山中に宝物がある、というのは御伽話の定番ですが

 さて、そろそろ読者諸兄もユーゴーめいた脇道談義に飽きてきたころであろう。物語の主人公であるからには、「相根はこのままつまらない孤島で育ってつまらない孤島で嫁いでつまらない子供をたくさん産んでつまらない人生を送ってしわしわの枯れ枯れになって死にました」とはならないのであって、彼女が自分自身の人生を歩むための最初の、とても些細な、それでいて大きな出来事が起きたのが彼女が12歳、小学六年生の時である。だから我々はカメラをそこに向けることとしよう。

「一郎が相根を誘う試みが成功することはほとんどなかった」というのは、つまり、ごくまれには成功することがあった、ということである。それは相根の機嫌がごくよろしい時か、相根が何周も繰り返し読んでいる学級文庫をちょうど読み終えた時か、あるいは相応の事情があった時のことである。およそ一年に一度程度と考えればそう間違いはない。そういうわけで一郎とその取り巻きたち、そして相根は山に遊びに来ていた。特段何をしようという決め事があるわけではない。子供たちは山のそこかしこで、遊ぶに足る何かを勝手に見つけるものだ。それは自分の小さな手のために拵えたかのような掴みやすい木の棒だったり、なんらかの虫だったり、あるいは綺麗な花や石だったりする。綺麗で“まんまるい”だけの石を山ほどポケットに詰め込んだまま家に帰ることで母の怒りを買うのは子供の特権だ。まあ、相根には母親はもういないのだが。

 勝手に見つけると言っても流石に余りに道を外れると危ないから、一郎は自分も楽しみながら、取り巻きたちがはぐれない様に目を向けていた。しかし7,8人の子供たちを一人で見張るなどと言うことは大人にだってできたものではない。ましてや山ならなおさらだ。12歳に対して厳しい言い方をするなら、「一郎は気を付けている“つもり”だった」わけである。その上一郎の脳裏には「小さい子供ほどはぐれやすい」という危機感があった。これは実に正しいリスクの認識だが、それゆえに、自分と同じ年の相根については注意をあまりしていなかった。しかしここまで述べたように相根は外に出て遊ぶことを嫌っており、ましてや山に入るなどと言うのは初めてだった。素人なのである。

 だから相根がフラッと道ならぬ道に入ってしまったことは誰が悪いでもない、無理もないことなのである。全く登山ではこういうことがよくある。獣が歩いたような道だとか、なんかしらの作用でちょっと道のように見えるものがあると、例え登山の上級者でも道を違えることがある。ましてや山に入るのが初めてというような素人ではなおさらである。それで道なき道を進んだ先にちょっとした平場があった。そこには小さなプレハブ小屋が一軒建っていたのである。一体こんなところに何の小屋だろうと思って近づいてみると、ドアに鍵はかかっていないようである。どうせやることもないのだしと入ってみた。

 中はそっけないコンクリ打ちの床で、埃がかなり溜まっていた。これだけ埃が溜まっているからには、雨漏りはしていないのだろうな、とぼんやり考えた。ぼんやり考えてみて、ふと、考え事をするのに適した静けさであることに気付いた。あの不愉快な自然の音はどこへいったのだろう。壁がよほど分厚いのだろうか。けれどもそんなしっかりした建物のようには思われないのだが。

 これは相根には知る由のない話なのだが、この小屋はかつてこの島で林業をやろうとした時に立てた倉庫なのである。戦後から高度経済成長期にかけて、急増した建築需要のせいで木材が高騰した。本土ですら木材が高騰したのだから、このような輸送力に乏しい孤島ではなおさらである。そのころはまだ、今廃港になっている港も稼働していたので、使える港は二つあったのだが、それでも高額な木材を難儀しながら運び入れていた。うっかり海にでも落とそうものなら、それが例え細い木の棒でさえお葬式のような雰囲気になった。それで当時の村長は、なぜこのように森が島を囲っているにもかかわらず、木をわざわざ本土から運ばねばならないのだ、自分たちで使う分ぐらい自分たちで伐ればいいじゃないかと言って、島を囲っている森で林業を興そうとしたのだ。村人たちにとっても木の値段が下がり輸送が楽になれば願ったりかなったりということでいくつか機材を買って始めたのだが、これが難航した。まずノウハウがない。加えて冒頭で説明した通り、この島を囲む山は大変急である。だから何をするにも大変である。高価な機材を買ってきてもそれが木のところまで無事に運べない。運べたとして、機材を動かすための燃料はどのみち本土から買わねばならない。自給自足と言えば聞こえはいいが、結局は小規模林業なのでスケールメリットが働かない。それでも木材の値段が高いころは必死で努力している人もいたが、鉄筋コンクリートの家が普及してからはそもそも木材の需要が激減し、従って林業の意気は自然消滅してしまった、ということである。そうして放置されたのがこの倉庫である。

