第16話

〈バイト二十日目〉

 鏡の前で鼻腔をチェックするサラリーマンを十センチ空けた正面から観察する。もし扉を開けたらどういう顔に様変わりするのだろう。ローラさん鮫島さんには悪いが、出勤前の時間稼ぎを兼ねて楽しませてもらった。

 懲りずに発売する新商品は揚げ餃子とたこ焼き。揚げ餃子はプラスチックカップに五個入り、たこ焼きは直方体状の紙箱に六個入り、作り方はフライヤーで各々二分だとレンジに貼られたメモが言う。違和感から他を確かめるとパッケージが一新されており、コロッケとメンチが箱入り娘として衛生的に扱われた。早速メンバー交代に遭ったのはアジフライとイカフライのようだ。

「この商品ってある?」銀だこの方が絶対美味しいだろうと軽蔑すると、バチが当たったかスマホ画面を向けて問われた。後輩を抱える身として隣の店長に縋りは出来ず「髭剃りはえぇと……」毎度ながら一人で探すのと変わらない速さで誘導し「違う種類になっていますね」「それなら要らね」嘘でも買わせるべきだったと反省した。私が客として買い物する際は面倒な問い掛けを店員に与えないようにしよう。

「ゆずさんさ、クリスマスは入れる?」客の居ぬ間に店長がこちらを向く。良ければ仕事終わりにディナーでも、と誘われないのは不幸中の幸いだった。

「人手足りないんですか?」素直に頷きはしない。その日は家族とまったり過ごすのが世の慣例だろう。家族以外と過ごす奴なんて不届き者だ。

「十二月が一年通して最も忙しいから、人数多い方が良いんだ」

「……多分、イケると思います」そこまで言われたら断れない私は深く考えず予定を埋めた。伏見さんと夜を共にすれば晴れて勝ち組に編入出来るし、富岡ちゃんが付随すれば敗北感に祝われることになろう。前者を祈ります。

「オーケー有難う。後でまたシフト出してもらって」

 私の恋愛事情を一切顧みない、のはハラスメント対策と思うことにした店長と入れ替わりで暮沢さんがレジに付く。ふと思ったけど当日の店員は赤い服を着たり角を生やしたりしないよね?他のコンビニだと例年どうだったろう。もし着用義務が生まれたらその場で辞めよう、と絶望するくらい私には似合わない。

「年末そんなに混むんですか?」

「毎年凡そ倍にはなりますね。列にもずらっと並ばれて。今年はどうでしょうね」それは私が居るからでしょうか。しかし増加も増加で想像したくない。平時でさえ夜になれば時折手の追いつかない待機列が発生するのに。

「何故なんですかね。私は年中無作為的に寄りますけど。ケーキやおせちの手作り販売でもするんですか?」

「直売りではありませんが注文は受け付けています。そこにチラシがあるので、もし渡されたら私か店長に預けてください。仕事納めの人達に飲み会用のお酒を買ってもらったり、クリスマス商品を出したりして盛り上げる作戦ですね」

「本当にあるんですね」形骸化したチラシコーナーを再認識する。コンビニでホール頼む人なんて居ないだろう。

「皆さんは忘年会やられるんです?」空気に乗せようとした追及内容は喉奥へ飲み込む。現実に下手に干渉して傷付きたくない。辞めた二人が続けていれば、久方振りの新人が富岡ちゃんならば、店長か誰かの呼び掛けで自然と集まっただろう。年末年始に無かったらもう無いよ。普通の職場はバイトであれ定期的に全員集合し、記念写真撮って人生楽しむ振りをするのだろう。例のクラスメイトは先輩に毎晩ラーメンを奢ってもらえると言っていた。私と私の空間が異常なのか?実際そうしたイベントは無い方が楽と思ってしまう性だけど。

「前回計数ミスしちゃってごめんなさい」話は過去の方向へ連行することにした。繁忙期にあれをやらかせば絶大な機能障害を招けるのかな。あの時でさえ列は出来ていた。

「二回目で合致すれば問題無いです。そこで合わなければ本部へ連絡する手筈ですが」それは何と恐ろしい。私の雇用と職場の雰囲気悪化、売上減が紐付けられたら本社はどう手を打って来るのだろう。直接的指導かい。もしや客に扮装した第三者の監視員が既に入店しているとか。

「印紙ください」この人はコスプレに当たらないだろうおじさんが、残すは季節物に限ると信じていた初仕事をくれた。印紙は確か切手の所に…………あった。淡い萌黄色が半透明な袋の中でプリクラのように連なる。世の女子高生、富岡ちゃんなんかもこれをスマホに貼った方が二百倍価値出ると思うよ。

