第5話
〈バイト三日目〉
煙草の取り置きが無いのは稀で恵まれたケースであると、同じくコンビニバイトで魂を削る数少ない友達が教えてくれた。応募時点で全く考慮していなかったけどこれは運が良かった。店員と言い客層と言い、バイト選びの達人と呼んでくれて構わない。
三度連続でローラさんと何とかさんに迎えられ、店長からは「今日も宜しく」の御言葉を頂戴する。店長の付属品らしき川田さんは伺えず「今日はいらっしゃらないんですね」と浮かべた狭い世間話は余計と思い慎んだ。
「ローラさんと代わってあげて」定着するだろう流れに身を任せて「いらっしゃいませ」今日も接客から入る。結局客を待たせまいとしてローラさんに正式な交際の挨拶をする機会を失う。このすれ違いが続く限り別に良いか。
買い物籠に入った氷結百二十七円、冷凍チャーハン三百二十六円、ブラックガム九十五円、合計五百四十八円が税込で価値を認められ、受け取った有り余る千の数字をレジに打つ。もしここで数値を間違えたらレシートや現金管理はどうなるのだろう。ここだけは失敗を避けなければならない。
「四百、五十、二円、のお返しです」百円玉を四枚、五十円玉を一枚、一円玉を二枚手に取り一度に重ねて手渡す。これが意外と難しい。まずトレーに乗せれば済むと思っていたのに肌と肌の交わり、そしてこの硬貨の纏まりを維持する感覚。あぁっ、ちょっと崩れちゃった。手汗で保湿された硬貨を組み直す合間、客に痰を飛ばされないか焦りで保湿効果が促進される。皆これを平然とやってのけているのか。
「レシートのお渡しです。またお越しくださいませ」プリンターから嘔吐されたレシートは客に文字が正立するように渡す。三日前、生まれたままの志向を尊重して渡していたら川田さんに穏やかに注意された。誰も読んでないと思うけど。
次の客はカップ焼きそば二百十五円が二点、お茶の二リットルペットボトル百七十八円が二点、ポカリ五百ミリ百二十八円、ファンタメロンソーダ五百ミリ百三十六円、微糖缶コーヒー百二十円、モンブラン三百二十円、ミルクプリン二百四円、抹茶ケーキ三百七十八円、モナカアイス百十二円、「唐揚げ二個頂戴」注文が入り二百十六円が二点。こりゃ大変だぞ。まず「お会計二千六百十六円です」金額を伝え客が財布を漁る間に唐揚げを準備する。奥の古い物から取るよう言われたが地味に遠い上に支えの金属板が熱気漂って取り辛い。あっ、もう一万円札が構って欲しそうに私を見ている。盗難防止の為現金を長時間露出させるのは良くないらしいので中断し「お先にお預かりします。一万円のお預かりですね」語の重複に恐れを成さず、「お先に五千、六千、七千と」客の前では機能不全に至る指先を操り、「三百八十四円のお返しです」紙と金属を分別して返却する。同時に渡そうとしてこれまた注意された反省を活かす。そんなことより唐揚げをセットしなくては。
腕の関節を外す気分で箱を取り、裏返った蓋を一礼させてテープで彼女の自由を縛る。二つ用意したら今から袋詰め。客は余所見で早めの収容を待ち望んでいる。急いでLサイズを広げ大きい物から順に詰めるが二リットル二つで既に満杯だ。
「袋お分けしても宜しいでしようか?」初めて言う台詞ははいはいどうぞと寛容を得られ、もう一つに飲料、カップ麺、アイス、スイーツの順に投下する。
「唐揚げは一緒でも宜しいですか?」
冷凍物と熱い物は分けるのが原則らしいが三袋は迷惑と考えて伝え、これも了解された。度々質問して面倒と思われないか怖いけど。最後に箸一膳と使い捨てスプーン二つを忘れずに入れ、「お待たせしました」透明半球型のスイーツ容器が不恰好ながら何とか渡せた。ふぅ、神経使うぜ。
袋詰めの注意点としては商品を正しい向きで置くこと、重い物や固い物、大きい物を先に詰めること、M以上を中心として袋のサイズに余裕を持つこと、余りにバランスが悪ければ袋を分けること、一袋に収まるものの重量超過の場合は二枚重ねにすること等、臨機応変に対応する必要がある。傾けただけで形の崩壊し得るスイーツ系は特に手が震えた。この緊張感、客には分からないだろう。
とは言え一人レジも二日目となればその糸を並縫い出来る程には慣れた。文化祭委員にも何も参加しない消極的な私が不特定多数を前に話すこと自体案じていたが仕事となれば気にせず熟せる。購入商品が多いと、特にFFやカフェまで幅広い注文をされると動作の複雑化でパニック障害が発作するけど。
「お次でお待ちのお客様ー」
今度はブレンドコーヒーアイスの注文が入る。やり方は前回同様自信が無添加のままボタンを押し、それらしき商品が出来上がる。これが確信に変わるまで、乃ち客や店長に怒らない限り続けることにしよう。
「シロップある?」
