第3話 秋薔薇の咲く庭での内緒話
誘われて入った先は、とても美しいお庭だった。丁寧に世話をされている、大事にされているのが一目でわかるもの。私はなんだか嬉しくなった。
それに、話してみるとアンドリューさんの人柄もよくわかった。素直な人なのだ。時々気になるスラングが挟まれるものの、それは見栄っ張りな思春期の男の子たちを彷彿とさせて微笑ましく、初対面だというのに、私はずいぶんリラックスしている自分に気がついた。
「悪いな。どうもプライベートになると仕事の反動が出るのか、口が悪くなるんだ。気が抜けるって言うか」
「いいえ。わかれば特に嫌な気分にもなりませんから大丈夫です。逆に、気楽に接してもらえてるんだって思えますし」
「……ありがとう……」
きっと仕事ができる人だ。会社に入ってそれなりに人は見てきた。間違いない。だからだろうか、そんな彼が気を許してくれているのだと思うと安心して向き合うことができた。お茶会やお菓子作り、仕事の話、私は驚くほど多くのことを素直に話すことができたのだ。その結果、私たちは数時間後には互いを愛称で呼ぶまでになっていた。
「じっとしてて。ああ、これは……。
薔薇の移植を手伝っていた私は、香りを嗅ごうと近づき、髪をその棘に引っ掛けてしまった。視界の妨げにならないようにと帽子を脱いだのがあだになってしまったようだ。簡単なまとめ髪だから問題ないと言えば、すぐに、爽やかな風の中にゆるいウェーブの髪が広がった。
「ミリー? もしかして……メガネも伊達なのか?」
思いがけず優しい声で問われ、素直にコクリと頷けば、ドリューが囁くように続けた。
「こんなに綺麗なのに……。何があった。俺に話してみないか?」
はっと顔を上げれば、
寄宿舎に入った頃、私もリリスたちと同じように、長い髪をなびかせ、明るい色のワンピースを着ていた。クリケットの上手な先輩に黄色い声援を送ったりもした。
ところがある夏の日、花火大会の夜だった。リリスたちとはぐれてしまった私は、敷地内に侵入した不審者に襲われかけたのだ。運よく巡回の先生に助けられ、ことは未遂で終わったけれど、その恐怖は半端なかった。リリスにすがりつき、ブルブル震える私に連行される男は言った。
「そいつが悪いんだ。薄い服着てウロウロしやがって。自分は可愛いってわかってるんだよ。ああ、嫌だね、嫌な女だ。そういうことをやる、頭の軽い女が俺は大嫌いなんだよ!」
狂った男の暴言など気にすることはないとみんなが言ってくれた。けれどそれ以来、髪はひっつめ、露出の少ない黒ずくめ、大きなメガネをかけて顔を隠し、外出時にはもちろん帽子も忘れない。病んだ犯人とは違うと思いつつも、やはりどこかで男性に対する恐怖心が芽生えていたのだ。あなたを助けてくれる素敵な人を見つけるべきよ、とリリスは言ってくれたけれど、その人だって男性なわけで……、いつしか恋するにも臆病になってしまった。自分を守るため、私はずっとこの格好を続けているのだ。
告白し終えた私は深くうなだれた。ドリューがそっと髪に触れるのが感じられた。不思議と怖さはなかった。優しく撫でられて、逆に思いもよらぬ心地よさに顔を上げれば、メガネをかけていない顔を覗き込まれる。
「頑張ってきたんだな。でももう大丈夫だ。俺たちはこうして知り合った。味方が増えたんだよ、ミリー。守ってやれる。もう怖くない。安心していいから」
熱いものがこみ上げ、ホロリと頬を伝わった。親指でそれをそっと払ったドリューが明るい声をあげた。
「よし! こういう時には甘いものだ! 俺の処女作を食べよう!」
しかし、出されたものに私は驚きを隠せなかった。思わず涙さえも引っ込んでしまった。これは何? と目で問えば、彼が首を傾げた。
「クラブアップルだよ?」
「見ればわかるわ。でもこれ……」
オリバーさんも言っていた。パイというよりもタルトと言ったほうがいいだろうかと。市販の冷凍パイ生地は上手に焼けていた。詰められたカスタードクリームも美味しそうに見える。けれどそこに並んだものがいただけない。小さな小さなクラブアップルがぎっしりと。確かに火は通っているだろうけれど、これは……。
「ちょっと酸っぱいけど、なかなかいけると思うんだ。まずは見た目がいいだろう?」
「ええ、そうね。とても可愛いわ。でも……念の為聞くけど、これは丸ごとかしら?」
ヘタが並んでいる時点でそれは愚問だとわかっているけれど聞かずにはいられない。
「ああ、そうだよ。かじってもうまいから問題ないだろう」
「……。ドリュー、それって種も芯も入っているってことよね」
「? あっ!」
ようやく私の言わんとしたことがわかってもらえたようだ。見るからに野性味溢れるタルトは絵的には素晴らしい。クラブアップルの可愛らしい形をとどめておくには一番だろう。私だってその気持ちはわかる、気持ちは……。けれど食べるとなると……。
「俺は適当にあれこれ出したり飲み込んだりできても、君にはちょっと……だよな」
「だわね。でもカスタードは美味しそうだし、味見はしてみたい……」
「ああ、もちろんだよ、ちょっと待ってて」
ドリューがナイフで器用にそれを切り分ければ、予想通り種入りの美しい断面が姿を現した。
「これはこれで綺麗ね、見てる分には上出来だわ! ドリューの気持ちがわかるだけに……残念ね」
ブツブツと呟く私の傍らで、ドリューは皿に取り分けた一片をさらにナイフでえぐって、硬い部分を全て出してくれた。確かに食べられそうではある。しかしあちこち穴だらけで気の毒すぎる。
無理して食べなくてもいいんだぞという気弱な声をよそに、フォークでさらに実を小さく切り分け、カスタードクリームと一緒に頬張る。思いがけない味に私は目を見張った。
「どうした? まだ種が残ってたか?」
私は首を振って、口の中のものを素早く飲み下し息を整えた。
「違うの。ごめんなさい。思った以上に美味しくて」
初めて作って心配だったのだろう、ドリューの目が大きく見開かれ、ついで弾けるような笑顔が広がった。彼はどかっと私の隣に腰を下ろし、大きな一切れを切り分けて豪快に食べ始めた。
「確かにこれでは珍品だな。芯やら種やら思った以上に厄介だ」
言い訳など一切せず、真面目な顔で第三者的に感想を言うものだから私は思わず吹き出した。「悪気はないの。あまりにもあなたが素直すぎて」と謝れば、眉を下げなんとも恥ずかしげな顔を見せる。自信を持って何にでも取り組み、きっとその多くを難なくこなせるだろう人が、弱点を無防備にさらけ出す様に私ははっとさせられる。体の奥の奥で何かが脈打ったような気がした。
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