北の街中

 週末、イブは早起きをして隣の部屋の扉をノックした。カイの部屋から返事はなく、物音もしなかった。すでに働いているようだ。

 いるならばエドワードの部屋か、広間だろうか。考えて、朝食ついでに広間に向かうことに決めた。今日は外出許可をもらって街に下りる予定だった。さっさと誘って、朝一番の連絡馬車に乗りたい。

 広間の扉は半分空いていて、寛ぐエドワードの姿が見えた。ここ最近は多忙を極めていたので、ゆっくりモーニングティーを楽しんでいる所なんて久しぶりに見た。

「おはよう、エドワー……ド……」

 勢いよく広間に入ると、廊下からは見えなかった位置にロニーが座っていた。これから礼拝堂でパイプオルガンの練習をするのか、紅茶を飲んで温まっている。

 まっすぐに手渡されたサシェが頭をよぎる。

 そしてイブは絨毯に足を引っかけた。この洗練されたクラブロイヤルの寮に似つかわしくない音が響き、イブの頬は床に触れる。

「だ、大丈夫ですか?」

 近くにいたロニーがさっと手を差し伸べ——なのに、その手を取ることはできなかった。自分でも混乱しながら、半笑いで立ち上がるとエドワードと目があった。

 口元は笑っているのに、青みがかったグレーの瞳は驚くほど冷たい。

「礼法はちゃんと教えているの? 期待外れだよ」

 ぞく、と背中が凍ったような感覚があった。

 庇うようにロニーがイブの前に立つ。

「そうですね、すみません。私の教え方が至らないのだと思います。イブ、足元が見える服では決して——」

「——え? すごい嫌味言うな、君」

 イブは目を丸くしてエドワードの正面に座った。イブ、とロニーが声をかけるが、止めない。

「それか一朝一夕で出来ると思っていたの?」

 少なくとも礼法がなっていないのはロニーの責任ではない。サボらず真面目にやっているのに文句を言われても困る。そもそもイブはクラブロイヤルになりたいわけでもなかったのだから。

「……ふふっ」

 エドワードは穏やかに笑い声をあげたが、広間の温度は数度下がったように感じられた。春が近いと思っていたのにまた冬に戻ってしまったかのようだ。それに換気がなっていないのか空気も悪い。

