第18話

〈バイト二十四日目〉

 ローラさんが麹味噌に二日漬けたような眼球をこちらに向けることは無かったので、万に一つ目撃された線は消しゴムで消せた。昔近所の百円ローソンで不良品消しゴムの詰め合わせが看板通りの値で売っていたのに無くなっちゃったな。入店から無関係の内容で空を満たす。

 鮫島さんの「失礼しまーす」は調子を落としたようには覚えず、瞬間の関係性に気が解けるけど本心はどうだろう。ローラさん、川田さん等と上手く話せているのか。先輩面を貼り付けられる年上は彼女だけだ。

 最近触れていなかった昼の主婦勢に表面上の変わりは無い。旦那の愚痴に言葉を弾ませ店長の居心地を悪化させることがあっても良いと思うけど。彼女達には養うべき子供が居て、経験と宣って悪夢のようなの修飾を忘れていた私のようにいざとなれば簡単に辞められはしない。これが自分の親と考えると私のような者の在籍する職場には居て欲しくない。もっと過ごし易い場所があるはずさ。

 ね、池内さん。君は何故ここを選んだのかい。私の齎す有害な空気に惹かれて来たのかい。そうだとしたら今より近付いて私の存在感を味わうと良い。

「君はいつまで居るつもり?」富岡ちゃんの不在を利用して突貫工事の文脈だろうが構わないと訊いた。伏見さんとの組合せは私以上に合わなさそう。

「…………今日で辞めようかな」潰した蚯蚓程の音ながらそう言ったのを確信した。メモを取り真面目に見えた彼女はその努力を捨てる程肌の不和を感じるらしい。私が彼女と心身を入れ替えたらミスを山積みして尚反省せず、無連絡で次の日から来なくなると思うが、卒なく対処出来ているだけ運が良いと思えよ。一般人の感性はこんなものだろうけど。教室の奴等だって似た者同士。

 理由は聞くまでないとして、分からないことは無いか、富岡ちゃんとは仲良いのか等と話を供してもあぁはい、と間を埋める材料にしかならない。近距離のキャッチボールさえ覚束無いのは部活時代から成長しない。こっちはラリーがしたいの。けどもういいか。新人への興味が失われる過程を身を以て経験した。

 仮想に即して会計をミスした。ストゼロ二缶とほろよい三缶の点数を何故か逆様に計算していた。

「少々お待ちください」と言った所で棒立ち。以前は伏見さんに助けられただけで私は何も学習しない。客の列が伸びていく。今日は盛況ね。右には俯きがちな陰鬱少女しか居ないので自力の解決を試みた。

「あの、時間無いから早くして?」あれは違うこれは不味いと一秒一秒噛み締めたら性急な要求が訪れた。頭が発熱するに応じて小指を画面に突き刺した。

「もう一度商品をお預かりして宜しいですか……?」結局商品読み取りからやり直すことになり余計な出し入れが生まれる。隣が何しているのと怪訝視する中、店長の点検は入れず、正しい金額へ変貌したことを説明し差額を返してみると、三十代女性は苦虫を鼻から吸い込んだような顔を残した。最初の内は仕方ないよと言われた末の為体。薄々こうなる予感はしていた。私は三ヶ月経とうが一年経とうが同じ行動を繰り返す、病的な性質が拭えないから。

「お店の前で掃除をお願いしても良いですか?」二人きりの孤独感に巻き添えられる暮沢さんが言う。とうとう私は戦力外ってか。婉曲表現が傷口に染みるね。

「掃除、ですか」私は憂鬱を悟らせない口調で聞き返す。

「二十四日、二十五日に店前でクリスマスチキン等のFFを売るので、去年使用した専用のケースを拭いてもらいます」言われて初めてレジ中間に新しい存在を把捉した。ローストチキン二百九十六円。レジ袋には似合わないサイズと骨部にリボンを結ぶ本格性。メモ書きに拠れば加熱時間二十秒、揚げ時間一個につき四十秒とある。こんなのコンビニで求める人居るのか。これを外気で悴む手から離せば大損失、今度こそ拳骨喰らうだろう。

 成人男性が倉庫脇から移動させたのは店内と異なり脚を有するFFショーケース。伸びるコードから保温まで抜かりないよう。洗剤と雑巾、激落ち君を渡されて「これで拭いてください。終わったら報告お願いします。最後にシートを掛けますので」作業内容については雑に案内され、これなら店を破茶滅茶にすることは無いだろうと任された。