「……二百円の物で宜しいでしょうか?」

「はい。ここに貼ってくれる?」会計後のおじさんが広げた領収書らしき紙の赤枠を指す。そこまで甘やかすのは店員としてどうだろうと悩むが、おじさんはこのように育ってしまったのだから仕方あるまい。私が代わりに手を汚してやろう。

「ここで良いですか?」快い箇所を見極めながら、私の舌先と搦んだそれをべっとり擦る。その無礼は承知していたので「暮沢さんこれどう付ければ」助言を乞うとレジ台上のスポンジが代役を務めてくれることが分かった。何に使うべきか不明で、使おうとするにも黒ずみが激しいこいつの役割を今理解した。堅固な保湿力で裏面をべちゃべちゃにしたら、視線を前にトゥレット症を引き起こしながら貼り付けた。こういう作業って今の時代必要なのかね。人員に限らず商品にも未来において不要になる物は多いだろうな。雑誌とか玩具とか。

 寂しくなるけどそれが資本主義、納得させられると「コピー機の釣り銭が」受信拒否したいメッセージ二通目が届いた。こんな時に限って店長が表に出現する。

「少々お待ちを」うろ覚えだけど裏に鍵が…………多分これで…………機体の下に挿し口があるはずだけど見当たらない。くそ、教わった時にしっかり位置を把握すべきだった。何処だ何処何処何処何処何処何処。

「…………ゆずさん貸して」屈んで齷齪する三ヶ月目の醜態を見下ろしていた店長が離脱を促した。二秒で事を済ますと「レジから棒金取って」シンプルな物言いで命じられ、肘を打つけながら渡した。

「硬貨はここに入れて……」受講済みの授業を不出来な生徒へ繰り返す。「分かった?大丈夫?」コイン収納の複雑さは相変わらず目に余るけど、「すみません大丈夫です」三回目は無いだろうと勝利濃厚な賭けに逃げた。店長はそれ以上責め立てず去っていく。

 段ボールを開封して酒を陳列する作業。裏に誰も居ない時間はモニターをチラ見した上、動作を二分の一の速さに抑えることが出来る。ドア前に隠れてちょっと休憩。この一人の時間が最高なんだ。そしてさっきから万引犯が顕現しないか、Gメンを兼職しているのだけど居ません。見つけたらカラーボールを投球、したら被害額に拍車が掛かりそう。

 廃棄無し。現金管理は頼まれなかった。私としても有難いと思う。

「前回、メール報告し忘れていたよね」席に戻った店長に言われ、保存した写真の手持ち無沙汰に気付いた。帰りの道中送るつもりだったけれど、考え事に意識を蝕まれていた。

「す、すみません……撮りはしたんですけど」

「そこはしっかりして。今までも何回か忘れているから」

 罪を洗い出された私はこれ以上言い訳すべきではないと黙る。画面しか眺めない夜。


〈バイト二十一日目〉

 引換券キャンペーンが終わりレジ背後の二箱が退いていた。唐揚げ増量キャンペーンも気付けば鳴りを潜めていたが「減量中ですよ如何ですかぁ?」と宣伝するようには言われなかった。川田さんの顔からおでんの声出しが等閑であることを想起したけど、誰も言わないから良いだろう。

 寒気が目立ちたがるこの季節、客の籠からはホットドリンクがよく顔を出す。店員の手まで温められて都合が良い。

 何とかさんが隣で困っている様子なので「何かありました?」私から尋ねてみる。

「コレヨミトレナイ……」手元にはポイントカード。保護用のシートが捲れてバーコードが読み取れないようだ。

「店長呼んで来ますね」これには対処不能な私が大人しく引き下がると、店長は「再発行と新しいカードの御用意、どちらか選べますがどうなさいます?」違いの分かり辛い二択を問う。その後のやり取りからするに再発行を行えば同じ物が数日後に郵送され、新しく用意すれば今すぐポイントが貯まるが統合、使い分けに僅少な手間を要するとのこと。結局アプリで済めば最良だということ。私の財布にもデッキ構成して闘える程要らないカードが挟まるけれど、日頃出会す客のボロカードは遊び尽くした残骸なのかね。

