第13話

〈バイト十四日目〉

 出勤と退勤が交錯する仄暗い裏路地では私と何とかさん、伏見さんが至近距離で互いを意識すると私は信じる。体育前の更衣室より緊密な空間は労働環境における典型なのか。現状の神経酷使はこれっきりにして次は広々した職場を探したい。三年後以降の話になるけど。

「これ北海道のお土産です」

 例外的に手提げを携えた伏見さんが入口のアマゾンギフト券を使えば二日以内に届きそうな白い恋人を配ってきた。どうやらこの短期間で旅行に出向いたらしい。個人であれば百点満点理想の伏見さん像だが、サークルの私的活動であれば薄野を観光したか否かで採点の手が凍て付く。はぁ楽しかったのだろうな。最低でも私に費やす時間以上に。下心は無いですけど私達で温泉巡りでもしませんか、と誘った所で双方共に断る口実に困らなさそうなので自傷行為は控えた。

「ワァ↑アリガトウ。カエッテタベヨウ」

 手元の宝物にどの勤務時間帯より眼を輝かせる何とかさん。これを機に贈り主への想いが高騰して関係性の発展する道筋を見据えれば、先にこの人を籠絡させた上で伏見さん攻略に集中すべきかもしれない。食糧供給さえ行えば嫉妬の歯型は付かないだろうし。

「柏木さんには後で渡すから」

 それは商品名に含意される特別な伝言があるからですか。二月中旬は暦上未来にあるけど私は先取りで構わないですよ。ところで件の予定は具体化されていますかね。今日も私は孤独な夜に消えるのでしょうか。

 質問事項を脳の片隅に収まるレジ、レターパックプラス二枚の注文が入った。伏見さんの人差し指が示すレジ下から発掘した厚紙の内赤い方を出して「こちらで宜しかったでしょうか」それらしきバーコードを二度タッチすると千四十円が顔を出す。商品を限定する注意書きは無いからこれも抽選対象だよね。だが需要があるとは考え難かったこの中途半端な包容を利用すれば、靴箱に入れるより現代的な恋文の効力が金額分上乗せされるかなと再考した。

「昔からこんなのありましたっけ」

「あったよ」抽選対象未満の価値しか創出出来ず、冷蔵庫の方へ腕を突っ込む贅沢者。「話すこと無いですね」と言霊を招くのは悪手と除霊して延長する静けさ。

「……お客さん減っているんですかね」弥縫策として可能なら避けたかった毛色の話を着彩することにした。

「客?言われてみれば確かに暇な時間増えたか。給料変わらないから等閑で構わないけど。その思考の形成過程は?」

「人が減少傾向にあると小耳の耳朶周辺に挟んだ噂と根拠となる現実が眼中にありまして」

「あーそれは多分」

「こんにちは!」真剣な会議中に部外者が声を張り上げてきた。私服の風采からラフな社風のサービス業者か、愈々お出ましの頭部の螺子をドライバーで叩いた者か考え倦ねながら「ど、どうも」応えてしまうが、横の人はすらりと流す。

「……あの人は?」

「面接に来る予定の子だと思う」

「私が後輩と呼んで差し支えない新人ですか!鮫島さんという女性がこの前入ったばかりですけど」

「え、その人は知らないけど」

「伏見さんなら店の隅々、店長の弱味まで掌握していると思っていました。対鮫島経験は私が半歩上ですか」歩幅は異なるだろうけど。

「あぁでも連絡先はローラさん伝に貰ったか」

 はい降参します。ローラさんとは後生口を利かない契りを交わしたはずではなかったのか。これ以上同じ文脈をドライブするのは危険信号と感じて旅行者の身の上話へ車線変更する。

「先程の土産の調達先へは誰かと同伴で?」

「例のバスケサークルの女子一派と」絵に描けば私が高額落札するソロ模様ではなかったが女子旅なら妥協に値した。

「柏木さんは普段何処に出掛ける?」

「家に居ることが多いです」

「お泊りパーティ。高校生だなぁ」

 独り言で深夜騒ぎ立てるのがパーティと表せるならその通りだ。心に鞭打ち安全建築の段階を舗装しよう。

「えーと、大学何年生ですっけ?」

「三年」酒盛りには困らない年齢と。酔っ払って饒舌家へ変貌する伏見さんを想うと空想のアルコールが廻った。

「一年少し経ったら辞めちゃうんですか?」

「かもねぇ」瑣末な内容を挟んでから。

「……付き合っている人居ます?」

 遂に大本命要項を訊いた。訊かずに自作の世界設定へ篭り続けはいられなかった。

「何で?」

 そこに伏見さんが居るからでは認められないと踏んで、知的好奇心ですと簡潔に解答した。

「居ないよ。昔は居た」

 ホッ。良かった。これで私に接しながらも実質は彼氏彼女の体温を思い出すと言った疾苦を回避した。過去の相手は問う程関心無い。

「そっちは?」

「只今調理中の唐揚げの数程の愛人を従えています」

「……まだ開封してないから居ないってこと?」痛々しい事実にオブラートを貼り付けた今も昔も色薄い私の株は上がったか下がったか。

「良いんですよ。どうせ廃棄になるんだから」我ながら露骨に思えた毒を唇の先から零した。

 暮沢さんに頼まれた掃除に向かうプロセス上、裏に入ると成人男性二名に囲繞されて先の女の子が個人情報を漏らしていた。来訪から長いこと経つが、私の時より念入りに素質を見極めているのだろうか。採用されれば私の存在で滑りの悪くなった特殊環境を一般と誤認してしまうと思い不採用を提言する横槍は控えておいた。