 厨房とつながっている扉からポットを持ったカイが現れ、イブの前に静かに置いた。邪魔にならない存在感に感心する。殺意が飛んでくることを除けば、素晴らしい従者だ。

「まあいいや。カイ、今日一緒に出かけない?」

「……、……。……命令でしょうか」

 心の底から嫌そうな声だった。

 イブはぱっと顔を明るくして手を打った。

「そうか、その発想はなかったな!」

「……」

 カイは恨みがましい目で、じと、とイブを睨む。殺意も忘れずに飛んできた。律義だ。

「君が命令するなら、僕が命令を上書きしようかな」

「うーん、困ったな。エドワードに関わるんだけど」

 カイはぴくりと眉を動かした。嘘はついていない。

 エドワードやロニーも興味深そうにしていたので「君には教えない」と釘を刺す。深くは追求されなかった。ふーん、と相槌を打たれただけだ。

「お邪魔なようだから僕はそろそろ部屋に戻ろうかな。……ほら、ロニーも」

「うん、そうしてくれ」

 イブが堂々と答えるので、ロニーは困ったように目を瞬かせた。エドワードは後で部屋に紅茶を運ぶようカイに指示し、扉を出る直前で振り返った。

「ちなみにカイには仕事を任せたいから、今日は連れ出されると困るな」

 エドワードはくすくすと笑いながら言った。ウィンクのおまけまでついている。いつの間に機嫌がよくなったのかわからない。何が悪くて何が良かったのかも。

 カイと二人きりになるまでたっぷり待ってから、イブは指を立てた。

「どうしても君に買い物に付き合ってほしいんだ」

「何を企んでおられますか」

 愛想笑いの一つもなく、彫刻のような無の表情で淡々と問われる。

「まさか他の生徒に頼まれて、なんて言いませんよね」

 イブの喉はひゅっ、と変な音を立てた。カイの瞳は一段と暗い色になる。

「私が暗殺者だったなら、そうやってエドワード殿下の周囲を薄くすることからはじめるでしょうね」

「……だったなら、ね」

 カイが不審者相手に大立ち回りをしたのは記憶に新しい。だったら、なんて白々しい言い方がよくできたものだ。

「じゃあ今回は諦めようかな。残念だ。また今度遊ぼうね」

 イブは軽い調子で答えた。

 カイと交友関係を深められたら、とも思っていたのだが仕方がない。ワシリー教皇の来訪は間近に迫っていて本当に忙しそうだし、あの二人の男子生徒に義理がないのも変わらない。

 気持ちを切り替えて寛いでいると、ぽつぽつ言葉が降ってきた。

「私は幼少期より徹底的に教育を受けております」

「うん」

 全てはエドワードのために。カイの実家、パイル家はそういう家だ。

 カイの声はじっとりと暗く、まるで苛立ちを抑えているかのようだった。

「ですが紳士教育は学びなおした方がよさそうです。女性に手を上げたくなるだなんて」

「へぇ。それはちょっと真面目に復習するべきだね」

「……ええ。本当に」

 どこかでパリン、と不穏な音がした。

 将来国の中枢を担うクラブロイヤルの面々を見る限り、この国の紳士教育は碌なものではなさそうである。

「いやあ勉強もあるのに誘って悪かったね。一人で行ってくるよ。トーストを貰ってもいい?」

「承知しました」

 カイは丁寧に礼をした。エドワードとロニーが使っていたカップも銀盆に載せていたのだがそのうちグラスがひとつ割れていた。

 おっちょこちょいなところもあるのだな、とイブは親近感を持った。



 学校近くの街はイブの故郷とは比べ物にならないほど広かった。道幅は故郷とそう変わらないが、店の数と行き交う人の数が違う。さすが王都だ。目が回りそうなほどたくさんの人が楽しそうにしていて圧巻だった。王城付近の街はさらに段違いに賑わっているというのだから驚きである。

 イブにはいくつか目当ての品があった。街に行くのはカイを連れ出す口実ではない。時間をかけてじっくり選ぶために朝から馬車に乗ったのだ。

 探しているのは便箋とサシェに使う布だった。どちらも実家に送るためのものだ。キルティング校に転校して、落ち着いたら手紙を送ることになっていたのに色々あってしばらく放置してしまっていた。エドワードに振り回されていたし、中々便箋を買いに行く機会がなかったのだ。

 イブは生徒手帳を片手に通りを進んだ。安くて便箋を置いている店をモリーから聞き出し、メモしておいたのだ。エドワードと出会うきっかけになったのも可愛らしい便箋だった。イブは白い便箋しか知らなかったが、色々な種類があるのなら選んでみたい。

 ひとり、鼻歌交じりに知らない街を楽しむ。明るいメロディはロニーが弾いているのを聞いて覚えたものだ。曲名は知らない。

 困ったことに店の数が多く品ぞろえも豊富だったもので、便箋を一通り見て回るだけで昼になってしまった。こんな風に街歩きなんてしたことはなかった。どうしても心が浮き立つ。

 日曜日はあっという間に過ぎていった。ここ最近はロニーに礼法をみっちり叩き込まれていたので、久々の自由時間だ。ロニーはワシリー教皇来訪の件で今日一日忙しいらしい。お陰で心置きなく堪能することができる。

 昼食は屋台でひき肉の腸詰めと骨付き肉とバゲットを買った。都会だからか見たことがないハーブを使用したものや、溶けたチーズがかかったものもあり、つい両方買った。

 公園のベンチに座って、思いっきりかぶりつく。皿の上に肉汁が散った。知るものか。昼時の公園には同じように昼食をとっている人が沢山いる。やっぱり生きていくのに礼法なんていらない。久しぶりに何も気にせず食べる料理は最高だ。