 モッピー産の申込用紙がやって来る。これは慣れたもんよとプリンターの仕事を待っていると、生まれたのは見慣れない、外縁を濃い青がなぞるチケット。タイトルには富岡ちゃんが好きそうな何故人気なのか分からないミュージシャン。店舗控の表記が無いけどこのまま折り畳んで封入すれば良いのかな。はい、どうぞいってらっしゃい。

 川田さん何とかさんと交代で伏見さん暮沢さんの登場。頼り甲斐と人当たりの良さを兼ね備えるこの二人となら無敵になれた。

「他にもバイトしたことあります?」反対レジの伏見の人生経歴を深掘りする。

「バイトっつーか、海の家で数日友達を手伝ったことならあるよ。何故?」うわ。伏見さんって内外どちらを好むのか掴み切れない所あるよね。

「大学生になったら新しい仕事したいと思いまして。ケーキ屋さんとか憧れますけど、面接でパイ生地投げられないか不安で」

「意外と女子らしい趣味だね」

「ただお菓子が好きなだけです」本意は乾物だけど。

「新しいあの子も似たようなこと訊いてきたな。入った直後なのに」富岡ちゃんに思考を先越されていたか。

「彼女とは随分仲良さそうですよね」私とどっちが大事なんですか?とまで訊いたら無難に白け顔を向けられそうなので止めた。

芽深めぐみちゃん良い子だよ。こりゃわたしが残り続ける必要無いかな」何やら不穏な発言が耳に吸着してきた。最悪の事態が実現すれば私も手を打ちますからね。あと何で名前知っているんですか。私の名前覚えていますか?

「伏見さんはクリスマス入ります?」私が明るくなりそうな方向へ彼女の口を向ける。

「入る入る。柏木さんも?」その軽快な言葉により、ただ忙しいだけの記念日は回避される見込みとなった。他のメンバーを私が指名出来れば文句無いけど、そこは聖夜らしく神に任せるとしよう。ハロウィンでは叶わなかった伏見さんの異装姿なら是非撮影したい。

 廃棄有り。今日はさしたる難題に巻き込まれずに終わった。こんな日々が続けば交友に投資する心の余裕が生まれるのに。

 嘆きながら常温酒コーナーを通過した時、人が倒れる音がした。

 呻き声と液体の飛沫を直後に感じ取った。

 振り返ると常連爺さんが俯せに転がり、いつものワンカップが破砕されて飛び散っていた。透明色の中には微かに紅色が滲む様が見て取れた。

「大丈夫ですかお客様!」

 一目散に駆け寄ったのは伏見さん。続いて奥から暮沢さんが飛び込み、肩を摩るとフラフラな両脚が持ち上がった。私は取るべき手段を見失い茫然と立ち尽くす。血は爺さんの眉尻から切れ出したようだが、特に拭う素振り無いのでこちらの対処も判然としない。商品の絆創膏を使うべきかと窺う暮沢さんさえ、為す術無い表情。爺さんはぼろのズボンを濡らしたまま喋らず、またコケそうになりながらレジ前に来る。凶器と化したワンカップを置く。

「どうすれば……」割れた商品を会計する訳には行かないだろうと、指差し確認で暮沢さんに認められた新品を持って来る。

「あの、二つ分の会計になりますが、大丈夫ですか?」爺さんは「ぁ」はっきりしない声で財布から二枚目の百円玉を放る。当然濡れていて不快だけど、それより突然襲い掛かられる危険性に脚が竦む。流血はレジ上まで及ぶ。

「あ、有難うございました……」レシートを返す隙など無く、新品のみを片手にする爺さんがヨロヨロ去ると、私達三人は黙ってしまった。言葉の消失した空間が独特の空気を作り上げた。最近口数が減る傾向にはあったものの、以前までやり取り出来ていたあの爺さんが別人に思えた。

 強烈な違和感に痺れを切らすと、二人は床の清掃、商品のチェックに移った。「何を手伝えば良いですか?」弁えて尋ねたがゆずさんはレジに居てくれとのことで、二人の気付かないレジ上を拭き取る。相当飛び散ったので何かしら被害はあると踏んだが、取り分けられたのは栄養剤コーナー下部の三品だけだった。この間必然的に客足は遠退き、起立する私は働く二人を申し訳なく思う。

 私が爺さんを横切った瞬間のことだ。その老体に直接触れたつもりは無いし、二人は私のことを責めないけど、もしかして私に一端の原因があるのか?この事態は私が引き起こしたのか?私のせいか?私のせいか?

「何かあったの?」事情を知らない夜勤の高幡さんを置いて店を出る。帰り道、廃棄のコロッケを捨てた。

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