第3章 シブーになる

16、シクワ=ロゲン郷

 目的地のロッフルタフに到着したのは予定よりも1時間早かった。

光り輝く建築物の光は街の区画をくっきりと浮かび上がらせている。中心部にはひときわ巨大な塀やドームが建ち並び、その白い壁は都市全体の明かりにぼんやりと照らされている。ロッフルタフは実に美しく設計された都市であった。


 エシルバは自分の荷物を早急にまとめ、アムレイたちについてロッフルタフ第一ターミナル構内に出た。


「シクワ=ロゲン郷には電車一本で一飛びだ」

 ジグは足を運びながら口早に言った。


 蛙里では考えられない量の人が行き交うので、ぶつからないように注意しなければならなかった。7番ホームに着くと到着のメロディーが流れ、エシルバは空中で静止している長細い電車を見上げた。


「ロッフルタフ名物の空電。一度上空で静止してからゆっくり下りてくる動作が珍しいらしくて、ファンの間ではかなり有名だよ」

 そう言うジグは、すっかり見慣れているようだった。


 車内はぎゅうぎゅう詰めだったので、エシルバたちは割り込んで入るしかなかった。ジグはセンクオードを出てからずっと外套を目深にかぶったままだった。エシルバははっとして周囲を見たが、ジグの存在に気付いている人はいない。そりゃあそうか、まさか死んだはずのジグがいるなんてみんな考えるはずがない。


 電車はフワッと上がり空を走り出した。途中、食堂車付きの優雅な列車とすれ違ったことには驚いた。(中にいるのはいかにも富裕層らしき客たちだった)


 しばらく電車に揺られていると今度は到着を知らせるメロディーが鳴り、電車はライド=ボークス駅に到着した。この駅で降りる人はあまりいなかったが、降りた人を見るとみんな黒い役人の制服を身にまとっていた。《ようこそシクワ=ロゲン郷へ》という掲示板が出迎えてくれた。


「おい! 気を付けろ!」

 感じの悪い怒声と同時に女の子が派手に倒れ込んだ。


「大丈夫?」

 エシルバは散らばった彼女の荷物を拾った。

「人が多過ぎて、びっくりだよね。君もここには来たばかりなの?」


「そうなの。ごめんなさい……私の眼鏡どこかしら?」

 エシルバはフラフラする彼女の足元に落ちていた丸眼鏡を渡した。


「どうぞ」

「ありがとう」


 女の子は眼鏡を掛けてお礼を言った。サラサラした艶のある髪が腰まで伸びていて、太くゆるやかな眉は優しそうな雰囲気だ。

「すごく目が悪いの。これがないと生きていけない。あぁ、そうだ! 私、道に迷ってしまったの。トロベム屋敷がどこにあるのか分からなくて。この駅からしばらく歩いて行くみたいなんだけど」


 そこへアムレイが現れた。


「迷子か。ここは普通の子どもが来ていい所ではない」

「トロベム屋敷に用があるんだって」エシルバは言った。

 アムレイは眉をひそめた。「名前は?」


「その子はうちに入る子だ」ジグが言った。


「知ってるの?」

 ジオノワーセンが驚いた。


「あぁ……知ってる」

 ジグは言うと空中にデータを浮かべた。

「新しい団員の名簿を預かっている」


 ジグは名簿を見てから女の子にほほ笑みかけた。


「ポリンチェロ|モンドン。10歳。ブルワスタック出身、だね?」


 女の子はポカーンと口を開けてその場に立ちつくし、ジグのことを見ていた。きっと驚いているのだろうと思い、エシルバは頼まれてもいないのにこう説明していた。

「彼はジグだよ! ジグ|コーカイス。生きていたんだ!」

 ポリンチェロは両手で口を押さえた。


「本当なの?」

「うん、本当だよ」 


 まだ理解が追いついていないらしく、ポリンチェロは目をしばたいた。


「僕らと同じ行き先だし、ついておいで」

 ジグは軽やかな足取りで郷へと続く道を歩き始めた。


「行こう」

 エシルバは言った。

「あなた、お名前は?」


「えっと……エシルバ。エシルバ|スー」


 ポリンチェロは一拍おいて目をパチクリさせた。

「もしかして、本当に? あのゴドランの……」


 ほらきた、とエシルバは自分からそっぽを向いて追及を逃れた。背を向けて歩きだしたころには彼女が何か言いたげに口ごもるのが分かったが、自分から聞くのは怖かった。


「ねぇ……待って」


 ポリンチェロの声が聞こえたが、エシルバは振り返らなかった。

 一行は立派な門をくぐり抜けた。そこはなだらかな丘の上にいくつもの屋敷が立ち並ぶ場所だった。都会の喧騒から離れ、屋敷の明かりが幻想的に郷全体を照らしている。小さな橋、小川、ため池、林まであった。


