第12話

〈バイト十二日目〉

 シフトは翌月の出勤可能日時を書いたシートを二週間前までに店長へ提出し、月末に貼り出されたシフト表を見て実の出勤日を確かめることになっている。と言っても通らないことは殆ど無く、人不足の状況では追加提出を求められたりする。私は応じないしそんな私に嗾けることも無いだろうけど。未確定の十一月の日程は現実には今週催される文化祭準備が忙しいという建前、毎週貴重な青春を換金するのは賢明ではないという本音から一週分休むとした。他方クラス側からは準備への参加を初めて話した同級生から求められたが、バイト先が人手不足の為申し訳ないと断っておいた。それ以上詮索しない両陣営を掌中に操り己の自由を生産した。広い世界では幾らでも嘘が吐ける。私はこの世界こそ向いている。

 レジには何とかさんに抱かれるブラックボックスがあった。覗くと引換券抽選箱の名称で手を挿入する用の穴凹がある。面倒な予感。

「只今キャンペーン実施中で、会計税込八百円毎に一枚必ず取ってもらうこと。捲って商品引換の当たりが出た場合、商品の後に券のバーコードを読み取れば無料になる。使用済みの券はこっちで捨てて。それ以外、コンサート応募の当たりや外れ券は何もしないで大丈夫。それと掛け声お願い」

 説明する店長君、あんたキャンペーン好きだね。君は毎年の事で抵抗無いだろうけどこっちは新旧綯交ぜの応用問題で理性が飛ぶのよ。例えばポイントカードは使えるのか、会計後にミスが発覚したら券は有効状態に戻れるのかとか。失敗後の心的ショックを軽減させる為予告しておこう。私は券を渡し忘れます。

「これ今捲って良いですか?」千九十円分貢献して来た客の恩を初日から仇で返しそうになる土壇場で手に取らせた物を持って言う。

「構わない、と思います」自宅まで歩くことで運気を高める風水師なら別だけど。

「当たりが出ました。ちょっと取って来ます」

「人生のピークですね」心の中で呟く間に眼鏡君はおーいお茶を興奮気味に拾って来た。因みにこれは券を処分しない限り無限に使えてしまうのかな。流石にその辺のシステム構築に不備は無いかなんて思っていると、あれれれ、読み取れない。お茶に続けて何度リーダーを翳しても「読み取り不可能です」と出力する。

「店長どうすれば……」涙目で訴える先の責任者は「代わって」席を奪い「デパート押して番号入れて百五十一円入力で百パーセント割引。これで良いよ。お客様大変お待たせしました」今回も生き延びることが出来た。

「89でも良いけど何の商品か分からないから成る可くこうして。またこうなったら呼んで。偶にトラブル起きるんだよね」

 客に疑いを向けないことから不正ではなさそう。印刷ミスか眼鏡君が呪術師か私が疫病神か。その後の引換券は身の上に忠実に読み取らせてくれた。着払いの荷物配送同様、金を受け渡ししない取引は手応えが無いけど。

「唐揚げレッド二個頂戴」注文が入った時点でショーケースに一個しかないことに気付き「申し訳ないですが只今品切れでして」客処理重視の接客を図るが「今から作れる?」強情さに負けて「六分程時間掛かりますが大丈夫ですかね……?」訊いたら「いいよ待っている」承諾しやがった。待ち人を増やしながら駆け足で一袋揚げ、箱に詰める段階で一粒落とす。

「あぁっ」どうしよう素数になってしまった。取り敢えず一箱分入れてレジに運ぼう。

「モッタイナイ……」卑しん坊が落下死したはずの一人を見て涎を垂らす。

「バレなければ食べても良いと思いますよ」いい加減腹を満たして欲しいので店長の空隙を突いて言う。

「タベサセテ、アーン」

 何とかさんは趣旨の掴み所の無い体勢をとる。あの、お客さん待たせていますけど。だが彼女は巫山戯ている有様ではない。そんな、初体験の相手は入念に選考したかったのに。ええいどうにでもなれ。一掬の埃を乗せて投げ入れた。

「モグモグ。オイシイ」

 彼女は満足したようなのでその顔が見られただけで良かった。いや良くない。唐揚げ渡さないと。廃棄寸前と完成直後で温度差を楽しめる二点をしっかり渡し「こちらを引いてください」抽選箱も忘れない。よし何とかなった。けれど二点に熱以外の差異を感じた。キャンペーン……まぁいっか、六の倍数になったし。

 廃棄無し。何とかさんと戻る裏には阿久津さんともう一人、細身で暮沢さん以上に色白の二十代前半男性が居る。

「あ、お疲れ様ですっ。先月入りましたゆずと申します」

「はふへ」男は潰れた顔で笑う。私と同類か。同族嫌悪さえ至らない関係に終わりそうなので興味は失墜した。

「こいつ金子かねこって言うの。深夜だからゆずさん関わらないだろうよ」

 察するに新人ではない新顔が頭を垂れる。阿久津さんがビール腹から放つ言葉はこれで尽きた。同じ夢破れ人でも高幡さんの方がまだ話し易いかもしれない。

 三日後のシフトを確かめながら思うのが、初期に登場した二人を見ないこと。彼女達と色恋沙汰を噂出来るかどうかがこの物語の山場だと思うのだけど。ま、未だに新キャラを発見する程だからいつか巡り会うだろう。


〈バイト十三日目〉

 ゲームセンターの上階にあるブックオフ、私が面接で落ちた店にて立ち読みしていた。今日は嘘偽り無い文化祭準備で早抜けが保証されていたのでシフトも前倒しの後ろ残しに設定、それでも余る時間を古紙に溶かす。皆が青春を思い出制作に昇華させる中、私は私なりの価値を創出する。

