クラブアップルの木陰で

クララ

第1話 憧れのお茶会は麗しの田園地帯

 列車で一時間半先の小さな村。しかし寒村ではない。その逆だ。悠々自適なリタイア後の生活を楽しむために作られた場所。のどかな田園風景は人工的なものでありながら、けれどその周辺のどこよりも自然に溶け込み美しい。母の妹である叔母コニーはそこで週末の癒しだったガーデニングを日々の営みにし、丹精込めて育てている果樹の収穫シーズンにお茶会を開く。

 

 彼女は私の憧れの人だ。常に好奇心を掻き立ててくれる人。幼い頃から大好きだったけれど、年を経てもそれは変わらず、改めて学ぶことも多い。美しい生活が豊かな人生を作るというのが彼女の信条で、私の美しさの基準は彼女によって作られたと言っても過言ではない。

 息が詰まりそうな寄宿舎生活を終えて街に戻ったとき、叔母は私を温かく迎えてくれた。急がず慌てず自分を取り戻しなさいと言って抱きしめてくれた。思いもしなかった会社勤めに一歩を踏み出せたのも、すべて叔母のおかげなのだ。

 

 それなのにあっさりと引っ越しを決めてしまった。私はひどく落胆した。もっともっと教えて欲しいことがあったからだ。思わずどうしてなのかと詰め寄った。街でだって小さいけれど素敵な庭を持ち、花の季節にはオープンガーデン登録をして多くの人を迎え入れていた。わざわざ田舎に引っ込む必要はないだろうと思ったのだ。


「いいえ、大ありよ。ミリー、私の夢がなんだったか覚えてる?」

「夢……」

「ええ、そう、夢よ」

「……あっ! 果樹園!」

「そう。でも、そこまで大袈裟じゃなくていいの。庭に幾つか木があれば。それで季節ごとにお菓子を焼く、最高に贅沢な生活。これこそが生きる醍醐味だと思わない? 早めにリタイアしてよかったわ。この先どんどん楽しまなくっちゃ。もちろんあなたも来るのよ、ミリー。そして感じなさい。きっとあなたにとっても新たなステップになるはずよ!」


 それから五年。従姉妹のリリスやデージー、時には他の親戚たちも巻き込んで、私たちコニーオーチャードの特別会員はお茶会を続けている。アプリコット、チェリー、スモモ、イチジク、そして最後はリンゴだ。忙しさを理由に欠席する人も多い中、私はせっせと足を運んだ。


「ミリー、いつからそんなに田舎好きになったの? あんなに虫を怖がっていたのに」


 同じ年のリリスはそう言って茶化すけれど、一番驚いているのは他ならぬ私自身だ。一人で郊外へ出かけるなんてできないと思っていたのに、慣れれば慣れるもの。もちろん、虫嫌いを克服したわけでも、田舎暮らしに目覚めたわけでもない。けれどなぜか、叔母の家での時間は素晴らしく心地よかったのだ。

 母は、私の行動範囲が広がったことがよっぽど嬉しかったようで、叔母のお茶会には全面的に賛成だ。しかしそこには、できればその縁で誰かいい人を紹介してもらえたらと言う魂胆がうっすらと見え隠れする。まあ、まだ無理強いする気はないようだから、しばらくは気にしないでおこうと思っている。

 

「でも本当、田舎暮らしの朴訥な人とかいいかもよ? ミリーを大切にしてくれそう」

「馬鹿ねえ、デージー、あなたミリーの可愛さを忘れたの? せっかく会社勤めを始めたんだから、そこはバリバリ仕事のできる優良物件を狙わないと!」

「だけど、そんな人……、きっと遊んでるわ。付き合ってもミリーが苦労するだけよ!」

「そんなのわかんないじゃない。都会的な顔して自然を愛する男だっているかもしれないし!」


 リリスたちも何かと心配してくれる。同じ寄宿舎で過ごした彼女たちは、私の身に起こったことをよく知っている。だけどそこから目をそらすことなく、あれこれ言ってくれるありがたい存在だ。母の思うことも従姉妹たちの言うことも一理ある。でも肝心の自分はと言うと、やっぱりまだ一歩踏み出せないでいた。


 車窓に流れる美しい丘陵地を見るともなく見やりながら、私はレースの襟をもてあそぶ。真っ黒の装いの中、そこだけは純白で私なりの頑張りだ。卒業前の黒ずくめを思えば、それなりに前進している。秋の初めとはいえ、見ようによっては暑苦しいだろう。それでもこの装いは自分を守る手段、まだ手放す勇気はなかった。


「今日はアップルパイよ!」


 小さく声に出して気分を盛り上げる。私は叔母のアップルパイが大好きだ。大きめに切ったリンゴが煮崩れしないまま残ったものにチーズを混ぜ込んである。絶妙な塩気がたまらない。もちろん、上から温かなカスタードクリームをたっぷり注いで食べる。

 そしてそれに合わせるのは、赤い転写絵付けのアンティークティーセット。田舎へ越して骨董市がより身近になり、さらなる情熱を傾けることになったシルバーのカトラリー。おきまりの組み合わせなのにいつだってうっとりしてしまうのは、あしらう花やクロスの使い方が上手だから。やっぱり叔母は私の目標なのだと思う瞬間だ。

 

 そんなこんなでなんだか気分も良く、お茶会準備の手伝いでもしようかと私は朝のうちに列車に乗った。遠く色づき始めた木々を眺めているうちに列車はこじんまりとした駅舎のあるホームに滑り込む。ところが、扉をあけて小さなロータリーを前にした途端、携帯が鳴った。


「ああ、ミリー! 今どこ?」

「もう駅よ。今日は早く来たの」

「まあ、それは大変。今日のお茶会は中止よ」


 かけてきたのはリリスだった。中止とは穏やかでない。けれど彼女の声はのんびりしていて、どうやら緊急事態ではなさそうだ。


「中止? 何かあったの?」

「お隣の方が怪我をなさったんですって! 重傷ではないけどお世話の手があった方がいいみたいなの、それで」


 ああ、メリッサさんかと顔を思い出す。一人住まいだし、叔母の話題に何かと上がる気のおけない相手だから、放っておくことはできなかったのだろう。まあ、今日のケーキはメリッサさんと二人で食べれば問題ないだろうし、大した怪我じゃなくてよかった。


「ミリー、どうする? もう帰ってくる?」

「う〜ん、せっかく来たし……お天気もいいからお散歩でもしていくわ」

「そうね、それがいいわ。村なら安全だし、楽しい一日をね!」

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