「こちらにある……と思います」訊かれたので私の左側にある諸々揃った棚へ確かめながら促す。うん、ちゃんとあるね。丁度このレジ下にシロップやらシュガーやらの在庫があるみたいだけど、まだ必要ないかな。
さて待機列が解消された。普段客の入りはこんなものなのかな。私が来たせいで減ったりしていないよね。隣の何とかさんも手持ち無沙汰。話したい、話した方が良いとは思いながら下手な義務感と話が弾まない際の保険の為にまずメンバーの抜けたケースの唐揚げを整列させ、次に冷凍庫を開けアイス用カップの用意を見る。スペースに余裕があるから作ってみようか。
ちょっとすみません、掠れ声で何とかさんの後ろを失礼する。近距離の場面が多いと無反応がより痛々しい。氷とカップを取り出して水場の横に八個並べ少量ずつ氷を入れる、だっけ。わわ、零れそうになった。これまた慎重さを要する作業ですな。
「チェ……ぇぁらさん、今日は何時までです?」完成品を冷凍庫に仕舞いながら定型文を送る。
「キョウハハチジマデ」
「へぇ私は今日も九時」話している途中に客が助け舟を漕いで来てくれたので、手前のレジに近い私が担当する。客は初見の年齢層、高校生らしき制服の女子がサラダと裂けるチーズを提出してきた。考えていなかったけどこの地元では昔の知り合いに遭遇する可能性があるのか。この子は知らない子、よし。もし出会したら可動域限界まで首を傾けて避ける構図を取ろう。しかし若いオナゴと触れ合えるなんて良い環境じゃわい。あれ、何処かに危ない人が居たね。
また列が生まれ始めたので使い捨ての語らいは断たれた。次は競馬場沿いを歩いていそうな爺さんがワンカップを一つ置いてきた。
「あそこの駅が大変だろぉ」いきなり話しかけられた。うーんと、知り合いでも親戚でも時間旅行者でもないよね。この人が危険人物だったのか。一旦無視しよう。
「袋お入れしますか?」一度訊いても「本当なぁ」通じないので「あの、袋お入れしますか?」二度目で「……んぁ?いいよいいよ」意思疎通を果たす。百十円丁度をがま口財布から頼りなく取り出す。
「で、あの駅が全くよぉ」
「あぁ、あはは……レシートのお渡しでーす」独り言ではなさそうなので保身として破顔する。
「ぁあ、レシートいいよ」愉快の正負が分からないまま爺さんは店を出た。
「…………有難うございましたぁ」
「あのお客様常連さんなんだ。だから笑顔で、ね」
いつの間にか隣に来ていた店長が解説する。成る程、だが怪しい者ではないのだろうと察する。そうそうこの乾燥し切った砂漠模様の笑いよ。これが社会人の醍醐味なのだろう。
レジを続けていると買い物籠を持たざる者、されど未知なる紙資源を抱える客が現れた。
「すいません、この場所分かります?」
差し出されたのは恐らくこの通り周辺の地図。うわ、早速来たか対応力が試される状況。選りに選って私か。中学の同窓会にて店まで徒歩五分の所を二時間掛け、到着する頃には閉会済みで記念写真だけ一緒に撮ったこの私が案内して良いのですね。一応目的地を教えてもらうが知らない場所だ。
「うーんと、ちょっと知らないですね……合っているか分かりませんけど……」
たとえ空間を捻じ曲げる魔力であろうと力になりたい一心で言葉を紡いでいると、見兼ねた店長が来て代わりに案内してくれた。客は感謝を告げながら不買を掲げて出て行く。
「うん、じゃあ続けて」特に叱責はされず業務に戻る店長。これが店員とオーナーの差か。そういうことにしておこう。
時間になって「オツカレサマァ、ジャアネ」何とかさんは退店してしまった。今日はこの人と殆ど喋れなかった。というか誰とも腹を割って話せていないけど。バイトたるもの仕事終わりに食事へ誘われるのが一般的なのではないのか。新参者ならこんなものか、私が誘われないだけなのか。確かに深夜の外出は補導され得るし明日の学校もあるしシフトは各々違うから理には適うけど、待ち合わせするとか事前にシフトを合わせるとか方法は種々考えられるのに。まぁいいか、金さえ手に入れば。
「お疲れー」やる気のない原田さんが来ると同時に廃棄をお願いされ、商品達に次何を話すか相談する。横に客が来た時はチェックの二周目に入り時間を稼ぐ。彼に興味がある振りをすれば良いかと結論付け、本日廃棄無しの籠を戻す。未だに廃棄品を持ち帰れたことは無い。このシュークリームが無料で食べられたら最高なのに。
「今日は竹内さん居ないんですか?」レジに戻るや無言防止策を講じる。
「あー、最近来ないねあいつ」それは良かったのだか良くないのだか。何にせよ二人揃うと攻撃力が上昇する特性の方々なのでシフト違いに感謝です。
「他に働いている学生居ます?ここで」
「ひゃー!これ可愛い!後で絶対買お」
