15、憧れのシブーと初飛行

 黄金色のロラッチャーには「センクオード」という名前があるのだと、乗船後にアムレイが教えてくれた。船内はメタリックな材質の床や天井で覆われていて、窓はごく普通のガラスだった。


 エシルバはコックピットの座席でしばらく空を眺めていた。何をしていてもアソワール叔父さんたちの顔が浮かび、空に浮かぶ雲でさえユリフスの笑顔に見えた。エシルバは気を緩めることなく3人の様子をうかがっていたが、今のところ怪しげな行動は一切見られない。数時間の観察で分かったのは、彼らが仕事熱心な役人気質ということくらいだった。


 2時間後、座り疲れて立ち上がると、靴裏から出た砂が床の中にスーっと消えるのを目撃した。驚きは好奇心に変わり、わざとかかとを床にトントンと押しつけて砂を落としてみた。すると――砂はまた消えてなくなった。床は変わらずピカピカのままだ。


 エシルバは爪先立ちで驚いていると、操縦席に座るジグがおかしそうにクスッと笑っていた。

「面白い床だろう? 自動で掃除をしてくれるんだけど、たまにごみじゃない物ものみ込むから気を付けた方がいい」

 彼は憎たらしげに床を見下ろした。

「ところで、初飛行はどうだい? 君の心が少しでも晴れるならスリリングな操縦にしても構わないよ」


 蛙里で重々しい話をしていたジグとはまるで別人で、今の彼は気さくなパイロットだ。気持ちの切り替えが上手なのだろうか。とにかく、エシルバの方はまだ緊張が抜け切らなかった。


「これがいい……ここはどこなの?」

 エシルバはぼんやりと遠くの空を見て言った。


「キャンバロフォーン上空だよ」

「聞いたことがある」

「鉄木の群れさ。天井を見てごらん」


 エシルバは言われた通り視線を上に向けた。ドーム状の天井には、三大界の世界地図が描かれていた。三大界というのは、三つに大分された世界のことだ。アマク(大地)界、トロレル(地底)界、ブルワスタック(海底)界――それぞれに一つの国がある。

 エシルバはコックピットから果てしないキャンバロフォーンを眺め、やがて1カ所に白い何かが密集していることに気付いた。


「あれはなに?」

「ヒブロ=アエフタという住居だよ」

「あんな木の高い所にあるんだ」


 エシルバは自分でもジグの会話に乗っていることに驚いたが、肝心の彼はすっかりリラックスした様子だった。

 飛行中のセンクオードは間もなく、ヒブロ=アエフタが密集する地区の真上を通過しようとしていた。やがて、船体は宙に浮いた赤い看板を通り越した。《この先住居密集地! 30バイヤまで速度落とせ》ジグはスピードメーターをチラリと見た。


「あなたは、あの2人とは違うんでしょう?」エシルバはこっそり聞いてみた。「僕、あなたのことを知っているよ。だって、すごく有名だもの」


「それはうれしいね。僕はシクワ=ロゲン使節団の団員。君の保護を言いつかった用心棒だ。そして彼らは雇われた特別監視官。護衛のプロさ。彼らと僕の違いは所属する母体が違うということだ」


「でも、どういうことなの? みんな、あなたのことをもう死んだ人だと思っているのに」

「ちょうど10年くらい前に――自ら辞職したのさ。酷いけがをしてね――手や足はもげたし、首もパックリと……でも、ある医師が僕の体をつなげてくれた。本当はもう、死んでいるはずだったんだ」


 想像すると体中がゾワゾワするので、エシルバはあまり考えないことにした。


「あなたは――叔父さんのことを知っていたの?」

「ジグでいいよ」そう言うと、彼は遠い目で流れる景色を見た。

「もちろん。カリィパム夫人のこともね」

「叔母さんも?」

 ジグは笑顔でうなずいた。

「もう随分と前だけどね、初めて会ったのは、君の両親がロッフルタフで式を挙げた時だった。自分の姉が愛する人と結ばれ、新しい人生のスタートを送れることを、誇りに思っていたし、心の底から喜んでいた。あの時の笑顔は、今でも忘れられない。大きな式だったよ。身内だけでやるはずが、式場の外にまで恐ろしい人だかりができて……あんな素晴らしい式を挙げられるのは、あの2人の他に誰もいない。愛だよ。深い愛にあふれていたんだ」