 ぽつりと一人。外からは籠を除ける暮沢さん、中からは私の解放感と哀愁入り混じる背中が覗け、手元の詳密な動きは見通せないと思った。文具としての顔しか知らない掃除具に洗剤を掛ける。ケースの暗黒模様に邪魔するとその一部がごっそり男の子に移った。三百六十五日経てこの類の汚れが前後上下左右、各段に広がるとなれば、これは手を抜かずとも数時間費やせる見込みに感謝して、労働に没頭する。

 コンビニの店頭販売はデイリーしか見たことが無い。そこらの揚げ物専門店の売り方の方が気合と香りを感じられて魅力的だ。この規模では機体をひっくり返すだけで企画を帳消し出来てしまう。社会不適合者が稀有な散歩がてら買いに来るのだろうか。

 中の肩身狭さと外の衆目晒しを比較すればこの方が落ち着く。人々にどう見られようと見られまいと心に留めないけど、私が通行人としてこの立場を目撃する機会があれば共感を果たせる。そしてリアルタイムで更新する経験上、私が店内に居ない時、またはパニックで意識分散した時の方が客入りが好調のように思う。裏のパソコンにはそんなデータも詰まっているのかな。あぁ恐ろしい。

 一袋分消費して漸く全体の着手が完了した。「これで良いですか」試しに呼んでみたら「もっとここら辺を……」と駄目出しが入り、それならそれで時間を稼げて良いと思った。集中力は切れてきてサボり魔が射し始める。下に屈んで同じ箇所を五分間擦る。これを二箇所で反復する作戦。人工光から二メートル離れた場所、 夜はすっかり深まっていた。

「そろそろ終わりで良いよ」店長が実直に金属と仲を深めた私を迎えた。新品同様の光は生まれなかったけどそれなりに尽くしました。その後はいつもの八時以降の流れ。廃棄無し。着替え終わった頃には後輩は居ない。


〈バイト二十五日目〉

 出勤直前、ゲームセンター横から遠望する店は大して賑わっていない。クリスマス当日とは言え時間帯次第なのか、兎に角気負いする必要は無さそうだ。

 入店して把握するメンバーは店長、川田さん、伏見さん、暮沢さんの四名プラス私。中に二人、外に二人、店長が裏で監視という編成。人の壁が厚くなれば盗み易くなるから。新人は記念日をそれらしく過ごすか、はたまた別の理由で来ない様子。他の職場ならせめて連絡を寄越す、顔だけ出す、仕事終わりに集まる文化が機能するだろうけど。

 サンタ服を纏うのは、と言っても帽子を嵌めるだけだが店長と川田さんの夫婦二人。違うのだよ、皆が見たいのは伏見さんの全身赤服ドレスアップとそれを引き立てる暮沢さんの獣姿なの。その方が稼げると思いますけど純情な店長め。

 この時期に採用されていれば「メリークリスマス!」と明るく迎えられただろうが「前半は中でレジやって後半は外で販売係をお願いします」店長の平常運転の口車から、正式に足手纏いであることを告げられた。ホワイト企業帰りの人々が寄り道する夜の方が店は混むからか。私としてもその方が有難いよ。ケース前に行列が出来るとは思えない。

 一先ず私と川田さんがまずまずな量の客を捌く。売上には申し訳ないがこのペースが維持されれば乗り切れそう。法令線刻みかけの笑顔で応える川田さん。暇を突いて「サンタ帽キュートです」「そう?被ってみる?」「あなたの方がお似合いだと思います」何だか久々に話した。大人相手の方が事務的、世辞的な内容で済んで楽だけど、だからこそ深入り出来ない窮屈感が際立つ。つまり年齢関係無いわ。

 硝子を隔てた先には異性ペア。改めて現在若い男が雇用に無い幸運には助かった。これで店外を良いことに「うっかり打つかっちゃった。ごめんね。好い機会だしこの後食事はどう?」蹌踉けた拍子に駄作が展開されたら溜まった物ではない。

「これくださぁーい」高校生らしき男達がニヤニヤしながら置いたのは、一瞬お菓子かと見間違える銀色の箱。直ぐにあぁと悟った。敢えて私を選んだかは知らないがレジ袋に入れようして零れた。それを受けて笑った。これだよ、これがクリスマスの雰囲気よ。さぁ今夜時間を無駄にしておいで。

 籠の重たい客が増えて来た頃、変な客はその一組くらいで変な店員は外に駆り出される。その時点で駅まで続く行列が、出来てはいないけど十人近く並んでいた。おいおいこんなに需要があるとは聞いてない。中でも売っているからそっち行けよ。仕方ない私が行列を消してやるか。そう言えば会計はどうするのだと思いながら伏見さんと架空の手でバトンタッチ。

