23、ガインベルトの実習
「――君はシブーとしての資質がない……だってさ! いくらなんでもあの言い方はないだろ? カヒィもどうして黙ってるんだ」
昼休憩、リフはエシルバと歩きながら愚痴をこぼした。役人食堂はだいたい12時ごろが大混雑。日替わり弁当を買うだけで30分も待った。この時点でカヒィは別行動だったわけだが、2人とも彼の行方は知らなかった。とにかくさわがしい食堂を後にして、爽やかな風が浴びられる使節団屯所のテラスに駆け込んだ。
2人して汗かいた胸元をパタパタあおっていると、ポリンチェロがテラスをのぞいた。
「カヒィ見なかった?」
「逆に聞きたいよ」
リフはリスみたいに口をもごもごさせながら言った。エシルバはリフ、ポリンチェロを見て首を振った。
「そう、あなたたちも知らないのね」
「なにか用?」
エシルバは聞いた。
「急用じゃないから……大丈夫。また後で彼に話す」
諦めて立ち去ろうとした彼女をリフが呼び止めた。
「呼んでみるよ」
「呼ぶって?」
ポリンチェロは目を見開いた。
リフは手すりに身を乗り出して、やまびこでもするように叫んだ。
「おーい! カヒィ。ポリンチェロが呼んでるぜ」
勢いよく空気を吸い込み、第2弾の雄たけびを上げようとした時、リフの頭上からヌッとカヒィの顔が突然現れた。心臓に悪いったらありゃしない。顔だけが伸びている不気味な絵ずらに3人は思わずよろけた。カヒィはテラスの2階部分にいたのだ。
「なんの用?」
「驚かすなよ! ポリンチェロが君に話したいことがあるってさ。どうしてそんな所にいるわけ?」
リフは手をメガホン代わりにして声を張った。そうしている間に一本のはしごが下ろされた。「来いよ」カヒィが手招いた。
エシルバが真っ先にはしごをよじ登ると、カヒィが狭い通路の向こう側に案内してくれた。そこは広々とした部屋で、妙に機械臭さが鼻を刺す研究室っぽい所だった。テーブルには基板やドライバーがあふれ、ボードには数式が書かれている。人体模型や奇妙ながらくたが壁に立てかけてあり、中央の椅子には巨大なクマの縫いぐるみが置かれていた。
「勝手に入っていいの?」
遅れてやってきたリフが顔を険しくした。
「問題ない。僕の研究室だから」
エシルバとリフは顔を見合わせて素晴らしさのあまり笑みをこぼした。
「ここが、君の?」
エシルバは口元を押さえた。
「使節団員が屯所の中に部屋を持てるのは階級が上のシブーにしか許されていないというのに」
ポリンチェロは制服についたほこりを払いながら言った。
「本当だよ。この研究室は僕がシブーになるための交換条件でもらったものだ」
「じゃあつまり、君は天才科学者で、シクワ=ロゲンからスカウトされたわけか。この数式も、すべて君が書いたの? 俺には宇宙語にしか見えないよ」
リフは壁際のボードにぎっしり書かれた意味不明な数式を指さした。
「簡単な数式だ」
カヒィの言葉に3人とも顔がひきつった。
「どうしてシブーに?」
エシルバは尋ねた。
「俺も知りたい」
カヒィは口をつぐんでボードを眺めた。
「僕の夢は発明家になることだ。身近な人が喜んでくれるものを生み出したい。身近な人の喜びは、世界の喜びに通ずる。僕が尊敬する人の言葉だ。もちろん発明家になりたくてこの道に進んだわけじゃない。シブーになることには、それ以上の意味があると思ったからだ」
「意味?」
エシルバは言った。
「僕には僕の。エシルバにはエシルバの意味がある。リフ、ポリンチェロにも」
カヒィは自分に呼び掛けるように言った。
「ここには数式よりも難しい問題がたくさんある。僕はそれを解きにきたんだ。母さんはこう言った。シブーなんてものになるよりも、よっぽど普通に学校に通って教授にでもなった方がいいってね。でも僕はシブーになることを選んだ。母さんとはけんか別れみたいになっちゃったけど」
「君の気持ち、分かる気がする」
エシルバの言葉にカヒィは少しだけ笑った。
