友情のような

 翌日、北校舎の廊下にイブの姿があった。ガラスの温室に繋がる廊下で、実質クラブロイヤルしか使わない場所だ。用があるのは勿論エドワードである。

「クラブロイヤルの皆さまとはお話になれません」

「イブが呼んでいると言えば伝わるから」

「お取次ぎはできません」

 ガラスの温室の前で、イブは女生徒と何度目かになるやり取りを繰り返した。

 まとめ髪に赤いリボンを巻いた女生徒は、胸に銀製のヒナギクの徽章を付けている。クラブロイヤルの一員である。銀の徽章はカイと同じく、クラブロイヤルに仕える立場の生徒である証拠だ。

 エドワードに伝わりさえすれば会って話せるだろうに、女生徒はなかなか融通が利かなかった。侍女としては優秀なのだろうが、こうも頑なだとやりにくい。

「お姉さん、頼むよ」

「……」

 イブは女生徒の手をとり、情に訴えかけた。

「お願い」

「カイ様にご伝言を承ることは可能ですが、おすすめしません」

「……カイに恨まれるからだろう、それ」

「……」

「分かったよ、諦める。困らせて悪かったね。一応、殿下と話したい旨を伝えておいてくれ」

 イブが頭を下げても、女生徒は事務的な表情を崩さなかった。美人につれなくされるのは悲しいものの、仕方がないので廊下を後にする。

 ガラスの温室は本当にクラブロイヤル以外立入禁止なのだ。騙されてではあるものの、中を知っているのは自慢できるかもしれない。まあ、自慢する相手はいない訳だが。

 正面からの来訪が拒絶されても、イブにはもう一つ選択肢があった。中庭側の通用口だ。前回ガラスの温室に入る際に使用させてもらった入口である。イブは北校舎を出て中庭に回った。

 しかし、通用口には鍵がかけられていた。無意味にドアノブをガチャガチャと動かしてみたり、ドアノブ付近の植木鉢に鍵が隠されていないか探してみたりしたけれど、通用口は開かない。

 残念だが次の勉強会を待つしかないな、と諦めたところでカイの姿が見えた。温室の植物で作られた通路を通って、内側から通用口を開く。

「どうも。よく私がいるって分かったね」

「ガチャガチャと五月蠅い。いいか、ローズから預かった伝言の返答は『死に晒せ』だ」

「へえ、ローズっていうの」

 赤いリボンのローズ。覚えやすい。

 イブは不機嫌なカイを全く意に介さずに続けた。

「殿下と話したくてね。入るよ」

 予想通り、カイを押しのけて温室に入っても力尽くで追い出されることはなかった。エドワードに案内するよう言われているのだろう。親の仇のように睨まれているが、その厳しい目にも慣れつつあった。

「カイはちょっと過保護だよね」

「……心外だ。殿下は尊き方、国の未来を背負うお人だ。私にできる全てを尽くすのは至極当然のことだろう」

「重いな」

 イブが思わずつぶやくと舌打ちをされた。思ったことをすぐ口に出すのは控えよう、と反省する。

「貴様には分からんだろうな。命を狙われ続けるお立場も、生まれながらに抱えた責務も」

「だから得体の知れない私は近寄るなって? はは、エドワードが私なんかと勉強会をしたがるわけだ」

「はあ?」

 カイは何を言っているのか分からない、という顔をする。特に説明する気もないのでそのままガラスの温室の中央へと進んだ。少し遅れて足音がついてきた。

 中央に近付くにつれて甘い香りが漂い、イブは腹を押さえた。放課後なのでそれなりに腹も減っている。そういえば温室の用途はサロンだったな、と思い出す。

 温室中央の空間にはエドワードの他にルーベンもいて、優雅なティータイムの真っ最中だった。良い香りの紅茶と、三段のティースタンドに焼き菓子が並んでいる。すっかり目を奪われてしまったイブの背中をカイが小突いた。

