清廉たる教え
そして再び日曜日の早朝に外に出ると、その日もパイプオルガンの音色が聞こえた。イブは導かれるように礼拝堂に向かい、再度ロニーが演奏する姿を見つける。
朝日を浴びて神々しいまでの姿だ。思わず口が緩んだ。きっと会えるのではないかと期待していた。だって、ロニーの演奏は本当に素晴らしい。癒される、という言葉では表現しきれない。涙が出そうなほど胸を打つ響きに心が飲まれて、音色が止むころには身体が軽くなったようにも感じるのだ。
イブはロニーの邪魔をしないようにそっと礼拝堂の長椅子に座り、しばし耳を傾けた。演奏される曲の中にはイブが知っている曲もあったし、知らない曲もあった。鳥肌が立つような神々しい響きのものも、口ずさみたくなる親しみやすいものも。いつまでも飽きずに聞いていられそうだ。
数曲演奏した後、ロニーは楽譜を交換するタイミングでようやくイブに気付いた。驚いたような丸い目はすぐさま柔らかく細められ、「観客がいたなんて」と照れくさそうに笑った。
「ロニー先輩さえ良ければ、ここで手作業をしていても?」
「……いいですけど、ただの練習ですよ。それに今から弾くのは慣れてない曲ですし」
「いいんだ。ここがいい」
きょとんとしているロニーにはきっと、どれほどイブが感動したのか分からないのだ。
すぐさまイブは自室と礼拝堂を往復した。少しでも聞き逃したら勿体ないような気がしてとにかく急ぐ。あんまり思い切り走るとロニーに注意されてしまうので、綺麗な姿勢の早足を心掛けた。ロニーに失望されるのは耐えがたいことだった。
自室から持ってきたのは、乾燥させたハーブ、端切れ、裁縫箱、それからラベンダーの精油である。丁度、リラに教わった通りにサシェを作っているところだった。ロニーの奏でるメロディがあれば慣れない作業も幾分か楽しくなる。
ロニーの言葉通り、そこからは演奏というよりは練習だった。弾き込んでいない曲なのか、ロニーは時々手を止めて楽譜に書き込んでいる。ロニーの指先から作られる音は美しい。旋律を生む前の一音——鍵盤をたった一つ叩くだけでも綺麗な音色だと分かる。力強く、あるいは繊細に。覚えたメロディをイブはついつい鼻歌で追いかけた。
針を布に通すだけの単調な作業もおかげで捗った。せっかくリラがプレゼントしてくれたのだから、リラが薦めてくれた方法で楽しみたい。小さなサシェであれば端切れでも十分作ることができるのは新しい発見だった。故郷にいた頃に知っていたらいい内職になったかもしれない。
「いいですね、サシェでしょうか」
机の上に端切れで作った小袋が二つ並ぶ頃、ロニーに声をかけられた。
手を止めて顔を上げる。いつの間にか演奏は終了しており、あんなに輝いて見えたパイプオルガンには布が被せてある。集中していて気付かなかった。
「うん、ラベンダーのいい香りです。可愛らしいですね」
「あ、うん」
開けっ放しの小瓶から精油の香りが流れている。ロニーは眩しいものでも見ているみたいに微笑んだ。意図がよく分からなくて、「リラに貰ったんだ」と無難に返事をした。
「作れるだけたくさん作って、故郷の家族にも送ろうかと思ってね」
「素敵です。……イブ、よければ僕にも精油を分けていただけませんか?」
「勿論。あとでローズに頼むよ」
リラも別に怒らないだろう。ロニーは見るからに目を輝かせて嬉しそうだ。年頃の男子生徒というよりは清らかな聖女のようだった。
イブには、エドワードがロニーを気に入るのは自然なことのように思えた。エドワードだけでなく、誰しもロニーのような穏やかで礼儀正しい人を好きになるのではないだろうか。
むしろロニーにメリットがない事が気になった。同じ時間を過ごしてロニーという人物を理解するほど、クラブロイヤルの特権に興味がないのだと分かる。生活に困っている訳ではないし、出世欲もない、しかも将来国の中枢を担うどころかツイル子爵領の統治にも興味がない。
「いえいえ、むしろ僕が一番特権を行使しているくらいですよ」
尋ねると、ロニーは恥ずかしそうに身を小さくした。
「もともと僕は神学を修めるためにこの学校に来たのですが、貴重な資料は軒並み閲覧禁止で」