「あぁ、それと。君のことだから心配ご無用だと思うけど、ジュビオが言ってたことはあんま気にすんなよ。あいつは失礼なやつだからさ」
カヒィははっと顔を上げて否定するようにリフを見返した。
「気にしてるように見えた?」
3人が同時にうなずいたのでカヒィはシュンとしおれた。
「だって、あんな失礼なこと直接言われて黙っているなんて」
リフは眉を大きく上下させた。カヒィはそれでも自分が傷ついたとは思わせまいと平静を装ったが、誰が見ても落ち着きがなかった。
「まいったな」カヒィは頭をかいた。「僕には志も努力するだけの根気もある。でも、色がない。どうしようもないんだ。生まれつきこうだし、自分の努力では変えられないことだってある」
カヒィはおもむろにガインベルトを腰から外すと、分解して中にある基板を取り出した。基板の中央には一点の曇りもない透明な石が収まっていた。あまりの透明度にエシルバたちは目がくぎづけになった。そう、これがカヒィのボネルバン石なのだ。
「本当に無色透明だ」
リフは感動した様子で言葉を漏らした。
「びっくりしたよ、採石の儀式で自分がどんな色なのか楽しみにして待っていたら、でてきたのがこの色だ! オウネイに聞いても見たことがない色だっていうし、正直驚いたね」
カヒィは隠し事を白状でもしたみたいに胸をなでおろし、クマの縫いぐるみに沈み込んだ。
「きれいな石」
ポリンチェロがぽーっとしながら言うので、カヒィはまるで自分のことのように顔を赤くしてさらに深く沈み込んだ。エシルバもリフも透明な彼の石をじっと見つめて時間が過ぎるのも忘れていた。しばらくしてカヒィがガインベルトのデザイン板を閉じ、きれいな石は見えなくなった。
「カヒィ」
ポリンチェロが目をしっかり見て言った。
「な、なに?」
「変える必要なんて、どこにもないじゃない」
カヒィはギュッと自分の胸を押さえ、どぎまぎしながら見返した。「え、え?」
エシルバとリフはでれでれするカヒィを白い目で見たが、彼は完全に自分の世界だった。
「あなたはこのままでいいのよ」
数分後、カヒィのマシンガントークを聞かされながらエシルバとリフは廊下を歩いていた。ポリンチェロが去ってから、彼は分かりやすく元気になっていた。
「――それで、東キャンバロフォーンのポーリエヌ川沿いにある街には、郷土料理で有名な魚の酢漬けってのがあるんだ。それがまた、忘れられない味で……」
郷土話にカヒィが夢中になっていると、ちょうど同じ実習室へ向かうアーガネル、ポリンチェロとすれ違った。彼女は軽く手を振ってくれたが、別にカヒィに向けられた特別な好意でもなんでもないはずだ。それなのに、カヒィは自分だけに彼女が手を振ってくれたと勘違いしているようだった。
「好きなの?」
ついにリフが立ち止まった。エシルバはリフをぐいっと引っ張って彼にだけ聞こえる声でこう言った。「聞くまでもない」
カヒィは目を満月のように丸め、顔をこわばらせた。彼は口を無一文に結ぶと、2人を置いて廊下を突っ走っていった。
さて、午後に訪れた実習室にはエシルバとリフがびりけつで入った。ルバーグの時よりも静かで無駄なしゃべり声すら聞こえない時間だった。団員たちがシーンとした中で待っていると、入り口から足早にシィーダーが入って来た。
「ガインベルトは一番扱いが難しい道具だ。どんなに手慣れたプロでも扱いを誤れば命を落とすこともある。師弟関係が決まるまでは、私がガインベルトの初歩を教えよう。練習だからと言って手を抜くやつは、私が教えるにも値しない者と判断しよう」
シィーダーは無機質な機械の腕を腰に添え、眉一つピクリとも動かさずに言った。トロベム屋敷でカップ片手にくつろいでいた人間とは百八十度違う人物のように思われた。
「カヒィは?」
リフはエシルバに耳打ちしたが、彼の姿はどこにも見当たらない。
「なぜ離れている」
