第31話:2人の旅立ち
「あの下種め!」
ウィルフレッド卿が怒りも露わにテーブルを叩いた。
「最初からこれが狙いだったのだな!」
「お父様、落ち着いてください!」
「落ち着いてなどいられるか!お前をあんな薄汚い連中に渡すくらいなら今すぐ奴らをこの手にかけてやる!」
アルマがなだめても憤懣やるかたないと言うように荒だたしく部屋を歩き回っている。
「ウィルフレッド卿、それこそ連中の思うつぼですよ。彼らの目的はウィルフレッド卿を怒りに駆らせて冷静な判断をさせなくすることなのですから」
「っ……しかしだな、一体どうしたらいいというのだ!」
ルークの言葉にウィルフレッド卿はソファに腰を落とすと頭を抱えた。
「奴らのことだ、キマイラの血を売れないように裏で手を回すに違いない。他国に売ろうにも商工長官である奴の許可が必要だからとても無理だ……こんなものがあっても……何になるというのだ!」
苛立たしくテーブルの上の瓶を払いのけようとするウィルフレッド卿だったが、ルークがその手を押しとどめた。
「落ち着いてください。まだ手はあります」
「まだ……手があるというのか?こんな状況だというのに?」
「はい」
ルークが頷く。
「この件は僕に任せていただけませんか?僕たちにはまだ1週間あります。それだけあれば金貨1万枚を用意するのには充分です」
「し、しかしどうやって……」
「すいません、それは言えないんです。でもこれだけは約束します。僕だってアルマをあの連中に引き渡す気はまったくありません。どんな手を使ってでも止めてみせます」
声は静かだったがルークの全身からほとばしる怒りの炎は荒ぶるウィルフレッド卿ですら思わず身を引くほどだった。
固い決意を秘めたその瞳をしばらく見つめていたウィルフレッド卿だったが、やがて大きく息をつくと深々と頭を下げた。
「君がそう言うのであれば任せよう。重ね重ね頼りにしてしまって申し訳ないがよろしく頼む」
頭を下げるウィルフレッド卿の前にルークが膝をつく。
「頭を上げてください、これは僕のためでもあるんです。アルマは僕にとってかけがえのない友達です。あんな奴らに渡すわけにはいきません」
「ルーク……」
その言葉にアルマがふにゃふにゃと身を崩している。
ルークが言いにくそうに言葉を続けた。
「それで、今からすぐに出立することになるのですが……その、非常に申し上げにくいのですが……アルマも連れていきたいのですが駄目でしょうか?」
「アルマを?しかし何故……?」
「お父様、私行きますから」
言葉を待たずにアルマが言い切る。
その迫力に思わず身を引くウィルフレッド卿。
「いや……しかしだな……いや、そうだな、その方がいいだろう」
言い淀んでいたウィルフレッド卿だったが、やがて決意したように頷くとルークに右手を差し出した。
「これまで何度も助けられてきたのだ、君になら
「お約束します。必ず無事に帰ってくると」
ルークは立ち上がるとその手を固く握りしめた。
◆
屋敷に着いて一息つく間もなくルークとアルマは再び旅姿となった。
「1週間後には必ず戻ってきます!」
キマイラの血が入った瓶を背負ったルークがウィルフレッド卿に約束する。
「ああ、待っているぞ。それから……」
ウィルフレッド卿はルークに顔を寄せると耳打ちをした。
「金貨のあてがなくても構わん。そうなった時は娘を連れて国外に落ち延びてくれ。後のことは私が何とかする」
「大丈夫ですよ」
ルークは苦笑しながら走竜に跨った。
アルマは既に別の走流に乗っている。
「約束します、アルマも金貨も必ず持って帰ると!」
叫ぶと2人は森に向かって走っていった。
「行ったか……」
森の中へ消えていく2人を見送りながらウィルフレッド卿が小さく呟いた。
「これは単なる勘ですがね、あの人なら間違いなく約束を守ると思いますぜ」
横で見送っていたタイロンが自信ありげに頷く。
「ああ、それは私もそう思う」
そう返すウィルフレッド卿の顔は既に娘を見送る父親ではなくランパート領を治める領主のそれだった。
「こちらも準備を始めるぞ!トリナルがどんな手を使ってきても対応できるようにしておくのだ!」
◆
「ルーク、どこへ行くつもりなの?」
深い森の中を進みながらアルマが尋ねる。
2人は森の街道をひたすら東へと進んでいた。
「僕らは魔界との国境沿いに向かってるんだ。おそらく明日中には着けると思う」
「魔界?なんでそんなところに?」
アルマが驚くのも無理はなかった。
ウィルフレッド卿が治めるランパート領は魔界と呼ばれる魔族の治める土地と隣接している。
アロガス王国含め人族諸国は魔界と争っていた歴史があるため、和平協定が結ばれた今でも緊張状態が続いていた。
それ故に魔界との国境沿いに近づこうという者はほとんどなく、それどころか魔族や魔獣が跋扈する危険地帯だと恐れられているのだ。
ルークが地図を開いて魔界との国境沿いを指差す。
「正確には魔界じゃなくてランパート領の中、この辺なんだ」
「この辺って……何もないけど?」
地図で指し示したところにはなにも描かれていない。
「そう、何も描かれてない。でもここに僕たちの目的地はあるんだ」
「わかった」
アルマが大きく頷く。
「ルークがそこに行くんだったら私も行く!それで十分!」
「ありがとう、アルマ」
ルークがアルマに微笑む。
「ごめんね、何も言わずに連れてきてしまって。目的地に着いたらきちんと話すから」
「いいの。私はルークを信じてるから」
アルマはそう言うと走竜に跨りながらもじもじと体をよじらせた。
「そ……それで……その……ルーク、さっき言ったのは……ほ、本当なの?わ、私がルークにとってかけがえのない人だって……」
「もちろんだよ」
ルークが強く頷く。
その言葉がアルマの心に突き刺さった。
(ほんとに?ほんとにそうなの?ルークが……ルークも私のことを?お父様、アルマは……アルマは幸せになります!)
手綱を持つ手が緩んでぐらんぐらんと体が揺れる。
「アルマは僕の一番の友達だよ。学園の時も今もそうだ。だから僕はどんなことがあっても君を守る。って、アルマ?どうしたの?ちゃんと手綱を持ってないと危ないよ!?」
フラフラと揺れるアルマとそれを押さえようとするルークを乗せて走竜はひたすら東を目指すのだった。
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