第64話:決着

「終わった……の?」


 信じられないと言うようにアルマが呟く。


 そう思うのも無理はないほどあっさりした幕切れだった。


 ルークの作った魔法陣のドームが一層まばゆく輝いたかと思うとベヒーモスは消えていた。


「うん、もうベヒーモスはいないよ」


「倒した……ということ?」


「まさか」


 力なく笑いながらルークが手を振る。


「ベヒーモスのような神獣を倒すのは無理だよ。彼は元の世界に戻っていったんだ」


 ルークの根源魔法がベヒーモスに触れた時、世界の扉が開いた感触がルークに伝わってきた。


 いや、世界の扉が開いたことでルークは根源魔法に触れることができたのかもしれない。


 ともあれベヒーモスはその時に繋がった世界へと飛んでいった。


 いや、神獣はイリスたち魔神と同じように彼の世界から来たと言われている。


 つまりは帰ったと言った方が良いのかもしれない。


「とにかくベヒーモスはもうこの世界にはいないよ。それは保証する。でも危なかった。もう少し遅かったらこっちが倒れてたところだよ」


 実のところルークも限界だった。


 根源魔法に触れることができたのは1秒に満たない時間だろう、それだけでもルークの魔力は限界まで削り取られていた。


 おそらくあとコンマ5秒でも遅れていたらベヒーモスはルークの魔法を撃ち破っていただろう。


 アルマが安堵の溜息をつく。


「良かった……そうだ、みんなにも知らせないと!」


 アルマが主塔から身を乗り出して手を振った。


 呼応するように下から歓声が轟いてくる。


「……これでようやく帰れるね……っとと」


 ルークは立ち上がろうとして尻もちをついた。


「アルマ、すまないけど手を貸してくれないかな。どうも自力では立てないみたいなんだ」


「もちろんよ!無茶したら駄目だからね!」


 アルマがルークに手を伸ばす。


 ルークはそのままアルマの手を引っ張るとその身体を抱きしめた。


「ル、ルーク!?」


「アルマ、僕は君に救われた。君がいなかったら今僕はこうしてここにはいられなかったはずだ。いや、僕だけじゃない。あのままだったらおそらく僕はベヒーモスを倒すために他のみんなを犠牲にしていただろう。アルマ、君を含めてだ。そうなったら僕は生きていられない。君は僕を救ってくれたんだ」


