第17話

〈バイト二十二日目〉

 十二月に入った。

「年末調整があるからこの書類を次回持って来て」

「調整ですか」もしやクビですか。しかし渡された紙はお節介な辞表ではなく、給与所得者の扶養控除等(異動)申請書と題される。誰かを扶養した覚えは無い、伏見さんならしたいけど出す必要あるのか。

「一番上の欄だけ記入すれば良いから」店長はよく分かる解説コーナーを設けはせず、私だったら分かるよね、または無理解のまま掌で踊っておけと言った様子。後々調べればこれを提出しないと源泉徴収額が増えて収入が減るらしい。年末までに退職すれば出さなくて良いなら辞めようか。嘘。

 百二十円の切手はないかと問われた。未体験とは言え収入印紙の同類、と思ったがドロワーには八十四円の切手が三枚あるだけだ。

「これ以外の切手何処かにありますか……?」仮の源泉控除対象配偶者に縋り付く。伏見さんが下の店舗控等が収まっているはずのフォルダを開くと、その背部のページに値踏みされた切手達が数多と居た。目当ての物を丁寧に切り剥がして「袋はドロワーにあるから」アドバイスに従い包み込み、レジ所定欄を辿った。

「スイカで」仰せのままに操作しようとして「切手は現金しか使えないよ」心地好い横槍が胸を射止め「お支払い現金のみとなっております」私の接客へ昇華した。未だに補助を求める私はやはり無才なのかしら。それとも皆は週三、四と旺盛に連続勤務しているのか。指折り数えてみれば本日二十二日目、これで弱音を奏でるのは贅沢思考か。

 学校に置き換えれば初月さえ終えていない仲の伏見さんは髪を下ろしていた。私同様動き易さ故と思われた髪型には特に拘りが無いのか、あるいは何かのメッセージか。あまり身体周りを指摘すると蔑まれそうで、それはそれで良いとは割り切れないので控えた。私が装いを変えたら気付いてくれるかな、伏見さん。

 新商品を紹介し忘れていた。FFに黄金チキンなる鶏肉の加工品が参入していた。白髭眼鏡の店に挑戦する形だろうけど、実際近くのコンビニでチキンが食べられるならこちらを選ぶかもしれない。その内凡ゆるファストフードが集結するのだろうな。

 唐揚げ増量期の終幕を踏まえ、先に述べたネガティブキャンペーンを行っていたら、息吐く暇を開けて再開された。店長からの改まった注意は無いまま空気を読もうと声出しする。正直効果は無いと感じるけど、気の抜けた具合で鬱を蔓延させたくはないので否定し難い程度に喉を使った。

 餃子とたこ焼きはFFから脱落した代わりに弁当コーナーへ転属していた。プラスチック一色の容器に鞍替えした茶色の塊は見ようによっては粗野だ。冷凍と保温の力を借りずそこへ至ったのは何か新技術のお陰かい。それなら全部ショーケースから解放して陳べれば良いのに。店員が適宜作る方がロスが少ないとか、そう言うことか。

「ホットスナックはここにある分だけ?」在庫を疑う客。これが今の私達が提供出来る全てです。一世代昔はチキン、コロッケ留まりだったろうにお陰様で町の惣菜屋を潰せました。じゃあメンチ一つ、温め有りでと旧商品をレンジに運ぼうとして、同時にFFの注文を受けた伏見さんが接近する。

「あっ、下どうぞ」私は上の台を使いますのでと手を伸ばした時、身軽な何かと擦れる感触を覚えた。直後パカンと音を立てた足下を見れば、オレンジ色の液体が床一面に撒かれていた。レンジ二台の隙間には、二個用意されたはずの防犯カラーボールの片割れが離席していた。

「…………え?あ、ごめんなさい!」

 自分の行動と現実の惨劇の差異に声が出ない。遅れてこれが私の招いた景色であると認識した。伏見さんは瞬時に変わり果てた足周りに気付いて「うわ」上げたのは悲鳴ではなく現実的な驚声。お互い何より先にすべきは客処理の完了と判断し「……汚れてないか確認した?」「だ、大丈夫です」塗料を浴びずに済んだ商品を包み渡す。飛散の及ばない客は店員二人以外の異変、レジ下の窮状を察することは出来ず、はいどうもと何気無く去る。

 私の接客に切りが付かない間、血色の悪いブラッドオレンジジュースがワンカップと血液以上の湖を造り、水場のマットは浸食され、何一つ責任の無い伏見さんが掃除を率先する。二人対応して漸くその作業に交じり「本当ごめんなさい……」三回以上言うよりは手を動かせと彼女は言わないだろうが、そう言う性格だと思うことにして沈黙が謝罪を表現するよう期待した。屈む上半身に疵は無いように見えるけど、下半身の裾には汚れがはっきり存在する。そこに手を伸ばせるよう洪水を掬い上げる。しかし幾らペーパータオルを朱色に染めようと床色が戻る見通しが立たない。

 見限った伏見さんが裏へ駆け込むと店長が様子を見に来た。「ごめんなさいそのボール落としてしまって」わたしの事情説明に何してんのという顔と無言で直立した後「どいて」例のモップを取り出して真下に押し付け始めた。