 日が傾く前に入店したレジには店長とローラさんが構える。一方は鮫島さんであって欲しかったけど仕方ない。「今日は早いね」店長のお迎えには「来月一週減らしちゃうので」因果関係を壊して伝えた。

 ローラさんの隣。何週か振りに緊張度のパラメータが上がる。昼時過ぎだからか客の勢いは微弱で空疎な時を直感する。これ夜まで持つかな。

「い、一緒にお仕事するのは初めてですね」十割の勇気でやり切ることにした。

「昼出勤ですので。ゆずさんは夕方からですよね」私より流暢な日本語を発音する彼女。

「基本はそうです。今日は実は学校行事の準備をサボってこっち来ました」ローラさんなら情報の拡散力が弱いと踏んで明かす。知られたらそれはそれで構わないけど。

「そうですか」悪の華の女子校生活を深入りする態度は窺えない。私の攻めを御所望のようだ。

「その引換券この前読み取れなかったんですよ。ローラさんはミスとかしません?」

「ワタシは八年目になるのでしないです」

「大ベテランじゃないですか。付かぬ事を聞きますけど主婦でいらして?」

「はい。二児の母親です」

「何処ら辺にお住まいで?」

「市役所の奥にテニスコートがあってその裏手のマンションです」

「じゃあ近いじゃないですか!私の家もその付近ですよ」私を除きこの近隣に住む唯一の人か。確かにあの路は外国人よく通るわ。

「手前に保育園がある団地ですよね」

「はい。下の子はそちらに預けています」

「あら、お若いんですね。勿論あなたも」となると退勤後は子供を迎えたり夕飯の支度をしたり齷齪するのだろう。

「最近入られた鮫島さんも主婦の方なんですかね」

「一歳のお子さんがいると仰ってました」

「へぇ。私も養ってくれないかな」

「……」家計を舐めた発言は無言で一蹴される。だが私もパートのおばちゃんへと不時着する末路はあり得ない話ではない。出産後に職場復帰出来る会社は未だ限られる。

 他にも「出身は?」「血液型は?」「この店で浮気するなら誰と?」訊きたい事は海底火山程あったが深海に沈めたままにした。総じて低所得だから浮気する価値無いわ。

「お疲れ様でした!またいつか宜しくお願いします」

「はい。またいつか」

 チャイムが喚く直前に訪れた伏見さんと交代でローラさんは家族の元へ帰る。一貫して大人らしい語り口だった。けれどこの舞台の主役を張れる私側の人間には感じない。夢見る少女を心に飼うことも無く、過酷な現実に削られ適度に疲れた社会人と言った雰囲気だ。きっと子供は言うことを聞かないし、夫の帰りは不自然に遅いし、昔の友達とは連絡付かないし、家事と仕事に追われる毎日。ワタシの幸せってこんなものかしら、等と思っているだろう。私が幸せにしてみせます。とか言える性格だったらな。つまり浮気性だったら。

「ウェアアムアイ?」接客中、アップグレードされたデジャヴが降り注いだ。地図を手にした外国人客に私にとっては脅迫紛いの道案内を求められる。

「え、ディスイズファリーマート……」二つの能力を同時に試験されそれしか答えられない私を見兼ね、通訳士伏見氏の到来。彼女は私の三倍流動的な舌使いと空間認識能力により私のリスニングを超えたスピーキングスキルを発動し、男に勝利した。そうそう、外国語を母語とする人々は当然客側にも折々居る。レジは数字でコミュニケーション可能だから今の所乗り切れているが、愛想深い持て成しはセンキューと口籠るしかない。伏見さんになら負けていいや。原田さんなら腹立つけど。

「有難うございます。英語ペラペラで吃驚しました。私はペーペーなのに」

「去年アメリカに留学していたから」

「道理で。語学留学です?」

「語学と現地の文化に触れる為だね。あとバスケ好きだから」

「え、まさかの文系に加えて体育会系の要素まで充実しているんですか!」

「いや理系だけど海外で研究したいと思って、その為の準備だよ」

 おいおいこれ私が勝つ要素で言ったら失敗を有耶無耶に加工する修辞力しかないよ。どうぞ罵ってください。この間抜けがと。

「そうするとサークルはバスケで?」喉では本命の質問が待機しているが、その足掛けとなる内容へ踏み込む。

「うん。それと茶道部」

 うわぁお茶淹れてもらいたいあるいはトラベリング注意されたい。パックとポットで茶道教室を開いて欲しい。侘び寂びとは縁遠いけど。

「私昔ソフトボール部だったんですよね。鬼コーチが嫌いで辞めましたけど」

「んー、出会いは大事だよね」片肘付いて化粧品をぼうっと見つめる。負の激情の共有は難しい。

「そう言えば来月の新商品可愛いですよね」

「あれね。去年も売っていたけど」

「そうなんですか。あれ、去年もファミマには足を踏み入れたはずだけどな……」

「わたしタオル一枚家にあるよ」

「本当ですか」ではそれを観賞したいのでお邪魔しても宜しいですかと訊き出す直前、暮沢さんの入店により阻まれた。結果として狙いの話題には怖気付いて入れなかった。

「人減っちゃって……」

 暮沢さんと伏見さんの内輪話からこの一言が漏れてきた。お客さん、減っているのか?如何にも一日目、二日目の盛況と比べるとレジの待機列は短いけど。これが単なる起伏か季節柄か他の理由か私には分からない。分からないままにしたいから小耳を遮蔽した。

 本日廃棄無し。爺さん在り。おじさんズを残してさようなら。

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