第4話

〈バイト二日目〉

 ゲームセンターのチロルやうまい棒が私であれば酔い止め無しには続かない回転に従うあの機械、何と言うのかは分からないけど、それを見つめて時を踏み躪る。これを差入れたら新人風情が馴れ馴れしいと一蹴されそうなので、もう少し風情ある土産を将来的には贈ることにした。そんな職場ではなさそうなことはもう分かったけど。しかしそれは年上の抱擁力のお陰で、同年代には煽り合いに矜持を抱く同級生の複製品が潜んでいるかもしれないけど。電車の中で振り返ったメモを忍ばせ、二種の緊張感を抱えながら、腕時計が十六時五十五分を表示したので店へ向かった。

「お疲れ様ですぅ」今日もローラさんと何とかさんが横並びで迎えてくれ、新要素は無しかなと入る裏部屋には旧要素の店長と川田さんが居た。挨拶も程々に、時間割とのアナロジーでギリギリとなってしまった到着を償うように急いで着替えて「じゃあ早速レジに入って」指示に従った。

「お疲れ様です……」客の相手に追われる二人に蚊の幼虫大の声を何故か繰り返す。えーとまずは手を洗って、棚の整理でもしようか。この甘ったれた考えを許さないビターな口当たりの店長がレジに現れた。

「ローラさんと代わってあげて。あと襟乱れているから整えて」

「あ、はい、すみません……」ちょっと、お客さんの前で恥を公示しないでくださいよ。店長の服装には……くそぅ粗が見当たらない。

「あ、レジ変わりますっ」

「はい、有難う」

「この前の復習ね。まず『いらっしゃいませ』で、商品のバーコード読み取って……」

 一度経験した動きに補佐付きにも関わらず、おーいお茶を倒して「あ、う、ごめんなさい」謝罪は何とか口から吐いた。四つの眼に凝視されるこの苦境。パーソナルスペースを侵されるだけでロボットダンスを踊れる体質なのに。

「大丈夫、ゆっくりで良いから」

 今後私の平凡な両手両足では計れない回数降り注ぐ文言はカットすることにした。次の客は言われた通りゆっくり丁寧にレジ袋に入れ、ゆっくり丁寧にお釣りを零し、それでも私は落ち着きを払う棒立ちを見せた。

「ゆずさん、こういう時は『申し訳ございません』だよ」

 声が出なかっただけなのは店長の眼から明らかのようだ。その後も落として踏んだレシートを裏返しで渡して誤魔化したり、野口を三回撫でてお釣りを出し渋ったりしたが、両手両足溢れる頃には動作パターンは身に付いて来た。

「そんな感じそんな感じ。ゆずさん覚え良いね」誰にでも売り与えてそうな正にコンビニ感覚の褒め言葉だと思ったが、そりゃ安い方が良いよね。

「今お客さん並んでいないからFF作ろう。ケースの中何が足りない?」

「……つくねとチキンの赤い奴が一個だけですね」

「じゃあレッド五個作ろうか。覚えている?」

「大丈夫だと、思います」まずは冷蔵庫を開けて、右上に材料が……んん、混沌としていて探し難い。これはコロッケ、これはメンチカツ、これは焼き鳥ももタレ、もも塩。あれ左側だったっけ。

「そっちは違うよ。あれ無い?」立ち位置を交換した店長は弄ると「あった、これね」右の奥から当事者の身柄を拘束した。物を取り出すことさえ出来ない自分にむしゃくしゃした私は、特に関係無く誤って袋の全てをフライヤーにぶち撒けた。

「あぁまぁ六個でも良いよ」

「すみません」も以下省略かと検討したけど、無礼者と勘違いされるのは癪なのですみませんが逐一お伝えします。それで温度は確か五分半。貼紙を確認してみて、うん合っている。スタートボタンポチっとな。

「じゃあまたレジ戻って、出来上がったら音が鳴るからショーケースに入れて。値札がズレないように気を付けて。この後も基本レジで、手が空いたらFFとかアイスのカップとか補充する感じでお願い。問題起きたら直ぐに呼んでね」

 言い残して店長は裏に引き返す。揚げ上がったら試食してもバレないかね。裏には監視モニターが四場面を映していたけどフライヤー付近は画面外だった気がする。それは辞職手前に後回しするとして陽が当たるレジ奥に戻った。

「セッター」

 一人で客を相手すること三番目、手ぶらのおっさんに耳慣れない単語を飛ばされた。

「…………はい?」

「セッター!」打ち返しても同じ球でスマッシュされる。新商品のドリンクか何かか?隣の何とかさん、いやこっちも名称不明だけど、彼女を向いても疑問顔で解決には至らなそう。

