24、ポリンチェロのすてきな道具
それから数日間は屯所の中で講習会ばかりだった。バドル銃とガインベルトの魅力にどっぷりと浸かったエシルバは実習を心待ちにしていたが、しばらくはさせてもらえそうになかった。講習会では毎度のように「シクワ=ロゲン規則」だとか「全六書」「言語」「歴史」などお堅い内容を頭の中に詰め込まなければならなかった。特に、ブルワスタック語はまるで宇宙人の言葉を聞いているような気さえした。
三大必需品の扱いだけを学べばいいということではなく、広い分野の知識を習得しなければいけないということなのだろう。エシルバとリフにとって勉強は苦手意識がつきまとったが、カヒィは心の底から楽しんでいるようだった。
彼はしょっちゅう講義中に追い出された。講義の先生に「なぜ?」としつこく質問攻めにして困らせるからだ。大変口が達者で悪く言えば屁理屈男、良く言えば探求心ある真面目君といったところだ。ついでに言うと、鼻血もよく出した。彼が言うにはもともと鼻が弱く、ひどい時には週1回のペースでティッシュが手放せないのだとか。
ある晩、エシルバは蛙里に暮らすユリフスたちに電話をかけた。近況報告をし、大変ではあるが楽しいこともあると伝えると、叔父さんたちは電話越しに安心した声を響かせた。それから、手紙だけで別れを告げた親友のアルにも事情を説明した。
エシルバが真実を話すと、彼はショックを受けたのか、驚いたのか、しばらく言葉を失っていた。それでも、エシルバは時間をかけて誠意を尽くし、自分がどうしてシブーになったのかを話した。
すると、アルは笑ってくれた。
目には見えない。けれど、声色だけで、アルが今どんな顔をしているのかがエシルバには分かった。随分と長電話した後、お互い次会う日まで楽しみにしていると言って電話を切った。
通勤電車の中でニュースを見ていたときのことだ。大きなリュックを背負った水壁師見習いのポリンチェロとバッタリ会った。
「おはよう、3人とも」
「おはよう」
カヒィが一番乗りで言った。
「いつも一緒なのね」
「うん、まあね。君は? いつも1人だけど」
今のは余計な一言だった、とリフは途中で気付いて口をつぐんだ。使節団の中でもポリンチェロと同い年の女の子はウリーンしかいない。ウリーンはジュビオレノークと同じ類の人間で、お金持ちな上嫌味で権力志向というプライドが高いところがある。エシルバから見ても、平和主義で優しそうなポリンチェロとの馬が合うとはとても思えなかった。そう言った意味では気の置ける女の子の友達は、つくりづらいのかもしれない。
ポリンチェロはリフの言葉にちっとも腹を立てず、それどころか無駄に気張りもしなかった。「1人も悪くない。仕事は楽しいもの」
「ポリンチェロ、えぇと、あの」
言いたいことをよく整理してから話せばよかった。エシルバは後悔しつつ次に何を言おうかと頭をフル回転させた。
「すごい荷物だね!」
エシルバは言ってから、なんの脈絡もない話になったと肩を落とした。
「私……今日から水壁師の役人講習会に参加するの。それで必要な物を取り寄せたんだけど、こんなに重くて嫌になっちゃう」
「へぇ、なに入ってるの?」
リフが興味津々で言った。
「水壁師の三大必需品」
3人は気難しく眉をひそめた。
「ほら、シブーにも三大必需品ってあるじゃない。あれと同じ原理で、水壁師にも水壁師協会が認定した道具が三つあるの」
3人は彼女の言う三大必需品が何なのか気になったので、屯所に着いてから見せてもらう約束をした。早朝の時間帯は屯所の中もひどく静かで、4人はそろそろと人気のないサロンに駆け込んだ。
「じゃあ、始めるわね」
ポリンチェロは目の前のテーブルにリュックを載せて言った。中には(正直3人にとってはどうでもいい内容の)本や、ブルワスタック語で書かれたパンフレット、謎の衣装、ステッキ、アクセサリー、とにかくたくさんの物が入っていた。
ポリンチェロはステッキとブレスレット、奇妙な筒のようなものを持った。
「これが私の三大必需品。シファブレスレット、ゴーチステッキ、遊水タンクよ」
「どうやって使うの?」リフはまたしても眉をひそめた。「エシルバ、知ってる?」
「ウーン、さっぱり」
「ってことはポリンチェロ、君はシブーの三大必需品も合わせて六つも道具を持ってるってことなのか」カヒィは首を長くして驚いた。
「そういうこと。水壁師っていうのは、水を操る技術者なの。海の中にあるブルワスタック王国は彼らがいて成り立っている。使い方は簡単」
そう言うと、ポリンチェロは自信満々にブレスレットを左手に装着した。それから右手にステッキを持って水の入ったタンクを前に置いた。
「心を落ち着かせて……」
ポリンチェロは深呼吸をしてからステッキをわずかに動かした。すると、たちまちタンクの中の水が宙に浮かび、4人の頭上でドーム状に膜を張った。
