第6話

〈バイト四日目〉

 店に入る手前、煉瓦造の敷地から店員の体が辛うじて見えるのだが、そこに今日は知らない顔が二つある。それだけで九日前と同じ初心に立ち返り、入るかどうか迷う時間は稼げなかった。挨拶は後の方が良かろうと商品棚を挟み迂回して裏に入る。

「新しい人居ますね」主観でしかない感想を店長に分け与えると「あぁあの人は暮沢くれさわさん。社員だから分からないことあったら彼に訊いても良いよ」客観的事実を告げられる。店長以外の社員も現場に居るのか。一見した限り優しさと悲愴感を併せ持つ店長と違って、失敗する毎に舌で私の心を鞭打つような外貌だったけど。偏見の被害者は訴訟を求めて裏に姿を現した。

「あ、ゆずさんですね。こちらで働いております暮沢と申します。どうぞこれから宜しくお願いします」私が仕事仲間だと分かった彼は色白素肌、小粒の瞳、整った口髭を下地に、性格の良さそうな声と丁寧な物腰で挨拶を先行する。男性陣の身長は総じて百八十前後と高めで見上げることばかりだ。

「初めてましてゆずです。まだ三、四回目なので数多と失敗すると思いますが何卒っ」

「いえいえそんな。ゆずさん優秀だって聞いていますよ」

 それは虚辞と変わりないお世辞です。けど確かに店を血塗れにするような迷惑はまだ掛けていないかな。

 店長と暮沢さんが経営的な話を始めるのに合わせてレジへ。そこでまた新たな出逢いの歯車を廻す。

「お疲れ様です」初動を切り出すもののレジが並んでいたので一先ず客処理に追われる。うーむ、様式美的な始まりには至らないね。

「あれ、新しい子?」落ち着いた時点で向こうから尋ねて来た。

「はい、柏木ゆずと言います。以後お見知り置きを」

 レジの間隔を置いてお互い第一印象を作り上げていく。私の眼からは接しやすいように思えた。見た目については、身長は私から減算すれば八センチ、加算すれば三百十二にはなる程度、私同様髪を後ろで結束させて動物で喩える許可が降りるなら狐が相応しい。因みに店長は貧乏家庭の痩せ犬、川田さんはその番いに宛てがわれた雌犬、暮沢さんは人懐っこい秋田犬、何とかさんは気品あるペルシャ猫、ローラさんは野性味強い山猫、原田さんは近所のゴミを散らかす野良猫、うろ覚えの竹内さんはそこら辺の犬、高幡さんも犬、阿久津さんも犬といった所か。多様性に欠けるね。私は烏辺りかな。知的な公害だから。

「わたしは伏見ふしみ黒絵くろえ。何日目?」

「四日目くらいですね。一週間前が初めてで」

「もう結構慣れて来たって感じか。え、初バイト?」

「初です。高一なので。周りは既に色々やっている人居るんですけど」

「高校生か。忙しそう。大学生は本当自由に稼げるよ。夕方入る?平日のみ?」

「そうですね。大体五時から九時頃で、土日は基本的に入らないつもりですね」

「あぁそのペースが良いよ。時間を無駄にしないように。そういうことなら今後もシフト重なると思うから宜しく」

「はい、迷惑掛けちゃうと思いますが」

 ふむ、伏見さんか。独特の色に塗られた身持ちで喋りやすい。「いらっしゃいませー」「温めます?」「千円のお返しでーす」「有難うございましたー」この声も原田さんの刺のある草臥声とは異なる、必要最低限に省力した触りの良い質感。何より私を前に軽々言葉を連ねて行ける技術に特別感を覚えた。

「コロッケ一つ」油断していると新生の敵が登場した。確かコロッケは右側にあるゲンコツコロッケのことだったはず。客側に向けられた値札を透視して確信に変わる。隣のゲンコツメンチと見た限り双生児だから。トングで捕らえ下の紙袋で包みテープで止める。ソースは二種の内手前にある橙の包装とメモに書いてあるが、容器の中は銀世界。伏見さんに訊こうか迷うが客を相手中なのと私の見栄から断念した。もうこれでいいや。

「こちら温めますか?」先に聞くのを忘れていた。答えはイエス、テープを雑に剥がしてレンジの皿に放り出す。衣がポロポロ落ちているけど損害賠償は請求されないよね。温めは、えーと、忘れたから千五百ワットで十秒でいいか。爆発したらその時はその時だ。実際の熱量より温めしようとした事実が大切なのだよ。取り出すと重いソフトを複数立ち上げた時のパソコン程には熱くなったので、これで良かったのだなと事後的に学習しソース付きで渡した。