 そんな話を聞いているうちに、エシルバは心の中がじんわりと温まっていくのを感じていた。


「こんな話、聞けるとは思わなかった」エシルバは言った。「ありがとう」

「君に感謝されるほど、僕は立派な人間ではないさ」

「親がどんな人間だろうと、知れてうれしいんだ。親と子どもっていうのは――そういうものでしょう?」

 エシルバがジグの顔を見ると、彼は遅れて返事をした。

「そうかもしれないね。子どもというのは……親を探し求めている。知らなければ、知りたいと思うよ……」

「ねぇ、ジグは使節団に戻れて良かったと思ってる?」


 突然の質問に、ジグは参ったと言わんばかりに笑った。


「あぁ。大樹堂は僕の家みたいな所だからね」

「僕のために戻ってきたって――」

 ジグはエシルバのぎこちない顔を見て、穏やかな目になった。


「君が責任を感じることは全くないんだよ、これっぽっちも」


 その言葉にエシルバはとても安心した。


「むしろ、こんなにしてやってるのにと、恩を押し売りするような輩には気をつけるべきだ。そんな連中に君はペコペコと頭を下げるようなことをしてはいけない。その逆もまたしかり。素直に感じた感謝の気持ちを忘れてはいけない。偉大なシブーが皆謙虚であり続けたように」


 そんなふうに言う大人を、エシルバは初めて見た。これまで抱いたことのない感情が湧き起こり、ジグ|コーカイスという人間味が垣間見えるような気がした。

「ジグも偉大なシブーだよ。つらいことがたくさんあったはずなのに、それでも前を向いて、また同じ場所に戻った。そうでしょう? 普通の人ならうんざりして戻りたいとは思わないもの」


「まさか、会ったばかりの君にここまで心に響くことを言われるとは」ジグは驚いた。「しかし、さっき言ったことは本当だよ。君が責任を感じる必要はない。僕は自分の意志で戻って来たんだから」


 言葉の隅々から、ジグがエシルバの気持ちを和らげようと気遣ってくれていることが伝わってくる。


「ジグが家だって言えるほどの場所なんだね……大樹堂って」

「あんなことが起こった場所ではあるけど、大樹堂は僕らの素晴らしい職場だよ。シクワ=ロゲンの総本部、アマクの中心と言ってもいいくらいだ。今から君が行くところさ。楽しみにしておいで。きっと、君の予想と期待をはるかに上回る規模だからね」


「着いたら、まず何をするの?」

「君がこれから暮らす街――シクワ=ロゲン郷に案内しよう。使節団のメンバーはそこに暮らしている」

 エシルバは少し緊張して唇をかんだ。

「大丈夫、使節団のメンバーは事情を知っているからね」

「アバロンのことも……?」

「もちろん。それに、君の年齢に近い子たちも最近入団したばかりだから、気の合う友達の1人や2人できるかもしれない」

 同い年くらいの団員がいるというのには正直驚いた。

「そうそう、そこの棚に大樹堂祭のパンフレットがあるから、予習がてら目を通しておくといいよ。大樹堂内の構造がわかりやすくのっているからね」

「大樹堂祭?」


 エシルバはクルリと部屋の棚に向いて、適当に並んだ雑誌やら本に注目した。棚のなかはゴチャゴチャで、まるで整理整頓されていなかった。だが、幸い探すのには苦労しなかった。一つだけとび出た灰色の厚紙に「第22回大樹堂祭パンフレット=役人用=」と書かれてあったからだ。さっそく三つ折りになったパンフレットを開いてみる……


 あれ? なんだろう――この紙きれは?


 パンフレットには3枚の紙切れが挟まっていた。


 ――シクワ=ロゲン祭の歴史――

 10年に1度開催されるこの祭りは、3大界のより強い結束と平和を維持することを目的として、およそ200年前のシクワ=ロゲン結成以前に始まったとされています。平和の象徴といわれる「銀の卵」を、三大界のいずれかの国が保持し、10年たって次のシクワ=ロゲン祭が開催される時に違う国へと譲り渡すのです。また、開催地権は10年ごとに別の国に移行されます。


