あの大災害と、それを乗り越えた生業を潰した私
あの大災害、太平洋に巨大な隕石が落ちて、猛烈な津波と大地震、そして舞い上がった煤が引き起こした隕石の冬が世界を一変させてしまってから、人類は緩やかな衰退を始めた。それまでの人類が、何一つ瑕疵なく、輝かしい未来を持っていた、とは思わない。地球温暖化や、大国間の対立、地域紛争に南北問題。問題は沢山あった。けれども、人類は増え続けていたし、経済的にも発展し続けていた。衰退する国はあったけれども、同じぐらい発展する国があって、人類全体としての科学技術・経済の水準は向上し続けていた。私はそれを覚えている最後の世代になるだろう。
あの隕石が落ちたのは、12歳のころだった。両親が開いていたパン屋の仕入れに出かけていた父は、たまたま海に近い取引先に出かけていて、助からなかった。母は私を連れて避難所に行った。避難先の体育館に人が沢山いて狭かったことだけを覚えている。本当は、もちろん、それだけの大災害なのだから、トラブルや非日常的な出来事が沢山あってそれを覚えているはずなのだが、どうも私の心は忘れることで自分を守ることを選んだらしい。
私たちの自宅、兼、パン屋は運よく被災しなかった。けれども家に帰ることができた後も、物事は悪い方向にばかり動いていった。断片的に海外から伝えられるニュースは、国の崩壊、大規模な飢餓、生活必需品の輸入の減少ばかりを伝えていて、実際パンに使う小麦粉もほとんど手に入らなくなった。父の死に伴う保険金を切り崩すばかりで、生活は苦しくなる一方だった。隕石落下に伴う大混乱と社会の急激な変化の中で、数年後にはなんとか、元の便利な生活とは言わずとも、ある程度の日常が戻ってきた。その中で混乱を利用して大金持ちになった人も、全てを失った人もいるらしい。母と私は、なんとかかんとか生きてはいけた。小麦粉もある程度は手に入るようになってきた。ただ、無尽蔵というわけにはいかなかったので、付加価値の高い菓子パンを作るようになった。砂糖を手に入れることも簡単ではないが、それでもただパンを売るよりはましだった。菓子パンは誕生日や月に一度の贅沢品のようになったから、単価をかなり上げられたのだ。
ケチが付き始めたのは数年前のことだ。母が体を壊して入院した。働けなくなるほどの病気でもなく、すぐに退院したが、それでも通院は必要だった。いい機会だからと、私が店を継ぐことになった。それまでもパンを作るのを手伝っていたから、まだ不安はなかった。しばらく安定していた小麦粉や砂糖の価格が上がり始めた時も、それは一時的なものだと思っていた。治療費も少しずつ生活を圧迫したが、そんなことを母に言えるわけがない。客足が数年かけて少しずつ遠のいていった。それは私の腕が、母に比べて悪いからだろうか。しかし友人に食べ比べてもらっても、母のものと私のものの区別はつかない、と言うばかりであった。宣伝をし、チラシをバラまいて、その他いろいろの労力をかけてみても、客足は戻らなかった。母の病気は悪くなる一方だった。私のせいで母から受け継いだパン屋を潰すところを見せたくなかった。母にとってこのパン屋は、すでに遠くなった父の思い出と、今の自分を結びつける柔らかいオリガミの鎖のようなものだった。
その母が死んだのが先月のことだ。葬式を挙げるお金もなく、僅かな費用で市の合同墓地に入れてもらった。考えてみれば、父も遺骨が発見されてさえいれば、この合同墓地に身元不明者として埋葬されているはずである。してみれば案外悪くない選択なのかもしれない。
母が死んだことで、私の中でプツリと何かが切れた。臨時休業の看板を、廃業のそれに架け替える。長年のご愛顧、ありがとうございました。という定型文。誰も私が作るものなんて、私自身ですら、愛していないくせに。
嵩んだ買掛金と、銀行からの借金を、家財道具を売り払って返済する。足りない。行員が言うには、ちょうどパン屋を営みたい人がいるから、家を売る仲介をしてもいいと。
自営業を廃業してホームレスになった。私、田中冬子が34歳の春のことである。
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