「クラブロイヤルの特権を使って閲覧してる、と」
「はい。あとはこの講堂を礼拝堂に改築したり、専用のパイプオルガンを置いたり……」
「結構満喫してるな」
「世俗的でしょう」
ロニーは眉を下げて、申し訳なさそうに笑った。それはどこか淡く儚く、彼の行動のすべてを肯定的に映し出す。私利私欲のためではなく、むしろ神のもとに行われる規範的な行動ではないのか。
イブはようやくロニーを好ましく感じる正体がわかった。
「ロニー先輩は世話になった神父さまに似てるよ」
ロニーが纏う清らかな空気の正体は信仰心だ。穏やかな優しさも、根気強い厳しさも——彼の輪郭は祈りと聖書で出来ている。パイプオルガンの美しい音色もきっと、聖歌を奏でるために磨き上げられたのだ。だからあれほど素晴らしく、心を震わせる。
故郷にいた老齢の神父は子供たちを目にかけてくれて、優しくて、厳しかった。もう亡くなってしまったけれど、イブは今でも大好きだ。聖書の言葉は彼のミサで学んだし、ミサ以外に子供向けの勉強会を開いてくれていた。
「公国にいらした方でね。文字とか簡単な算術はその神父さまに教えてもらったんだ」
「公国に」
「うん。子供の頃は、凄いことだって気づかなかったな」
正教において公国は重要な場所だ。中でも、セントバルタ大聖堂は公国のみならず王国と帝国を含めた正教会の頂点である。市程度の大きさの小さな公国が王国や帝国と同等の存在感をもつのは、ワシリー教皇に続くセントバルタ大聖堂の神父や修道女が正教会を取りまとめているためだ。
「神父さまがいなかったら、私は奨学生になんてなれなかったよ」
「それは……立派な方だったのですね」
——学問は全ての階級に開かれている。
そんなのはただの建前で、金銭的に裕福な家庭だけが小さな労働力を勉学に割く余裕をもつ。そしてイブの実家は余裕のある家庭ではなかった。だから神父さまの勉強会は大切な時間だった。
「何という方なのですか」
問われて答えた名前をロニーは覚えてくれたけれど、きっと誰も知らない名前だ。無名の素晴らしい神父さまがいた。それだけでいい。
「もう亡くなっているしね。今は別の神父さまがいる」
その神父をイブはあまり好きになれなかった。貧しい子供に興味がなく、勉強会を廃止してしまったのだ。ただ、先代の神父に見劣りするだけで、悪い人ではなかった。そもそも正教に関係ない勉強会は教会の仕事ではない。
「寄進を集めるのが得意な方でね……まあ、おかげで教会の彫刻やモザイクが豪華になったよ」
イブの言葉をロニーは真剣な表情で聞いている。瞳は暗く、悲しみをたたえているように見えた。
「僕がエドワードと意気投合したのは、同じ理由ですよ」
「え?」
「神父個人の裁量に任せるべきではないんです。人間ですからね、どうしても偏ってしまう」
ロニーの演奏も終わったので、区切りのついたところで針を片付ける。裁縫箱を閉じたイブの手に、そっと手が重ねられた。淡く儚い印象の彼の手は意外にも大きく、この長い指が美しい音色を生み出すことを何だか感慨深く感じた。
「僕はね、イブ。この国の誰もが教育を受けられるようにしたいんです。識字率が上がれば庶民でも聖書を読むことができる。聖書の教えは偏らないでしょうから」
握られた手は熱く、瞳にも炎が宿る。こうも情熱を秘めた人だとは知らなかった。しかもそれでいて、応援したくなるような誠実さを兼ね備えている。
「音楽もいいですね。子供でも分かりますし、何より楽しい」
雪解けの花がほころぶように、ロニーの周りの空気が和らぐ。温かく、心地いい空気だ。
イブは気付いてしまった。エドワードが気に入るはずだ。ロニーはポテンシャルが高く、思想ゆえに効率的な制度に取り組む意志があり、あくまで見返りを求めない。——政治的に利用し放題である。
言葉にはしない。余計な口は挟まないに限る。
「——本当に音楽が好きなんだな」
代わりに出たのは無難なひとことだった。
「ふふ、ほとんど趣味ですけど」
イブの心境を知ってか知らずか、ロニーは楽譜を抱えて立ち上がる。
「さあ、朝食の時間にしましょう」
「うっ……」
喉の奥から呻くような声が漏れた。食事は礼法と結びついている。