「ポークフランクください」こちらは単胎児なので一直線にトングが伸びた。しかし表面に輝く脂が滑って、ケースの中で一度落とす。危ない危ない。全身を抱き締めるようにそっと掴んで彼女用の白く細長い紙袋に仕舞う。ポークフランクとアメリカンドッグはお馴染みのケチャップ、マスタードの対を添付することになっており、私はそれを無事失念して単独で渡した。序でに温めも忘れた。一度にすべきことが多過ぎるのだよ。

「ポイントカードって今作れます?」ルーティンの「ポイントカードお作りしましょうか」に初めてはい、いいえ以外の応答がおばさんから返ってきた。誘導しておいて無責任だけど道が霞んで安全ではない。記憶では申込書的な物がこの近くに………………あった。これを渡すだけで良かったっけ。

「こちらを読んでもらって、自宅で登録……多分……になります」

「はいどうも。ポイントって今の会計から貯まっています?」

 都合の悪い質問が土足で蹴ってきた。知らないよ、どういう作りになっているかなんて。既に会計ボタンは押したけど店内のセンサーか何かでポイント光線が照射されているかもしれないではないか。

「えっと……大丈夫だと思います」取り敢えず激励の返事だけは送っておいた。

「ポイントカード?」するといつの間にか背後に居た川田さんがぎこちないやり取りを察する。今日居るのか。

「だったらそれ頂戴……あ、お持ちでしたか。こちらが入会のご案内となっておりまして、ウェブ上での登録かそちらのモッピーで今すぐ登録出来ますが、どう致します?」

「携帯で出来るんですよね。ならそれで良いです」

「畏まりました。こちら今日から貯められますので。お会計はまだですよね」

「もう終わりましたよ。その子『もうポイント付いています』って言ったんだけど」

「それは大変申し訳ございません。レシートお見せ頂けますか?改めてポイントお付けしますので」

 謝るとレジを素早く操作して私の失態を取り返す。隅で縮まりながら傍観する私。やっちまった。操作が完了すると客は過度に楯突くこと無く帰った。

「ポイントカードの作り方、覚えている?」

「はい……いや今改めて分かりました」

「そこの申込書を渡してモッピーかネットからの会員登録を案内する、ね。カードの有無は会計の前に聞いて。持ってないんだっけ?」

「いや持っています。でもすみません……」

 肯定と否定を入り混ぜる癖、何とかならんかね。間違え方が複雑だと言い訳がましく響いて心象悪い。兎に角会計前にポイント確認、肝に銘じた。

「支払いカードで」現金使いの中に異端が入り込んだ。マジック・ザ・ギャザリングのカードを出されても困るので「クレジットカードですか?すみませんがそれは利用出来なくて」断ると「じゃあスイカで」遂に来たか交通系。商品の個数、ポイントカードを確認した上で、失敗を許さない風格のあるレジ下画面「電子マネー」を押してみる。スイカ・パスモ、エーユーペイ、その他大勢が出てきたは良いが、恐怖が頂点に達したので独り身の伏見さんを向いた。

「すみません、スイカってこれで良いんでしたっけ……?」

「どれ。会計で、電子マネーで、スイカ、うんこれで。お客様金額ご確認の上、こちらの黒い画面にタッチお願いします」

 自然と代行を引き受けた伏見さんに詰め寄られる。電車内で隣り合うかの如く手近な距離に居る。正面にピントが合わないのだけど。

「レシートのお渡しです……こんな感じで」

「あ、有難うございます。頼りになります」

「頼りにして」

 次にやって来た交通系男子は私が合計金額を告げた後「チャージしてください。二千円で」客の立場を利用して私を苦しめてきた。それは先に言ってよ。仕方ないから「取消」キーでバーコードリーダーの努力を灰燼に帰し「現金チャージ」を押してみる。それらしき画面にはなるが複数の項目の扱いに悩む。そもそもチャージの仕方なんて教わったかしら。心理を反映した遅鈍さを晒していると、尋ねるまでなく伏見さんの補佐が入る。

「チャージ?幾ら?」

「二千円です」

「それで五千円のお預かりなら、上から順に『預かり金』に五千円、『チャージ金』に二千円を入力、『釣り金』が三千円になっていることを確認して『OK』を二回押す。『金額正しければ画面にタッチお願いします』お客様にも再確認してもらって、お釣りとレシートを渡せば完了。三千円のお返しになります。お支払いどちらになさいます?」