 エドワードはティーカップを机に置くと、足を組んで膝に手をのせた。妙に様になっていて迫力がある。

「言い訳を聞こうか」

 話が早い。用件が筒抜けだったなんて、とイブは驚いた。リラから聞いたのだろうか。

「友人に勉強を教えたいんだよ。別に勉強会を止めようとは言わないけど、週一回にしてくれないか? 君は十分成績優秀だし、問題ないだろう?」

「……」

 エドワードの美しい顔が、ぴくりと動いた。どちらかというと引きつる方向で。

 そのまま反応がないのでイブは周囲を窺った。カイは呪わんばかりに睨んでいて、ルーベンはどこか面白そうに見ている。これはおかしな発言をした人間に向けられるべき反応だ。

「約束を反故にしておいていい度胸だね、イブ」

「反故に? ……、……あ!」

 今日は水曜日。ということは昨日は勉強会の日だった。頭から水をかけられて、すっかり頭からぬけていた。

 あろうことか王子殿下との約束をすっぽかしてしまったのだ。

「すまない、それは悪かったよ」

「……うん、分かった。君が謝罪したら許すって決めていたからね」

「寛大だな」

「初犯だしね」

「うん?」

 少し引っかかる物言いだった。けれどエドワードは微笑んでいるので流すことにする。

「それで、勉強会の件なんだけど。週に一回でもいいかな?」

 イブはあっさりと切り替えて自身の本題に移った。「すげえ」と呟くルーベンの声が聞こえたが、聞こえなかったことにする。

「駄目に決まってるだろう。決して無理はさせてないつもりだよ」

「うーん、確かに無理はしてないけれど」

 週二回エドワードと、加えて週二回リラと勉強会をしたら放課後の予定はほとんど埋まってしまう。友人どころか、クラブ活動も夢の話だ。転入してひと月がたったが、まだ見学さえ出来ていないのである。

 そもそも特進科一位のエドワードにイブが教える必要なんてない。どちらかと言えばエドワードよりもリラの手助けをしたいという心情もあった。

「どうにかならないかな」

「君、クラブロイヤルの何たるかを知らないのかい」

 エドワードも頑固だった。クラブロイヤルは学校の特権階級——イブもまた、生徒としてクラブロイヤルを優先する義務がある。イブはクラブロイヤルに関わる校則を遵守するべきだとは思っていないが、正面から持ち出されると反論できなかった。

「……分かった。私が折れよう」

 イブは深く息を吐いた。クラブ活動を諦めればいい話だ。あるいは、週に一度だけ活動しているクラブがあるかも知れないし。

 話が終わって温室を去ろうとするイブをエドワードが呼び止めた。

「イブ、せっかくだからティータイムでもどうだい」

 優雅に微笑むエドワードの手元には、美味しそうな菓子と紅茶が並んでいる。焼き菓子の他に、果物やチョコレートまである。イブが口にしたこともない物ばかりだ。これだけ甘くていい香りなのだから、きっとその味も極上だろう。

 しかしイブは首を横に振った。

「遠慮しておくよ。私はこの場所に相応しい身分ではないし、君のファンに知られるのも面倒だ」

「僕とのティータイムはその程度のものに負けてるってこと?」

「? そうだよ」

 そもそも“その程度”では無いのだ。数々の嫌がらせはかなり面倒である。

「……君って結構無神経だよね」

「えっ!」

 青天の霹靂だった。昔、地元で似たようなことを言われたことがある。でも心当たりがない。イブは酷く動揺した。

「ちょ、ちょっと詳しく教えてくれないか」

 無神経だったのか? だから同じ平民出身の学生とも未だに仲良くなれていないのか? そうなのか?