「ルーク……そんなことないよ」


 アルマがルークを抱きしめ返す。


「アルマ、僕は二度と君を失いたくない。はっきりとわかったんだ。僕がここまで生きてきたのもここにこうしているのも、全て君といたいからなんだって」


 ルークはアルマの眼を見た。


 お互いの瞳にお互いの姿が映ってる。


「アルマ、僕は君が好きだ」


 アルマが息を呑む音がした。


 その眼が涙で潤んでいく。


「ルーク……私もルークが好き」


「アルマ……」


「ルーク……」


 2人の顔がゆっくりと近づいていく。


 アルマが静かに瞳を閉じた。




「ルーク!アルマ!無事か!」


「ルークさん!やりましたね!凄え魔法じゃないですか!」


 ウィルフレッド卿とタイロンが駆け上ってきたのはまさにその時だった。



 弾かれるように2人の顔が離れる。


「……何をしているのかね」


「どうやら無事だったようですな。しかもまだまだ元気もあるみたいだ」


「ち、違うの!これは……その……」


 呆れたような父親の言葉に顔を真っ赤にするアルマ。



 ウィルフレッド卿はため息をつく。


「まあいい、みんなが待っているから早く下りてきなさい。先に行っているからな」


 踵を返したウィルフレッド卿は去り際にルークに振り返り、にやりと口の端を持ち上げた。


「アルマのことを頼んだぞ、ルーク」


「もちろんです!」


 タイロンとウィルフレッド卿が去ると2人は再び顔を見合わせた。


「じゃ、じゃあ私たちも行きましょうか」


 アルマがルークに腕を伸ばす。


「そうだね。でも……」


 その腕を取ったルークがアルマの腰に手を回す。


「キスをするくらいの時間はあるんじゃないかな?」





    ◆





 下に降りると兵士たちの歓声が待っていた。


「ルークさん!やりましたね!」


「流石はルークさんだ!」


「勝った!俺たちはベヒーモスを倒したんだ!」


「ルーク!」


「「ルーク!」」


「「「「ルーク!ルーク!ルーク!」」」」


 兵士たちの歓声はいつしかルークを讃えるエールへと変わっていた。


「おめでとう、ルーク。あなたのおかげで私たちは、いえこの国は救われたと言ってもいいでしょう。なんとお礼を言っていいのか……」


 フローラの眼には涙が浮かんでいる。


「いえ、これはみんなの勝利です。みんながいなければ僕もここにいることはできなかったでしょうから」


 フローラは目尻を拭うとにっこりと笑った。


「本当に謙虚なのねあなたは。でもあなたの功績は紛れもない事実です。国を挙げて感謝すると王家として約束いたしますわ」



「み、認めるかよ!」


 その時後ろで声がした。


 そこに立っていたのはゲイルだった。


 満身創痍で立つのもやっという有様で、ルークの眼を見ることもできないくらいに弱っているが、それでも虚勢を張ろうとしている。


「お、俺は認めない……絶対に認めないからな」


 ふらふらとルークへと近寄っていく。


「ゲイル王子……」


 フローラがため息をついた。


 それでもゲイルの言葉は止まらない。


 止められるわけがなかった。


 言葉にするのを止めれば頭だけでなく心でも認めてしまうことになる。


 血を吐くようにゲイルが叫ぶ。


「何故だ、何故お前だけが……なんでお前なんだ!俺は……俺はこの国で最強なんだ!それなのに……なんでお前がそこにいるんだ!そこは俺の場所だ!なんでお前が……なんで、なんで俺じゃないんだ!!!」




 乾いた音が戦場に響き渡った。




 それはフローラがゲイルの頬を張った音だった。




「いい加減にしなさい!!ゲイル・アロガス!!!」


 呆然とするゲイルにフローラが声を張りあげた。


「それでもこの国の第一王子ですか!あなたは……あなたは必死に戦った者に労いの言葉もかけられないのですか!」


「フローラ……俺は……ただ……」


 消え入るようにゲイルが呟く。


「何故あなたはそうなのです!いつもいつも俺は強い俺は偉いと自分のことばかり!自分で自分を誇ってなんになるというのです!」


 フローラの叱責は止まない。


「周りを見なさい!この中にあなた以外に自分のことしか考えなかった者がいますか!みんな仲間を、家族を守るために戦ったのですよ!それなのにあなたは子供のように駄々ばかりこねて癇癪を起こすばかり……それが王家の者のやることですか!あなたが目指す王とはその程度の者なのですか!」


「俺は……俺は……」


 フローラは深くため息をついた。


「ゲイル、誰も言ってくれないでしょうから私が言いましょう。今のあなたは王には相応しくありません。今のあなたには王になってほしくありません」


 その言葉が止めだった。


 ゲイルが顔を歪めて地に膝をつく。


 その眼から涙が溢れだした。


「う……うう……うおおおおおっ」


 肘を地につき、顔を覆って嗚咽する。


 傲慢、尊大、傲然で知られる男が人目を憚ることなく泣いていた。


 その姿を沈痛の面持ちで見ていたフローラだったが、やがて顔を上げると周囲を見渡した。


「王家の一員たるフローラ・ナイチンゲールがゲイル王子に変わって宣言します。ここに大規模討伐レイドは終了しました。私たちの勝利です!」


 戦場に歓声が響き渡る。


「ルーク氏、ベヒーモスの討伐に成功、と」


 ホルストが羊皮紙に書き留めた。


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