均質性、特権性、あるいは上からの謝罪

 そしてまた、相根の人生にとって重要な二つ目の出来事は相根が中学三年生の夏に起きたのである。読者諸氏はスピードが速すぎるとか、学生生活の描写が薄いだとかお怒りになられるだろうが、全く仕方のないことである。容赦願いたい。なんて言ったってこのような田舎では流れる時が遅く、均質であるのだ。春は毎回同じ春で、夏は毎回同じ夏。冬は同じように寒い。どこを切っても金太郎飴のような日常で、まだ学校の人数が多ければ人が多いことに起因する人間関係の諸々の事件が起きもしようが、このような小中合計して数十人の学校ではそんなことも起きはしない。まさにそれこそが、読者の皆様の感じている無味乾燥性を数千倍したものが、相根の感じる苦痛であると感じていただければ幸いである。

 それで話を戻すと、それは夏と言っても本来は子供が外に出てはいないような全くの夜の話である。なぜそんな夜に子供たちが外にいるかと言うと、それは盆踊りだからである。祭りではない。出店を出すようなヤクザはこの島にはいない。ヤクザと言うのは元来寄生虫であって、寄生するほどの利益をこの島は産まないのだ。それは砂漠であるがゆえに尋常の虫がいないのと同じようなもので、とりたて悦ぶようなことでもないが。

 ともかくも盆踊りである。公民館に集まって踊るのだが、その公民館が白沖家の屋敷の隣にある。何なら白沖家の屋敷の敷地内のようにも見えなくはない。何も職権乱用というのではない。白沖家の家は、村で一番高くて見晴らしのよい、ちょっとした丘のところにある。それで何かしらの災害があった時に避難するのに都合がいいからと言って隣に立ててしまった。まあ半分は建前である。何度も述べている通りこの島の形は御椀である。御椀の淵のように山が一周ぐるりと取り囲んでいる。それがどうして津波やらで逃げることがあるだろうか。山を越すような前代未聞の大津波なら、むろんちょっと小高い程度の白沖家の屋敷の隣に避難したところでむろんどうにもならない。だからこんな立地の本音と言うのは、こういう村で集まるような行事がある時に、ご立派なご立派な白沖家の屋敷の、一つの家庭を支えるのには不釣りあいに大きい台所が、村中の女性たちを集めて料理と酒を振舞わせる田舎的奴隷労働集約に都合がいいというところである。白沖家の女はむろんてんわわんやだが、他の女たちも台所に立ち入って交代で手伝う。男衆はみな酒と料理を愉しむのだから、要求される料理の量は並大抵ではなく、それらを一気に調理できるような台所は白沖家の屋敷にしかなく、都合人が集まる場所は白沖家の近くが都合がよい、ということである。なんなら小学校も白沖家の屋敷から坂を下りてすぐのところに建てた。それにしても田舎特有の汚い汚い男尊女卑である。筆者も眉をひそめながら書いているのだが、事実起きたことなのだから書くより致し方のない。ともかくそんな公民館に集まって踊るのである。若い男衆は変わりばんこに太鼓を叩いて、女たちは変わりばんこに料理を作って、子供たちや老人たち、手の空いた連中は歌いながら踊る。疲れてきたなら並んだ料理をつまんで休憩するのである。別に島民300名が雁首揃えて公民館の中で踊っているわけではない。なんなら外で踊っている連中もいるし、踊りつかれた人はさっさと夜風に当たってみたりする。しかしそれでも島民のほとんどを収容できる公民館は立派なハコモノと言える。虚偽で塗り固められた選挙の舞台にもなれば祭りや寄合でお役目を拝命することもあり、またいざとなれば災害から島民を守る盾ともなる。その鍵は白沖家が管理している。

 だがそんなことは今はいい。特筆すべきことは一郎が相根をこの盆踊りに誘ったことである。言うまでもないことだが山での遭難があってから、一郎は相根を誘うことを躊躇するようになった。相根のほうはそれで随分と快適に過ごせるようになったが、一郎としては負い目がずっと残ったままであった。しかし負い目が残ったままではいけないと強く思う理由があった。なぜ一郎が「中学三年の夏に、絶対相根への負い目を解消しないといけないか」というと、それにはこれこれこういう事情があるのである。