 レジの布巾掛けや諸々の補充が終わって一息。色恋話ばかりだと怪しまれると計算し、伏見さんに以前より気に掛かっていた事項の二項目を尋ねる。

「最近見ないですけど、原田さんと竹内さんっていつ来ているんですか?」大学生が出来るものか知らないが早朝入りか、単なる曜日ズレなのか不自然にすれ違い続けるものだから。

「あの二人辞めたよ」


〈バイト十五日目〉

 駅前。橋梁を渡った先にある商業施設の入口前、別のファミマのイートインにてピザパンを齧っていた。私の店の好条件には飲食スペースの不在も含まれていた。だってほら、今私がパン屑を発散させるように若者が食い散らかすのを掃除しなければならないし、耳栓での作業許可を得たい客の与太話が煩いだろうし、無人や無音はそれはそれでただのゆとりあるバイト生活にしかならない。経営者の目線からしてこの一等地のスペース代に見合った利益は得られるものだろうか。事実私は時間潰し目的に商品購入したけど。

 同じ企業と言えど内装や商品はかなり違う。広々した土壌に四台のゴミ箱、三箇所のレジが育ち、男女別トイレや洗面台、電子含むタバココーナーを揃え、各コーナーは伸び伸び商品を供覧する。特に菓子、アイス、弁当、紙パックの飲み物は品揃えの面で優れており、倉庫臭のある我が店より美味しそうに思える。雑誌類に至ってはガロまで取り揃える、まではいかないけれど。

 店員や客は当然知らない人ばかりだ。辞めた直後に別店舗で労働するなんてことは無かった。仮に私が辞めた後、再度別のファミマへ応募したらバレるのかね。店同士の連携は如何程か、よもや今店員の前に客としての居心地を謳歌する私が居座る映像さえ閲覧可能だったりするのかと思えば退店欲が生まれ、黒服の男性と肩すれ違いながら私が存在する義務の眠る方の店へ辿る。そうそう、伏見さんからはラングドシャ以上の想いは特に告げられず、心に街灯が反映されること無い暗い道を歩いた。思わせ振りなのは彼女の悪い癖あるいは私の妄想癖だ。

 店は入口からして飢餓と暴行を天秤に掛けるイベントに毒されていた。南瓜や蝙蝠デザインのチョコと多少のパーティグッズが出迎える。私は参加する訳が無いけどこの街は毎年恒例イベントを催しているので、商店街中心部に位置する私の職場も巻き込まれるか。店員として何か装飾しろと言われたらどうしよう。けれど見た所店長やローラさんはコンビニ店員のコスプレ姿で、客の方も落ち着いたユニクロ姿が主で助かった。

 私の到着直後、やり取りしたばかりで悪戯を乞えずくそぉと思いながら、乞われる側に立つのもアリだなと空想する伏見さんの代わり、というより別の人間の代わりとして、前回面接に来ていたらしき子が現れた。

「あ、初めてまして!」

「あへはひ、初めてまひてっ」どちらが新米の台詞かはもうお分りですよね。精米された私は自己紹介を先んじたが「はい、宜しくお願いします!」の後に己の名前が唱えられない。何とかさんが増えると不要な推理要素を取り入れることになるので、尋ねようとして「新しく入った富岡とみおかさんです。挨拶した?分からないことあったらゆずさんにも教えてもらいな」店長による種明かしと先輩たる重圧を植え付けられた。今までの仕事振りから表面的な態度に埋もれた私の粗放さを見抜けなかったのかい、店長よ。こんな時に限って伏見さんの助太刀は見込めず、今頃自室で転がる私の将来像とは異なり大学で仲間と切磋琢磨しているだろう。その思考の隅に少しでも私が居てくれと呪詛を唱える。

 昔は私もああだったなという店長と富岡ちゃんの二人一組と私がレジに並ぶが、一時間経った頃店長は若娘を置いて戻った。あとは私の責任らしい。挨拶に抜けはあったけど基本的にテンポ良く店長の言うことを理解、実践しているから問題は無さそう。その勢いで自ら羽搏きなさいと言いたい所だけど。

「バイト初日ですか?」

「はいそうです!」

 答える彼女の容姿の解説コーナーに入れば、身長は伏見さんと同程度、オカッパ風の髪を短く結ぶ陰陽で言えば後者の印象あるオナゴ。この子にとって私が初めての先輩になるのだな。手取り足取り厄介すべきか放任主義に心酔すべきか迷う。私なら手足を存分に触り尽くされる程の積極性を希望するけど。空虚な質問攻めには挑もう。

