「雑記」一般通過おじさんの記憶

 もうだいぶ年を取って来て、思い出すきっかけも無くて、子供の頃に一緒に遊んだ人のうち何人かは病気、怪我、震災で亡くなってしまったので懐かしく語る相手も居ないので書いてみようかなと思った。


 当時のまだ小学生だった僕はあまり良くない家庭環境(アル中ギャン中の女好きの父が東京へ出来稼ぎしてる癖に家にお金を入れない)で育っていて、学費や贅沢品に相当するであろう欲しい物や着る物は、新聞配達のアルバイトと家庭内で出来る電気部品にバネを入れる謎の仕事と季節毎の収穫系のアルバイト(山菜、ふきとり、イナゴ獲り、クワガタカブト獲り)とか近所のお手伝いで揃えていた。


 新聞配達は冬になると本当にしんどくて、冬の東北地方で寒さ厳しい朝5時位から20㎞位の範囲を砂利道とぬかるんだ赤土の道(舗装済は新聞屋がバイクで回る)を氷だらけの路面で滑って籠しか役に立た無い自転車を押しながら配達してたのを思い出す。


 お正月は世間的にはお目出たい雰囲気なんだけど、僕からしたら地獄で正月用広告のぎっちり詰まった分厚い新聞を持って、凍って滑る道を半泣きで踏みしめてたのは今でも忘れられない。雪と氷と赤土の上で何度も転ぶから顔も手もべちゃべちゃで朝の冷たい風でドンドン冷えていく体を叩いたり擦ったりして無理やり動かしながら配達してるんだけど、毎日当たり前のように転んでるもんだから手も当然汚れちゃってて新聞は触れないから、届ける家の近くに来たら新聞を取る為に素手になるのだけど、土と雪でぐちゃぐちゃになったまま冷え切ったタオルと降り落ちる雪で新聞が濡れ無いように掛けているカバーの金属が、冷たくなった手にダメ押しをするように冷たく刺さって痛かった。


 お正月はみんな早起きで正月用チラシとテレビ欄が待ち遠しいのか、普段寝てる癖に配達先の人がすでに起きてて「配達が遅い!!」とか言われる始末だしで、本当にしんどかった。今でも極端に体が冷えたりすると子供の頃の心が少しだけ蘇って頭の中が「なんで?」「寒い」「ツライ」「助けて」の単純な感情が支配して来るからビックリしちゃうよ。


 でも、しんどいだけ実入りは良くて、しかも当時は貯蓄癖があったので小学校の低学年からチマチマと貯めたお金は結構な額になっていて、何度か両親に貸し出した事があった位だった。当然のように帰ってこない時もあったけど...


 当時買ったものを思い出してみると、釣り道具(川が近い家だったので)、プラモデル、エアガン、パチンコ、その他散財(駄菓子屋系グッズ、スライムとかスーパーボールとか謎のびよんびよんするリングとかそこらへん)、あとはPCだのゲームだのの子供にしては大物になるやつFM-7(富士通さんの家庭用PC)約120,000円、AIWAのデータレコーダー(DR-2)約13,000円、セガマークⅡセット(SG1000Ⅱ+SK1100)約30,000円、セガマークⅢ約15,000円、その他ソフト群だが、当時は5000円で買えるソフトが多かったのでおそらく数万円位は買っていたと思う。


 当時からコンピュータに強い関心があって雑誌についていたプログラム(BASIC)を打ち込んではカセットテープに記録して遊んだものです。緑の画面を見てパチパチ叩いていると、閉鎖的なコミュニティで遠くに行く手段も無くて、近くに発展した場所も無い集落のような町に住んでる自分が発展した未来に居るような陶酔と錯覚がして憧れに似た何を感じたんだろうなと思います。


 あったり前のように勉強をしてなかった僕は、普段の朝と夕の新聞配達の時間を除けば自由時間で、その時間に友達と沢山遊んだ。


 ハチの巣つついたり、川で潜ったり釣りしたり、季節を跨ぐけど山にアケビだの桑の実食べに行ったりと本当に自然とだけ遊んでた気がする、ハチの巣だけを取りあげてもエアガンを持って突撃したり、ロケット花火をコーラ瓶に入れて向きを固定して砲撃したり、意味も無く棒で突っついて落としたりとワンパク極まりない感じだった。


 やがて中学生位になってくると、曖昧な自我や自己視点だけじゃなくて社会の中での自分が見えてくる、僕の場合は出稼ぎで父が居ない上に父の地元は隣町で母にいたっては同じ県内だけど数十キロも離れた町出身って状況だったので地域からは「よそ者」と捉えられてる事に気が付いた。そして振り返ってみると子供の頃からたくさん遊んだ親友も小学生に入るか入らないかで埼玉から越して来た「よそ者」だった。現在では考えられないけど昭和の田舎文化における「よそ者」の扱いは厳しく、ちいさな事故や事件がすぐに疑われるし責任を擦り付けられる、ここの部分は母親が大分苦労したみたいで僕が高校生位の頃に晩酌に付き合いながら沢山の恨み言を聞いた覚えがある。


 大人が陰で家庭で口にする言葉は子供達に大義を与えて、中学時代は割と変な妬みとか絡まれ方が多かった。わかりやすく靴とか盗まれたりしたども、気が強いので俺が!バイトして買った靴を!盗んだ奴がいる!っていいながら顔を真っ赤にして国語の授業がはじまる前に「盗まれた人の気持ちをかけ」って黒板にデカデカと書いて先生になんだこれはって言わせて解決を引き込んだりと今考えても目立つタイプで、その上に遊びとバイトで暮らしてる癖に学校の勉強出来たので変な感じでファンも居て(ファンクラブなるものがあったw)楽しく過ごした。


 そして今の倫理観じゃ絶対無いのだけど、教育実習に来てる子に食われて女性を知ったのもこの頃だった。テレビや漫画で見るような面白さなんて一切なくて、なんだかすげぇ疲れるな!ってのが印象で、それは「好きな人とする以外」は今もずっと変わんない印象だ。さすがにもう「好きな人以外」とするなんて事態は無いのだけれどもね。


 ここらへんが中学位までかなぁ、小学4年の頃に肺に膿が溜まって呼吸困難になって救急車に乗ったエピソードを飛ばしたけど、ここは話がクソ長いし母親マジか案件なので大雑把に書いて詳細は省こうかな。母親は悪い人じゃないんだけどねぇ、こう思い込みが激しくてね、1個上の姉曰く〇〇ちゃん苦しんで死ぬんだって思ったって言ってる位には苦しんだんだけど、明日新聞配達したくなくて嘘ついてんでしょ!って聞いてくんなかったんだよね。まぁきちんと呼吸できないで吸うだけで吐けないって割と地獄っすね。


 とりあえず、ここいらで一般通過おじさんの記憶の吐きだしは一旦終わり。

 

【最期に】

この話は実在するおじさんの記憶から引きずり出しています。なので結構マジ話だったりするので、おじさんが誰か分かった身内の人はひっそり見守ってください、ええ親族の誰にも連絡先も教えてない現状を分かってくだせぇ。そして気が向いたら中学途中からの母親霊能者になる編と父親愛人作ってやがった編を書こうかなと思います。

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雑記、時々詩というBLOG的なアレ 時しらず @nakaudon

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