第7話:王都セントアロガス
「それは何度も断ったはずです!」
アロガス王国の王都セントアロガスの裏路地に若い女性の言葉が響き渡る。
「私は今の仕事に満足しています。あなた方のお誘いに乗るつもりはありません」
「相変わらずお固いねえ、バスティール嬢は」
若い男の軽薄そうな笑い声がそれに続く。
女性の声はルークの親友、アルマ・バスティールものだった。
セントアロガス衛兵隊の制服を身にまとっている。
そのアルマの目の前に立ちふさがる3人の男はかつてルークやアルマと同級生だったトミー、トムソン、トーマスのトリナル・トリプルズだ。
3人はアルマと違って王宮衛兵隊の正式装備を身につけ、トミーの鎧には班長の印である文様が刻まれている。
「そんなことを言える状況なのかい?今の君の身分で」
「くっ……」
言葉を詰まらせるアルマにトミーが満足げな笑みを浮かべる。
「ランパート辺境伯のご息女であり我ら250期生で主席確実と謳われていたあなたが今や学園出身者で最も底辺職と言われる衛兵に身をやつしているんだ。これは同級の身として助けたいと思う親切心なんだよ」
トミーの言葉に後ろに控えていたトムソンとトーマスが忍び笑いを漏らす。
「まさかあなたが”枯渇”するなんてねえ」
「”枯渇”したわけでは……」
必死に食い下がるアルマだったがその言葉に力はない。
「たいして変わらないだろ。なにせ魔法騎士にとって欠かせない素養である固有魔法が使えなくなったんだ。おかげで後宮親衛隊への推薦も立ち消え、こうして平の衛兵としてお勤めしているのだからねえ」
嘲るようなトミーの追い打ちにも返す言葉がなかった。
それはは全くもって事実だったからだ。
ルークが去ったのち、アルマの魔力は極端に落ちてしまった。
最初は寂しさから来る心理的なものだろうと思っていたし、事実日が経つにつれて魔力は戻っていったのだが、今度は固有魔法が使えなくなっていた。
固有魔法は魔法騎士にとってなくてはならないものであり、それが使えなくなってしまった以上後宮親衛隊への推薦は取り消しとなってしまった。
だから卒業後はセントアロガス衛兵隊に入ることになったのだ。
アロガス王立魔法騎士養成学園はその名の通り魔法騎士を育てる学園であるため、生徒は卒業後に一定期間軍職に就くことが決まりとなっている。
ほとんどの生徒が貴族の出であるために軍職と言っても名誉職のような地位を与えられることが多いのだが、そこにも貴族ならではの階級が存在していた。
トリナル・トリプルズが属している王宮衛兵隊は一応王宮の警護を謳ってはいるものの実際の任務は近衛兵が行っており、実のところは学園を卒業した貴族が名義だけ軍に置くための言わば仮初めの地位だ。
大抵はここで3年間任務に就いた後でそれぞれの家の元へと戻り、貴族としての裕福で怠惰な暮らしを送ることになる。
対してアルマが属するセントアロガス衛兵隊は平民出の生徒や王宮衛兵隊に就くための支度金を用意できない貧乏貴族が真っ先に任命される部隊だった。
安い賃金で王都の平和維持を遂行する本物の軍職だったがその地位は学園卒業生の中で一番低く、特に軽んじられている。
アルマの父親は地方の有力貴族ではあったけれど間の悪いことに財政が悪化しており、家計を助けるためにも入隊するのに大金がかかる王宮衛兵隊ではなく、卒業生ならほぼ間違いなく入隊できるセントアロガス衛兵隊に行くことにしたのだ。
そしてそれがトリナル・トリプルズの増長を許すことになっていた。
「聞いたぜ?君の家は今大変なんだって?このままじゃ家督の維持もままならないって話じゃないか」
にやにやといやらしい笑みを浮かべるトミーの言葉にアルマは眼を見張った。
それはバスティール家の中でも秘密にしていることだったからだ。
「なっ……どうしてそれを……」
「おいおい、僕の家は宮廷貴族の中でも名門のトリナル家だぜ?その位の話はいくらでも耳に入ってくるさ」
トミーは得意そうに鼻孔を膨らませる。
