第15話

〈バイト十八日目〉

 詳しくは知らないが名の知れたカードゲームの一番くじが開始された。ガールズバンドアニメのくじの告知を偶々目にして、偶々千六百円で二つ購入したら下等のタオルを二つ当てた経験ならあるけど、それ以来手出ししていない。だから仕組みをよく分かっていない。

「券が貼り付いたこのポスター、どう扱えば良いんですか?」

「……あぁ、お客さんに注文受けたら回数分会計して、後ろのくじ箱を渡して引いてもらう。景品は上に並べてあるから」

 説明を忘れていたはずの店長からざっくりした指南が入る。具体的に会計手順はどうなるのか、何賞が何の景品か、ラストワン賞とは何か、ハズレは無いのかと言った点は保留のまま、頼まれたら隣を頼ろうと未来に任せた。

 その場所には富岡アンド伏見。

「黒絵先輩の髪留めお洒落ですね!わたし髪短いから上手く結べないんですよぅ」

「本当はショートにしたいけど似合わないから」

「見てみたいなぁ、今度お泊まり会したいです!」うわ出た思春期ちゃん御用達お泊りごっこ。大学生相手を諸共しないのは百歩引くとして隣に十六歳が居ますけど。でも私も伏見さんとならしたいです。

「今度ね。最近サークルの飲みが忙しくて」年長者は相手のペースに振り回されず凛と返す。

「へぇ何やっているんですか?」

「バスケとお茶ですよね!」

 この構図が続くのは不自然と思い、二人の隙間に知識を刺した。ウエストが一枚上手の方が振り返ると口をだらしなく開き、あなたには訊いてないですけどの意を伝えてくる。

「……そう。その仲間と昨日遊びに行って」伏見さんは私より富岡ちゃんの反応に硬直を挟むが、微笑を経て写真まで見せながら私を囲んでくれた。忖度に駆られ僅かな時間に終わるけれど、その間に不純な残り香が消臭されたら良いと思った。

 善なる伏見さんを私との奇妙な関わりに閉じ籠めるのは悪いけど、この二人が店内を殺菌し切ってしまうのも私的に居心地が悪い。他人のシフトは当人か店長を尋問しない限り分からないから、若娘を完全に避ける術は無いに等しい。私側陣営との関わりの方が多かった昔が恋しい。いやあの大学生男女が居るよりはマシか。兎に角年明けからのシフトは冬季講習も考慮して少なめにした方が良いかもしれない。

「ピンクのお皿取ってくれる?」律儀にシールを貯めてグッズ交換を申し出る客は実在するらしく、伏見さん担当のレジから私の左手に要望が入る。偶には私が彼女を手伝いたいと思っていたから丁度良かった。「どうも」の一言だけでこの位置を確立した甲斐あったと思える。先輩観察の結果グッズ渡しにレジの操作は不要のよう。

 聴界の端でモッピーの稼働音が雑音に混じると思ったら、案の定私の前に差し出して来た。ここ数日プリンターの調子が優れないらしいのだよと不幸を先読みしていると健全に印刷されたので、以前と同じく最下を離して客を満足させた。

「このままでいいの?」どうやらサービスが足りず居残る男。

「え、あ、多分。あれ、袋的な物……」薄々粗放とは感じていた紙幣大の紙切れに、適当な包みがないかレジ下を慌てて見回す。散々手探りした挙句レジ台と私の財布の口と繋げたい募金箱の間に、黄色の袋が数枚挟まっているのを発見した。これに入れるべきと。

「ちゃんとやってよ」お待たせしましたと物腰低めに捧げたお客様控は暴力的な挙動で取られた。あ、少し頭にキタな。くそ何買ったか覚えておけば「このおじさん一人でアイドルのCD五十枚予約していますよー」と他の客に宣伝出来て、富岡ちゃんの面さえ蒼白に仕上げただろうに。怒りに神経が及んだお陰で二人きりの雑談は蚊帳から外せたけど。

 暮沢さんが登場した直ぐ後、現金管理を命じられる。ところで暮沢さんの来店する時刻は不規則のようだけど、彼は発つ時まで家で何をしているのだろうか。店長とその相方の川田さんは経営で忙しい、高幡さん阿久津さんは実家でゲームしているとして、暮沢さんの行動スケジュールがピンと来ない。本社に出勤して上司の靴でも舐めているのかな。

 そんなことを考えたいたせいか、富岡ちゃんの前でまたミスした。

 レジ金と売上が合わない。差額千五十円。それくらい大目に見ようよ、他人事のバイト目線とは裏腹に暮沢さんの顔相は険しく、大慌てで戻ろうとしたレジの角に衝突して「痛っ」呻くのも堪えて再び小銭と札を数え出した。金庫から床の隙間に至るまで札の可能性を捜索する。客の流れは止まらないので私は片方のレジに収まるが、直ぐに中断され凄まじい速さで硬貨を並べていく。仮に不一致のままだったら誰かの給料から引かれるのだろうか。数をメモして頷いた仕草でパソコンへ走った後、平常の歩行速度で戻ってきた。

