大総会 或いは永久救世論
総会はこれまでも2回参加したことがあるが、それに輪をかけてとてつもない混雑だった。もうびっくりするぐらい人が多い。一定の場所に人が多いとどうなるか。迷子が出る。道に迷う人が出る。急な腹痛を訴える人がいる。肩がぶつかったからとにらみ合いを始める人がいる。屋台の素材がなくなる。法律相談ブースの担当者が過労で倒れる。熱中症が出る。罰当たりなことに、そしてこういう祭りごとにはよくあることに、便乗したスリ、置き引きの類まで出る。それら全てのトラブルを熟練のスタッフが流れるように処理していく。
やっぱり熟練のスタッフさんはすごいなあ、警棒まで持っていて、まるで警察みたいだあ。などと、呑気に構えている暇は当然ない。私も運営側の末席を占める人間なのだ。とにかくお菓子を作る。作る。作る作る作る。素材がなくなりそう。スタッフに頼む。作る作る。なくなる寸前にスタッフが飛んでくる。別の素材を頼む。そんなことを繰り返していると日没がやってくる。総会は日の出とともに始まり、日が沈むと外の屋台やブースは閉まって屋内で内省や議論や説話を主とする第二部に移行するのだ。これは屋台やブース、警備スタッフたちもできる限り参加できるようにする、という有難い配慮でもある。ただ正直な話をすると、昼間の激務から解放されてスタッフ用のたっぷりとした食事をするだけで随分と眠くなってしまい、ほとんど参加できなかった。昼間がっつりと働きながら夕方に毎日説話に出ている人を見ていると、まるで同じ人間とは思えない。
それはそんな日が続いた四日目だった。明日は休みの予定だったが、もう目覚まし時計にたたき起こされた時からどっぷりと疲れていた。もはや気力だけでお菓子を作り続けていると、あたりが急にざわつき始めた。予定されていない有名人でも来たのかな、と思いながらひたすらお菓子を作っていると、どこかで聞いたことのある声で「カステラを1つください」と聞こえてきた。誰だろう、同じ寮の人が来たのかな、と思ってフラフラとした意識で「はい、カステラ1つ!」とお出ししたその瞬間に、しっかと目が合った。金髪碧眼、陶磁器のような白い肌。背の高さは私より少し高い。その顔を、私は確かに知っている。たった一度だけ、地方の集まりにやってきた時には遠くから見ることしかできなかった――――
「教祖様!?」
「あら、そんなにかしこまらないでください。単にちょっと小腹が空いただけですよ」
「あっわわわわわわわわ」
カステラを差し出したまま硬直してしまった私の手から、恐れ多いことに直接手に取る教祖様。
「……うん、おいしい。砂糖や他の原材料も十分とは言えないでしょうに、すごく甘くできてるわね」
「きょきょきょきょ恐縮です!」
「あなたを推薦してよかったわ」
「す、推薦……? 私をですか……?」
「あれ、聞いてなかったかしら。担当者には伝えておいたのだけれど、緊張させないようにと思って気を使ったのかしらね。あなたをこのお店の代役に推薦したのは私よ。以前、うちの活動として公園でお菓子を作ってくれていたことがあったでしょう。あそこのお菓子がおいしいと評判だったから、私も一回買ってきてもらったことがあったのよ」
「た、大変恐縮です!」
「そんなに畏まらなくても大丈夫よ。私もあなたも、互生という大きな助け合いの中で自分の役割を務めているだけ。あなたのような人がいれば、互生は安泰だわ」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げた私に、護衛全員分のカステラを頼みになられて、教祖様は去っていった。疲れはもうとっくに吹き飛んでいて、頭の先から足のかかとまで何でもできそうな力に満ちていた。こんなのは母さんとお菓子を作っていた時以来だ。私が作った護衛の人用のカステラを受け取った人が、こんなに暑いのに全身厚着なのが目についた。顔にも包帯を巻いていて、目と鼻と口しか見えない。他の護衛の人と全く違う服装だから護衛の人ではなさそうだけど、じゃあ誰だろう。個人的な秘書さんだろうか。まあ、見た目は少し怪しいけれど、教祖様がおそばにおいているのだから悪い人ではないのだろう。いやいや、そんなことより、教祖様が褒めてくれたお菓子をもっと作ることに集中しなければ。
