停滞と再会

 借金を全て返して、少しだけ現金が余った。二十万円ほどの現金が入った財布と、手提げかばん、二日分の着換えに各種の公的な書類、免許証や保険証などが私の持つほぼ全財産だった。仕事がなく保証人もいない人間が、マンションやアパートの一室を借りることは、大災害前でさえ簡単ではなかった。今はなおさらだ。とにかく仕事を見つけないといけない。仕事があれば、部屋が借りられないとしても、ネカフェ暮らしを続けることはできるだろう。というのは全て後付けの理屈である。実際のところ、私は混乱していた。母が死に、心が折れ、家を追われ、ひとまず落ち着けるところが必要だった。僅かな現金を節約して使う必要があった。ホテルに泊まることが愚の骨頂であることは、具体的な計算なしでも感じ取った。それでネカフェに転がり込んだ。仕事を見つけなければならないというのは、数日たってようやくそう感じたのである。それで、なにせ社会全体が緩やかに衰退しつつあるので、私のような緩慢な破滅の途上にいる人間は沢山いて、ネカフェにはそういう私の同類が沢山いた。同類が沢山いる、ということはつまり、まともな仕事にありつくことはとても難しいということだ。しかし仕事にありつかなければ、いよいよ路上生活が待っている。そうなれば私のような肉体的にひ弱な女性がどんな目に遭うかは想像に難くない。冬すら越せないだろう。体を売ることは年齢的にも精神的にも耐えられそうにない。


 現実は私の作る菓子パンのようには甘くない。菓子を作ることができるというのは、菓子を食べられるほど余裕のある社会でなければ役立てる道が乏しいのである。厨房でのバイトでは重宝されたから、工事現場のような肉体的に過酷な日雇い労働をしない程度にえり好みをしても、なんとかネカフェの宿泊代金を賄うことはできた。けれどもその仕事も日によって多かったり少なかったりして、仕事が少ない日が続くと食事を抜いてドリンクバーで済ますことになるのだった。ドリンクバーのジュースは、憎たらしいほど甘かった。こんなものがあるから菓子の需要がないのだと非論理的な八つ当たり思考になる日もあった。仕事がない時はインターネットを見ていたが、しばらくすると飽きた。どんなことでも毎日やると大抵飽きる。

 そんなこんなで、全てを失ってから1年が経とうとしていた。

 私の痛みと悲しみは日々の忙しさに流され、希釈され、しかし決して癒されることはなく薄まっていった。日に日に、働く時間よりも公園でぼーっとする時間のほうが増えていった。


 私がよく通う公園は駅前にあり、だから町の人はそこを単に駅前公園と呼んでいた。おそらく正式な名前、地図や行政の書類上に書かれる名前は別にある。公園というのはそういうもので、子供たちのつけた無邪気な名前を親や学校も使うようになる。例えば形が三角なら三角公園、ライオンの像があればライオン公園、少し小高い場所にあれば山の上公園、というように、名は体を表すというよりもむしろ体を表す名前がつくわけである。

 そこでその駅前公園というのは、テレビ公園とも呼ばれていた。なぜなら駅前には大規模テレビジョンが、この衰退した社会には珍しいことに、維持されており、テレビを買うほどの金がない人間やホームレスたちがそれをお目当てに集まっていたからである。金のない人間が集まれば、そこにはボランティアの人間が来る、金のない人間向けの商売人―というのは奇妙に聞こえるが、そういうものは実際存在する。奇妙な量り売りや出どころのしれない激安ジュース、コンビニ廃棄の弁当、転売された薬、混ぜ物をしすぎて効かないらしい麻薬、高利貸し、高利貸しの取り立て、ノミ屋等々―が来る、無許可の屋台が出る、チンピラが集まる、もうかえって駅を利用する人よりも多いぐらいに人が来る。そしてそれを受け入れるぐらいには大きな公園なのである。


 あの日は綺麗な夏空の下で、難病の猫を救うために50万円の寄付が集まったというニュースが街頭テレビジョンで流れ、その下にホームレスが群れていた。私はホームレスを排除するためにぐにゃぐにゃにくねったベンチに腰を下ろしてボケっとしていた。ホームレスが寝床にできないベンチは汚くないので、私のお気に入りなのだ。

 ふと目に留まったのは調理の煙だ。私の座っているベンチの反対の隅で、誰かが移動調理車で料理をしているらしい。それがなぜか目に留まった。屋台や炊き出しでわざわざ移動調理車を使っているのを見たことがなかったからかもしれない。

 近づいてみると、ホームレスたちが無料でご飯を受け取っていた。よほど金のある炊き出しと見える。いくつか立ててある看板には「互生―共に生きるー」と書いてあった。

 互生。毎日インターネットをしていた時に見た。あの隕石落下の翌年に被害を被った人たちが互助のために作った組合で、3,4年で急速に宗教的な側面を強めているが、現在でもそのルーツとなったボランティア活動や信者どうしの互助を強く推奨しており、また他のカルトのように一般社会からも隔離しないために、社会不安もあって爆発的に規模を拡大しているのだという。この炊き出しもその活動の一環なのだろう。

「余るぐらい作ってきたから、押さないでくださいね!」

 まだ若い、長い茶髪を揺らした大学生ぐらいの年の女の子が列を捌いている。

「あ、そこのあなたも食べますか? それなら列に並んでくださいね」

「あ、いえ、私はホームレスじゃないので……見てるだけです」

 声をかけられたが、ホームレス用の炊き出しを食べるほど落ちぶれてはいない。が、その時ふとあるものが目についた。炊き出しを乗せたプレートの上にあるのは、もしかして。

「これって、モンブランですか?」

「ええ、そうなんです。ちょっと小さいですけど、材料が用意できたので……」

 それは私にとってダムを崩壊させる最後の一滴だった。気づけば私が号泣しながら身の上を語っていた。かつては母とパン屋を営んでいたこと。売り上げのために菓子パンを作るようになったこと。甘いものの材料が高騰して辛かったこと。母の死以降店がうまくいかず、最後にはネカフェ難民に身をやつしたこと。

 女の子はうなづきながら私の話を聞いてくれていたが、ホームレスたちはどんな反応をしてよいかわからず、距離をとってこちらを見ている。

「……ごめんなさい、急に泣き始めて。ご迷惑でしたよね」

「いえ、そんなことないですよ。お辛かったですよね……そうだ、良ければ今度から、炊き出しでお菓子作ってみませんか?」

「え、私が?」

「ええ、私も甘いものをメニューに加えろって言われてから、レシピ本を見ながらなんとかしたんですよね。もし経験者の方が作ってくれるならとても助かりますし、材料はこっちで用意しますから」

「ありがとう。本当にあなたは優しいのね」

「いえ、誰にでも親切に、が私たちのモットーですから! 私は坂口と言います、あなたは?」

「田中。田中冬子よ。」

「田中さんですね! 私たちは隔日で12時ぐらいにここに来ますから、時間がある時に来てもらえれば大丈夫ですよ! 義務じゃないですので!」

 こうして私はまた、甘いものを作るようになった。お菓子を作っている間は、悪いことも全部忘れられた。狭いキッチンにいる時だけは、母のパン屋を思い出せた。

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