しかも今日は日曜なので食事が終わってからも丸一日礼法の習得に使える。まったく最高だ。イブはげんなりした。
「随分上達しましたよ。頭がいいのでしょうね、呑み込みが早い」
あやすようにロニーが微笑む。いつだってイブを励まし、だから逃げ出すわけにもいかなくなる。礼法で腹が膨れる訳でもないのによくやっている方だ。
「呑み込みが早いって言ったって……故郷に帰ったら使わないし」
「卒業したら帰るつもりなんですか?」
「そりゃね」
「……エドワードが手放すとは思えません」
ロニーは困ったような顔をする。
本気で言っているのか疑いたいくらいの言葉だが、本人が真剣なのはよくわかった。イブは呆れ交じりに肩をすくめる。
「それはロニー先輩の方じゃないか」
クラブロイヤルに入った時点で、ロニーの将来は大きく変わったのだ。エドワードはロニーを気に入っていて、恐らく手放すことはない。ロニーが司祭にまで昇りつめれば、エドワーが為政者になったとき随分やりやすくなる。
礼拝堂を出ると、冷たい風がふいた。ぶるりと震えたイブを、ロニーは心配そうに見ていた。
月が替わり教皇の来訪が普通科を含むすべての生徒に共有されてから、キルティング校は浮き足立っている。貴族と平民が混在するこの学校で、正教の教えは誰もが等しく享受するものだ。誰だって生まれ落ちたときから教会の世話になり、生活と切り離されることなく共にある。
キルティング校では、ロニーを含めた一部の生徒に向けて神学の授業が行われている。ワシリー教皇来訪のニュースが知れ渡ると、神学の予習でもしたくなる。普通科の教室でもそんな話題とともに聖書や関連書籍が飛び交うようになった。
「へえ。普通科の大半の生徒は神学の授業を取っていないんだけどね」
イブの世間話をエドワードは興味深そうに聞く。
「とはいえだよ、エドワード。教皇聖下なんて今後一生見ることもないんだし、最低限勉強しておきたいものじゃないか」
「君も?」
「そりゃあね。私からしたら教皇聖下も神様も変わらないし」
ひとまず聖書を読むところから手を付けるイブにつまらなそうな視線を向けて、エドワードは自身の仕事に戻った。
全校生徒向けに神学の課外授業が行われることが決定したのは、そのすぐ後のことだった。学校側が神学に触れていない学生をフォローしてくれるだなんて予想外で、イブはキルティング校を見直した。まさかイブの一言で決まったわけじゃあるまいし、きっと優秀な教師が提案したのだろう。意気揚々と申し込む。
当日。会場である大聖堂は生徒でごった返していた。神に等しい教皇の来訪に向けて、少しでも予習しようと生徒が殺到したようだ。普段は不真面目なのに、と大聖堂の入り口で教師が愚痴をこぼしていた。
イブは大聖堂の中で誰か知り合いがいないか探した。リラやクラブロイヤルの面々は特進科で神学の授業を取っているので姿が見えない。どこかから現れたローズが一番前の見やすい席にイブの席を用意してくれているだけで、他に知っている顔と言ったら——
「あれ、モリーじゃないか」
「イブ」
少し前まで同室だったモリーは、相変わらず眠たそうな目をして片手を上げた。ローズが整えてくれたイブの席の隣に案内すると、気後れすることなく堂々と座った。モリーとはいくつか同じ授業を取っているものの、クラブロイヤルの専用寮に移動してからは話す機会がめっきり減っている。
久しぶりと言うのはやめた。精々、数週間しか経っていない。代わりにこれまで通りの軽口で、じと、と見上げる。
「君、全然信心深くないくせに」
「そんなことないわよぉ。流石に教皇聖下の前で不勉強をさらせないわ」
モリーは真面目に正教の勉強をするためにやってきたらしかった。クラブロイヤルと対等に話すことで多少注目を浴びても気にする様子がない。
それに、とモリーはニヤつく。
「寄進することが大事だって神父様が言って下さったわ。与える人間を神様は愛されるからって。いざとなったら免罪符だって——」
「——おや、そうとも限りませんよ」
心地いい声が落ちてきて、イブはモリーと同時に顔を上げた。穏やかな微笑みを浮かべるロニーが、通路に立ち視線を集めている。