「三つの丘があるのが見えるかい?」

 急にジグが立ち止まって言った。

「うん、見える」

 エシルバは答えた。

「真ん中の丘に立っているのがトロベム屋敷。それじゃあ――行こうか」


 トロベム屋敷は近くで見れば見るほど立派で、真新しい感じのする三階建ての建物だった。

「さぁ、どうぞ。今日からここが君たちの家だ」

 アムレイは言ってエントランス内の扉を手で示し、エシルバに開けるよう勧めてくれた。なんだか妙に緊張したが勇気を出して扉を開けた。


 扉の先に広がっていたのはアマクの守護者スワシとレシン(二つの頭を持った獣)の像が出迎えるロビーで、球体ランプの鈍い光が照らしていた。これにはポリンチェロも感激したようで、目をビー玉みたいにキラキラさせていた。


「管理人を呼んでくるよ」


 ジオノワーセンはなぜか笑みを浮かべて言い、奥へ去っていった。そわそわしながら待っていると、壁みたいな男が出てきた。とにかく彼の背が高いことといったら、天井のランプが頭にぶつかるほど。それに、横幅も相撲取りのように広い。エシルバは最初、大きな塗り壁が歩いて来たのかと思った。男の後ろから歩くわたあめみたいな犬がやってきて、エシルバの周りをうれしそうに走った。


「バイセル!」

 男は低い声で犬を呼びつけると、団子鼻のすぐ下にある黒豆大のほくろを笑顔でゆがませながら、ジグを目にした途端「ジーーーグ!」と親しげに手を広げ、うれし涙をこぼした。

「まさか、本当に生きていたとは! 顔も大して変わっとらん……こりゃあどういうことだ。何年も音信不通で――どれだけ心配したと思ってるんだ」

「ブルウンド、長い間待たせたね。君がこの仕事を辞めていやしないかと思っていたんだけど、相変わらず元気にやってるじゃないか!」


「みんな、ジグのことを知らないの?」

 エシルバは驚いた。

「実を言うと、そうなんだ。つまり、僕も君と一緒のタイミングでスタートを切るわけさ」

 と、ジグはお茶目にウインクした。


「ブルウンド、お待ちかねのお客さんだよ。エシルバだ」

 ブルウンドはエシルバをようやく発見したのか、それきり石のように固まった。

「おっと――こちらが主役だった! お前さんがエシルバか……今日は泣かせにかかる奴が多すぎらぁ……」

 ブルウンドは感情任せにエシルバを抱きしめ、あやうく窒息させるところだと気付いたのか途中で離れた。


「すまん、ワーなりのあいさつなんだが、いつも煙たがられる。しかし、こりゃあ驚いた。ゴドランそっくりじゃないか。思わずタイムスリップしたのかと思った。お世辞じゃない」

「エシルバ|スーです。これからお世話になります」

 エシルバはドギマギしながら言った。


「よろしく」ブルウンドはにっこり笑った。「ワーはこの屋敷の管理人で、使節団の専属料理人。こうして面と向かって話せる日が来るなんて、思ってもみなかった。話が急なだけに、ここまで大変だったろうに。叔母さんは元気か? 待てよ、あの人がよく了承したもんだ」


 エシルバが返答に困っていると、ジグがすかさず前に出て彼に耳打ちした。なにを話したのか分からなかったが、明らかにブルウンドの顔色が悪くなった。彼はせき払いしてまた話し始めた。


「そちらのお嬢さんは……」

「彼女はポリンチェロ。エシルバと同時期に入ることになった子だよ」


 ジグが紹介すると、ポリンチェロはブルウンドにペコリと頭を下げた。


「よろしくな、お嬢ちゃん。この屋敷は建て替えたばかりできれいなのが売りだ。隣の屋敷なんてもう100年以上補修もしてないもんで、雨漏りだらけだとさ。おかげで湿ったカビ臭いベッドで寝なくて済むわけだ、良かったな。さぁ、ここでずっと話していてもあれだろう、屋敷の中を案内して……っと、その前にうちの連中に会ってくれ。まだ全員はそろってないがな」