「……あれ」

 公園の端を通り過ぎていく女性が、イブの目に留まる。女性はさっさと通り過ぎ、するりと裏路地に抜けていった。

 遠目ではっきりは分からないが、モリーに見えた。制服は来ておらず、黒一色のワンピースで、同室だったころのモリーの趣味を考えても大人しい服装だった。

「……」

 週明けにでも聞いてみようか、と軽く流して今度は骨付き肉を口に突っ込む。ジューシーで、塩辛くて、クラブロイヤルで提供されるような上品な料理ではなくて、それが美味しい。生き返るようだ。

 口に次々と放り込み、腹が満たされてくると、ロニーの顔が頭に浮かんだ。幻影のロニーは野生の獣のようなイブを悲しそうに見ている。

 イブは姿勢を正した。素手で骨付き肉を掴んだまま、一口を小さくして口の周りにつかないように工夫した。きっとロニーも喜ぶことだろう。

 午後はサシェの布探しに移る。これもイブの故郷に比べて種類が多く、柄や材質だけでなく糸との組み合わせも考えると気が遠くなりそうだ。

 それに。

「お嬢様、絹糸のご用意もございます」

「……ああ、そう」

 店に入った瞬間現れる店主のもみ手も、イブを面倒な気分にさせた。単価が知れている便箋の時はそこまでではなかったのに、布屋ときたら大概オートクチュールを併設していてイブが入店するなり店主が飛び出してくるのだ。

「当店は刺繍をなさるご令嬢方からも贔屓にしていただいておりまして、特に染糸に関しては王都一と自負しております」

「へえ、すごいね」

 目の前に広げられる見本糸の圧に負けて、イブは身体を引いた。

 店主の視線の先は分かっている。イブの襟元に輝く、金色のヒナギクだ。

「クラブロイヤルでしたら先日ルーベン様のモーニングも担当しておりますので品質はご安心いただけるかと」

「そうなんだ」

 話を聞いているだけで、紅茶やらクッキーやらが次々に出てくる。手芸用品しか買わないと言っているのに、未来の太客認定されてやけに好待遇だ。

 まさか、学校の外でまでクラブロイヤルの権力が及んでいるとは思わなかった。見ているだけで楽しかったのが、徐々にどうでもよくなってくる。

 イブは結局適当に決めて店を出た。安く、おまけも沢山つけてくれたが、まさか一着も仕立てる予定がないとは思わなかっただろう。気の毒だ。

 店を出たイブはさっさと徽章を取り外してしまうことにした。クラブロイヤルという特権階級がかなりややこしいものだということを再度思い出したのだった。

 想定より早く予定を消化したので、最後にもう一か所立ち寄ることにする。

 通りを外れて入り組んだ道を抜けた、薄暗い路地の店だ。落ち着いたお洒落な路地で、知る人ぞ知る隠れた名店という雰囲気の店が並んでいる。

 イブは左右に通行人がいないことを確認して、目的の店に踏み入った。

 小さな店にドアベルが響く。

 カウンターの店主は煙草の煙をくゆらせて、じろりと目だけでイブを値踏みする。機嫌が悪いというよりは職人気質な印象だ。イブにとっては先程の愛想を張り付けた店主よりもよっぽど気楽だった。