「そのままスイカで」

「畏まりました……って感じ。で、商品の読取は取り消す必要無いから。そのまま『現金チャージ』を押せばオーケー。分かった?会計は出来る?」

「分かりました。出来ます、大丈夫です」

 ただでさえ待たせている客に胸倉掴まれないよう同じ工程を倍速で早送りする。隣が店長その他の大人ではなくて良かった。指導されることに罪悪感が無い。

 最後にもう一人、面倒な客が来た。

「お会計千六百九十円になります。ポイントカードお持ちですか?」

「ディーポイントって使えます?」

「……いや、モンタカードのみですね」多分だけど。

「モンタカードか……あった、これ?はい」

「バーコード失礼します。ポイントはご利用ですか?」

「ポイント幾つ貯まっています?」

「えぇと……百五十三ポイントですね」

「じゃあ九十ポイント使ってください」

「畏まりました。九十ポイント利用しますので、会計変わって千六百円です。お支払いは現金ですか?」

「カードで」

「すみませんがカード使えなくて……」二回目なので自信有り。

「え……なら現金でいいです」

 以下手慣れてきた流れを構築しお望みの釣り銭を渡し、薄っぺらい紙を最後に彼との関わりは解消する。しかし彼はレシートを手に乗せたまま左の出口へ捌けて行かない。そんなに見られると照れるから止めて。だがその視線は私を蒼白の方向に染色するものだった。

「あれ、金額おかしくないですか?」

 一瞬にして汗が噴き出る。奥から響くフライヤーに滴らせば食材費の足しになる程。

「自分これ一つしか買ってないと思うんですけど、二つになっていますよね」

 見ると確かにミンティアの数が袋には一つしかないのに二点と表記されていた。間違えて二回読み込んだのか。

「あっ……え、えっと、どうしましょう…………」

 別に良いだろ百六円くらいとは言えず、客側ももう一個貰って行きますねと機転を効かせる素振りは無い。現金で多い額を返せば良いのか、いやポイント付与数が変わるからそうはいかないのか。不味いどうしよう。伏見さん助けて。

「あの、伏見さん!会計間違えちゃったんですけどどうすればいいですか……?」

 FFを揚げている所を構わず呼び込んで汚れた尻の前に立たせる。伏見さんは事情を理解するとよく分からない画面の項目を操作して、恐らく直前取引のキャンセルに取り掛かる。

「レシート見せてもらっていいですか?」川田さんに続き紙切れを奪取し正しい金額の打込みに入る。

「ポイント減ってない?大丈夫?」

「会計をキャンセルしたので、ポイント利用も自動的に取り消しになりますね。お手数ですがもう一度ポイントカードの提示宜しいですか?」

 私のせいで客は再びバッグから財布を広げる羽目になる。冗談抜きに申し訳なくなった。

「ポイントご利用ですか?」

「ん、いやもういいや」

「申し訳ございません。こちら差額の百六円のお返しと、正しいレシートのお渡しになりますね。またお越しくださいませー……」

「申し訳ありません!」私の謝罪には特に反応せず、再度レシートを眺めながら客は足早に店を出て行った。こんな面倒な事態に囚われるなんて運に恵まれない。客側の台詞だろうけど。客の反応がまだ常識的で助かった。それにこれが電子決済だったらどうなっていただろう。考えるだけでレジ打ちの手が震える。

「あの、今みたいに間違えた時ってどう操作すればいいんですか?」

「んー、わたしも完璧には把握してないから教えられないなぁ。柏木さん四日目でしょ。それより間違えないことを意識した方が良いよ」

「その通りですね。本当ごめんなさい……」

 伏見さんの配慮には頭が上がりません。

 廃棄の時間、今日はねぎトロ巻き二本と黒胡麻プリン一個を収穫出来た。伏見さんは十時まで働くらしいので私がこっそり持って行ってしまおう。助けてもらって何だけど。糖分で今日の過ちの傷を修繕しないといけないから。

「お先失礼します。ごめんなさい色々失敗しちゃって」

 その後は平和的な時間が九時へと誘い、暮沢さんと伏見さんのレジに向かって詫びと別れを告げる。今日は原田さんやらは来ないよう。

「いや上手く出来ている方だと思いますよゆずさん」

「わたしが入りたての時より上手いよ」

 二人が持ち上げるのを否定しようと「そんなことないです」言いながら「痛っ」レジに腰を打つける。ほらね、私ってこんなもんなのだ。

 裏には店長も川田さんも居らず一人反省会には適した空気が漂う。三百十二円のプリンだけは静かに鞄に入れ、情けない笑顔を残して出た。もっと頑張らないと。

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