第2話

〈バイト一日目〉

 二回目立ち入りの裏部屋は一昨日と同じく混沌とした内装で床には埃まみれのコードやケーブルが散らばっていた。机上部の棚では資料詰めのファイルが横一列と無作為を両立して並び、細長い筒状の容器や割れ物注意と警告する段ボールと隣接している。

「最初ってことでこれ研修用の札ね」

 九分割されたコマが犇めくモニターとキーボード付きのパソコンを前面とする椅子に座る店長が名札を手渡す。そう言えば店長の名前を聞き逃したなと思い店長の胸元を一瞥するがネームプレートらしき物は無い。よく見れば制服も店員と主に色彩が大幅に異なっている。店長は店長で呼称すればいいかと諦めて研修生と手書きで記されたプレートを両手で掴む。

「今はそれだけど研修期間終えたらちゃんとした名札あげるから。顔写真持って来てくれればぺたっと貼ってね」

 顔写真かふむふむと家から持参したメモ帳に列記する。しかし誰かと話しながら書き連ねるのは授業の板書と違って難しいし緊張が走るな。お蔭で文字が蛇行運転、違法運転も甚だしい。楔形文字みたいだ。

「で、そう。毎回出勤したら名札のバーコード通して、このパソコンのキー押してパスワード入力すればいいから。退勤も同じね。今は僕がやっちゃうけど」

 店長に再びカードを渡すと「こうやって、こう」マウスを操作して出退勤の方法を指導する。

「あとは……そうそう、一番大事なのがお酒」

「お酒ですか」

「お酒を購入する時は必ず年齢確認をしないといけないんだよ。未成年のお客さんに販売したら法律違反で店側が取り締まられちゃうの。昔成人と詐称したお客さんに年齢確認しないでそのまま売っちゃった店舗があってさ。結構厳しい処罰受けたらしいよ」

 私はさっき交通違反しましたという会話の種は枯らせよう。

「だから二十歳超えているかどうか微妙だったらお客さんに身分証を見せてもらうんだ。『身分証のご提示お願いします』って。見た目で明らかに分かればパネルタッチだけで大丈夫だけど」

「成る程」お酒の年齢確認、身分証、と。今覚えていてもその内うっかり忘れるかもしれないからね。メモは大事、社会で言われることです。

「今話すことはそれかなぁ……じゃあレジ行こうか」

「あ、レジですか」もう外界に出てしまうのか。あわよくばこの裏部屋で二時間分の時給を稼ぐつもりだったのに現実は甘くない。

「その前に着替えだね。制服はロッカーの中。新しいのが上にあるから取って使っていいよ」

 え、まさかこの場で脱衣するのか闇に乗じてと悪寒を患うけど、件の制服を頂戴すると前止めのファスナーが装備されていて何だ上から羽織るんだと安心する。客として購買する時は服装の細部まで詮索していなかったから、上裸の上に着用するものだと勘違いしていたけどそんなはずなかった。

「今は問題無いけどこれからも下は長ズボンで来て。目立たない黒色とかが良いと思う」教鞭を執りつつ店長と私は通路を大股で抜ける。念の為ズボン穿いてきて良かった。

 外に出ても狭い店内の道を店長の後に続き、レジカウンター横のミニ扉を通過する。当然だけどレジには店員が付いている。

彩華チェファさん、ローラさん、この子新人の子」

「アア、オハヨーゴザイ↑マス」「おはようございます」「おはよご、ざいますっ」三択クイズどれが私でしょう。正解はお客さんを待たせてしまうから後にするとして、二十四時間営業の職業ではゆっくり挨拶する暇も無いようだ。二人は列を成す客を一人一人バーコードリーダー片手に処理している。手前のアクセントが逸脱した女の人は少しもたついているけど。私より年上、韓国系の、見る限り女子大生。一方奥の東南アジア系と身勝手に判断した女性は滑らかな動作で客に応じている。こちらは少々年増。それにしても国際色豊かなコンビニだ。私が幼い頃の店員は日本人ばかりだった。時代の流れを感じます。