「幾つ?」「十六です!」「同い年じゃん。敬語抜きで良いよ」「本当ですか。分かりました!」 「……店長はああ言っていたけど、私も実は入って二ヶ月未満だから頼りにならないと思うよ」「了解です!」「……初バイト?」「はいそうです!」「何処住み?」「隣の市です!」「また遠い。何でここ選んだの?」「特に理由無く適当です。お金は欲しいんですけど!」「やっぱり?私も何となく応募したら採用されてさ。給料は何に費やすつもり?」「いやぁ、推しのアイドルグッズを収集する金銭が底を尽きまして」「へぇ誰が好きなの?岡田有希子?」「誰ですかそれ。普通に◯◯とかです!他にも色々好きですけど」「うーんオバサンには分からないな。けど趣味目的なのは私も共通しているわ。目標金額はあるの?私は受験期には辞めるつもりだけど」「それはまだ考えてないです。将来のことは訊かないでください!」「ごめんごめん」

 語尾の力強い彼女との思ったよりは膨らみの生まれた口下手主導トークから彼女もオタク気質なのが伺えたが、虚構と現実では月見バーガーと鼈鍋くらい土俵を異とするので心からの同調は果たせなかった。今度勉強しておこうかなと先送り。他にも生年月日やメールアドレス、パスワード等を訊こうと思えば訊けたけどプライバシー保護の観点から謹慎した。この行程を新人を迎える度に熟すとなると、やがて面倒になり「あ、新しい方ですか」の反応に終わることが予感された。店長は勿論川田さんやおじさんズといった大人達の態度を振り返れば明らかだ。暮沢さんや伏見さんはようやっとるわい。そういやこの子や鮫島さんに対する儀礼的アプローチはどうなるのだろう。仮に私がその文化的連鎖を切断した張本人だとしたら、それまでの伝統だったのだろうと皆も納得してくれるよね。

 富岡ちゃんは覚束無いながら何とか接客出来ており、お釣りを相手に向かって投擲すると言ったミスは犯さない。え、何故そんな器用に処理出来るのだろう。私は数々の手違いの軌跡を辿り、今もその延長線上に立っているのに。さては偽りの経験者だな。見栄を張りたいお年頃か。

「ポイントカードってどうすれば良いですか?」「コーヒーってどのボタン押せば良いんですか?」「スプーンって何処にありますか?」彼女からは業務的な話は持ち掛けられるが、プライベートの領域に土足で入られることは無い。どうしよう、もっと暖色寄りの声色で語るべきか。出会い始めはこんなものかい?何かほら、聞きたいことは無いのかね。店長の悪質な申告漏れが税務署にバレて逮捕されかけた話とか。嘘ですけど。

 廃棄タイム。容疑者の店長から富岡ちゃんに流れを教えてと言われ、彼女の架空の手を引っ張った。

「難しいことは無いけど、この棚にある商品の賞味期限を見て過ぎている物を取り除く。持ち帰ろうと思えば後で出来るよ」

「本当ですか!」彼女の眼が会話史上最も光り輝く。これが普通の反応よね。

「因みにFFは廃棄前に写真を撮って店長宛にメールを送るんだよ。まだやらなくて良いだろうけど」

 私が勤務当初は知らなかった知識を無駄遣いし、先輩面をメイクアップする。へぇほぉ言う彼女はメモを取る動作が無いことから記憶力には自信有りのようで。いつか試験してやりたいね。

 さて今日は時節の割に金髪で騒がしい気違いの来客はハロウィンとの直接的因果を望めそうに無い程少数で、普段と変わり映え無かった。強いて言えばデザートコーナーから運ばれた南瓜味プリンの色香の余り、これをくれなきゃ会計しないぞと言いかけたくらい。あとは「きょうはろうぃんなのお?」と幼い声を上げる電気鼠衣装の子供が見られて眼福だった。伏見さんにやってもらいたい。どうしてもと言うなら暮沢さんでも良いけど。

 この二人では毒にも薬にもならない、精々ワクチン止まりだろうという高幡さんと阿久津さんが来ると「新しい子?」私と同時に引き返した富岡ちゃんに気付く。私の時と遜色無い、寧ろ少し色褪せて見える話振り。これは女性比率の向上に気圧されたのか私が優遇されていたのか、私を切掛けに対人関係を諦めつつあるのか。おじさん達と生娘が如何に逢引しようと私は気にならないから、第三者として良好な関係を望むけれど。実現すればクビになるのかな。この二人で言ったら案外高幡さんの首の方が吊り易そうだ。

 本日廃棄は梅おにぎり二個。私服姿の爺さん在り。流石にプリンの獲得は無理だった。衝撃から言い忘れていたけど、前回はお初となる唐揚げの廃棄があった。持ち帰らなかったけど。

 はぁ。新人が増えた背景にある事実が前景化してくる。あの二人は辞めていた。日陰で育つ私としては好ましい環境に変わった、とは喜べない。私がやって来た直後だよ。私のせいか?それならそうと私の首を切れば良かったのに。

 頼むからあの人だけは辞めないでよ。

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