 まず抑えるべき事実として、高校に行こうという時に、この島の人間には選択肢はないのである。唯一の港から出る、本土への連絡船の行先の港。そこから現実的な通学時間で通うことのできる高校は一つだけである。バカでもなく賢くもない普通科の高校。そこに通おうと思ったら、朝六時に起きて六時半の船出に間に合わせ、七時ごろに港についてから一時間はバスに揺られて八時頃に高校につくことになる。16時ごろに学校が終わって、港まではバスで一時間。そして最後の連絡船は19時ちょうど。だから2時間は学校の近くのイオンモールでウインドウショッピングを楽しむことができる。それが許される唯一の娯楽というわけである。そんなだからむろん、部活などできようはずもない。工業が学びたかろうが商業が学びたかろうが、それは夢で終わる。一つしか受けられないから、受験に落ちれば即座に中卒である。だが別に悲惨なことはない。この島の人間のほとんどは中卒だ。畑を耕すのに、魚を捕るのに学はいらねえ。明治維新がなんだ、竹やりでえいと突き出す二分五厘ってなあもんで。子供を学校にやりたがらないというわけである。実際それで男は家業を継いで畑なり田んぼなり漁なりで一家を食わせられ、そこそこの嫁さんをもらって子供を考えなしに作っても相応に暮らしていけるというわけである。もちろんその嫁さんというのもこの島で育った女なのである。こういうわけで子供一人にかかる費用が随分と少ないから、避妊なしのセックスを考えなしに行うのがこの島の主流だ。そこでもう本当に気持ち悪くて書いてて気分が悪くなってきたから書かなくていい? ダメ? じゃあちゃんと怖気のする事実を書くと、この島では子供の数が夫婦の仲のパラメータなのである。要は避妊せずにセックスをするので子供の数=セックスをした回数×期間=長ければ長いほど仲がいい。もうびっくりするぐらい気持ち悪い。もちろんそれに納得のいかない人たちもいて、そういった人たちはみな島を出て行く。不満を持つ者が島を出ていくことで、島の人口は適度に維持されて、土地不足などの問題も起きない。そうなるとやはり考える必要などないし、子供たちに全員出ていかれても困るから、また考えなしにセックスをしてバックアップを増やす。一つの呪われた循環である。子供がたくさん出ていくから沢山作るのか、沢山作って金をかけないから出ていくのか。超少子高齢化の日本の中に、疑似的な多産多死の途上国が現出しているというわけである。出て行った人間たちはなるほど相応の苦労をするだろう。出戻りするよりマシだと死を選ぶ人たちもいた。それでそんなことが何年も何世代も続いたことで、この島ではそういった生活、男は家業の手伝いから将来的にはそれを継いで、女はそこに嫁ぐというやり方について、子供の教育機会や夢を尊重するという視点で異議を差し挟むような人はほとんどいなくなる。文句がある人は黙ってある日島を出ていく。こうして島の群れ全体の人口と経済水準は保たれる。確かに高収入というわけではないが、家は先祖代々のものを改修して住むし、車なんてこんな狭い島でどう乗り回すんだって言うお話で、嵩む費用と言えば農作業用の器具や乗り回す漁船、あとはその燃料ぐらいなわけで、それも農協漁協を通せば安くローンを組んで買えるわけである。

 話を戻すと、そういうわけで、この島の人間はほとんどが中卒である。高校に子供をやるというのは、この島の中ではよほど教育に理解があるというレベルの話なのである。実際のところ、今高校に通っている島民はいない。相根と一郎の同級生も一人いるが、彼も家業の見習いとなる予定である。一郎は白沖家の跡取りとして大学教育まで受ける予定であるし、相根も教師の子供だけあって高校には行ったほうがいいということで高校には行く予定である。そこで二人とも無事に高校に受かったなら、必然的に同級生となる。流石に同じ島からたった二人の同級生として高校に通うからには、いつまでも気まずい関係ではいられない。お互いに協力したほうが良い場面も出てくるだろうし、支え合うこともできるだろう。一郎は勝手にそう思っていた。そこで改めて山でのあの出来事を謝罪して、わだかまりのない状態にしたいと思ったのだ。

 結局のところその謝罪は適当に流された。

「あーはいはい、別に気にしてないから」

「そうか? それにしては随分俺に厳しいような」

「それは前からでしょ」

「そういわれてみれば、そういう気もするな」

 相根からしてみれば、そんなことがあろうがなかろうが、一郎のことはどうだっていいのである。否島民の誰とも関わり合いになりたいとは思っていないのである。彼女はついに久しぶりに本土の土を踏めるということで少しは興奮していた。しかしほとんどは諦めていた。彼女もこの島の通学事情についてはとっくに飲み込んでいる。どうせ大したことはできない。本土に行って帰るだけだ、これまでとたいして変わらないと思っているのである。これは実はそうではなくて、本土で使える平日の2時間というのは彼女にとって大きな果実を生むのだが、そのことを彼女が知る由はない。