3人はそろって感嘆の声を上げ、出来たての水壁をじっくり観察して指でつついた。水というより石の壁みたいに堅かったので、3人は終始大興奮だった。
「君は天才だ!」
カヒィは言った。
「ありがとう。私、ぜんぜんなの」
突然の破裂音が4人をドキリとさせた。力をなくした水壁がただの水に戻って4人にバシャーン! と降り注いだ。水にぬれたせいでカヒィの髪はわかめ状になり、リフはツンツン感がまるでないカプセルみたいになった。
「ごめんなさい! うまくいくと思ったんだけど……」
ポリンチェロは申し訳なさそうに頭を抱えた。
「さっきの音は?」
エシルバは首をかしげた。
ずぶぬれ4人組みが音のした方に走っていくと、洗面所から声がした。
「水道管が破裂していますな」
「修理業者を呼びましょうか」
何やら使節団のエレクンと長身の老人が話している。エレクンはシハン代理に当たるパナロンの称号を持った偉いメンバーの一人だ。ボコッとへこんだ鼻筋が特徴的で、長く伸ばした髪を一つにまとめ、前髪はきれいなセンター分けをしている。
「あの人、誰? あの老人」
「ここの管理人、パージンゴップだよ」
エシルバの問いにリフが教えてくれた。
コソコソ話しているとポリンチェロがずぶぬれのまま前に出た。
「おやおや、どうされましたか?」
パージンゴップはしわがれた優しい声で尋ねた。彼は痩せて身長がひょろりと高く、上品な生地の服に身を包んでいる。鼻の筋には大きなほくろがあり、目が悪いのか丸く小さな眼鏡を掛けている。
「水道管、壊したのは私なんです。すぐ近くでステッキの練習をしていて、間違えた力のかけ方をしてしまったんです。そしたら水道管が……」彼女はおずおずと申し出た。
「屯所内での実習は禁止されている。アーガネルに教えてもらっただろう」
エレクンが困ったように言うので、たまらずエシルバたちも前に出た。
「屯所内で練習をしようと提案したのは僕とこの2人です」
カヒィは順番にエシルバ、リフを見て言った。とんでもないぬれぎぬだとリフが目をひんむき、エシルバはややあってうなずいた。
「水壁師の三大必需品がどういうものなのか、知りたくて彼女にお願いしたのは僕らなんです。水道管の修理費ならなんとかします」
びしょぬれの4人を見たエレクンは状況を察したのか、小さなため息をついてから「着替えてきなさい。以後気を付けるように」と言った。
「そうだ、エシルバ。今日の仕事が終わったら私の事務所まで来てもらえませんか?」
パージンゴップの呼び掛けにエシルバは快く答えた。「もちろんです」
着替えた4人はそれぞれタオルを持ってぬれた部屋の掃除に取り掛かった。リフは不服そうにしていたが、エシルバもカヒィも文句一つ言わずに手を動かしていた。一方、ポリンチェロは水にぬれた書類を見つけて肩を落とした。
「さっきは……ごめんなさい」
「気にしないで」
エシルバは言った。
「お互い様」
カヒィはしぼった雑巾をふざけてリフに投げつけながら言った。これにはリフも応戦。
「次はあんな失敗しない」
「失敗しない生き方を教えてやろうか?」
カヒィはふとニヤッと笑って雑巾をバケツに放り込み、眉をひそめる彼女に向かってこう言った。
「なにもしなければいい」
「俺たちはクマの縫いぐるみじゃないんだぜ?」
リフはおかしそうに笑い転げたが、カヒィは真剣に彼女の目を見ていた。
「なにもしなければいいというより、挑戦しなければいいってこと。そうすれば大した失敗なんてしない。簡単だ」カヒィは真面目なのかふざけているのかよく分からない口調ですらすら言った。「まぁ、さっきのは単に場所が悪かっただけさ」
「その通り」
エシルバは手をたたいた。
「でも、ポリンチェロ。君は嫌だろ? 失敗はつきものだ。これは例え話なんだけど、よほど重要でない失敗に関して言えば、友達感覚で付き合えばいいさ」
ここでまたリフがクスッと笑った。
「こいつは天才博士だけど乙女心は解けないらしい」
カヒィはリフを無視して続けた。
「成功だけが最高の友達なんてありえない。失敗だって僕らを支えているんだ。いつか成功した時に分かるよ、全ては無駄ではないとね」
「カヒィ、君は随分と大人なんだね」エシルバは感心して言った。「よかったね、ポリンチェロ。困った時はこの大先生が相談に乗ってくれるってさ」
エシルバは期待を込めて大先生の肩をポンとたたいた。
ポリンチェロは水壁師になるためアーガネルの下で仕事を教えてもらっているそうだ。なんでも水壁師と名乗るには鬼のように難しい国家試験に合格しなければならないという。アーガネルのような使節団の専属水壁師ともなれば、1級の資格に加え6年もの実務経験が必要になる。
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