予備の話題はレジ横に置いてあった流行りらしき熊を模るマカロンで遮られる。これは私を亡き者とした独り言か、それとも共通性の図れない私へ送る話題提起か。
「お、可愛いですね」
勘違いを避けるとあなたのことではないですよ。この冗談は味が沁みるか疑わしかったので心に封じた。封じたせいでそれ以上話に空気を入れることが出来ない。熊好きなのですか。どんな熊が好きですか。熊掌食べたことありますか。人と動物って共存出来ると思いますか。私が生産出来る話題はこの辺りしかない。どれもそこら辺の原田さんには通じないのは自明に思えた。
「原田さんは何年くらいここで働いているんですか?」熊以上にどうでもいい内容を照準定めて放つ。
「……んーと、三年か」
はい、ここで終わる。形式張った話題しか振れなくて悪いね。けどそれはお互い様だろう。盛り上げてくれよ、はこっちの台詞なのだよ。
「あ、そういうのも廃棄あるんですか?」
文脈の無計画な工事で取ってつけた質問を拵える。「これ?」と指差す「それです」熊が無料なら魅力的かもしれないから。
「いやこういう高いのは滅多に無い」
「残念です。まだ廃棄持ち帰れたことないんですよ」
「あそう」
あれれ、廃棄物語はメタ的にも痴れ言なのかい。バイトの分際なら下らないことで高揚するものだと思っていたけど。
原田さんは溜息抜かしてレジに凭れ掛かる。無言とのお付き合いが始まる。私は別に良いのだけど。沈黙が苦にならない関係って理想的じゃない。つまり私達ではない。
「前陳やりまーす……」
という訳で一人の時間を充実させることにした。栄養剤倉庫に匿われればあら素敵この狭さ。陳列に空きのあるウイダーのエネルギーとリポビタンDを開封し一秒一秒噛み締めながら補充する。残り時間ここで消費出来ないだろうか。全く客より店員を相手にする方が数倍気苦労するよ。
何故私が完全一人勤務のバイトを選ばなかったか言うと、学校外での出会いに淡い期待を寄せていたから。同じ趣味、思想を持つ者と、いやそれが異なれどお互い認め合えるような者とご飯を食べに行きたい。今尚その希望は煌めく。この原田さんとだって半年後には体毛の数さえ把握し合った仲になるかもしれない。あとは同級生に交友の豊富さで上の立場に立てると思ったから。あわよくば恋人まで、出来たらよく喋る人間になると思います。
僅かな時間幻想に浸かったら、客が増え出したのでレジに集中した。夜の方が客は多く且つ酒を始めとして大量に買う傾向にあるようだ。多い時には二籠分、一万近い購入額で順々に袋詰めしないとレジスペースが足りない。慌ただしさのあまり熊の手でも借りたいが時間を忘却出来るのは好都合かもしれなかった。
「お疲れ様です……」九時になりやっと解放されると、裏におじさん三人衆が居た。一人は旧態依然の店長だが他には丸眼鏡を掛けて毛量豊か、気の良さそうな四十代風おじさんと、猫目で湿り気ある毛質、内蔵脂肪多めの三十代後半風おじさん。
「来た来た、ゆずさん」
「おぉ新しい子?」
「は、はい。柏木ゆずと申します!宜しくお願いします!」
「良いねぇ元気良くて!俺は
「高幡さん、阿久津さん。宜しくでふ!」
「うぃ、宜しくう」
無理矢理絞り出す生命力をしっかり味わってもらえ努力が報われる。
「高校生だっけ?何でここで働き始めたの?」
「えと、経験になるのと……あとはまぁお金貯めたいので」
「へぇしっかりしているねぇ!俺がガキん時なんて遊んでしかなかったぞ」
「俺も俺も。だって酒飲み歩いていたもん」
「あはははは」先程よりは潤いある半乾燥の笑みが零れる。
「阿久津さんそれ幾つの時です?」
「えぇ?十……五とか六だよ。昔はそれが当たり前だったの。ゆずちゃんなんかもそうじゃないの?」
「いえ、お酒はまだ未体験の世界でして……」
「えぇいいよ飲んじゃえよ。バレやしねぇんだから」
「ゆずちゃん、こういう大人になっちゃ駄目だよ」高幡さんの眼鏡が近寄る。
「「「がははははははは」」」私の鉤括弧は音高が違うので「ふへへへ」別に分けておきます。
「まぁいいんだよ自由で。色々経験しな。おじさん達がサポートしてあげるから」
この言い方には気持ち悪さなど微塵も感じず、年長者特有の温かみが肌から吸収された。おじさんで満たされた空間は意外にも居心地が良い。普段関わらない年齢層だからかな。このまま飲みに行っちゃいます?と誘いたいくらいだったがおじさんズもレジに向かい始めたので切り上げることにした。定時を三十分超えていた。
「お疲れ様!」レジ前を通りながら紅潮した小皺混じりの顔が私を見送ってくれる。夜の街灯に照らされたら、空気が美味しい帰り道。こういう出会いもあら素敵。
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