「そういえば」

「何よ」

「俺たちと同学年の義雄は、高校には行かないって知ってたか」

 先に触れた家業を継ぐ同級生のことである。

「義雄も何も、この島の人間で高校に行く人のほうが少ないでしょ。それぐらいのことは聞いたわよ、父さんから」

「そっか、そうだよな。俺はそれじゃダメだと思ってる」

「へえ、あんたらしくないじゃない。てっきりあんたはこの島の何もかもが大好きなんだと思ってたけど」

「大好きだよ。俺はこの島が大好きだ。この島の自然も、田んぼも、海も。だからこそ変わらなきゃいけないと思う。みんな昔と同じことを同じやり方でやって、難しいことを俺たち白沖家に任せるというのは、俺たち白沖家がしっかりしてるうちはいいけど、そうじゃなくなった時に破滅的なことになると思う。それに」

「それに?」

「今は教師、相根のお父さんのような人とか、お医者さんとか、消防士とか、何かの専門家が必要になった時はいつも本土から呼んでいる。けれどもそれだっていつまでもずっと頼りっきりと言うわけにもいかないだろう。俺たちが生まれる前のあの災害で、本土だってろくに余裕がないんだから。それに来てくれるたって両馬先生のように真面目な人ならいいけれども、この島の風習とどうにもウマが合わないとか、そもそも一人で仕事をするのに適任なベテランがいませんだとか、そう言われてからじゃ遅いんだ」

「だったらあんたはどうしたいの」

「やっぱりみんな高校には行ったほうがいいと思う。それもこの島に高校の分校を作るんじゃなくて、本土の高校に行かなきゃダメだ。本土の土を踏むと見識が広がる。広がれば俺は家業を継ぐんじゃなくてこれをやって島の役に立ちたいというのが出てくるだろう。それが大事なんだ。もちろん誰もが医者や教員の免許を取れるなんて思ってはないけれど、でも、今のままじゃとにかく未来がないと思う」

 俺はこれで島の役に立ちたい、だなんて! 相根は内心で失笑した。島の中しか知らないからこそ島で安寧に暮らせるのだ。そうでない者は元より島の外に出て還らないのだ。本土の土を踏んだ人間がどうしてこの島で暮らそうと思うだろうか! 相根はそのことを誰よりも知っている人間だった…………けれどもそんなことをわざわざ教えてやったりはしない。面倒だからだ。「ふーん、まあ悪くないんじゃない」とだけ、相根は答えた。

 盆踊りの太鼓とセミの鳴き声がドンドンドン、ミンミンミンと暗闇の中にずっと響いていた。

 それにしても盆祭りの夜、人目のない暗がりに女を呼び出しておいて、やれ謝罪だやれ教育だ、こいつは中三にもなって気になる相手の一人もいないのか。やっぱり本土より遅れてるなあ、東京ならこんな場所で二人きりになるのは男女カップルだ。セックスをしないにせよキスするぐらいはするだろうに。よりにもよって気まずい相手と一緒にいるなんてアホじゃないか、と相根は思った。白沖家の御曹司ならどんな女だって恋人にしていずれは嫁に取れるだろうに、と思うぐらいには相根もこの島の力関係を理解するようになっていた。もちろんそれだってわざわざ突っついてやることはないと思ったので、思うだけにしておいた。


 結論から言うと、二人とも高校に受かった。元より普通レベルの公立高校なんて、教科書の中身をきっちりやっていれば落ちる理由がないのだ。確かに塾に行けないことはディスアドバンテージではあったが、相根は先述した通り勉強ばかりやっていたし、一郎は白沖家を継ぐ者として勉強もやっていた。もちろん二人のやり方は無駄が多かった。教師は一人しかいないし、その教師だって二人に専属というわけにはいかなかった。参考書や問題集の不足は甚だしかったし、受験勉強のやり方を教えてくれる人もいなかった。相根は強いて両馬の手助けを受けない様に意固地になっていた。だが上位校を受けるのでもなければ効率の悪い努力で十分だった。

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