 頭の中を疑問符が埋め尽くす。

「教えない。精々僕の機嫌をとるんだね」

 なぜか楽しそうにエドワードが笑った。それ以上は教えてもらえなかった。



「——ということがあってね。結局教えてくれなかったんだ。そんなに機嫌を損ねてしまったのかな」

「……そう、なの」

「まあ、嫌われてなければどうだっていいんだけど。ほら、すっぽかしてしまった負い目があるからね」

「いいえ……殿下はイブを気に入っているのだと思うわ。それも、かなり」

 リラは言葉と裏腹に憐れむような目でイブを見つめた。お気の毒に、と言わんばかりである。

 二人は中庭のベンチに並んで昼食をとっていた。約束通り、リラが教室に迎えに来てくれたのだ。

 クラブロイヤルだけでは飽き足らずジャガード家の令嬢まで、と批判されそうだったが、「手を出したら許さないわよ」というリラの一声でそれも静かになった。身分を重視して嫉妬してくる人間には、同じく身分が高い人間からの言葉が刺さるらしい。

 冬の中庭は肌寒くて、リラが用意してくれたブランケットと温石がなければ凍えてしまうところだった。けれどイブの言葉で笑ってくれるリラを見ていると、胸の奥が温かくなった。優しくて、美人で、可愛くて……リラさえよければ仲良くなりたいものだ。

「無神経って直すのが難しいと思うんだ。だって人の気持ちに気付かないのが無神経なわけで、気付いてないものを直しようがないよね」

「そうねえ……」

 リラは考え込むように俯いて——顔をそらした。小さな肩が小刻みに震えている。

「リラ?」

「ふ……ふふっ……やだ、ごめんなさい。だって可笑しくって。きっと殿下の前でもその調子なんでしょう?」

 その調子とはどの調子なのか、イブには分からない。

「うん? ……うん。だいたいこんな感じかな」

「あははっ」

 笑ったリラは一層可愛かった。ぱっちりした大きな目が細くなって、雰囲気が柔らかくなる。小さな手で口元を隠す仕草も愛らしい。

「いいじゃないの、私は好きよ」

「……っ私も好きだ!」

「ふふっじゃあそろそろ行きましょうか」

 昼食を終えて、ランチボックスとブランケットを片付ける。昼休みは十分残っていて、中庭にも球技などの遊興にふける学生が増えてきた。

 イブには、残りの時間で案内してほしい場所があった。学校生活も三年目のリラならば分かるだろうという期待でお願いしたのである。

「用務員室のようなものはあるのかな」

「用務員室……管理小屋ね。いいわ、ついていらっしゃい」

 生徒手帳の構内図の出番はなかった。校舎を背にして中庭を進むリラに感心してしまう。管理小屋なんて貴族は気にしなさそうなものだが。

「助かるよ。職員室の座席表にも構内図にもなくてね」

「あら、そうだったかしら……」

 歩きながらリラはイブの生徒手帳を覗き込んだ。そもそも管理小屋という記述はどこにもない。

「管理小屋を訪ねる人なんていないから省いたのかしらね。この図だとここよ」

 とん、と指を置いた場所は中庭の北端だった。確かに小さな建物の図がある。建物の説明が何一つないのでイブに分かるはずがなかった。

 管理小屋へ行くには中庭を縦断する必要があって、食後の程よい散歩になった。キルティング校の中庭はよく手入れされていて、寂しい冬景色の中でも整えられた枝と彫刻が叙情的だ。

 日差しは暖かく、風が冷たい日だった。寒い寒いと言いながら、二人の間を抜けた風に急き立てられるようにして駆け足になった。リラと顔を見合わせてくすくすと笑う。

 そんなことをしながら向かったものだから、管理小屋の用務員と窓越しに目が合った。かなりうるさくしてしまった。咳払いをして冷静さを取り戻す。

 煉瓦造りの管理小屋は二階建てで、ひと家族が悠々と暮らせそうな広さだった。イブがノックをすると、中から先ほどの用務員が顔を出した。

「こんにちは。二年のイブ=ベルベットなんだが、すこし聞いてもいいだろうか」

「そりゃ、もちろんいいが……まあ、中に入んな。寒かったろう」

 用務員は突然の来訪者に面食らい、温かく迎え入れた。リラと二人でお邪魔する。

 管理小屋には用務員が一人だけだった。まだ若く、髭をたっぷり蓄えた男だ。力仕事をしているであろう腕は太く、イブの倍くらいある。

 普段、訪ねる人間がいないことが容易に想像できる部屋だった。机の上も床の上も物が散乱している。用務員は椅子の上の荷物を棚の上に全て移して、イブとリラに用意してくれた。