いつの間にか大聖堂の学生たちのお喋りは止まり、クラブロイヤル二人を遠巻きに見ている。エドワード達と違ってロニーとイブは身分が高くない分、媚びへつらう生徒が多くない。
「まず皆さんもよく知る免罪符ですが、神学者の間では是非が問われています」
静かな大聖堂にロニーの言葉はよく響いた。神学について勉強しに来ている学生ばかりなので、興味深そうな顔をしている。
モリーもロニーに対しては何やらまごついたような反応だ。イブと同じ態度はとれないらしい。びたりと口を閉じて、大人しくロニーの言葉を待っている。
「寄進についても必ずしも肯定的な神学者だけではありません。聖書の中で教会に寄進するべきだなんて記述はされていませんし……少なくとも私は否定的にとらえています」
「へえ、知らなかったな。いいものだとばかり」
「神父は基本的にそう教えますから」
ロニーは聖書を胸に抱えていた。ローズに聞くところによれば、ロニーは二年生のときに神学者の学位を修めた。三年生になってからは神学の授業を取ってはいるものの、神学者として参加している。神学に関しては学校一の成績——というより、教師も含めて学校で一、二番の知見を持つ人物である。
「ロニー先輩も講義を受けに来たの?」
モリーと反対側の席を開けようと腰をずらすと、ロニーはくすくすと笑った。
返事の代わりの微笑みを残して、通路をそのまま進んでいく。コツコツと響く足音まで澄んでいて、音楽のようだった。
そしてそのまま壇上に上がったロニーに、天窓から光が射す。夕刻の赤い光は窓ガラスを通して淡く散乱した。まるで天が祝福しているように見えた。
「聖書にはさまざまな言葉が記載されていますが、残念ながらその意図は分かりません。神学の重要な役割の一つは、聖書を読み解いていくことなのです」
ロニーの声は壇上から良く響いた。心地のいい、歌うような声。
「それでは本日の講義を始めましょうか」
多くの生徒を前に、ロニーは微笑んだ。
割れんばかりの拍手とともに課外授業は終了を迎えた。イブも立ち上がって拍手を送った。ロニーは驚いたように目を丸くして、穏やかな微笑みと共に頭を下げた。美しく高貴な礼に多くの生徒が見惚れ、大聖堂を去るまで誰一人席を離れることができなかった。
新鮮な解釈が刺激的で、知らなかった時代的背景が興味深い講義だった。ロニーは参加した学生全員の名前を憶えていて、心地のいいあの声で話しかけることで積極的な議論を促した。何より話が面白いので、あっという間に時間が過ぎてしまった。
教皇が来訪するまでにあと数回予定している講義には、もっともっと沢山の生徒が集まるだろう。
まばらに席を立つ生徒に混ざって、モリーと大聖堂を出る。二人して余韻に浸るように、無言で歩いた。
しばらく歩いて、沈黙に耐えられなくなったモリーが吹き出した。イブもつられて笑う。
「……ねえイブ、私、何も知らなかったのねえ」
目が覚めるってこういうことだわ、と吐息をこぼす。
「私なんていつから聖書があるのかも知らなかったよ」
「やぁばすぎ」
モリーは肩を揺らして笑った。
二人の間には不思議な高揚感があった。凄いものを体験したという自覚が、秘密の共有に似た興奮を生み出したのだった。
「普段も本当にいい先輩なんだ。凄い人だとは思っていたけど、それ以上だった!」
イブは鼻高々にロニーの話をする。モリーは気持ちがいいほど何度も頷いてくれた。
「そうねぇ、それにあの演奏! あの歌声!」
身体を抱えて身悶えする。
講義では、聖歌についても触れられた。その誰もが知る曲は、誰も知らない旋律に聞こえるほど美しく素晴らしかった。何度も演奏を聞いてきたイブも未だに鳥肌が立ったし、初めて聞く学生の一部は涙を流していた。異様な空間だった。
「今思うと、集中が途切れないようにしてくれたのかもしれないな」
「いえ半分は趣味ですよ。正教において重要なのは事実ですし」
「!」
イブとモリーは弾かれるようにして振り返った。噂をすれば、だ。
控えめながら明るい顔をしてロニーが並ぶ。神々しい雰囲気から親しみやすい先輩に変わり、イブも気が緩んだ。
「それに、歌っているときに悪巧み出来る人間はいませんから」
