第14話
〈バイト十六日目〉
十一月、制服の袖が手首まで伸びるのはバイト先も例外ではなく、露出度を軽減させた伏見さんにはまた違った趣があると感じ入る。低血圧気味な彼女には凍える風の衣擦れが似合う。私はクールの外套を羽織った熱血不器用娘だから相互補完された相性だと思う。
そんな彼女の隣席を新たに獲得したのは富岡ちゃんだった。
「この耳飾り可愛くないですか!?」
「似合っている。わたしも来週行く予定なんだよ」
アイドルの尾骶骨しか追わないはずのオカッパは、実存する遊園地を釣り餌に素敵な先輩との意思交信を狙う。あれれ伏見氏、私とその距離感を保ったことあったかしら。まさか旧知の仲ではないだろうに、原田氏以上に声高に相手するのはどういう理屈か、幽体化した私は疑問に思うのです。
そういや辞めた彼女について追及していないけど、長い付き合いだった伏見さんは心的外傷を被らないのだろうか。連絡は取り合っているのだろうか。この状況を私が作り出したのかと恐れると訊き出すことは出来ない。彼女自身に対しては精々新しいバイト先で元気にしてなさいとしか思わないが。
店長と交代するレジ、カフェコーナー左手には予告通り三秒で思い付けるデザインの皿とマグカップ、各二種のグッズが箱詰めの上積み重なる。
「対象商品のシールを集めて台紙に貼れば、枚数に応じてグッズが貰えるキャンペーン。台紙が渡されたら間違った物を渡さないようきちんと確認すること」
後続で手を洗い終えた富岡ちゃんと共に教わり、台紙はあっちね、店長の指はプリンター横へ向く。母親がよく乗り掛かるこの種の商法、シールを偽造されたら私は見抜けないまま利を失するけど対策は取らないのかな。カメラの映像が容姿を特定した所で犯罪者は再来しないように思う。どうでもいいや持っていけ泥棒。
新顔は腹の満たされない無用物に限らず、FFケースの中にて焼き鳥が戦線離脱した一方、ハムカツ、アジフライ、イカフライと、おじさんの舌先を擽る一同が投入されていた。改めてコンビニの品揃えの豊富さ、変わり身の早さったら。料理はもう人間のやることでは無さそうだ。包丁は護身用で十分。揚げ時間を店長に訊くと「作らないで良いよ。注文数少ないから」快くは窺えない面持ちでベストアンサーを授かった。
酒コーナーには興味の無い為抜けた缶は不明だけどスコールホワイトサワー、男梅サワー、お茶サワーが加わっていた。利休に茶筅で殴られるだろうお茶割りとは以前からありましたっけ。不調和が視覚の段階で察されるけど。
その他パン類、菓子類と細々した商品は日々更新されているのだろうが気付く暇は無く、情報は基本的に共有されず現場での確認、何なら当たりくじから商品名を知ることになる。これは私が不真面目あるいは周りに情報を隠匿されているという訳では無いはずだ。
三人体制のレジ。私の右に二人が寄り合う必然的な構図。キャラクターに私側の地域を活性化させる引力は無かった。参考に値しない先輩と初回に出会ってしまった新人は、相反する先輩と私より激しく触れ合う。
「この新色流行っていますよね!黒絵先輩付けます?」
揚げ物の衣に興奮している訳では無いのは胸元に構えるスマホから見て取れた。店長が裏で控えるのに度胸たっぷりなこと。それと聞き捨てならない名前呼び。最近の子って皆こうなの?付いていけないわ。
「下のフライ少ないですけど作ります?」ケースの前、私側に近寄ると一つ落としたトーンで流石に声を掛ける。先週の純真さを取り戻して欲しい。
「さっき作らないで良いって言っていた」
「あっはい、了解です」事務連絡に終わるけどここでどう巫山戯れば君は納得するのか。伏見さんだって君に合わせてふんふん言っているだけでしょうが。その飾らない態度が素敵よね。
「イカフライください」店長の嘘を暴くように注文が入りトングで掴むまでは良かったが、どの包装紙に入れるべきか分からない。伏見さんはレジ外、後輩と罪を分担するのは避けたいので、不適当ではなかろうと嘗ての焼き鳥袋を開いた時、黄金色の棒が落下した。慣れない感触に手先が滑った。それをばっちり富岡ちゃんに目撃された。後輩の前でミスした。何という恥晒しだ。
「ごめんごめん……」誰宛か知る由の無い言葉を垂らして片付ける。幸いにももう一本用意があったので今度はゆっくりと、客と店員からの不審な眼を気にせず封入する。有り余る紙の端はテープで折り返した。
その後富岡ちゃんの大失敗を祈ったが恙無く動いていて何よりだった。呼吸が乱れる程度には緊張して欲しいのだけど。
「こういうのが好きなの?」
私は廃棄、伏見さんが品出しのタイミングで瞬間性の二人きりが生まれると、雑誌コーナーにある流行りのアニメグッズを指して言う。これは比較的好みに当たる作品だ。
「好きな訳無いじゃないですか」
「鞄に付いているからさ」しまった。学校では虚構しか眼中に無いと公言する私が、表面上の友を作る為に括り付けていたストラップを外し忘れていた。その横着を伏見さんは見過ごしていなかった。私の細部に眼が及ぶのは意識的と捉えて差し支えないかい。
「これは貰った物でして」
「柏木さん何となくその系統好きそうだから」
「全然。大した興味無いですよ」
この作品に関しては。私のお気に入りベスト五十を羅列するのは心の内に留めた。けれど好き嫌いせず自ら話を振り掛ける伏見さんの温かみを摂取出来て良かった。
