第92話:火入れ

「ルーク、何をしているの?」


 翌朝、外に出たアルマの目に飛び込んできたのは大きなかめを火にかけているルークの姿だった。


 側ではリアがかいがいしく手伝いをしている。


「あ、アルマさんおはようございます!」


「おはよう、リアちゃん。それで、それは一体何を?」


「ああ、おはようアルマ。これはクリート酒に火入れをしているところなんだ」


 額の汗をぬぐいながらルークが答える。


「火入れ?何それ?」


「馴染みがないのは無理ないかもしれないね。こうやって一定時間熱してやると防腐魔法と同じ効果を得ることができるんだ」


「本当にそんなことで腐らなくなるの?」


 アルマが驚きの声をあげる。


 水や酒に限らず長期保存するものに防腐魔法をかけるのは当たり前のことだ。


 とはいえ流石に生肉などを腐らなくさせるには強力な魔法をかけねばならず、それだけ高価になってしまうのでダンジョン攻略など長期間のレイドには干し肉や各種保存食糧を携行するのが常識となっているのだが。


 ともあれ飲み水など口に入れるものに防腐魔法をかけるのは常識的なことであり、それ以外の防腐処理はここ最近全く目にしなくなっている。


 今ではかめに放り込んでおくだけで1年は腐らずに済む魔力注入済みの魔石だって売られている。


「防腐用の魔石は高いからね。これだったらクリート村でもお金をかけずに長期保存することができるようになるはずだよ」


「確かにこの村では飲み水を沸騰させて使っています。しかしそれを酒に応用するとは……これは盲点でしたわい」


 様子を見ていたナミルが感心したように額を叩いた。


「しかしルーク殿はそんなことまで知っておられるとは……いやはや大したものですな」


「そんなことありませんよ。昔は魔法を使えなかったから飲み水の確保に苦労していて、その時に師匠に教えてもらったんです」


 イリスとの修業では時に1人で山籠もりをすることもあった。


 その時に魔力を使わずに飲み水を手に入れる方法を教えてもらったのだ。


「みんな魔法に頼りすぎなんだよ。ふとしたはずみに魔法が使えなくなることだってあるかもしれないんだぜ?そのために覚えていて損はないはずさ」


(イリスはそんなことを言っていたけどまさかこういうことで役に立つとはね)


 苦笑しながらルークはかめの中に入れておいた酒の瓶を引き上げた。


 すぐに横の樽に入れておいた冷水で冷やす。


「へえ~、急冷しても割れないなんて大した瓶だね。これならますますこの酒を入れておくのにぴったりだよ」


「任せてよ。なんせセントアロガスの瓶作りは大陸一、この位は造作もないんだから」


 感心するナターリアにシシリーが胸を張る。


「これでよし、これなら封さえ切らない限り何年も持つはずだよ」


「本当に助かるわ~。これなら在庫として取っておけるし売る時にも堂々と売れるもん。……アチチ」


 瓶に頬ずりをしたナターリアがしかめ面をしながら頬をさする。


 ナミルがルークに頭を下げた。


「何から何まで本当にありがとうございます。まるでルーク殿は我らの祖先に叡智を授けてくれた大角姫様のようですな」


「アハハ……ひょっとしたら無関係ではないかもしれないので……」


 ルークは頭の中にイリスを思い浮かべていた。


 イリスが封印されたのは800年前、だったらそれ以前にここに来ていたとしても不思議じゃない。


 もしその予想が当たっていたとしたら魔神として恐れられていたイリスには別の一面があることになる。


 それはルークが探し求めている答えでもあった。


 イリスを解放することは脅威ではない、その確証を得るのもルークの目標の1つだからだ。


(今度師匠に会った時に聞かせる土産話が1つできたかな)



 クリート酒の火入れを済ませるとルークたちは旅支度を整えた。


「もう行ってしまわれるのですか?好きなだけ滞在していただいて構わないのですよ」


「ご厚意に感謝します。でも僕たちもやらなくてはいけないことがあるので」


 ルークは傍らにいるリアへ視線を落とした。


 なんとしてもピットを彼女の下に返さなくては。


「わかりました。それではもう引き留めますまい。ですがこれだけは覚えておいてください。我々はいつ何時であってもあなた方を歓迎するということを。それでは、落ち着いたらぜひまた立ち寄ってください」


 ナミルがリアを見た。


「それからリアをよろしくお願いします」


「もちろんです。リアのことは任せてください」


「この子は色々苦労を背負ってきました。勝手な話ではありますがあなた方と一緒の方がこの子にとっても幸せかもしれません。リアや、しっかりやるんだよ」


「はい!村長様、私頑張ります!」


 リアが大きな声で答える。


 その声はこれからやってくる暮らしへの期待に弾んでいた。



 出立の時が来ると村中の住人たちが集まってきた。


 キックがルークの腕を千切れんばかりに振りまわした。


「ルークさん、絶対にまた来てくださいよ!俺ら待ってますから!」


「もちろんさ。クリート酒を売ったらまた仕入れに来なきゃいけないしね。それまでにたくさん作っておいてもらうよ」


「任せてくださいっす!」


 キックを押しのけるようにボルズが前に出る。


「ルークさん、困ったことがあったらいつでも言ってくださいよ。俺ら全員ルークさんに加勢しますから」


「ああ、その時はよろしく頼むよ」


 2人は固い握手を交わし、それが出立の合図となった。



「ルークさん、お達者で~」


「本当にありがとうございましたあ!」



 名残を惜しむ獣人たちの声を背に、ルークたち一行は再びメルカポリスへと向かった。


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