シィーダーは部屋の隅を見て言った。全員が同じ方向を見ると、カヒィが1人ポツンと立っていた。視線に気づいたのか手を振ってくれたが、なぜか鼻にはティッシュの栓が突き刺さっていた。シィーダーはスタスタ歩いてカヒィの腕を引っ張りながら出口に連れていった。
「鼻血が出まして、ちょっとここで頭を冷やしているんです」
「医務室に行け」
「いえ、このくらい大丈夫です。鼻血は日常茶飯事ですから」
カヒィはじんわりと染みわたる鼻栓を刺したままエシルバとリフの間に立つことになった。2人はジェスチャーで医務室に行くよう説得したが、彼は石造のように動かず実習は再開した。エシルバは鼻血がまったくでないタイプだったので、彼が隣で平然と立っていられることには心底驚いた。
「このベルトはうまく使えば非常に役立つ。いろいろな機能が備わっていて、跳躍力補助促進機能、水面歩行機能、空中歩行機能、ブユ波、ブユシールド……難易度はバラバラだが、われわれの体内にあるブユエネルギーをブユパワーに変換して使うのが主な役目だ」
シィーダーが話の途中で「質問は?」と聞くも誰も何も言わなかった。
30分程度ガインベルトについて説明された後、実際に少しだけその効果を体感してみることになった。シィーダーは巨大な四角い箱を動かして、いきなり「よし、この上に飛び乗ってみるんだ」と言った。
「少し助走をつけた方がいいよね」
エシルバは隣の隣にいるリフに聞いた。
「どうだろう、天井に頭突っ込んじゃうかも」
「そんなに高く?」
「さて、最初に試してみたい者は?」
誰も手を挙げない中、カヒィがぴんと手を上げた。シィーダーは「またお前か」とでも言いたげな様子で頭を抱えたが、やがて指をパチンと鳴らして彼を前に手招いた。
「ワイヤーにつるされているような感覚で踏み込むんだ」
シィーダーからイメージを伝授されたカヒィは深呼吸して、走り出した。彼の体は軽々と重力すら感じさせずに浮かび上がった。見えない糸につるされでもしているようだ。場内がざわめき、誰もが宙に軽々と浮かび上がったカヒィの行方を目で追っていた。
「やった! ほぉ!」
カヒィは万歳して喜んだが、そのはずみで鼻栓がピョーンとロケットみたいに飛び出した。笑いの渦が巻き起こったかと思うと、足がつかぬまま四角い箱を通り過ぎて床に転倒した。
「着地まで気を抜くな!」
カヒィが腰をさすりながらむっくり起き上がり「ヘヘッ」と笑ったところで歓声が起こった。なにせガインベルトを実際に使う場面を初めて見たのだ! シブーに一度でも憧れたことがある人間なら興奮しないはずがない。
そんな中、ルシカと続きポリンチェロの番がやってきた。彼女は何やらウリーンに話し掛けられてから前に出た。彼女は助走からジャンプ、着地までをミスなく決めた。非の打ちどころがない仕上がりだったので、ウリーンは悔しそうに歯をくいしばっていた。
エシルバの番がやってきた。みんなと同じように1、2、3、と大きく踏み込んで4歩目で思いきりジャンプした。体はいつもの重さをまったく感じず、着地も苦痛ではなかった。空を飛んでいるような感覚に、エシルバは感動して周りが拍手している音も聞こえなかった。
「見ろよ、あんな高い所にいるぜ!」
下で手を振るリフが随分と小さく見えた。
「すごい! どうしたらそんなに高く飛べるんだ?」
カヒィが叫んでいる。
エシルバは最初、みんな何を騒いでいるのかさっぱり分からなかった。見ると、いつの間にか目標の箱を大きくはみ出して巨大な棚の上に着地していたのだ。
「私はこの箱の上に飛び乗れと指示した。下りてこい」
エシルバはそれどころではなかった。そう、怖くて下りられないのだ。
シィーダーがエシルバの所まで飛んで来て、担がれたまま下りることになった。恥ずかしいのやらうれしいのやらで顔が熱くなって視線のやり場に困った。
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