 エシルバたちはブルウンドに案内されて大廊下を歩いた。

 通されたのはダイニングだった。長テーブルが並んだ広めの空間で、カウンター越しにキッチンが見えた。奥では男女の使用人が皿洗いなど後片付けに追われていて、エシルバたちを見るなり軽い会釈をしてくれた。


 ブルウンドはまたドアを開けた。今度はリビングで、テーブルや椅子、座り心地の良さそうなソファのある空間だった。なにより驚いたのは、何人もの初めて見る顔が並んでいたことだった。


 エシルバはこれまでで一番緊張し、顔を引きつらせて唾を飲み込んだ。奥ではエシルバと同い年くらいの子たちがはしゃぎ回っていた。既に完成されているコミュニティーの圧倒的空気感を肌身に感じた途端、回れ右をして帰りたい気分になった。


「新しい団員が到着したぞ」

 ブルウンドがエシルバの肩に手をポンと置いた。


「コック! お待ちかねしておりましたぞ」

 明らかに酔いつぶれと思われる男が1人、派手にソファから立ち上がり陽気な声を響かせた。鳥の巣みたいにもっさりした彼の髪は、落ち着いた暗めの色をしていた。

「エーニヒィ! 顔が真っ赤になってるぞ」ブルウンドは眉をひそめながらエシルバにこうささやいた。「陽気者でな、酒に弱いんだ」


 エーニヒィはグラスを高く上げてそのままソファに突っ伏しいびきをかき始めた。

 すぐ隣で「ゴホン!」とせき払いする声が聞こえ、眼鏡を掛けた男が小声で「誰か、こいつを早く上に連れて行ってくれ」とぼやいた。


「さてと――では、年長者のジグから紹介しよう。みんな、さぞ驚くかもしれないが、この目の前にいる男は正真正銘のジグ|コーカイスだ。ワーの親友、仕事の同胞! 彼のことをあえて詳しく説明する必要は……ないな。かつて使節団に多大なる貢献をしてくれたシブーだ。これからまた仕事に戻り、共に働いてくれる」


 多くの者は信じられないと口々に言い、ついには拍手が漏れた。すると、誠実そうな凛々しい表情の男が前に出てきた。「長かったな」

「君なら再び力を取り戻してくれると、私は信じていた」

「ルバーグ! またお会いできて光栄です」ジグは興奮して言った。「すべては、私を救ってくださった方々のお陰です」

 その言葉にルバーグは満足そうな笑みを浮かべた。

「これは……これは、かのコーカイス殿ではありませんか」

 ねっとりとした声が近づいてきた。すらりと背が高く、端正な顔立ちの女だ。顔には大人がよく見せる社交的な笑みが張り付いていて、いかにも頭の回転が早そうな雰囲気だ。


「うわさはかねがね聞いています、ナジーン」ジグは言った。

「お名前を覚えていただけていたとは、うれしい限り。しかし、初めてお会いするのですから、口頭で名前くらいは名乗っておかなくては。私、新しく使節団でパナン=シハンの役職に就かせていただくボウ|ナジーンと申します」


 ナジーンは穏やかな口調で続けた。


「元々は、対ジリー軍防衛課に勤務しておりました。前任のあなたには山ほど聞きたいことがあります。どうか今後、いろいろとご教授いただければ助かります」


「私からお教えできることはないと思いますよ」

 ジグはそう言って少し笑った。


「君は――」

 ナジーンはエシルバを見た途端、何倍も笑顔になった。

「この子はエシルバ|スーだ」


 ブルウンドが紹介した。


「よろしくお願いします」

 咄嗟に出たのは一言のあいさつだけで、どうにも口が上手く回らなかった。

「エシルバはつい数日前まで遠方の蛙里という場所で暮らしていたんだが、政府の招集によりこの使節団に入ることになった。なにせ、分からないことだらけで不安も多いだろう――みんな、親切にいろんなことを教えてやってくれ」


 ブルウンドはこの場にいる全員に呼びかけた。


 ナジーンは実にうれしそうな顔でほほ笑むのだった。

「私は君のお父さんのことを知っている――少なくとも、単なる一部のファンよりはね。あぁ……もちろん良いところをたくさん。今度、いろいろな話を聞かせてあげよう。どうかな? ゴドランのことを知りたいでしょう? 彼は素晴らしいシブーだった。

 それに、世間の言葉などちっとも気にしなくていい、君は君自身なんだからね。あいにく、われらが尊師、シハン=グリニア|ソーソは行方知れずで、この場にいたらすぐにでも君を紹介したかったよ。エシルバがこのようにかわいらしく素直そうな子だと知れば、さぞお喜びになったに違いない」

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