「ははっ、考えてみたらそうかもね」
ふざけた声音は清廉なロニーを魅力的に見せる。モリーは蛇に睨まれた蛙のように身動きが出来なくなっていたが、ロニーに好意的なのは輝く瞳を見れば明らかだった。
校庭には課外授業を終えた生徒が散っている。遠くから注目が集まりつつある中で、ロニーは手の平を差し出した。
その上には、小さなテトラバッグが乗っている。麻布で作られた優しい色味のそれはイブの手にちょうど収まった。ここ数日で慣れたラベンダーの香りが仄かに漂う。
——サシェだった。
「今日の休み時間にやっと完成したんです。出来栄えはどうでしょうか……」
「……うん、いいと思うよ」
テトラバッグの縫い目はガタついて、どう見てもプロの仕上げではない。ロニーが手ずから作ったのだ。慣れないだろうに、時間をかけて。よく見れば指先に細かな傷を作っている。
イブにはそれが温かくて尊いものに思えた。
「よかった。受け取ってください」
「……うん?」
周りの学生がざわめいた。
ロニーには照れがなく、他意を感じない。意中の相手にサシェを贈るのは帝国の文化であって、邪推の余地はない。ない、はずだ。
貰えるものは貰っておくことにする。どうせいくつか作ってまとめて故郷に送るつもりだったのだ。
「あー、ありがとう」
「……ではまた、夕食で」
イブが受け取ったことで、ロニーは嬉しそうだ。そのまま美しく会釈して、校舎の方に歩いていく。視線を浴びることに慣れているのか、堂々とした立ち居振る舞いだ。
その背中をモリーと二人でしばらく見送った。
すっかり姿が見えなくなってから、モリーが息を吐く。
「かぁっこいい~」
「……わかる」
出会ってまだ数週間だ。それでもロニーは信じていい人なのだとすぐに分かった。いつもだらけているモリーが背中を伸ばして講義を聞いていたのがいい証拠だ。これがもし大衆相手だとしたら、あるいは議会相手だとしたらどうなることか。
「なあ、イブ」
エドワードの意図も分かりやすい。ロニーという人物を知れば知るほど、クラブロイヤルに入るべくして入ったのだとわかる。特権を与えて囲っているのだ。
「イブ、ちょっと待ってくれ」
誰にでも好かれる人はいるのだな、と考えているところでモリーに腕を引かれた。
「ねぇ、さっきから呼んでるわよぉ」
モリーはいつもの調子に戻って、大きな欠伸をした。
顔を上げると、イブの行方を阻むようにして二人の男子生徒が立っている。
「また君たちか」
それは寮へ移動する日に声をかけてきた、エドワードとオチカヅキになりたい男子学生コンビだった。
「エドワードの件なら断るよ。というより、断られていたじゃないか」
「今回は違うんだ」
「そうだ、殿下の件じゃないんだ」
「……前よりも息があってるね」
面倒そうなのでモリーを先に解放する。モリーは興味なさそうに手を振って寮に帰っていった。相変わらず薄情だ。
男子学生二人は、軍隊のように揃った動きで頭を下げた。
「今週の日曜、カイを連れ出してくれないかっ」
何を言うかと思ったら、前回と大差ない要求だ。今度はエドワードから従者を引きはがす行為である。直接話しかけるには、余程カイが邪魔らしい。
イブは呆れて肩をすくめた。
「結局エドワードの件じゃないか」
「いーや! エドワード殿下に声をかけていただく必要はないんだ」
「それにイブは金の徽章を持ってるから、カイは無視できないはずだ」
「うーん、そうなるのか……」
そもそも前回話したきりの男子学生にそこまでしてやる義理はない。とくに得もしないし、手がかかるだけだ。
しかし、必死な声が憐れみを誘う。
「ま、やるだけやってみるよ。期待はしないでくれ」
「ほ、本当か!」
「ありがとうイブ! 君は最高だ!」
調子のいいことに、男子学生二人は顔に輝きを取り戻した。ちょっと涙ぐんでいる。何が彼らをそこまでさせるのかさっぱりだ。彼らの制服の尻にぶんぶんと振り回される尻尾の幻影が見えた。エドワードは犬が好きなようだし案外気に入るかもしれない、と呆れ交じりに思った。
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