「少々お待ちください」殴られる前に早歩きで裏へ一飛び、「あのお客様の注文がよく分からないんですけど」眼の前に店長を召喚した。

「セッター無いの?」

「申し訳ございません、当店煙草は取り扱っておりませんでして……」

「えぇ無いの?何だよぉ」言いながらおっさんは諦めは良く燻んだベージュのジップパーカーを引き摺って退店する。あぁ煙草ね。思春期精神の最たる例ね。貶しちゃいないよと但し書き。私も似たような者だから。

「そう、うち煙草無いからもし言われたら今みたいに伝えて頂戴。一応表には書いてあるんだけどね」

 また何かあったら呼んで、と私から距離を置く。次身元不明の名が囁かれたら他を当たりやがれお客様と対応すれば良いのですね。

「カフェオレお願い」

 今度の手ぶらからは悪魔の商品名が聞こえた。

「申し訳ありません、当店では扱ってませんでして」コーヒー製造機の前でこれを言う勇気は流石に無かったので注文の運命を受け入れた。複数あるボタンが何を起こすか、前回メモ取るのに必死で注視出来なかった上に全てメモし切れてもいない。

 先にレジ打ちだけはしようとFFの項目をタッチしてみると飲み物達は顔を出してくれた。カフェオレを覗くとホットとアイスが並び、この時期は賭けをするには何とも微妙な気候だった。

「ホットにしますか?アイスにしますか?」

「アイスで」聞けた。聞けたまでは良いけど肝要の作り方が曖昧だ。確か下からこの氷入りカップを取り出して、ってそうだ、大きさ分かれているのだった。

「あ、えーと、サイズは何にしましょうか?」振り返って順序悪く問う。

「Sで」小さい方のカップを選び液体の滴下しそうな蛇口の下に置く。さぁどのボタンが爆薬に繋がっているか。何も押さない状態で光る一番下の二つが進む、戻る操作かな。お、当たり。ブレンドコーヒーホット、ブレンドコーヒーアイス、カフェオレホット、カフェオレアイスの四択クイズが出題されている。この三番目のボタンを押すだけで良いのか?お湯を入れるとか何とか言ってなかったっけ。このブレンドって何。コーヒーとミルクをブレンドしたってこと?普段飲まないからこのレベルの知識なのだけど。

「カフェオレってこれ押せば良いんでしたっけ?」隣人に窺う。

「エェー、ワカラナイ……」

 駄目だこの人は頼りにならない、しかし親近感が沸騰して好きだ、と割り切って切札のメモを開いて捲るが、ダージリンとミルクティーのことしか書いてない。再び店長を呼ぶのは申し訳ない。もういいや押しちゃえ。結果として、黒々しい人気者なコーヒーらしき彼女と白々しい愛想の無いミルクらしき彼女は濃密に交わり、最後にぷしゅうと熱を溶かしてパートナーシップを築いた。アイスなのに立ち上がった湯気を快くは思わないが、氷が無事なら良かろうとトレーに座標を変更し、蓋を隣に添える。

「お待たせしました……」

 客は会計を終えて疑い無くカップを持ち帰った。これで適当だったのだろうか。湯の欠如が濃味にしていないだろうか。クレームに引き返して来ないかこの時間不安を貯留する羽目になる。

 続いてホットコーヒーSの注文が入った。何で皆してバイト二日目の私に高度な注文を要求するのだ。えーとホットSはメモ曰く奥の白いカップを使うと。それで多分このブレンドとやらをタッチ……あ、間違えてアイス押しちゃった。不味い、でもこんな時の為に取り消す方法があったはず。何だ何だ、このボタンを長押し?あれ止まらない。もう駄目だ終わった。仕方なく注ぎ終わるのを待ち、新しいカップに熱々の正解を歓迎する。

 余り物の彼女はどうしようかと店長へ報告に向かう。

「あの、すみません。コーヒー間違えて作っちゃったんですけど……」

「あーじゃあそれ流しに捨てといて。落ち着いてやれば良いからね。最初の内は失敗して当然だから」

 さて最初だけで済むかな。私は時間経過で成長する主人公タイプではないのだよ。生から死まで延々と自己同一的に流れる人生。一年後にもボタンを間違えたら店長は何て言回しをするだろう。

 レジに向かう途中、忘れ去られたチキンに気付く。長らく放置した気がするけどまぁいいや、君らが主人公だと励ましてケースに陳列した。純真な客の皆、私みたいな店員には注意だぞ。私も昔明らかに廃棄寸前の肉饅買った経験あるしお互い様だよね。私と他人の二分法に則って。