「二人の後ろで見学しつつ教えていくから」

 会計の行動範囲から外れた銀色の水道設備にて起立状態で説明を承る。そうかこのバイトは基本的にずっと立っているのだ。足が浮腫んだりしないか不安になってきた。

「中に入ったらまず最初に手を洗う」店長が蛇口を捻って手本を見せる。

「そこのキッチンペーパーで水気を切って、これ。アルコール消毒ね。やってみて」

「はい」言われた通り水道代の加算に加担し、あぁ手が清められるぅと安価な御利益を授かる心地で洗浄し終えた。

「綺麗に出来たらコーヒーメーカーの所行こうか」

 そう言う店長は私をお供にして二つの背中を避けつつ店入口側の角に移動する。カウンターで買い物籠を抱えピッピピッピする三つ編みさんを含めて、一平方メートル程の狭所の割に偏屈な人口密度を誇るようになった。耳元で鳴る店内の雰囲気に私特有の呼吸を滲み加えてしまわないか隅で危惧しながら、店長の講義主導に頭を回す。

「コーヒーメーカーは画面見れば分かると思うけどブレンド、カフェラテ等と種類があるのね。この右側のボタンを押せばページを変えられて、お客さんから注文された商品の隣をタッチすれば下からじゃーと出てくる。で止める時は左側のボタンを二回押すと停止する……お、丁度今注文入ったから見本見せるよ」

 客の発声を聞き取った店長は丸型体形さんに合図して付近の棚よりカップを取り、「ホットコーヒーだからこの場所」と言って操作した。約二十秒間注ぎ込み、ぷしゅーという煙と音がした後、会計スペース横のトレーに満杯のカップと黒い蓋をセットする。

「こんな感じで淹れます」

「蓋は閉めなくていいんですか?」

「あぁそれはやらなくていいよ。砂糖とかクリームとか入れる人が多いでしょ。態々閉めると面倒に思う人も居るから、そのままポンと置けばオーケー」

「成る程」

「で、このコーヒーメーカーで一番注意して欲しいのはカップのサイズ。SMLで色が分かれているからちゃんと見て淹れるように。これを間違えると飲み物の代金そのまま損失になっちゃって不味いんだ」

「分かりました」メモメモ。

「あと間違えやすいのはダージリンティーとミルクティーかな。ダージリンはお湯を二回入れてミルクティーはお湯を一回、その後ホットミルクを入れる。これ覚えている人少ないんだよ。滅多に頼む人いないから僕も時々忘れちゃうんだけど」気作な笑みを浮かべる店長。自作の苦笑いを打ち返す私。このように形式上和やかな私達は次に元居たシンク側へと方向転換し、コピー機らしき重厚な機械が設置された台の下に屈んだ。店長はその表面の窪んだ取手を掴み、扉を開ける。すると中には縦横に連立した透明なカップと袋詰めの氷が収納されており、冷凍庫の役割を担う設備である様子が見受けられた。

「ホットは今の感じでやってもらえれば良いんだけど、アイスには事前にやることがあります。この中見れば分かるけど、ほら容器に氷が入っているよね。この氷入りカップを沢山作って冷やしておかないといけない。お客さんが注文した時に無い状況が無いように。じゃ今試しに作ろう」

「あ、はい」

 言の葉を交わした私達は水場へ復帰し、振り回したらそこの財布を漁る客にクリーンヒットしそうなほど細長いケースを壁際のスチール棚からゲットしてその包みを開封した。ビニールを引っ張るとプラスチック製の容れ物が大人数で顔を出し、店長は大所帯から数個厳選して流しの横に取り置く。次に冷凍庫から用意した氷のパックを手腕の熱と力で解しハサミで袋の角を切除した後、カップに八分の五杯ほど注いだ。