「大丈夫ですか……?」

「はい、きちんとプラマイ零になりました」私を直視する動きは取らず無事を報告してくる。つまり誰のせいかと言えば明らかに私の計数ミスだけど、暮沢さんは特に何も言わない。だから気の遣えない私はごめんなさいと明言さえ出来ず、ただ頭の上に罪悪感の靄が掛かる。伏見さんはドンマイと伝えるように目配せしてきた。

「良かったです……」役と面目が立たない勤続三ヶ月目の無能は買い物籠を置きに行く数秒間に助けを求めた。

 廃棄の有無なんてどうでもいい。いつの間にか帰宅していた後輩に続き、伏見さん暮沢さんを置いて裏へ帰る。くじ券はポスターの所定欄を侵していた割に注文を受けることは無く唯一の救いとなった。

 裏の席では渋顔の店長が画面を睨みつけていた。出会った当初は好青年とさえ評価出来る程朗らかだったのに最近は笑みが稀だし、気のせいか頭頂の過疎化が感じられる。私由来の悪影響がそこまで及ぶというのは凡そ考え過ぎだよね?一時的な体調不良だよね?直接の因果があるとすれば、何人か辞めたからだよね?

「何かありましたか?」私の失態は起因しないと踏んだ上、現在についてはどうなのだと尋ねる。

「イケナイ人が居て」私のことかと震えながら指されたモニターには、暗くぼやけた装束の男が棚に寄って微動するのが映っていた。断定は出来なかったが、推し量られる所を訊いてみた。

「万引きですか?」

「そう。昨日の深夜に来た」

 何と、二十四時間経たない内にこの地に犯罪者が立っていたらしい。ドキュメンタリーで毎日報道される事件は現場でも起こっていた。今まで私が露骨な害を受けたことは無いが、本来治安に恵まれた街ではないからな。思えば小学生時代、認知症傾向の婆ちゃんが営む駄菓子屋にて友達がベビースターを盗むと言い実行していた。あれを看過した私も同罪だった、なぁ。この犯人はしみチョココーン辺りを鞄に仕舞い込んだのだろうか。リスクしかないのに犯行に及ぶ理由とは最早精神不安定としか考えられない。職場等で嫌な事があれば盗みたくもなるのだろう。知らないけど。

「今度来たら通報するつもりで街の警備に連絡して、一日中監視しているけど現れないね。人通りが多いと偶に来るんだよ。駅の方でも被害に遭った噂がある」

 万引犯は見つかれば瞬時に裏へ引き摺り込まれる印象があったけど、そういう訳に行かないのは営業への配慮、または店長の非武装精神か。百円前後の商品ならば問題化する方が手間だったりするのかね。ところでスマホを操作していた身内について思う所は無いのかと首を傾けるが、あそこは巧妙にカメラを遮るポイントだった。全く身近な場所に罪科が潜むものです。

「十五日に給料が入るんですよね」

 本日豊富のお通夜ムードを晴らす目的を兼ねて確かめた。

「うんそう。ゆずさん頑張っているから今回だけボーナスで時給五十円上げた」

 店長は社会人として一転した色調の顔を作り上げ、聞き捨てるには惜しい情報を寄越す。

「本当ですか!一桁足りないですよ」と言いたいのは山々、凡ゆるミスの実績を埋めようとする私に不当な経済措置を与えて構わないのですか。それ以前に幾ら支払われる決まりだったかしら。実家暮らしだから金銭感覚には成績評価と並ぶ程ルーズなのです。秋学期は過去最低だった。バイトのせいとはしたくない。

「え、良いんですか?」座右の銘がコスト削減の本社が殴り込みに来たりしません?将来を危惧するけれど経営者の意志に変わりは無い。そうだ、新人には皆こう言って誑かしているのかもしれない。私は騙されないぞ。でも金はくれ。

 次こそ給料日が来る。長きに渡る無償労働は正しくないと証明される。給料の行き先で脳が洗浄される。お金の力って偉大ね。


〈バイト十九日目〉

 雨が降る中向かう店は湿気塗れ、いつも以上に身体を重くさせた。同着の伏見さんは濡れた髪を梳かして「纏まらないなぁ」と呟く。うむ、水も滴る何とやら。首筋を拭き取る様が艶かしい。

 弁当コーナーを前陳していて思うのは、日単位レベルで入れ替わる商品の面子。「胡麻和えチキンのパスタサラダ」なんて無かったよ。他方で欲しい商品が早々と消えた時の悲しみったら。昔あった卵かけご飯おにぎり好きだったのに。こんな短期間で売上を判断するのは妥当なのかい。店長の好みは影響してないだろうな。特に雑誌コーナー。