「それ、使っても」言いかけて語尾が蒸発する。日本酒なら異臭に尽きるだろうが今回は防犯用の異色、私達の衣服然り簡単に元に戻れるかは疑わしい。聞ける立場に無い犯人は黙って見つめた。

 用具で湖水を大方吸い取り、端々の不具合を改めて紙で拭き取る。他に被害は無いかと動く店長に続いて注視すると、床上に郵送荷物等の重要物は無かったものの一段上のフォルダやコインケース表面には毒牙が掛かっていた。食器、レジ袋、コーヒーミルク等と覗く中で、内容まで侵された物が無いことには安心する。商品、サービスの弁償は避けられたようだ。

「他は濡れてないか」店長は私の確かめた場所をもう一度確かめる。全ての行程は前回の四倍近い時間を経て達成した。

「服に付いたけど大丈夫?」儀礼的に案じてくれる。この場面でも店長は極上の厄介者を怒鳴り付けたりしない。常識的には私一人が後始末すべき状況なのに手伝ってさえもらった。

「このままで良いです」

 今日はもうこのままで良い。私は染め上がった無様に溺れることにした。

 普段カラーボールはあそこに置かれていなかった。落としただけでこれ程広範囲に飛び散るとは思わなかった。どうやら匂いまで広がらないのは唯一助かった。効果の程を知って為になった、訳が無い。万引犯へ投げ付けるより冴えない展開。今までの失敗が軽度だとしても、前回の事件の原因が私に無いとしても今回は明らかに私のせいだ。

 伏見さんは以来ズボンを気にしながら何も言わない。呆れ、怒り、気遣い、どれに心を委ねているのだろう。このくらいのミスは誰だってすると慰めるのに無理があるのは分かった。こんな状況他に聞いたことない。何で私ってこうなるのだろう。私が居ると店の損失が増えていく。視界右の爪先立ちに悔しさが募った。何してんだよ。

 廃棄有り。テニスコートのネット裏、ポークフランクを一口噛んで吐く。残りは要らないから草叢に投げて隠した。脚の蛍光塗料がそれらしく輝いた。


〈バイト二十三日目〉

 結局誰からも弁償代は請求されなかった。ボール代は馬鹿にならないようで覚悟したけど。一つ欠けた入れ物が奥にある。

 店長と富岡ちゃんのレジに挟まれる間、これで最後となりそうな新人がひっそり立つ。また誰か辞めたのか、私のせいで皆シフトの時間を減らしたのか理由は脇に捨てた。

 彼女は池内いけうちさんと言って見た所私達と同い年、前髪を分け眼鏡を掛けた地味な女子。私に言われたくないのは御尤。同年齢以下はちゃん付けする法則を設けたは良いが彼女には付け心地が悪い。「……宜しくお願いします」と字に起こし難いボソボソ声から交流の切符を掴んだが、それ以上改札を通ることは無かった。

 店が更に陰鬱になりそうな期待に胸が不整脈を起こす。その原因として矛先が彼女に向けば楽だけど、根本の私に向かう道を考えれば他人事所の騒ぎではない。この先あまり良いことは無さそう。

 店長は嘗ての私相手より無骨気味に一通り説明し、前回同様後は私や富岡ちゃんに聞いてと去った。本心は伏見さんや暮沢さんに任せたいのだろう。池内さん、黙々とメモを取るのは真面目故かもしれないけどせめて私みたいに形ばかりの声は上げて欲しい。もっと近寄って良いのに。私もこんな風に思われていたのか?

 しかし富岡ちゃんとは友達なのか話し方に遠慮が無い。あの声優がさぁ等と嗜好の重なりを感じさせる話題を陰から拾う。完全なる弱き者と見下すことは出来なさそうだ。三人全員が独立を保てる程レジは広くないので、私が孤立するだけで良かった。無料引換券くじが再開されていたけど、特別彼女に注意は求めず求められずレジに付き続けた。

 廃棄有り。爺さんは来る訳ないとして、阿久津さんを最近見掛けないと思った。つまらない人生に絶望して失踪したのか。私のせいで良いよもう。相方を失くした高幡さんに真相を迫りはせず、何も無い一日を置き去りにする。

 今日は黒胡麻餡饅を捨てよう。夜寒で冷めて破棄するにはもってこいの状態だ。野良猫やら乞食やらが栄養にしてくれるでしょう。愈々軽犯罪が癖となった。

 そういやここらはローラさんの暮らすマンション地帯。保育園手前、自転車に子供を乗せた母親の姿がちらほら生まれる。私の犯罪歴はその眼に映っていないだろうね。もしローラさんに告発されたら、そんな仮定は有り得ないと踏んだ。それ程私なんて眼中に無いだろうから。

 夜が綺麗だなぁ。正当性くれる夜を謳歌する。ナイフを片手にする。用意してみたんだ好奇心で。工芸の時間に作った自家製刃。暗くて見えないだろはは。人が来たらワイシャツの袖に引っ込める。別にやっても良いんだけど。犯罪者の気分ってこんなかな。ここにはバイト仲間もクラスメイトも誰も居ない。私の自由じゃないか。

 ネットを揺らして暴れてやりたい。楽しいな!へへへ、へっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへっへへっへっへっへっへっへっへ。


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