第2話 思いがけない出会いは散歩の途中
電話を切った私はバッグから折りたたんだ帽子を引っ張り出した。叔母がプレゼントしてくれたものだ。広いつばの黒い帽子。目深に被れば、黒縁の大きなメガネも相まって、顔が見えづらくなる。準備は万端だ。
「とは言ったものの……どうしよう……」
通ってきてはいても、叔母の家以外は知らない地区。散歩といっても行くあてもない。どこを歩いても絵にはなるだろうけれど、せっかくなら素敵な場所に行ってみたいものだ。ふと、ハイキングコースがある自然保護区のことを思い出した。確か駅から一本道だったはず、それなら……と私は歩き出した。
しかし、なかなか目的地は見えてこない。だんだんと心配になってきた。どうしたのだろう、思った以上に遠いのだろうか。田舎の道を甘くみすぎていただろうか。さっきから道の右側には延々と煉瓦積みの塀が続いている。保護区の近くにこんな住宅地があっただろうかとうろ覚えの地図を思い浮かべるもはっきりしない。
そうこうしているうちに、汗をかくほどではなかったけれど、幾分体温も上がってきた。私は立ち止まり、気分転換に上着を脱いだ。ワンピースが風をはらんで、爽やかな流れが肌をかすめる。いい気持ちだ。
けれど困った。ここがどこだかわからない。すぐに着くだろうと一度も地図を開かなかったのだ。さすがにこれは確認した方がいいかと思った時、塀に組み込まれているすぐ側の木戸が開いた。小柄なおじいさんが出てくる。私は
「ごきげんよう、お嬢さん」
挨拶を返してくれながらもおじいさんが困惑しているのがわかる。それはそうだろう。人通りもない住宅脇の道、黒ずくめの明らかによそ者と思われる女が一人。私は不審者ではないことを説明すべく、失礼にならないよう、けれど精一杯早口で答えた。
「あのぉ……保護区に向かっていたのですが……それはまだずっと先でしょうか」
おじいさんは目をまん丸にした。
「保護区! それは……」
「それは?」
「駅からいらっしゃったのですよね」
「ええ」
「道が二つありませんでしたか?」
「……ああ、そう言えば……えっ! まさか!」
「ええ、残念ながらこちらは反対方向です」
なんということだろう。一本道だから間違わないはずと歩いてきたのに、初っ
「オリバー、忘れ物だぞ。大事なハサミを置いていくなんて、ずいぶんと焼きがま」
こほんとおじいさん、もといオリバーさんが咳払いをした。
「あっ。これは失礼。ごきげんよう、お嬢さん」
「ごきげんよう」
これまた寄宿舎育ちと思われる男性が姿勢を正した。まくりあげたシャツの袖からは程よく日焼けした腕がのぞいていたけれど、その着こなし、その雰囲気、彼もまたこの村の人ではないことは明らかだ。
「こちらのお嬢さんは保護区への道と間違われてしまって」
「保護区? 墓地ではなくて?」
「アンドリューさま!」
私はその一言に身構えた。初対面でズケズケとものを言うタイプ。無神経な人。
「ドリューさま、あなたの目は節穴ですか? お嬢さんのドレスには、可憐なレースの襟がついていますが?」
オリバーさんの言葉に、再度私を見た彼はバツが悪そうに眉を
「ごめんごめん。黒ずくめだったからつい。でも、大丈夫か? 夏の終わりとはいえ、首もそんなに詰まってたら、苦しくないか? ずっと歩いてきたんだろう?」
どうやら悪い人ではないらしい。逆に心配されている。力を抜いた私は小さく微笑んだ。
「大丈夫です。慣れていますから。お気遣いありがとうございます。私……戻りますね。お騒がせしました」
その時、オリバーさんがポンと手を打った。
「せっかくですから、庭を見ていきませんか?」
「え?」
「保護区もいいですが、うちの秋薔薇もなかなかのものですよ」
「オリバー!」
アンドリューさんが慌ててオリバーさんに向き直る。
「お嬢さんにだって都合というものがある」
「何を言ってるんです、ドリューさま。ずいぶん失礼な態度をとったお詫びでもありますよ! お嬢さん、お名前は? この後の都合はいかがです?」
柔らかな物言いながら、オリバーさんには有無を言わさぬ迫力があって、アンドリューさんもタジタジだ。私も思わず姿勢を正してしまう。
「アメリアです。予定がなくなって散歩でもと歩いていただけですから特には……」
「それはちょうどいい。ドリューさま?」
「いや……俺は薔薇の植えかえが」
「ドリューさま!」
私としては男性と二人きりなんて遠慮したいくらいだったけれど、なぜかこの誘いを断りきれないでいた。こちらを向いたオリバーさんがにっこりと微笑んだ。
「それに……」
「それに?」
「パイがあるんです。いや、タルトか? とにかくドリューさまが初めて作ったもので。一人で食べるのは味気ない。ね、アメリアさんもそう思うでしょ?」
「はあ……」
聞けば、オリバーさんはアンドリューさんのお宅の庭師さんで、今日の午後は一緒に薔薇の植え替えをして、お茶を飲むはずだった。しかし急用が入って出かけることになったのだ。叔母のお茶会が中止になったと私が言えば、オリバーさんは満面の笑顔で私たちを木戸の向こうに押し込んだ。そしてそっと囁いた。
「ドリューさまはウィスキーがお好きだって言いますけど、本当はトフィー・アップルが一番なんですよ」
「え?」
「秋薔薇、楽しんでくださいね。では」
オリバーさんはそれだけ言うと、足取りも軽く行ってしまった。
「え?」
「アメリアさん、こっちこっち」
「あっ、はい、今行きます」
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