 それは知る由無いこととして、遂に初給料が入っていました。採用時に初めて開設した銀行の通帳には五万二千三十円の数字。改めて求人を確認した所元の時給は九百円、上乗せで九百五十円、交通費支給は出ないと言われたから、下二桁には共感出来ないけど損は無さそう。女子は避けるべきだしおじさんズとのペアリングは今以上に辛いだろうが、夜勤なら六万超えていたか。何だかんだ心優しい店長なら毎回五十円増、何なら更に増やして経営限界まで突き進んで欲しい。あ、下ろした有り金は全額漫画に溶かしました。

「お給料って皆同じなんですか?」奥の川田さんには躊躇を覚えて伏見さんへ訊く。

「ここは同じ。君もわたしも九百円。安いよねぇ」ほぅ足しか引っ張らない私が伏見さんとお揃いの給料。これはもう運命だ。

「初収入?何に使うの?」

「以前も言った気がしますけど貯金ですかね。伏見さんは何に使っています?」追求されたくない内容は直ぐ相手に打ち返すのが処世術だ。

「旅行したり飲みに行ったり……大した使い道じゃないよ。あと漫画読んだり」後半に限っては琴線に触れ、「実は」私の自堕落を白状しようか迷うが「何でもないです」中途半端な嘘は知らせたくないと黙った。どうせ趣味は合わないだろうし。

 天候に屈した弱者から傘の注文が入った。持ち手を私側に向けるのが常識的と思うけれど先端で威嚇するそこの君、悔い改めなさい。

「袋外しましょうか?」お願いしますと許可を得てバーコードを探し当て、ビニール傘を覆うビニールを剥がす。

「ゆずちゃん優しいね」多少残念ながらこの台詞は川田さんなのだけど、不意にマッチを購入されて「え、えへへ」少女は不幸臭漂う声を漏らす。この後死ぬのかな。前の客に言われたからやっただけなのだけど。

 雨の日に売れる商品は傘、雨合羽、ハンカチティッシュ類くらいで、一貫して客足は遠い。床では雨水と埃がワルツに失敗する。商品が濡れないか、濡れたらどう損失を補うのか、私に稲妻が注がないよう注意しなければならない。私自身雨は雑踏を掻き消してくれるから好きだけど中々理解されない。夏より冬、晴れより雨を愛する私は今が絶頂期か。

「伏見さんは雨嫌いですか?」彼女の感性を確かめる。陳腐化した会話選びではなく風流と感じて頂きたい。

「嫌いだよ。髪ぐしゃぐしゃにならん?」あぁ精神距離が一つ遠退いてしまった。貴女の湿り気ある嫌悪表現は素敵ですけどね。

 伏見さんと名目上濡れ場を楽しんでいると無駄話と判断されてか、川田さんに床を拭き掃除するよう言われた。どうせまた濡れるだろうが、客が蹌踉けた振りで伏見さんに抱き掛かる真似をしたら困ると焦ってモップに吸水させた。私が一番やりそうなことだ。

「これ交換してください」そう言ってレジで渡されたのはレシート上に印字された無料引換券。おいこんなのもあるのか、聞いてないぞ。やり方は先のくじと同じだろうかと覗けば「綾鷹ですね……」客に取りに行く行動力は無いようなので、正しい容量か疑いながらボトル、レシートの順に読み込み無料でくれてやった。一切の説明、告知が存在しないけどPOSさえ騙せる手口だとしたらもう仕方ない。

「ゆずさんコロッケ作る時レンジで温めた?」FFを取ろうとするのに合わせて店長が尋ねてくる。

「ん、え、はい」作る時?渡す時ではなくて?話が分からないことを潔く否認した。

「そう、ならいいけど」そう言う店長が弁当コーナー方面へ隠れた隙に製造表を速視すると、フライ四分半の上方で加熱一分の字が萎縮するのが分かった。不味い、今までこの処理をすっ飛ばしていた。私の製作した十数個の不完全体が客の血となり肉となった訳だ。まぁ別にいいか。火が通れば同じだろう。過去は振り返らないのが私の取り柄だ。

 FFに続きおでんの注文が入る。そうだ、汁物も雨冷えする時季には染みるだろうと思いながら例の器に入れようとして、奥に一回り小さい容器を発見した。あ、これだよ皆が求めるサイズ感は。単価の安さをカバーする狙いか知らないけど、あの容器の大きさは横綱しか見合わないよ。一体何処に引き篭もっていたんだ君。次回からはもっと自己主張しなさいと一喝して、汁を小匙分溢した。

 本日爺さん在り、雨とは言えど廃棄無し。店長は天気予報から入荷を調整したのかもしれない。今回は後輩から水を差されること無く伏見さんを私色で厚塗り出来た。交代際の高幡さんと伏見さん、この二人が並ぶと程好い親戚関係のようだ。高幡さんには様々なイメージを植え付けて来たけど、伏見さんが近付くのを許せるような無害なおっちゃんです。顳顬の髪染めが甘いけど。

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