時間は飛ぶように過ぎた。というのは一日中お菓子を作ったあと、夕食を食べてお風呂に入って即座に寝るという生活をしていたからだが。しかし最終日は休みだった。ほとんどの屋台やブースが閉じており、信者は全員日が暮れてから大ホールに向かうようにとの通達があった。大総会を締めくくる重要なイベントがあるとのことだ。おそらく教祖様のお言葉もあるだろう。昼までぐっすり寝て頭をスッキリさせた後、眠くならない程度に食事をとり、帰宅の準備を済ませ、懐かしい顔と慌ただしい再会を済ませた後、ちょうどいい時間に大ホールに向かった。
大ホールは5000人ぐらいが入れると聞いていたが、ほぼ満員だった。おそらく最低限の警備員と大ホールの機材を操作するスタッフ以外のほとんどの信者が来ているに違いなかった。今日がほとんどみんな休みだというのも、運営側にずっと廻っていた人間が、最後の一大イベントには参加できるようにという計らいだろう。ガヤガヤしている空間に、開始のブザーが鳴る。運営委員長の挨拶、大総会に参加した人数や何人が入信したという報告、いくつかの当たり障りのない幹部のお言葉、教歌の斉唱があり、最後に「教祖様のお言葉」と司会が言った。
教祖様にスポットライトが当たる。完全な白と呼べそうな、生クリームよりも白い肌が光を上品に反射し、背筋はワイヤーで張ったようにしゃんとしている。私があのお方にお菓子作りを褒めていただいたなんて、白昼夢ではないかしら。服は特に高級そうに見えるわけでもない、どこにでも吊るしていそうなスーツだ。それなのに私たちとは全然違う存在のように見える。つまり私たち信者の延長線上にある清貧さと、高貴な人間が発する堂々とした気品を両立している。それはまるで街中のケーキ屋さんにある、一番高いとっておきの誕生日用二段ケーキのようだ。ほんの数センチの上品なヒールをカツカツ鳴らして壇上に上がる。それだけで、爆発的な歓声。私も無意識のうちに叫んでいた。
「……さて、今日は互生の20周年を祝う総会にお集まりいただき、ありがとうございます」
水を打ったようにしんと静まりかえる会場。
「これほど広い大ホールで、これだけ多くの方々に集まっていただける
そうだ、それが誇らしいことだ。私のような人間のお菓子作りでも喜んでくれる人間がいる。私の隣の人も、そのまた隣の人も、何かができて誰かを喜ばせられるんだ。
「翻って、今の世界はなんという有様でしょう」
教祖様の声にかすかな、しかしはっきりとした怒気がこもる。
「隕石が落下する前は、世界は少しずつ進歩していました。私は、隕石が落下する前の――2025年以前の世界を美化するつもりはありません。実際のところ、私は隕石が落ちた後に生まれたので、それを先代……母から聞いた内容と、資料とでしか知りませんが――日本は確かにあまり景気がよくない国だったかもしれません。いや、日本だけではありません。世界全体にも多くの問題がありました。紛争、環境破壊、貧富の格差……しかしながら、世界はゆっくりと、しかし着実によくなっていっていた。それがあの隕石の前の世界です。環境破壊の対策は少しずつ進んでいたし、国同士の対立には、十分とはいえないまでも、仲裁の機能があった。1ドル未満で過ごす絶対的貧困は一番多かった時期の半分になっていた。それが今ではどうでしょう。環境のことを気に掛ける余裕は誰にもなくなり、垂れ流しとまでは言わないまでも基準が大幅に緩和された工業排水が直接川に流される。けれどもその工場がなければ仕事がなくなるから誰も文句は言えない。国同士は対立するどころかお互いのことを気に掛ける余裕すらなくなり、海外から輸入されるモノは全てとんでもなく値上がりしている。そして混乱の中で貧富の格差は拡大し続けている。そんな中で、私たちの理想に共感した人よりも、とにかく食べていけないから食事の補助のために互生に入るという人も沢山いることを私は知っています。それは決して恥ずべきことではありません。私たちは困っている人を見捨てることはありません。けれども隕石から25年も経って、未だに国は、人類は無為無策でいます」