~委員急募のお知らせ~

 本年はわがアマク国がシクワ=ロゲン祭の開催国となりました。当日は相当の混雑が予想されますので、特別警備委員会を設立します。委員に立候補の方は、5月7日まで左記部署に「大樹堂郵便」で名前と部署をお知らせください。採用の合否は1週間以内に郵送にてお知らせいたします。皆さまのご応募お待ちしております。

                     ~18階 大樹堂祭運営委員会~

ジグへ 

 ゴイヤ=テブロの使い方が未だにわからなくて、大樹堂郵便を使ったよ。君に会わせたい人がいるんだ。君の大ファンらしい。名前は――だったかなぁ? 至急! 都合のいい日を教えてほしい。

                     シューベルト

 ジグが3枚のうち、シューベルトの手紙を急いで取り外した。エシルバは手紙をすでに読み終えていた。あのかすれた文字は誰のことを言っているのだろう? そう思った。ジグの様子を見たところ、何か触れられたくない部分があるらしい。エシルバは広げたパンフレットに目を通した。地下45階から地上118階までわたって詳細説明のついた大樹堂内の地図がのっている。


 ――大集会場に地下の町、役人食堂と図書室、それから大浴場まで――。まるで一つの町だ。エシルバは、パンフレットの文字を読むだけでカルチャーショックを受けた気分だった。パンフレットに目がくぎ付けになっていると――「うーん……」ジオノワーセンがうんと気持ちよさそうに背伸びした。


 こちらもアソワール叔父さんたちと話し込んでいた時とはえらい印象が違い、すっかり気が抜けた様子だった。エシルバはそんな彼らを見ているうちに「なんだ、普通の人と変わらないじゃないか」と妙にホッとした。


 窓の外では同じ景色が流れていた。変化があるといえば、渡り鳥が北の方角に飛んでいくか、小型船がすれ違うくらいのものだった。さっき見かけた住宅地も今となってはごま粒ほどの大きさだ。船内では静かな時が流れていた。眠気を振り払ったジオノワーセンは操縦席の傍らに立った。


「そろそろ交代だ」

「まだ大丈夫だよ。君たちは簡単に朝食を済ませるといい」


 簡単な朝食は、文字通り手間いらずのものだった。作り方はカップの中に入っている乾麺に熱湯を注ぐだけ。3分待って、出来上がり。簡単なのに頰が垂れるほどに美味だった。エシルバは最後の汁まで飲み干して完食した。


 ジグが操縦席を離れたのは7時間も後のことだった。すさまじい集中力である。彼は運転中ガムをかみ続け、席を外したところで銀紙に吐き出した。それから急におなかがすいていたことを思い出したのか、カップ麺3個をペロリと平らげた。後の操縦は、待ちわびていたジオノワーセンが担当した。


 ジグはカップを片手に「三大界の歩き方」を読んでいた。エシルバはふと窓の外に目をやった。そこで気になったことが口からポロリと漏れた。


「この船はどうやって浮いているの?」

「ブユエネルギー。僕たちの文明発展には欠かせないエネルギーだよ。目には見えないけどね。ブユエネルギーなら、僕ら全員が持っている。もちろん君も。僕らは人間であるのと同時に、ブユ=ブーでもあるのさ」


「ブユ=ブー?」エシルバはつぶやいた。


「そう。星の力をもった者、という意味。なにも特別なことじゃない。みんな、ブユ=ブーだから。森の中にすむリスやオオカミ、小さな虫たちも……みんなブユエネルギーを体の中に宿している。でも、ほとんどの生き物は持っているだけで、使えないんだ」

「へぇ」と思わず声が出た。


「最初に活用したのが僕ら人間だ。そうすれば当然、エネルギーを悪用した戦争が起こってしまう。それを防ぐために、唯一エネルギーを変換して力に変える道具を与えられたのがシブーなのさ」


 ジグがエシルバの隣に腰を下ろした。憧れのシブーが自分の隣に座っているなんて、考えても素晴らしいことだった。そんな彼は今、真っ赤なソグサの実を手でむいている。酸味のある香りが広がり、エシルバは思わず喉を鳴らした。ジグはソグサの実を一切れ口に含み、強烈に酸っぱそうな顔をした。


「さて、僕は少し眠るよ」


 ジグはゴロンと背を向けた。エシルバがふとアムレイを見ると、彼もまた口をすぼめていた。不思議な話ではあるが、この3人と同じ空間にいるのは苦じゃなかった。

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