。


「奴隷にされるときに、奪われたんです。私の大事な記憶を。お父さんとお母さんの記憶も無いんです。分かるのは、私には二人がいたということ、二人に貰った名前があるはずだということ、それだけなんです」


 00219番は、足に置いていた手を、ぶかぶかのズボンと一緒に強く握りしめる。


「取り戻したいんです…お願いします…奪われた私の記憶を、取り戻して下さい……お願いします……」


─────


 食事のあと、00219番は再び泣きじゃくったあと、泣き疲れて眠ってしまった。


 結壁は食器を片付けたあと、冷蔵庫の中身がほとんど無いとのことで買い物に出かけてしまった。部屋に残るのはジャコーズと桜だけである。


 開いた窓に乗り、窓枠に寄りかかりながら、ジャコーズは言う。


「自分自身の大事な記憶のために、命を懸けてまで奴隷市場から逃げ出すなんて、勇気のある子ね」


 ソファーに座り、コーヒーを一口飲んだ桜は呟いた。


「逃げてる最中にうちの宣伝チラシ見付けたって言ってたけど、あれ結構昔に撒いてたやつだろ。よく見付けたなあんなの」


 ジャコーズたちは便利屋を営んでいるが、ここ最近は宣伝等はせずに口コミからの依頼をメインに活動している。最後にチラシを撒いたのは年単位で前の話だ。現在はホームページを作り、それに加えて口コミで依頼が舞い込んでくる。


「桜、首輪にぶら下がってたチャームの模様に心当たりってねーか?あと記憶を奪ったり消したりする魔法とか」


 00219番の首輪に取り付けられていたチャームは、四角いプレートに水と蜻蛉とんぼが彫り込まれていた。


「首輪の方は知らないわ。けど、記憶操作の方ならあるわ。ただ魔術的にも科学的にも、できる人物は限られるわね。アタシが知ってる限りでは一人しか知らないわ。この街にいるかも怪しいわよ」


「いくら逃げたとはいえ、奴隷に対する扱いじゃなかったよなあれ……ま、考えても仕方ねえ、動かねーことには始まんないもんな。んじゃ、まずは情報屋からか」


 ジャコーズは窓から下りると、ソファーの背に掛けていたジャケットを羽織り、部屋を出て行った。


 部屋に残った桜は、煙草を一本取り出して咥え、火を着け──ようとしたところで、ジャコーズが戻ってきた。勢いよくドアが開かれる。


「いやお前も来んだよ!早くしやがれ!」


「え、嫌よ。知ってるでしょ、アタシ汗水流して働くの嫌いなんだから」


「オメーが来ねえと目的の魔術師が近くに居ても魔力が感知できねーだろ!さっさとしろっての!」


「もー、ワガママねぇ」


「こっちのセリフだ馬鹿野郎!」


 00219番に宛てて桜は可愛らしい丸文字で書き置きを残し、コーヒーを一気に飲み干すと、掛けてあるジャケットを手に取り、ジャコーズと共に出発した。

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