「突然悪いね。貴方に聞くのが一番だと思って」

「はあ……俺なんかに答えられることかね」

「うん、この学校の庭師について」

 イブはまっすぐ用務員を見つめた。

「どんな庭師が出入りしているかを知りたいんだよ。分かるかな」

「ああ、それなら確かに俺だな。ちょっと待ってろ、依頼してる業者のリストがあるんだ」

 用務員は膝を叩いて壁の本棚を漁り始めた。整頓されていない棚なので、少し時間がかかりそうだ。

 用務員を待ちながらリラが首を傾げた。

「庭師に何か用があるの? こう言っては何だけれど、イブは庭師を雇うようなご家庭ではないでしょう?」

「うん、すこし気になっていることがあってね」

「気になっていること?」

「エドワード殿下と、彼を狙う人間について」

「!」

 リラは息を呑んだ。突然物騒な話をしたので、当然の反応だ。

「先日、ガラスの温室に迷い込んでしまったと言っただろう?」

「カイに酷い仕打ちを受けたと言っていたわね」

「はは、今思えばあの時の私は不審者だったから、それはいいんだけどね……迷い込んでしまったこと自体、おかしな話なんだよ」

 あの日のイブは、中庭の通用口からガラスの温室に侵入した。

 ——侵入できてしまった。

「通用口の鍵が空いていたんだ。ただのかけ忘れかも知れないけれど、あれほど周囲を警戒しているカイが見逃すかな」

「……なるほどね。たしかにガラスの温室は他の場所よりも厳しく管理されていたはず……そう、だから庭師ってわけ」

 イブはこくりと頷いた。ガラスの温室には目を楽しませる数多くの植物が育てられている。その植物を管理する庭師は、唯一侵入できる部外者だ。庭師としての仕事を終えた後、通用口の鍵を空けたままにしておいて予行演習をしていた可能性がある。

 そこまで聞いてリラは顔を曇らせた。

「イブ、殿下に報告するべきだわ。今は単なる可能性だけれど、もし本当だったなら」

「大丈夫、首を突っ込むつもりはないんだよ。庭師の一覧だけ手土産にしようと思ってね」

 機嫌をとれと言われたばかりである。エドワードの機嫌はともかく、カイは喜ぶだろう。

 ほっと胸を撫でおろしたリラにイブも自然と笑みを浮かべた。

 それにしても、棚を漁る用務員がなかなか書類を見つけられないので、昼休みの終わりが気になってきた。イブは訪ねておいて申し訳ない気持ちになりながら、その背中に声をかけようとした。

 そして、用務員が手にしているのが書類ではなく小型のナイフであることに気がついた。

「お嬢さん、迂闊だねェ」

「……っリラ!」

 用務員は一番近くにいたリラを抱き込み、その首元にナイフをぴたりと沿わせた。

 小さなリラの悲鳴がイブを奈落に突き落とす。それ以上は用務員に脅迫されなくたって動けなかった。奥歯を噛み、イブは用務員を睨んだ。

 用務員はキルティング校で正式に雇われた人材である。庭師よりよっぽど素性が確かなので容疑者から外していた。……選択を間違えた。

 用務員に抱えられながら、か細い声でリラは反抗した。

「わ、私に手を出したらジャガード家が黙ってないわ」

「はっはっは、お嬢さん、頼れるのは家だけかい」

 しかし、用務員が取り合うことはなかった。王子殿下に危害を加える覚悟をした人間に、今更リラの家格は関係ないのだ。

 憐れに震えるリラを手放すことなく、髭に埋もれた口がにやにやと緩んだ。

「イブ=ベルベット……最近第一王子とよろしくやってるらしいじゃねえか」

「……どうかな」

 エドワードの身辺を調べれば、最近交流を深めている女生徒の存在に辿り着く。返答を誤魔化しても無駄だ。イブは深入りしすぎたのである。

 用務員に渡されたのは、ガラスの温室の通用口で使う鍵と小さな小瓶——毒薬だった。

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