「取り敢えず注文受けた物を袋詰めする作業を頼みます」暮沢さんが忙しなく伝える。状況から察するにレジ代わりは簡易コインケースと電卓というアナログ操作、ポイントカード、レシート、領収書等は利用出来ないことを前提に販売するらしい。レジ以上に近い店員同士、最下段のファミチキを取ろうとすれば制服に顔を擦り、これが彼女とだったらなぁと淡い夢を見る。

「どちらの作業が良いですかね」私の落ち着きを見計らって暮沢さんが二択を迫り、当然「詰める方が向いています」と意思を貫いた。私と電卓の抜群な相性が計算ミスの嵐を呼ぶのは眼に見える。クリスマス特別価格とは思ってくれないだろう。

「伏見さんと交代して来るのでその間会計出来ますか?」すると私の外出から四十分程度で夢は叶った。

「あ、はい出来ると思います」伸びの悪い声で引き受ける。二、三人なら確率的に安全だろう。

「あと……すみませんお客様、こちらに並んで頂けますか?……このように気付いたら整列を促してください」と言い残して業務の多そうな社員は戻る。それは自己責任にさせましょう。

「待たせちゃってごめん」二桁に入って数えるのを止めた頃、両手にトレーを抱えた伏見さんが孤独を癒した。二点目の謎であった商品追加は蓋をしたトレーに乗せて持ち運ぶようで、外で揚げて魅せるサービス精神には欠けるよう。

「外でトイレ借りていて」

「全然構わないです 」その代わり私の為に衣装チェンジしてください。それより「会計お願いしても良いですか?」引き続き袋詰め担当を所望することにした。暮沢さんより作業が捗るし。

 冬空を伏見さんと二人きり。制服姿、客の存在から大したムードは無いけど貴重な空気を賞味し尽くそう。

「寒いですね」あ、この台詞何か恋人っぽい。と思うのは気持ち悪いですか?

「うん」頷く彼女の唇が近い。紛らわそうと左右に揺れてしまう。そしてうっかり衝突した。

「あぁごめんなさい……ところで今日は予定あったりしなかったんですか?」

「無いよ。彼氏居ないから」

「例のサークル仲間とパーティとかは」

「皆バイト入れているらしい。私も店が忙しくなると思ってこうしている」

「集まれたら良かったですね」心の何処にも無い台詞で寄り添うように思わせた。

「……あの、良かったら」翻って心から搾り取った提案を表しかけて、家族連れの客に阻まれた。クリスマスチキン一つ、ってここで頼まれるのかい。取り辛い鶏皮を最大限の注意と共に拾い上げ、ブックカバー大の専用の袋に入れた。ふぅ。

「何か言おうとした?」

「何でもないです」

 まぁ、言わない方が良いだろう。私は傷付かないことを優先する人間だ。それでもそれなりの思い出は作れたかな。

 結局チキンの注文は私の時間一度だけ。当日でこれなら赤字必至ではなかろうか。通期の商品の方が売れた手応えさえある。大体近くにケンタッキーあるしな。

 店長が代行した廃棄品は親子丼と昆布おにぎり。売れないからと言ってチキンを店員に配る配慮は無い。高幡さんとは話さない日が過半数を超えた。誰かの誕生日に状況が変わる程の魔力は無かった。

 とっとと着替えて帰りますかね。冷蔵室の扉を引くと「うあ!」伏見さんが入っていた。脱いでいた。具体的には正面向いて制服で下着を覆う姿が映った。下着の色彩は彼女を思って心の奥底に封じた。

「ごごごめんなさい!」最悪だ。まだ上がらないと思っていた伏見さんが扉の奥に居た。女同士だからとか関係ないぞ私には。

「ごめんなさい……」正座で待ち望んだ伏見さんが出て、二回目の謝罪は首を傾ける仕草で流された。あぁ最低な奴だと思われたかもしれない。決してわざとではないのは分かっていると思うけど。

「…………じゃあ、お疲れ様です」

「お疲れ様」その後話題を広げるのは無理があり、質素な挨拶で二人は別れた。

 テニスコートの裏道。今夜はナイフを握りたい程の気分ではなく穏やかに歩く。曲がり角にある百円ローソンのFFでも観察しようかと進んでいると、路肩に厚手の紺のコートを着た男性が立っていた。何処を目指すでもなくジロジロ周りを確かめる。

 まさか警察か。私は黙って通り過ぎる。右腕を抱えながら。後ろから「おい」声を掛けられる恐れは実現せず、無事交差点を渡り切った。

 はぁ、怖かった。もう凶器と廃棄を振り回すのは止めにした。メリークリスマス。

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