「ねえ。見積だけもらうことってできるかな」

「もちろんだ。冷やかしは感心しないがね……」

 店主の小言は聞こえなかったことにして、机に徽章をのせた。

 金色のヒナギクが木目の上でキラリと光り、転がる。

 店主は眉をひそめた。

「……お貴族様がこんな下町に何の用だい」

「貴族が嫌いなの? 私は平民だよ」

「……」

 店主は不審そうに目を細めながら、抽斗からモノクルを取り出した。汚れのない真っ白な手袋で丁重に徽章を持ち上げ、上下左右からくまなく徽章を確認する。

「純金……留め具は当然メッキだが、質がいいな、厚くて均一だ。中古の装飾品としての価値だけでも銀貨五枚分……本物だな」

「なんだ、金貨三枚分くらいあるかと思ったのに」

「馬鹿言うな、クラブロイヤルの徽章ってとこをふまえたら金貨十枚にはなる」

 質屋の店主は徽章を木の盆に載せ、イブへと戻した。金の柔らかい反射光が煌めいた。

「これが元々はエドワード=キルティング殿下のものだったとしたら?」

「そりゃあ……倍くらいには跳ね上がるかな」

「すごいな」

 金貨二十枚あればしばらく遊んで暮らせる。故郷の貧しい子供たちに雨漏りしない家と、本を買ってやって——お腹いっぱい食べさせてやったらどれほど喜ぶだろうか。

「悪いこたぁ言わねえから返したほうがいいぞ」

「盗ってないってば」

 いざとなったら学校を逃げ出して売り払ってやろうと思っただけだ。

 ついついにやける口元を押さえていると、再び質屋のドアベルが鳴った。次の客だ。

 隣の席に座ったその客は、じろりとイブを睨みつけた。

「……君も教皇対応で忙しいんじゃなかったの、フリッツ」

「僕は君の尾行に忙しかったんだ。……おい、売る気じゃないよな。それは見過ごせない」

 フリッツの愛らしい顔立ちが、今は見る影もない。

 店主には、ほらすぐに捕まったじゃねえか、という顔をされた。尾行ということは、イブはまだ素性チェックをされている最中なのだろう。エドワードなのかカイなのか分からないが、忙しいのに大層なことだ。逆にそこまで警戒してもらって何もしていないことが申し訳なくなってくる。

「売るつもりはないよ。少なくとも今はね」

 イブは徽章を受け取ってハンカチに包んだ。布屋の買い物袋に入れておく。

「ただ、いざというときに備えたくて」

「はっ、よく分かってるじゃないか。どうせいつか捨てられる。今そこに居られるのはただのエドワードの気まぐれだ」

「そうなんだよ。追い出されたら徽章も回収されると思う? そこまでケチじゃないといいけど」

 イブは真面目に話しているのに。フリッツの反応は微妙だ。若いのに、眉間の皺が深まるばかりだった。

「……どれだけの人間が君の席を望んでいるか知っているか。場違いだと思ったことは?」

「そういうの、エドワードは望んでないだろう」

 他でもないエドワードが座れと望んでいるのだ。イブにとって価値のない席を、相応しいとかどうとか考えたって無意味である。

 じっと見つめてやると、フリッツは黙った。不機嫌そうだが話を聞く耳がある。ふ、とイブの口元が緩んだところで質屋の店主が咳払いした。

「それ以上の話は店の外でしてくれるかい。クラブロイヤルのお嬢さんたち」

 フリッツは外出用の目立たない服だったが店主にはお見通しだった。これ以上、あまり深い話を聞きたくもないのだろう。

 確かに、と納得してイブとフリッツは質屋を出た。

 ドアベルの音は爽やかだった。

 日が傾いて、影が長くなっている。質屋の正面の路地は日陰が多く、肌寒い。イブはぶるりと震えて隣の少年に視線を落とした。

 頬に丸みがある、小柄な少年だ。身長はイブの鼻くらいしかない。先日リラに確認したところフリッツはやはり十五歳ではなく、十二歳で特例として入学していた。そうなると故郷で面倒見ていた子供たちと大差ない。途端、上から目線の口調も苛々した表情も可愛らしいものに見えてくるのだから不思議だ。

「この後どうする? 友人に教えてもらったアーモンドパイの店があるんだけど、一緒にどう?」

「なんっで友達みたいにしなきゃならないんだよ」

「だって君、私の尾行が仕事なんだろう? 楽しいほうが良くないか?」

「嫌だね! 絶対やだ!」

 フリッツは宣言すると、鼻息荒くどこかに行ってしまった。かなり嫌われてしまったようだ。なのにイブを尾行するしかないという悲しい状況である。

 何というか、からかい甲斐のありそうな少年だ。可哀想に思う気持ちもありつつ、いたずら心に火が付く。

 ひとりにされてしまった路地の真ん中で、イブはにや、と笑った。

 そして駆け足で大通りに飛び出した。多くの人が行き交っており、人波に飛び込めばはぐれるのは一瞬だ。イブは体力のある方だし、男子学生ならともかく子供相手ならそうそう負けない自信がある。