「最初は少なめに入れて後で均等になるよう調整しよう。じゃあ、はい」

 店長より伝授された氷袋とその極意を胸に、規模が角砂糖の氷山の一角を客の飲み込む液体の為に散りばめる。予想以上の容器の軽量感にあたふたしながらも、別途であった蓋を被せる工程まで目立った難無く達成した。

「出来たら溶けない内に冷凍庫に戻そう。溶けた状態で凍らせると氷が固まってストローが刺さらなくなっちゃうから。仕舞い終えたらFF行こうか」

 要求通りカップを両手を賭して運搬し、突然誘われたロールプレイングゲームに出向く。しかし嗾けたのはテレビの前ではなくレンジの前だった。同時にチキンやポークフランクが幽閉された機械の後ろだった。成る程、ファストフードの略称ね。

「これ。これがFFコーナー。唐揚げやチキンがあったり、今は焼き鳥がセール中だったりするね。ゆずちゃんは知っている?食べたことある?」

「あー、あります。結構あります」別の店のなら。

「こういうのも店員が作るんだ。やり方はまたあっちで」

 忙しなく行き来するレジ裏通り、見覚えのある人影が菓子棚から見切れ「あ、川田かわださんにやってもらおうかな」店長は言うとその人を呼んだ。店長と同年代風、一昨日その優しげな性格を遺憾なく出陳した女性は「おはよう、ゆずちゃん!」内輪に送るのが勿体無いような持ち前であろうスマイルで対面してきた。これには冷血女の私も「おはよご、ざいますっ」と温かい日本語を返さざるを得ない。表面上には現れないだけで。

「今日が二回目だよねえ?」

「そうです」

「ねぇ川田さん、ゆずさんにFFの作り方教えてあげて」

「え、もうFF行っていいの?」

「ゆずさんすぐ覚えてくれるから早く教えた方が良いかなって」

「へえぇ、凄いねえ」

「い、いえいえ私なんて」

「確かに頭良さそうな感じするもん」

「いえいえいえ」三者面談に挟まれた後、一人が店裏へ去った。バトンタッチされた女性はシンクの奥に移る。

「この前言ってなかったけど、あたし川田って言うから宜しくね」

「宜しくお願いします。あ、私はゆずです」

「ゆずちゃん。可愛い名前だよね」

「それは私本体に可愛気が無いということですか?」の挑戦状は「ゆずちゃんも可愛いし」の一言により「そんな、あなたの方がお綺麗ですよ」の常套句で未遂に終息した。

「わぁ嬉しいこと言ってくれるじゃない。褒め上手なんだから」

 媚び諂いを肴にした私達は脂肪の原料の作成に嘗試する。

「じゃあ今からFFの揚げ方教えるね。と言っても簡単だしゆずちゃんなら大丈夫だと思うけど」

 新人贔屓なのか私をこの店で一番値の張る商品くらい高く買う女性は、水場の向かいに佇まう本格的な業務用冷蔵庫に手を掛け戸板を晒した。

「よいっしょ。この冷蔵庫の中にはFFの材料が入っています。上は冷蔵で下は冷凍。今少ないのは……チキンか」

 売り場を覗き見て売り物と比べると随分色褪せた如何にもな冷凍食品を開封し、真横の壁で磔にされたポスターを指す。

「ここに表が貼ってあるでしょう。ファミチキ五分半、醤油チキンも五分半、唐揚げ串三分、つくね串はレンジで加熱してから三十秒揚げるとかって。基本的にこの表に従って揚げればオーケーだから。そしたらチキンを四個フライヤーに入れてみて」

 油っこい贈り物をプラスチック越しに貰い受け、コンビニの食糧事情の重圧が私の左右の手に築かれる。得意料理としてお茶漬けを挙げる私が見ず知らずの人間の胃袋を左右するのだ。食中毒沙汰になってあのにこやかな店長が法廷に立つ情景を想像すると身震いする。だけど大方経営問題として処理させるだろうから私は無罪だわ、と思って責任を投げ棄てるように鶏肉を投入した。フライヤーの下には時間設定のパネルがあり、五分三十秒の所をポチっと押した途端、じゅわぁ、いや、じゅりゅりゅじゅりゅじゅわぁという油脂の合唱曲が開演した。音の形容に関しては妥協を許さない。

