第4話 ときめきは午後のお茶会で生まれる

 その後、午後のテラスでちまちまとタルトを解体し、大きさは違うものの仲良く二切れずつを私たちは食べた。並べただけのクラブアップルにはやはり当たり外れがあって、あまりの酸っぱさに思わず絶句する場面もあったけれど、それさえもが可笑しくて愛しくて、私はドリューとの時間を楽しんだ。

 お代わりのお茶は、お礼がわりに私が淹れた。それを飲みながら、夏には忙しくて休暇が取れず、この季節になってようやく来れたのだとドリューが話してくれる。


「祖母の家なんだ。母が引き継いだんだが、彼女は街の方が好きで寄り付かない」


 彼の言葉に私は頷いた。確かに田舎暮らしは良し悪しがある。体に自信がなければきついことも多いだろう。私は叔母に傾倒しているからここへ来るのも苦痛ではないけれど、それだって人の家だと言うことが大きい。住むとなればまた別の話、相当の覚悟が必要だろうと思うのだ。


「でも、私は好きだわ。今まで曖昧あいまいだったけれど、叔母の家でお茶会をするようになって、なんとなく彼女の夢の理由がわかったような気がしたの。きっと実際に足を運んだからね。ただ庭で採れた果物で季節のお菓子を焼くだけじゃなくて、時間の流れというか、空気の質というか……最高に贅沢だと叔母はいつも言っているけれど、まさにだと私も思うの」

「確かにな。時間があれば優雅な楽しみだ。だけど、こういう慌ただしくてちょっと必死にならないとダメな強行軍でも、それはそれで味わい深かった」

 

 ドリューの軽口に私たちは顔を見合わせて笑った。遠くからやってきて、色々と準備をして、数時間を楽しんだら片づけしてまた街に戻るのだ。ある意味情熱がなければ無理な話。

 彼がそんな時間を好むだなんて、仕事上の付き合いだけの人にはきっと想像もできないだろう。けれど、街のバーカウンターにいるのがお似合いだと思える人が、壊れかけた麦わら帽をかぶってせっせと小さなリンゴを摘む姿は新鮮だった。

 ドリューとの会話の中で、足を運んだから色々とわかるようになったと言ったけれど、それは叔母の家のことだけではない。ここでドリューに会ったことが、思いがけず大きなものになっていたのだ。

 自分を解放できる場所と時間をより良いものとするためには、誰と過ごすかが大きく関わってくるのだと、この数時間で私は知った。喧騒けんそうを離れた時間の中で、子どもみたいに無邪気な好奇心を持って作業し、大好きな人と笑いながらそれを分かち合う。これこそが叔母のいう最高の贅沢なのだとようやくに落ちたのだ。

 それに……叔母に感化されただけで、実際には庭仕事も田舎暮らしも知らない私より、さすがに小さい頃からここを知っているドリューの方が、例えやり始めたのは最近だとしても、ずっとずっとここの空気に馴染んでいると思った。私がそう言うと、ドリューが嬉しそうに笑った。


「ありがとう。オリバーには最初の頃、ずいぶん手厳しく言われたんだ。でかい図体でそのへっぴりごしは嘆かわしいとか、移植ごてはマレットとは違うだとか、俺だってそれくらいはわかるさ。第一、馬にだって乗ってない!」

「まあ」


 ムキになって言い募るドリューにおもわず笑ってしまう。ポロの試合では実に颯爽さっそうとしているに違いない。だからこそオリバーさんはわざとそう言ったのだろう。おばあさま亡き後、庭の一切を引き受けてくれている彼が、ドリューのことを小さい頃から可愛がっていたことが手にとるように感じられた。


「私にも……」

「え?」

「私にも教えてくれる? その、薔薇の移植だとか剪定だとか……」


 ドリューがぱっと顔を輝かせた。


「ああ、もちろんさ。じゃあ、ミリーには、ベイキングのあれこれを教わりたいな。せっかくだからいいものを作りたいんだ」


 クラブアップルは幼いドリューがおばあさまにねだって植えてもらったものだ。他の木に比べてまだまだ若い。言ってしまえばこの庭の新参者しんざんもの。けれどそれは日当たりの良い特等席を与えられており、おばあさまの彼に対する愛情が十二分に伝わってくる。そこから実ったものを形にしたいという彼の気持ちにも共感できる。おばあさまに与えられた愛に応えようとしているのだ。その手助けができることがなんとも誇らしくて私は大きく頷いた。

 

「ありがとう、ミリー。じゃあ、こうしないか? 今度来るときは、その綺麗な髪は下ろしたままで、もちろんメガネもなし。そうだな、ミリーには柔らかなヴァイオレットが似合うと思うんだけど、どうだろう。怖かったら、どれか一つでもいい。できることから始めよう」


 三週間の休暇を取ったドリュー。私は叔母のお茶会もないと言うのに、次の週末にまた村を訪れる約束をしたのだ。


 秋晴れの土曜日、ドリューは駅まで迎えに来てくれた。私を見て彼は破顔した。


「ミリー……やっぱりいいな。素敵なワンピースだね、楽しい週末になりそうだ」


 頬に熱がこもるのが抑えられない。実のところここまで来るのに必死だった。いきなり全部変えなくてもとリリスも言ってくれたけれど、こう言うことは勢いなんだと私は思ったのだ。賭けてみたかったのかも知れない。何に? 彼に? 

 けれど家を出た瞬間から、心拍数は上がって視界は狭くなり、車窓からの風景を楽しむ余裕など全くなくて、冷や汗は流れっぱなし。私はドリューの笑顔だけに気持ちを集中させた。

 だから、ドリューがそんな私の頭を軽く撫で、頑張ってくれてありがとうと言ってくれたとき、緊張感がいっぺんに吹き飛んで、身も心も軽くなったような気がしたのだ。

 

 この一週間、私はあれもこれも考えに考えた。まず、会社帰りにリリスに付き合ってもらって店を回った。もちろん彼女には洗いざらい吐かされた。


「リリスが言う出来る男だとは思うわ。だけどデージーが言うみたいにモテすぎで遊んでるかも。私には到底無理な人かもしれないの……」

「でも、好きなんでしょ。だったらいいじゃない」

「だけど……」

「だけども何も。初対面でそこまで素をさらけ出したんでしょ、やるじゃない。女を口説くのが趣味な男なら、そんなことありえないわ」

「でもそれは私がいつもの格好で……」

「そうね。でもそれもばれた。だけど態度は変わらない、って言うか話を聞いてくれたわ! これは脈ありなんじゃない?」

「同情されてるだけかも。全く相手にされてないかもしれないわ」

「そうかしら。だってヴァイオレットよ。無難にピンクでも白でもいいじゃない。だけどそこをヴァイオレット。ミリーのことをよく見ていないと言えない一言だわ」

「リリス、私……」

「どーんといきなさい。私、言ったわよね。素敵な人ができたら戻っておいでって。ミリー、今なんじゃない?」


 二人で決めたワンピースを見つめながら、次にレシピについても考えた。叔母のお茶会を手伝うようになって、私もそこそこ上手にパイやケーキを焼けるようになったのだ。なんなら大好きなチーズ入りアップルパイのレシピを伝授したっていい。けれど作るのはドリューだ。初心者にそれはハードルが高すぎる。彼がいかに簡単に作れるか、楽しめるかが大事なポイントだ。材料、手順、時間、私は時間の許す限り考え続けた。

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