第30話:交渉決裂

「馬鹿な!返済期日はまだ3カ月以上あったはずだ!」


 驚くウィルフレッド卿の声が応接間に響き渡る。


 しかしアヴァリスのニヤニヤ顔は止まらない。


「仰る通りですがね、証文にはこうも書かれているのですよ。債権者は已むに已まれぬ事情があった際は返済期日を変更することができる、と。申し訳ないのですがこちらも事情がありましてね、なんとしても返済していただかないと困るのですよ」


「ぐぬ……」


 ウィルフレッド卿が唸り声を上げる。


「お父様が借金をしていたのって……アヴァリス卿だったのですか……」


 アルマが強張った顔で呟く。


 トミーがバスティール家の借金について知っていたのも当然だ、自分たちで金を貸していたのだから。


(なんで急に返済しろだなんて……どういうつもりなの?)


 アルマの胸中に暗雲のような不安が立ち込め、知らず知らずのうちに隣にいたルークの手を掴んでいた。


 ルークがその手をしっかりと握りながら笑みを返す。


「大丈夫、きっと上手くいくよ」


 ルークの声に硬い笑みで頷きはしたものの、アルマの気分が晴れることがなかった。




「……全額は用意できない。今手元にある金貨は出せても4万枚だけだ」


 ソファに深く腰を沈めながらウィルフレッド卿は頭を振った。


「それは困りましたな」


 アヴァリスは悩むように眉をしかめながら内心ほくそ笑んでいた。


(ふん、そちらに金がないのは先刻承知よ。なにせ儂はアロガス王国商工長官だからな。それに儂以外からは金を借りれぬように働きかけているのよ。息子たちに急かされて予定を早めたがまあ問題ないだろう。こやつの地位も領土もそっくりいただいてやる)


 アヴァリスの狙いは当然ながらウィルフレッド卿が持つ辺境伯の位だ。


 トミーだけではなくアヴァリスにとっても世襲貴族は喉から手が出るほど欲しい位だった。


 旱魃の影響でウィルフレッド卿が資金繰りに困っているという話を聞きつけた時からこの計画は進んでいたのだ。


 全国の金貸しに手を回してウィルフレッド卿に金を貸さないようにし、困り果てたところで自分が救いの手を差し伸べる。


 そうして返済の時になんだかんだと難癖をつけてアルマとトミーの婚姻を結んでしまうのだ。


 一旦家の中に入り込んでしまえば後はどうとでもなる。


 トミーにバスティール家に家督を継がせればこっちのものだ。


 アヴァリスはにやつきそうになる口元を手で隠しながらこれからの未来図を頭の中に描いていた。


(手続きによる譲渡は王家の承認が必要だからな、あらぬ疑いをかけられてもつまらぬというもの。田舎貴族とは言え辺境伯は辺境伯。この爵位を手に入れたら好き放題やってやるぞ。これからの儲けを考えれば金貨5万枚の投資など安いものよ)




「だが現物支払いでよければあるぞ」


「へ?」


 驚くアヴァリスを横目にウィルフレッド卿は大きな瓶をテーブルの上に並べた。


 全部で10本、どれもキマイラの血がなみなみと入っている。


「これはキマイラの血だ。うちの財務担当官がざっと調べたところ金貨1万枚の価値は十分にあるだろうということだ。これでエリクサーを作って売ればその10倍、いや20倍の価値になるだろう。これを残りとして受け取ってはくれぬか?」


「20倍……」


 アヴァリスがごくりと生唾を呑み込む。


(いかんいかん、こんなはした金に惑わされてはいかんぞ。儂にはもっと大きな目的があるのだ!)


 フルフルと手を伸ばしかけたアヴァリスだったが、思いつめたように顔を振ってその手を引っ込めた。


「残念ですが、私は現金主義でしてな。例えそれが高価な魔道具や芸術品であっても受け取らぬと決めておるのです」


「ではもう少し待っていただけぬか?すぐにこれを現金へと変えよう。1カ月、いや2週間もあれば充分だ」


 しかしアヴァリスは首を縦に振らなかった。


「生憎ですがそれも承服しかねますな。今すぐ払ってもらいましょう」


「しかしないものはないのだ!アヴァリス卿、貴卿は一体私にどうしてほしいのだ!」


 木で鼻をくくったような態度のアヴァリスに業を煮やしたウィルフレッド卿が声を荒げる。


「ランパート辺境伯、そう興奮せずに。私が来たのはそのためなのです。この状況を打破できる良い提案を持ってきたのですよ」


 アヴァリスは満面の笑みをたたえながら膝の上で手を組んだ。


「うちの長男がそろそろ結婚適齢期でしてね、花嫁候補を探しているのですがこれがどうしてなかなか見合った娘が見つからんのですよ。そこで思い出したのですが、たしか貴卿のご息女も結婚はまだだったのでは?そこで提案なのですが我が息子とそちらのご息女を夫婦としてはいかがでしょう。さすれば家族間の借り入れは無効となり、貴卿の借金もなくなりますぞ」


「……まさか!」


 横で聞いていたアルマが息を呑む。


(この人は最初からそのつもりでここに来てたんだ!私をトミーと結婚させるために……!)



「ふざけるな!」


 ウィルフレッド卿がテーブルに拳を叩きつけた。


「貴様は私に金貨1万枚で娘を売れと言うのか!私と娘を侮辱するつもりか!」


「しかし決まりは決まりですからなあ」


 アヴァリスは全く動じない。


「ついでに言うと証文にも書かれていますぞ。現物で支払う場合、その価値の裁定権は債権者が持つものとする、と。ランパート辺境伯、この際だからはっきり言いましょう。私はおたくの娘以外に金貨1万枚の値段をつけるつもりはありませんぞ」


「貴様……最初からこれが狙いか!1年前にどこからも金を借りれなかったのも貴様が裏で手を回していたのだな!」


 ウィルフレッド卿が殺気のこもった眼でアヴァリスを睨みつける。


「なんのことやら」


 肩をすくめながらアヴァリスが頭を振る。


「不満があるなら貴族裁判にかけても構いませんよ。裁判費用があればの話ですがね」


「貴様……」


 ウィルフレッド卿が剣の柄に手をまわした。


 それに呼応してアヴァリスの連れていた護衛が臨戦態勢に入る。


 応接間が一瞬にして戦場の空気に包まれた。



「すいません、ちょっといいですか」


 その空気を破ったのはルークだった。


 手にはウィルフレッド卿の証文を持っている。


「なんだね君は。今は大事な話をしているのだから引っ込んでいなさい」


 闖入者にペースを乱されて苛つきを押さえきれないアヴァリスだったが、ルークは意に介さずに話を続けた。


「申し訳ありません、ですが証文にはこうも書かれていますよね。返済日が変更となった場合、債務者への救済措置として最低でも1週間の猶予を与えると」


「そ、それがどうかしたのか!」


「つまり1週間以内に金貨1万枚を用意できたらいいということですよね?」


「そんなことできるわけがない!」


「それを決めるのはあなたではないのでは?」


「ぐっ……」


 今度はアヴァリスが言葉を詰まらせる番だった。


 怒りのこもった眼でルークを睨みつける。


 やがてアヴァリスは大きく息を吐くと粗荒らしく立ち上がった。


「よかろう、1週間だけ待ってやる。ただし、かっきり1週間でそれ以上は1秒たりとも待たんぞ!それに金貨1万枚かおたくの娘のどちらか以外は絶対に認めんからな!」


 捨て台詞を残しながらアヴァリスは去っていった。


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