 そこで当時燃料のガソリンなど危険物などもおいてあったこの倉庫は、見た目に反して壁も分厚くしてあるし天井も雨漏りなどないように気を付けて作られているのであった。しかしなんということだろう。12歳の少女が周りと隔絶されて尊重されたい、ほっといてほしい、ただそれだけを望むのに、与えられるものが冷たく埃塗れのコンクリ床だなんて! これが天の配剤とでも言うのだろうか。

 ともあれ久方ぶりに誰にも邪魔されない時間を楽しんだ相根は、そろそろ戻らねばならないと気づいた。もっと言えば、気づかれない様に戻らねばならない。この場所が他の悪ガキどもにバレたら、まず間違いなく秘密基地などとはしゃぎたてるだろう。そうして色々ながらくたが持ち込まれ、常にだれかがはしゃぎ、静穏さは消え失せる。その上子供たちのたまり場になって何かトラブルでも起きたり、怪我でもしたりした日には、放置されていたこの小屋も取り壊されるやもしれない。それはまずい。名残を惜しみながらも相根は小屋の外に出て、こっそりと来た道を戻った。そこでばったりと一郎に出会った。一郎のほうでも相根がいなくなったことに気付いて、他の子供たちを一か所に固まらせたうえで自分は探し回っていたのだった。

「一体どこに行ってたんだ」

「ちょっと道に迷っちゃって」

 もちろん馬鹿正直に小屋のことを話す理由などないのである。山中で迷ったにしては服がきれいすぎるし、焦ってもいない。むしろ笑顔がこぼれそうなのを必死で抑えているわけなのだが、それに気づくほど余裕がある一郎ではない。

「そうか……心配したぞ。山は危ないんだから、俺たちから離れすぎるなよ」

 人付き合いが嫌いな相根でも、一郎が落ち込んでいることはわかった。クソ真面目なこいつのことだから、責任とやらを感じているのだろう。普段いつもしつこく付きまとわれている相根は、ふと強烈にやり返したくなった。

「乗り気でない人を無理やり誘っておいてそんなこと言うぐらいなら、最初から誘わないでくれていたらいいのに」

 こうして責めておけば、何があったとか聞かれずに済むかな、という打算もあった。。彼らは待たせておいた子供たちと合流し、ひと塊になって無言で山を下りた。一郎の顔は真っ青だった。綺麗にカラッカラに晴れている初夏の出来事である。

 この出来事は、相根が自由に集中でき、誰にも見つからずに様々な品物を保管できる場所を見つけたという意味で重要であった。その上タイミングもよかった。もし相根が自制心の乏しい小学校低学年のころに小屋を見つけていたなら、毎日入り浸っていただろう。自然が大嫌いな相根がいきなり毎日山に行くようになれば、さすがに両馬も一郎も不審に思うはずである。そうすれば発覚は時間の問題である。また中学生のころに山に立ち入っていたとしたら、一郎はまず間違いなく相根から目を離さないぐらいの分別はあっただろう。また高校生になったら通学のために本土に行くのだから、行動範囲は本土に移り、そもそも山で遊ばないだろう。まさに天から降ろされた細い糸である。しかしそれがなんと本当に細いことか! 相根は本当に我慢が出来なくなった時にだけ、慎重に、細心にこの隠れ家を用いた。そして考えに耽ったり、人知れず泣いたりしたのである。彼女がこの場所をより活用するのはかなり先のことになる。

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