 イブは人混みをするする抜けて、路地をいくつか抜けた。下手に振り返らないようにする。入学前は故郷でもこうして街中を歩き回っていた。街並みは違っても人の賑わいは変わらないものだな、と感傷に浸る。

 適当に走っていたが、気付いたら人通りが少ない路地に迷い込んでいた。きょろきょろ周りを窺ってもフリッツの姿はない。ちゃんと撒けたようだ。目印になるような教会の塔が見えており、道は大体わかる。

 それは知らない街の知らない路地だったが、その空気にイブの肌は粟立った。じっとりとした気怠いそれをイブは知っている。

 赤い夕日が先程よりも長い長い影を作る。

 気付いた瞬間、イブは素早く踵を返した。

 しかし、目の前に現れた男に思い切りぶつかって尻もちをつく。声をあげたくなるような痛みが腰に響いたが、ぐっとこらえて素早く立ち上がった。辺りに散らばった荷物も慌てて拾い上げる。

「——っ! すまない」

「……あぁ……?」

 頭を下げるイブに、男は何も答えない。よく見れば顔が赤く、酒の香りが漂っている。男が出てきた館からは女たちの姦しい声が聞こえてきた。

 まずい、と本能的に理解した。

「いやはや、申し訳なかった。それでは」

「……」

 顔を歪めた男がふらふらしているうちにその場を立ち去る。嫌味のないようにスムーズに。路地を曲がってからは全力で。

 男が追ってくる様子はない。

 少しでも人が多い通りに向かわなければならない。イブの心臓は痛いほど強く脈打った。出来るだけ最短経路で、とそれだけを考えて走る。



 どうにか辿り着いた大きな通りでは、フリッツが仁王立ちで待ち構えていた。

「はっ……はぁっ……」

 すっかり息が上がっており、フリッツは心底軽蔑した目で見てくる。

「いきなり気が狂ったのかと思った」

「はぁ……よく、追いついたね」

「一人で尾行するわけないだろ。試したのか?」

「そ、いうわけ、じゃないけど……」

 イブは言葉を止めて大きく息を吐いた。体中にどっと血が流れ始めたように感じた。足がふるえ、静かに座り込む。通行人の好奇のまなざしも今は気にならない。フリッツの目に困惑が浮かんだ。それも今は気にならない。

 ほんの十分ニ十分で危機に陥り、しかも脱出してきたなんて嘘みたいだ。

 再度大きく息を吐くと足に力が戻ってきて、イブは立ち上がった。そして荷物を確認し——。

「……あっ!」

 ——生徒手帳を落としたことに気付いた。

「ねえフリッツ、一緒に娼館にいかない?」

 イブは咄嗟に尋ねた。フリッツは返事もしてくれなかった。愛らしい顔が険しくなっていく一方だ。

「生徒手帳をおとしたみたいなんだよ……付き合ってくれないなら私一人で行こうかな」

「言っとくけど僕は護衛なんて頼まれてないから、何があっても助けない。年下に頼って恥ずかしくないのか」

「そうだよな。フリッツ相手なら私の方が強そうだもんな……」

 イブが腕を組んで考え込むと、どこかから舌打ちが聞こえてきた。きっと気のせいだろう。

「それ以前の話なんだよ。僕が助けて何の利益がある。ないよな?」

 フリッツはきっぱりとした口調でイブに告げる。子供ながら、フリッツは損得勘定が激しい傾向にあるようだ。必要以上にエドワードに媚びているのもそうだし、イブを塵のように見ているのも同様である。

 だからこそ、フリッツを動かすには明確な利点が必要だ。

 少し考えて、イブは指を立てた。

「……エドワードが喜ぶ」

「はあ?」

「ああ見えて私にぞっこんでね。手放してくれないんだ」

「……」

「……」

「……はぁ」

 ジト目で無視され、溜息まで吐かれた。生徒手帳は再発行するしかなさそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る