 接客を続けていると「頑張れ。俺も昔コンビニバイトしていたんだよ」若いお兄さんがサンドイッチ片手に私に話し掛けてきた。うわぁこんな麗らかな心を持つ人が街に存在するのか。コンビニ店員たるもの二時間に一回は怒鳴られるのかと思っていたけど、意外と人情伴う場所なのかもしれない。

 今回レジをやってみて分かったことがある。それは店員は客が思う以上に購入商品を気に留めないということ。丁寧な袋詰めや計算に集中していて、この顔でチュッパチャップス買うのか等とは頭の隅も隅でしか考えない。私も嘗ては烏賊燻製を買う度に不相応に思われないか恐れたが杞憂に終わるので気にせず持って来てください。世界中のお客様へ。

「お疲れ様でーす」すると私より低い背丈、マッシュで丸顔の女性が気怠い声を撃ってきた。何とかさんも同様に撃たれ、対応に差は生まれない。

「あの人もバイトの方ですか?」

「ソウデス。原田ハラダサントイイマス。ワタシ↑クワシクナイケド」

「あとすみません、あなたの名前もう一度見せて貰っていいですか?」

彩華チェファトイイマス」

「あー、ちぇ、チェファさんですね。改めて私はゆずと言います。これから宜しくお願いします」そう言えばローラさんには挨拶し忘れていた。

「ユズチャンネ、ヨロシク↑デス」

 彼女は店長達と話したような学校や部活と言った脳死の話題だけでなく自家製の興味を私に向ける。

「ナンデコノアルバイトハジメタノ?」

「えーと、単純に貯金したいのと、あとは経験になると思いまして」嘘ではないよ。

「エライネ。ワタシハリュウガクノタメニ↑ハタライテル」

「うわぁ大変そうですね。海外から日本に来たってことですよね?」

「ウン、カンコクカラ」

 やはりこの人とは話しやすい。同じ時間にシフト組めたら良いな。

「この時間に入ることが多いんですか?」

「ソウネ、サイキンハダイタイユウガタ。タマニ↑アサモハタラキマス」

 安心材料確保が望めて未来は少し明るくなった。

 接客しつつ適当な雑談をする内に時刻は八時手前、店長から廃棄作業をお願いされた。結局本命の掃除やら前陳とやらは務めないまま終了しそうだ。学校のイベント事と違って楽な仕事を選り好み出来ないと。鮭おにぎり、梅おにぎり、昆布以下略、ツナマヨ、焼き鮭、牛カルビ、いくら、筋子、塩、納豆巻き、ねぎとろ以下略、河童、鉄火、レタスサンドイッチ、ハムサラダ以下略、ヒレカツ、フルーツ、ボンゴレパスタ、クリーム略、明太子、ペペロン、牛丼弁当、親子丼略、海藻サラダ、コーン略、オニオンをそれぞれ賞味期限を確かめて今日の日付の物を弾く。と言ってもサラダを一つ除去するに留まった。商品と睨み合うこの時間、本命に匹敵するかもしれない。

 戻ったレジにはえーと、まだ駄目だ、何とかさんが消えていた代わりに例の原田さんが来ていた。

「あの、柏木ゆずです。宜しくお願いします」

「あぁヨロシク」シンクの横で髪を梳かしながら低音の返事。

「大学生?」「いや高一です」「うわ、若」程度の応酬をしただけで話の拡げ方なんて分かるはずなかった。悟った態度でヘラヘラして、如何にもな大学生ではないか。こちとら精神年齢は老化しながら顔面パーツは快活に操作するような同類と握手したいのに。夜が更けるにつれレジが忙しくなるのを幸と捉え、レジ以上の距離を縮めることはしなかった。

 退勤時刻になり裏に行くと、既に消えていた原田さんと見知らぬ男が騒がしく話していた。店長は離席中のよう。

「お、新しい子?」

「はいそうです。柏木以下略」

「何年?何処通ってんの?」

「高一で、東京の高校通っています」

「えーじゃあ遠いじゃんここから」

 短髪茶髪、私より腕一本分は頭の位置が高いこれまた如何にもな彼は私を接客する。

「竹内、柏木さん狙ってんの?」「いや無い無いって。俺彼女居るし」「え、マジ?」

 あぁこういう話の流れね。理解するのは可能なものの、顔と声の操作が上手く行かず二人に任せる。すると私の不在時より歯切れの悪い会話が垂れる。ほら煙たがれる。

 これは一対一の時機を見計らうべきだなと、早々の退店を決断した。オニオンは原田さんの奥に隠れていたから遠慮した。

 ま、最初はこんなものかな。

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