 ピーという音が鳴るまでの時間を持て余していると、女性が指令を下してきた。

「今回はチキンだからそのままショーケースに入れてもらえればいいんだけど、唐揚げなんかの場合は容れ物が要るから予め作っておくの。棚の上に容れ物の原型があるからやってみよう。序でに唐揚げも揚げちゃおうか」

 という訳でもう一つのフライヤーを活用して鶏の亡骸を釜茹での刑に処す。奏者が増えたのを確かめて唐揚げ収容器の組み立てに挑む。けどありゃ、思ったより難しいぞ。

「ふふふ、それ意外と難しいでしょう?」

「そうですね……慣れれば簡単そうですけど」矮小なプライドをフライドさせないため、意思の交信に香辛料で味付けする為の一箭双雕の疎通を産んだ。

「まずは端っこを圧迫して、開けたカップの底を指でこうやって押すと、見栄え良く広がるよ」

 呻吟する私に女性は朱夏の先輩風を吹かせて儀範を実演講習してくれる。

「成る程」口先の納得を形ある物にすべく不自由工作に再戦を申す。が、悪戦苦闘の科程に変貌は無かった。

「すみません、中々綺麗に出来なくて……」

「いいよいいよ。こういうのはやってく内に慣れるものだからさ」

 手先の梲の低迷を励まされ、若干の苦渋が出没した。時を同じく、英字で前から十六番目の発音に似た知らせが神出の如く鬼没した。

「揚がったら一旦トングでトレーに移して五個ずつパックに入れよう」「はい」

 銀の器に刺さったトングを手に持ち、入れるだけなら楽勝ですなと油断して一つ釣り上げようとした時「あわっ」つるんとトングの先端が滑り、唐揚げが落下した。「大丈夫っ?」「だ、大丈夫です……」零れ球は何とか運良くフライヤーの内部に収まって、一命を取り留める。ピサの斜塔だと勘違いしないでくれと唐揚げに転嫁したいけど、ここで商品を毀損するのは新参者として印象を悪くしてしまうと誠実さを取り戻し、唐揚げも引き揚げた。

 女性の看守する前、私は終に唐揚げパックを市販と謳えるまで再現した。零から主にプレッシャーの汗水付着させて作った揚げ物は大層美味だろうと期待しても食べるのは客だからなと機械的な心を宿して、「後ろ通りまーす」レジカウンター中央のFFショーケースにそれぞれ展示した。トレーとトングを片付け、これで飲食系は終わりなのか否かと女性に次に控えた仕事を求める。

「うんオーケー。FFはこんな感じ。えっと、コーヒーの淹れ方は習った?」

「はい、やりました」

「よし。だったら他に教えるべきなのは…………ゴミ処理かな。やった?」

「いや、やってないと思います」

「ならそれをやろうか。丁度良い時間だし」

 女性は呟くと、十年以上は誕生に遅れを取っているだろうレジで慌ただしく動く彼女を動かなくなった隙に呼び掛けた。

「彩華さんこの子にゴミ処理教えてくれる?あたしレジ代わるから」

「ゴミショ↑リデスカ。ワカリマシター」

 こちらを振り返り了解する彼女はレジのポジションを離れ、女性と入れ替わるように私の手前に立つ。彼女の名前は、あぁ、うぅ、分からない。正直聞き取れなかった。名札を見れば分かるだろうけどじろじろ胸元を見るのはちょっとアレだ。まぁいいや。何とかなるでしょう。

「コッチキテク↑ダサイ」

 奇特な抑揚を残して何とかさんと一緒にレジを出た。

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