少しずつ教祖様の心に火がついていく。ああ、我々はその火に焼かれることしかできないのだろうか。
「本来であれば国が災害の対策と復興を行うのが当然の筋ではないでしょうか。ところが国は復興税を取るばかりで、何の対策も行わない。なるほど前例がないでしょう。巨大な隕石が太平洋に落下することで大津波が起き、そのまま舞い上がった灰のせいで食料生産は急減。津波と飢餓で多くの人々が死に、健康を損ない、食料や資源の奪い合いで戦争まで起きて世界はボロボロ……けれども私たちは生き延びました。回復不能なまでに社会や生産設備が破壊されたわけでもありません。島国であったことも幸いして、戦争に直接巻き込まれたわけでもありません。なのに私たちの生活はいつまでも苦しいまま……かと思えば買い占めや混乱をついた詐欺で成金になった人もいます」
教祖が一度深呼吸をされた。そこで私たちも呼吸すら忘れていたことに気付いて一拍遅れて息を吸い込んだ。間があった。
「けれども私は希望を信じています。人類の歴史は絶望的なことだらけですが、しかし人間はそのたびに立ちあがってきました。経済的な打撃と言えば古くは大恐慌、バブル崩壊、リーマン・ショック、疫病で言えばペスト、マラリア、コレラ、結核、エイズ、コロナがあり、殺人と言う面で見れば魔女狩りや大小何百もの戦争や二度の世界大戦がありました……全て前例のない困難でした。けれども人類は立ち続けています。それも、より力強く!」
マイクを使っていないはずの声が、どんな雷よりも静寂をつんざく。
「前例がないからできないということはこの世にありません。私は子供のころから互生にいました。先代の代表たる母が正しく皆さんを導くのを見ました。物も人も金もないところに、相互互助の殿堂を築くのを見ました。みなさんが築き上げるのを見ました。私たちに不可能はありません。私はもはや、互生の内側だけに目を向けていては、一番救うべき人を救うことができないと判断しました。下を向いて歩かざるを得ない人が、目の前の救いに気付かないことを罪として問えるでしょうか? いえ、むしろそのような人こそ救われるべきなのです。そして互生には、私たちには、外に打って出ることができる十分な力がつきました。期間を二倍にした大総会を成功させました。多くの人がこの総会を通して互生に触れ、入信したという報告が既に上がっています。私は、我々は、
会場のボルテージが上がっていく。自分たちはもしかして、歴史が変わる瞬間に――――いや、歴史を変える瞬間に立ち会って――――否、自分の意思で参画しているのではないか――――
「これまで以上の苦難があるでしょう。手を差し伸べた人たちから唾を吐きかけられ、恐るべき言葉で罵られ、拒絶されることも一回ではすまないでしょう。けれども私たちはそこで怯んではなりません。全世界が互生になり、互生が全世界になり、完全な互助が成立する。ああ、なんと素晴らしい新世界でしょう!」
「互生!教祖!互生!教祖!互生!教祖!」
「互生!教祖!互生!教祖!互生!教祖!」
「互生!教祖!互生!教祖!互生!教祖!」
どこからともなく沸き上がったコールに、私も声を張り上げて叫んでいた。何でもできるような気がしていた。どんなお菓子でも作れる気がした。
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