「だからこうしてわざわざ君に会いに来てやってるんだぜ?君、悪いことは言わないから僕と婚約したまえよ。我がトリナル家と家族になれば君の家の負債などすぐに解消されるさ。それに君は一人娘なのだろう?僕が夫がなればバスティール家だって安泰じゃないか」
「そうそう、大人しく兄さんの言うことを聞いておいた方がいいぞ」
「むしろトミーがこう言ってくれることをありがたく思いたまえよ」
トミーの後ろでトムソンとトーマスが囃し立てる。
「君は性格は陰気だが見てくれは良いからな。それに家格もトリナル家に釣り合っている。大人しく僕の妻として控えているなら悪いようにはしないぞ。身体だって悪くないしな……」
トミーが舐めるようにアルマを見回しながらその艶やかな黒髪を指で弄ぶ。
「触らないでください!」
あまりのおぞましさにアルマは怖気を振るってその手を払いのけた。
強烈な拒絶にトミーの顔が怒りに歪む。
「……激風!」
舌打ちと共に振るった腕から発生した突風がアルマを吹き飛ばした。
風を操るトミーの固有魔法だ。
「ぐはっ!」
数メートル先の塀に強かに背中を打ち付けたアルマは悶絶して崩れ落ちた。
「こっちが
アルマに払われた手をさすりながらトミーが吐き捨てるように呟く。
「妻を仕付けるのも夫の仕事だ。今のうちに僕に逆らうことができないようにたっぷりと教育してやる」
アルマはふらふらと立ち上がりながら剣を抜き、近づいてくるトリナル・トリプルズを睨みつけた。
それを見て3人の顔に嗜虐的な笑みが浮かぶ。
「炎操」
トムソンの固有魔法でアルマの腕が炎に包まれた。
「ああっ!」
悲鳴と共にアルマが剣を取り落とす。
「水弾」
トーマスの周囲に水の塊が出現し、アルマに襲い掛かる。
体中を打ち据えられたアルマは膝から地に落ちた。
固有魔法は通常の魔法と違って詠唱を必要としないために同じように固有魔法を使わなければ防ぐのは不可能に近い。
「おいおい、これでも我が妻となる女なんだぞ。顔だけは傷つけないでくれよ」
にやにやとしながらトミーがアルマに近寄る。
「でもこれで僕たちに逆らったらどうなるかこれで分かっただろう?大人しく言うことを聞きたまえよ。そうすれば最低限貴族の妻としての暮らしは保証してあげようじゃないか」
「お……お断りです。あなたに従うなんて死んでもごめんです」
息も絶え絶えになりながらアルマの心は折れていなかった。
こんな卑怯な連中に屈するくらいなら死んだ方がマシだった。
そんなアルマを見てトミーの顔が更に醜く歪む。
「どうやらまだ教育が足りないみたいだねえ。ならば死ぬほどの屈辱を味あわせてあげるよ」
ついと上げたトミーの手のひらに強烈な風の渦が発生した。
触れるものを切り裂く風の刃だ。
「まずは素っ裸になって通りを散歩してもらおうかな!」
アルマは剣を握りしめた。
攻撃のためではない、いざとなったら自らの喉を突くためだった。
目の奥にルークの姿が浮かび上がる。
ルークが死んだと聞かされた時、アルマの世界は終わっていた。
目に映る世界は全て色褪せ、食べるものも全てがぼんやりとした砂のような味に変わってしまった。
一時は魔法騎士になるのを諦め、尼僧として生涯を終えようとすら思ったこともある。
そうしなかったのはルークとの約束があったからだ。
しかしルークもいなく魔法どころか剣技すら思うように使えなくなった今、魔法騎士にすがりついている意味がどれだけあるのだろう。
(ごめんなさい、ルーク……魔法騎士になってあなたに会うという約束は果たせないみたい……)
「自らの過ちをその身をもって償うんだね!」
襲い掛かる風の刃にアルマは目をつぶった。
しかしいつまで経ってもトミーの魔法がこちらに届いてこない。
(一体何が?)
「き、貴様は何者だ!邪魔をするな!」
強張った顔で叫ぶ3人の視線の先に目を移すと、目の前に立つ1人の男の姿が見えた。
それはぼろぼろのケープを身をまとった白髪の若者だった。
「あなたたちこそ1人に対して3人なんて卑怯じゃないですか」
庇うようにアルマの前に立ちはだかったルークが答えた。
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