第103話:魔獣活勢
行商人もこの間はメルカポリスに近づこうとしない。
しかしクリート村周辺は凪のように落ち着いていた。
むろん村人たちが警戒を怠っているわけではない、
「まさかここまで効果があるとは……」
ナミルは驚きの表情でクリート村を囲う木塀を見上げた。
木塀はルークの指示通りエルデで真っ赤に塗られている。
塀だけではない、家の壁も周囲の木々にもエルデが塗られ、まるでクリート村の周囲は炎に包まれているようだ。
その甲斐あって魔獣は全く現れなかった。
時折近づくものはいてもエルデと武器を持った獣人たちを認めるとそそくさと森の中へ姿を消していった。
「上手くいったみたいですね」
「上手くいったどころではないですよ。何故もっと早く気付かなかったのかと後悔がこみ上げてくるほどです」
ルークの言葉にナミルが深々とため息をつく。
「もっと早く知っていれば助かった命がどれほどあったことか……いや、そのようなことを言ってもしょうがないですな。今はこのエルデがもたらしてくれた平穏に感謝しましょう。そしてこれを再現してくれたルークさんにも」
「いえ、これは師匠のおかげですから……そうだ、ついでに少しお尋ねしてもいいですか?」
「なんなりと。他ならぬルークさんの頼みです、この私に答えられることであればなんでも聞いてください」
「それでは紅角姫のことを教えていただけませんか?知っていることで結構ですので」
ルークの意外な質問にナミルが片眉を持ち上げる。
「紅角姫様?もちろん構いませんが……我々が信奉しているだけで言ってみれば土着信仰のようなものですぞ?ルークさんが気に留めるようなものとも思えませんが」
「いえ、実は関係が大ありなんです」
ルークは頭を振って話を続けた。
「僕はしばらくとある魔神の下で修業をしてきました。そしてどうやらその魔神があなた方獣人が信仰する女神、紅角姫かもしれないんです」
「魔神の下で!?まさか人間であるあなたが?」
驚いたナミルだったがやがて納得したように頭を振った。
「いや、あなたの力を見ればそれも信じざるを得ないですな。なるほど、それであれば儂もできる限りの協力をさせていただきましょう。ここでは何ですから儂の屋敷へ来ていただけますかな?」
◆
「とはいえもはや1000年前のことですし文献と呼べるものもほとんど残っておらんのです」
アルマと共に屋敷に行くとナミルがお茶とボロボロになった巻物を持ってきた。
ナミルは2人にお茶を勧めると話を始めた。
「紅角姫様はどこからともなく現れ、我々の祖先が丁重にもてなしたためにこの村を気に入り、しばらく住んでいたと言われています。その時に魔族の血を引きながら魔力の低い我々に様々な知識を与えてくれたそうです。エヴァーデとカンムリギクもそうですし、そのレリブ茶もです」
ナミルが勧めてくれたそのレリブ茶というお茶はほのかな紫色をしていて独特な香りと風味を持っている。
飲むと爽やかな酸味の後にほっとするような香りが鼻孔に残る、不思議なお茶だった。
「以前もお話ししましたがこの地域一帯に黒斑熱が蔓延した時に救ってくれたのも紅角姫様です。死病が元で迫害を受けていた我々を見かねた紅角姫様はふらりと山の中に入っていき、それ以来病はピタリと収まったのだとか」
「つまり山の中に黒斑熱の原因があったのですか?」
黒斑熱は魔法か魔獣による呪いのようなものだったのだろうか?
それとも山の中にしかない鉱物毒の一種だったのか?
「それはわかりません。紅角姫様の警告によって山の中は禁足地になっており足を踏み入れた者はいないのです。特に我々獣人にとっては最大の禁忌となっています」
ルークの問いにナミルは首を横に振るとレリブ茶をすすった。
「このレリブ茶は紅角姫様がお植えになられたレリブの木の葉から作られています。我々獣人はこのお茶のおかげで黒斑熱に罹らなかったと言われており、今でもその時の習慣で飲み続けておるのです」
「そんなことが……」
驚いたようにお茶を見つめるアルマ。
「紅角姫様は来た時と同じようにある日突然去っていったと言われています。しかし我々獣人は今でもいつか紅角姫様が戻ってこられると信じています」
ナミルはそう言うとルークに微笑んだ。
「もしあなたが紅角姫様の下で修業を積まれたというのなら、それは半ば実現したようなものですな」
「いえ、僕なんか師匠に比べたらまだまだです。でもおかげでその紅角姫様が師匠である可能性が出てきた気がします。今度会いに行った時に確認してみようと思います」
「なんと!今もその魔神様と交流があるのですか!」
「これは秘密ですけどね」
ルークはにこりと笑うと口元で人差し指を立てた。
ナミルが深々と頷く。
「なるほど、魔神と言えば存在が確認されただけでこの大陸中が激震するほどの存在です。おいそれと口にできるものではありませんな。わかりました、この件に関しては他言無用といたします」
「助かります」
その時屋敷のドアをノックする音が聞こえてきた。
ドアを開けるとそこに立っていたのはキックだった。
エルデで染めた真っ赤な服で全身を包み、顔にもエルデを塗りたくっている。
今まで村の周囲を見回っていたのだ。
「周囲の見回りから帰ってきたっす。特に問題ないっす」
「それは良かった。引き続き警戒を怠らぬよう皆にも言っておいてくれ」
「それで……っすね……その……」
ナミルへの報告を終えたキックだったが、何かを言いたそうにその場にとどまって身をよじっている。
「キック、僕に何かあるのなら遠慮なく言ってくれて構わないんだよ?」
ちらちらとこちらを向く視線からルークはそれが自分に向けてのものだと分かっていた。
「ルークさん……」
やがて意を決したのかキックは顔をあげるとまっすぐにルークを見つめてきた。
「お願いっす、ポーマン村を助けてやってください」
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