軽い失敗は重い失敗の命綱、ただし適切に対処をできるなら

 さてそんな「島の未来」「産業」などの大きなトピックについて日々考えをめぐらすご立派な一郎も、相根が毎日不良とつるんで売春しているという足元のことには気づかなかった。

なぜか。まず、相根も不良も実に慎重だった。相根からしてみれば、島の連中にバレる経路は、一郎からのルートか、取った客が島の人間であるかのいずれかであった。客を取る前に写真をしっかり見るようにしておけば、あとは一郎を警戒しさえしていればよかったのである。だから一郎の前では必ず不良に会わないようにしていたし、少しでもバレそうなら道を迂回して避けたりもした。不良からしてみれば、トラブルが起きない限り、相根は毎日一万円を産んでくれる牝鶏である。多少面倒でも、身バレやそれに伴うトラブルのリスクを避けるのに付き合うのは当然のことだ。それに相根がバレる危険を感じて、もう売りをしないと言えば、不良だって困るのである。一度実入りがよくなると、どうしても支出は増える。そして増えた支出を元に戻すことほど苦しいことはない。バイクの部品をつい買ってしまう。ついバイトのシフトを減らす。それを元の木阿弥にしたくなければ、多少面倒でも相根の要求、特に身バレを避けるための安全策については受け入れざるを得なかった。つまりは相根のケツ持ちでもあるが、実のところ相互に依存しているのである。

一郎は相根をあえて避けるようにしていた。今、相根に馴れ馴れしく接すれば、なおさら相根の警戒とイライラを引き上げるに違いないのである。それに高校で嫁を見つければ、あえて嫌がっている相根との結婚をすることもないと祖父を説得できるかもしれないという考えもあった。もちろん高校で嫁を見つけようなんて、それ自体が逸脱した異常で、内輪で、島の中でしか通用しないような考え方なのである。一郎だって馬鹿ではない、否、聡明なのであるが、だからといって閉鎖環境での異様な考え方を一人で独立して誤り訂正することをこの年齢の若者に求めるのは酷である。それを抜きにしたって、放課後2時間しか活動できない上部活もしていないのに、まともな恋愛をしようと言うほうが無茶な話である。


 このままいけば、相根は、高校を卒業する前に売春で貯めた金で島から逃げ出して終わりだったろう。両馬は悲しむだろうし、島中の人間は怪しからんことだとけなすだろう。けれども白沖家の島内権力をもってすれば、一郎に代わりの若い女を宛がうことに不都合のあろうはずもない。相根は逃げ出した先で金が尽きてホームレスになるか、風俗に沈むかして、不本意な人生を実質的に終了させることになる。つまり、肉体的に死ぬというわけではないが、自分の為したいことを一切なしえず、世界に対する一切の干渉が不可能になる。社会的存在としての永遠の死亡。全くつまらない結末だ。けれどもそうはならなかった。

 それは相根が一度ヘマを踏んだからだ。ろくでもない客と不良がしょうもないことで揉めて、ホテルを出るころにはすでに時間がギリギリだった。不運とは重なるもので、田舎には珍しく事故で渋滞にひっかかり、港に着くころにはすでに乗るべき最終便が出ていたのである。

 こういううっかりをする人が大人でもいないではなかった。本土で飲みすぎて連絡船に間に合わないような人が年に何人かはいた。それでそういう人のために港の小さな管理小屋が解放されていた。元は昼間に港の管理者が使うための小屋であるが、夜も鍵だけはかけずにおくのである。火は扱えないが電気ポットとカップ麺と水、そしてボロボロの毛布がいくらか備え付けてあるために、一晩はひとまず越せるのであった。あまり詳述して、相根の住んでいた島や、相根が売春していたホテル、通っていた学校などが聖地のように世間一般の好奇の目に晒されることを筆者は望まない。だが少なくとも北海道や東北のような、毛布一枚で夜が越せないような極寒の地域ではなかった、というのは書いても差し支えないであろう。

 もちろん女子高生がそんなところで寝泊まりするのは不用意ではある。不良たちの家に泊るという選択肢もあった。実際不良たちはそれを勧めさえした。半分はワンチャン無償セックス狙いだが、もう半分は純粋に心配からだった。そのころになると、不良たちにとって相根は金づるであると同時に、何か異様に自分たちから隔絶した修行僧のように思われたのである。不良たちは交代で相根のボディーガードを務めていた。が相根は毎日、月に一度の生理の時以外は毎日セックスしていたのである。金のやり取りは不良たちを通しているから、だいたいいくら儲けているかはわかる。何十万という金を積み上げて、あのどうしようもなく不便な、個人商店が一つあるっきりの島で何を買うというのだろう。相根がその金を浪費しているところを見たものは誰もいなかった。ただ毎日規則正しくセックスし、金を得て、帰って寝てまたセックスする。それは孤独な素振りや山中に籠っての修行を想起させた。何が彼女をそこまでストイックにするのだろう。事情を訊いてみても、一度も教えてくれはしない。ただ、沢山の金が要るのだという。彼らは想像をめぐらしたが、正解したものは一人としていなかった。

 ともかく、不良の誘いを相根は丁寧に断って、小屋で一夜を明かした。このぐらいのうっかりは、それはもちろん咎められるだろうが、島を挙げての大ごとになるほどのことでもあるまい。明日は土曜日なのだから、朝一の便で島に戻ればいい。そう思って仮眠を取った。

 翌朝、相根は怒号で目が覚めた。

「こんなところにいたぞ!」と小屋の入り口で声を張り上げたのは、白沖家の屋敷で見たことのある下働きの下男だった。

「どうしてこんなところにいるんだ!」

「いや、そもそもあんたには関係ないでしょ。白沖のところの……誰だっけ?」

「関係ないどころか島中大騒ぎだぞ! うちの一郎さんの嫁さんが逃げ出したって!」

「は?」

 一郎は『とにかくその話はお互いに高校を出るまではしないということで片づけてきたんだ』と言っていたのではないか。けれども、まあ、なるほど、一郎を信用したあたしがバカだった。それは彼が悪い男というのではなく、一郎もまだ後継ぎでしかなく、決定権は島の権力者たる彼の祖父が持っているもので、そいつは交渉する気もないし、嫌がる女が逃げたら手下を使って無理やり連れ戻すということなのだろう。

 それが今わかれば、またやることは違ってくる。

 集まってきた男たちに大人しく連行されながら、相根は内心で決意する。逃亡は、解決策にはならない。父や一郎と話しても、何にもならない。

 燃やすしかない。島の全てを。


 仮に私と一郎が結婚させられそうになったとして、その一件が一郎の思い通りに、とまでは行かなくても、ある程度の意思を持って干渉できることであれば、一郎は暴力的に私を連れ戻すことまではしない、とみていた。なればこそ、逃亡のために資金を貯め、計画を練っていた。けれどもそうではないことがはっきりした。

 もう住んで十年近くになるが、島の風習は未だによくわからない。結婚は家と家の間のモノで、交換可能なはずだ。実際に早死にした長男の未亡人を次男が娶るケースも目にした。あの島では長女と次男の結婚は、長男と次女の結婚と等しいはずだ。なのになぜ白沖家は私個人にこうも固執する? 私が一人娘だから? だが、それは本質的には意味がない問いだ。直接聞くわけにもいかないし、答えてもらえるはずもない。考えたとて理解できず、ただそう“在る”もの。本質的には怪異的な存在。そういったものには、そうという前提のもとで対応しなければならない。全世界でメートルが使われているわけではないのと同じように、全世界が同じ理屈の尺度で計れるわけもない。むしろ今わかったのがラッキーだと思うことにした。

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