富岡ちゃんが居ようが廃棄とメールは私担当のようで、本日廃棄無し。阿久津さんが顔を出した頃合いで、現実の男性像に当てられてか俳優やら声優やらに弾む二人の話は沈下し、伏見さんを夜に残して絆の弱い二人組が帰宅準備する。現金管理は今の所頼まれる時と頼まれない時があるのだけど、現状維持で宜しいのかしら。私の信用が足りないのか一過性の繁忙のお陰か。何れにせよ楽だからいいや。
脱ぎにくい長袖をロッカーに預け、キャンペーングッズを適当に漁ることで時の流れを加速させる。この場面、私から遊びに誘うべきなのか。一般人はこの後二軒隣のカラオケ店に給料を溶かすのが自然現象なのか。こんな内容で頭を満たす私にとって、将来待ち受ける強制参加型の飲み会は案外悪くないかもしれないと思った。
「お疲れ様でした」
リップで整えた顔は私より先に消える。
〈バイト十七日目〉
籠絡させるとは言ったけど何とかさんとのこれ以上の進展はあるのだろうか。ケースの新メンバーを眺めて「コンナノアリマシタッケ」吐息を垂らすのは毎度の姿勢、無難な相槌は添えるけど「屠殺場観光とかします?」等と口にして二人の世界を広げるには至らない。私側の派閥に対しては果敢に攻めることを躊躇い、対抗派閥に対しては攻められることを恐れてしまう拙い行動力よ。
「韓国出身なんですか!わたしケーポップ凄く好きで!」
「アァオンガクネ。ワタシハニホンノガスキダケド」
「今流行っているこの人達格好良過ぎないですか!?」
「ホントーダ。ミタコトアル」
雇用開始時特有として頻繁にシフト入りする富岡ちゃんは、伏見さん相手程ではないけれど何とかさんとの会話に精を出す。顔の話しか出来ないならおじさんズの年老いた魅力にも喜々として言及してあげなよ。彼女にとっての非常事態は私との共同作業のみだろうか。何とかさんはそちら側に溺れる前に私の方へ帰っておいで。
「あのお酒の色奇特ですよね」私が提供出来るのは味気ない世間話だけだ。
「アタラシイショウヒンデスネ」
「お酒好きなんですよね。飲み会への足運びは如何程で?」
「ダイガクノツキアイデ、ツキイチクライ」
「大学、楽しいですか?」伏見さんには聞くまでないことを受験の不安解消を兼ねて投げ掛ける。
「タノシイヨ↑マイニチケンキュウデキテ」待て、この人も理系なのか。視線に角度を描く癖のある私が最たる阿保だったりしないよな。
「……恋人は居ますか?」驚愕に続いて重要事項の確認を、割合スムーズな口元から取る。
「イナイヨ。オナカイッパイニナラナイモン」
それは収入次第で突破される条件だけど、彼女なりの冗談は確と受け取った。結局何とかさんとは肉付きの増やした身体で誘惑すれば一線越えられることが分かった。
対何とかさん相性は私が上手だね。富岡ちゃんを見下ろす。輪には決してならない役者配置を客に魅せ続けた。
優越感のまま仕事における稀少な楽しみを挙げると、会計金額が千十円のように数字を繰り返す際、レジ打ちにリズムが生まれて気持ちが良い。将来レジの自動化が進めばこの運動は旧時代的になるのだろう。それどころか店員は無用なコストとなりただの物流倉庫に近付いていく。そう考えると散々負った苦痛は今しか味わえない貴重な体験なのかもしれない。
「タカラ缶チューハイ置いてある?」やっぱり面倒だわ。その名は脳裏に残存するから「多分あると……」酒コーナーを物色するけど見当たらない。ハイチュウで何とかならないかと手に取るが「すみません品切れのようです」諦め良く引き帰らせた。もうボタンをピッと押せば商品が天井から降って来るシステムにした方が早いのではないか。
二リットルの麦茶で卵を割った気のした客の次、黒く仰々しい造形を背負う白髪混じりの五十代爺さんがそれをレジに掲げて来た。
「これ、お願いね」字数の足りない解答用紙を回収した私はプレゼントかテロリズムか判別付かず、「ごめんなさい、少し待って頂いて」富岡ちゃんの視る前で店長の元へ飛び出す。レターパックに入れてやり過ごすのは不可能のようで、大物の郵送方法について何かしら言われた気はするが、大事を取っての店長頼りだ。何故私ばかりイレギュラーに見舞われるにだ。私の方が試験されていないか。
助太刀ははいはい畏まりましたと爺さんを一刀両断し、荷物を裏へ移動させた。
「ゴルブバッグを預かったら袋に入れて一応時間帯をメモ」それ以上詳説しなかった店長曰く、これが世に聞くゴルフバッグの運送サービス。ひょっとして定期的に訪れる客だから私の過呼吸を差し置いて阿吽の呼吸を見せびらかしたのかな。全く自力で持ち運びなさいよ。その方が良い運動になるでしょうが。
「こんな接客したことあります?」
「ハジメテ。オソロシイ」不首尾は可能性の文脈まで拡げることで新人への威厳を改修したつもりになった。
小瓶を抱える方の爺さん在り、廃棄無し。何とかさんが先に上がると、二人は昭和歌謡曲のようにスローテンポな空気を一頻り堪能した後、裏に待機する高幡さんと挨拶を交わす。
「宜しくぅ」
「あっはい、宜しくです」
語調からするに彼女には年齢差別する節があるようだ。年上に限定して縮こまる心理は私にはよく分からないがね。俯きがちなおじさんとはお疲れ様と機械的に応答する。私の存続に伴う彼なりのフレンドリー表現なのか、一向に進展の無い関係性に飽きが来ているのか、登場初期に見られたような勢いは翳りを生んで来た。
男はつらいよと言わんばかりのその顔。私がつらいよ。
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