第34話:イリスとアルマ

 月が夜空を照らしている。


 私室の窓べりに座り、イリスは天空で孤独に輝く月を眺めながらグラスを傾けていた。

 800年間イリスは夜になるといつもこうして月を見ていた。


 ルークと出会った5年は月を見ることも少なくなっていたが、再び1人になったあとはこうしてまたその習慣が戻っていた。


 今までは月しか気にしたことがなかったが、今はその近くに小さく輝く星が2つあるのが見える。


 月を眺めながらイリスの耳は静かに近づいてくる足音を捕らえていた。


「眠れないのかい」


 振り向きもせずに答える。


 足音が止まった。


「……流石ですね」


「別に、山の夜は静かだからね。それで、あたしに何か用があるんだろ」


 そう言ってイリスは――アルマに振り向いた。


 そこに立っていたのは寝間着姿のアルマだった。


 緊張した面持ちでイリスを見ている。


「ルークとあたしについて色々聞きたいこともあるんだろうさ。なんなりと聞いてみなよ。ま、答えるとは限らないけどね」


 からかうようにイリスが続ける。



「……っ」



 意を決したようにアルマが動いた。


 地面に両ひざと両手をつく。



「ルークを助けていただき、ありがとうございます!」



「……は?」


 突然のことにイリスが面食らった声を出す。


「イリス様がいなければルークはきっと死んでいたでしょう。ルークは私にとって一番大事な人なんです。このご恩は決して忘れません!」


 そう言ってアルマは額を床にこすりつけた。


 これはアルマの本心だった。


 ルークがイリスと過ごした5年が気にならないと言えば嘘になる。それでも今こうしてルークと共にいられるのはどうしようもない程にイリスのおかげだ。


 それだけで、その事実だけでイリスには返しようのない恩があるとアルマは思っていた。


「……ぷっ」


 イリスが吹き出した。


「はは、はははっ、何だよそれ、あんたわざわざそんなことを言いに来たってのかい」


 顔を上げ、さもおかしそうに笑う。


「まったく、アルマだっけ?あんたルークが言っていた通りのだね。調子が狂うったらありゃしないよ」


 ひとしきり笑うとイリスは虚空に手を振った。


 いつの間にかその手にもう1つのグラスが握られている。


「来なよ、今夜は良い月だ」


 アルマが手にしたグラスに酒を注ぐ。


「アルマ、あんたに話してあげるよ。この5年間何があったのか、ルークに何が起きたのかを」


 緊張した顔でアルマが頷く。


 イリスがにやりと笑った。


「ま、あんたにとっては辛い話になるかもね。なんせその大部分があたしとルークのめくるめく愛の物語になるんだから」


 ピクリ


 アルマの額に血管が浮かぶ。


「いや~、紅顔の美少年だったルークが凛々しく育っていくのを見られなかった相手にそれを語るのは申し訳ない気もするんだけど、ほんとに聞きたい?」


 ピクピク


 アルマの額の血管が増えていく。


「しかも成長するにしたがってあたしを見る目に熱がこもってきてるというか、ルークもやっぱり男なんだよねえ。そういう部分まで話した方がいいのかなあとちょっと悩むんだけど、聞きたい?」



「ま、まあ、私はぜんっぜん気にしてませんけど?」


 顔を引きつらせながらアルマが笑顔で答える。


「イリス様は5年前にルークと出会ったみたいですが、私はそれ以前からルークの”一番の”親友でしたし?まあ、その後でルークと出会ったイリス様の思い出を聞くのも私の役目かなと」


「ほ、ほぉ~?」


 今度はイリスが顔をひくつかせる番だった。


 それを見てアルマが調子づく。


「なにせ私なんかは3歳の頃からルークと出会ってますし?」


「ちょ、ちょっと待った、そんなのルークから聞いてないぞ!」


 聞いていないのも当然だ、ルークがそれを思い出したのはつい最近のことなのだから。


「それはしょうがないですよ。私とルークだけの秘密というのもありますから。でも恩人であるイリス様が知りたいのであれば話しますけど、聞きたいですか?」


「ぐぬぬ……」


 歯ぎしりをしていたイリスだったが、やにわに空中へ手を振った。


 虚空から巨大な酒瓶が降ってくる。


「上等だ!今夜は徹底的に話してやろうってのじゃない!あたしとルークの愛の深さを!」


「望むところですよ!私の10年を超える(ほんとは2年だけど)ルークとの運命の絆を思い知らせてやりますよ」


 2人はそう叫ぶと一気にグラスをあおった。





    ◆





「おはようございま~す。久しぶりの自分のベッドなんでちょっと寝すぎちゃいまし……うわっ?」


 翌朝、イリスの部屋にやってきたルークはそこに広がる光景に目を疑った。


 室内には空になった酒瓶が幾つも転がり、様々な遊具ゲームが散乱している。


 イリスはソファーに身を投げ出し、その上に折り重なるようにアルマが倒れ込んでいた。




「な、何があったんですか!?」


「あ、ああ……ルークか……」


 しゃがれ声でイリスが上体を起こした。


「ちょっと盛り上がりすぎちゃってな……アルマと決着をつけるのに朝までかかっちまったんだ」


「イ……イリス……」


 アルマがよろよろと顔を持ち上げる。


「ひ……ひとまずこの山の中でルークへの優先権はあなたにあることを認めるわ……でも……山を下りたら優先権は私だからね」


「わかったわかった。ひとまず降りろ。重いっての」


「駄目……少しでも動いたら……出る」


「出るってなんだ?やめろ!あたしの上では止めろ!」


「な、何があったんです?優先権って何ですか?」



 事情を知らないルークだけが1人混乱していた。


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