15話「龍が舞う」ー前編
(前回のあらすじ)
"人殺し"
"アヌビスアーツ"事務所前で行われた動画配信は、辰実が過去に"人を殺した"と大声で叫ぶ営業妨害であった。一気に集まる商店街の住民や通行人。騒動になり"仕事ができない"と判断した辰実は、全員を裏口から脱出させ逃走に成功。…後に受けた古浦からの連絡で、辰実の殺人については城本にも伝えていたと聞く。"相応の覚悟はしておいて下さい"と言い、辰実は電話を終えた。
愛結の気遣いもあって怜子に、自分が警察官で職務中に殺人犯を射殺した事を辰実は打ち明ける。最後に彼が怜子の契約解除の原因となった"しだまように追われた後輩達"から被害者調書を録っていた話は怜子の状況を一変させる"ジョーカー"だと語られた。
*
「自分の不遇を覆すには、相当なパワーが要る。君がグラビアの後輩に暴言吐いて辞めさせたなんて嘘だとするなら、"わわわ"が組織的に何かやってる可能性を疑うべきが。…そうなると、個人の力だけでは難しい所がある。」
"難しい"とキッパリ言う。怜子の中では、時々自分が思いもしなかった事を言う辰実だが、こうやって"できる事できない事"を判断して話をしている所に"打算的な"一面を感じる。
理想を求めながらも、現実を描く力は、"デザイン"において必要な素養であった。
「1対組織なんて、映画の中の話だ。それでも話し合いじゃなくて、銃火器を乱射して暴力的解決だって事は誰がどう考えたって1対組織の話し合いが成り立たないという事だな。」
「何かこう、無理だとは分かりました。」
「しかし、不可能を可能にする事はできる。」
箸でほぐせるぐらいに軟らかく煮込まれた牛肉を、怜子は口に運ぶ。圧し潰されて肉の繊維がほぐれる感覚を包むように、煮汁のだしを利かせた甘辛い味が口の中に拡がった。
"美味しいです"と思わず怜子は口にしてしまう。
「不可能を可能に、ですか?」
「所謂"マンパワー"なんだが。…君は"ドラクエ"をやった事はあるか?」
「大学の友達が好きで、やってたのを観た事があります。」
饗庭が奥さんとやっていた話を聞いて、タイムリーに出た話題である。
「例えば"戦士"が1人いるとしよう。パワーがあって体力もあるし、敵と戦う際には攻撃役として活躍するんだが、自分でダメージを回復する手段が無い。」
「回復ができる人がいてくれたらいいですね。」
「その通り。1人で全部担えれば"理想"なのかもしれないが、実際問題それは難しい。」
ここで話は、"怜子1人では逆転の手を思いつく事は無かった"に繋がる。仮にそもそも真実を知っている怜子であるが、"わわわ"を相手に彼女自身が"事実がねじ曲がっている"事を指摘するにも、怜子が言った所で門前払いだろう。…となると、怜子の"契約解除"が捻じ曲げられた事実の下に成り立っている事を指摘できる第三者が必要である。
結局の所、怜子はどうやったって誰かの力を借りるしか無かったのだ。
「黒沢さんは分かっていて、私を採用してくれたんですか?」
「分かっていた節は、ある。」
食べながらも合間合間で箸休めのように続く会話も、食事が片付いてしまった事により本腰が入る。
「1つ分かっていて欲しいんだが、俺にとっては君が"元の鞘に戻りたい"と思っていなくてもそうでなくても、理があるから採用したんだ。」
「"そうでなくても"、ですか。」
食後のコーラである。1日2本だが、大体は食後のデザート代わりに飲まれるのと、風呂上りに飲まれる事が多い。冷蔵庫から冷えた缶1本を取り出し、ダイニングテーブルの一席に戻るとプルタブを起こした。
「当たり前だ。作曲については驚きだったが、グラビアの経験もあって君は"表現"というモノを概ね理解できている。一番の理由では無いんだが。」
「その"一番の理由"って何ですか?」
「ごまかしたい事だってあっただろう。…それでも君は面接の場で嘘をつかなかった。」
言いたくない事を言わなかっただけで、怜子は嘘をついてはいない。仕事をしていく中で、素養は違えど、その分を埋めるだけの経験とスキルは時間をかければ得る事ができる。…しかし、問題はそれを実現するための"人間性"を備えているかどうか。
怜子には、辰実とコミュニケーションを取り"成長していく"素養があると判断した結果が"採用"である。
「研修期間中に説明しそびれていたんだが、自分のやる事を"ハッキリ理解している"事、"間違いじゃないと信じる"事。この2つができてれば大体の事は何とかなる。」
"頑張ります"と、怜子は両の拳を軽く胸の前で握って笑顔を見せた。ここの所、城本の嫌がらせが連続で起こって見る事ができていなかった"いつもの"様子だった。
(そうそう、1人ぐらい華があったっていい。)
伊達、熊谷、栗栖、マイケルと気の置けない男衆と一緒にいるのも、それは楽しい。…が、怜子が来てから"アヌビスアーツ"の雰囲気は変わってきた。辰実の愛想が悪すぎる所為で、会話はあるが黙々と仕事をする空間になりがちであったが、怜子1人いればコミュニケーションが円滑に、そして数も増えている。
間違いなく、"アヌビスアーツ"にいなくてはならない1人だった。
「まずは、落ち着いて家に帰る事ができるようにしないと。」
「…そう、ですね。ずっと黒沢さんの家に泊めてもらうのは申し訳ないです。」
"私は別に、ずっと泊まっていってくれていいのよ?"と洗い物をしている愛結は茶化しに入る。"お2人の邪魔もしちゃダメですし…"と愛想笑いで答える怜子。
「何にせよ、あの2人を警察に突き出さなければ話が進まん。」
「逮捕はしないんですか?知詠子さんには"出頭させる"と言ってましたけど。」
「…君の被害者調書が取れれば、直ぐにでも逮捕できる。」
「被害者調書、ですか?」
「これが"わわわ"のやらせでも無く、君個人が嫌がらせを受けたと記録しておくモノだ。」
"やらせ"と言われて、怜子には疑問が浮かぶ。
「やらせなんて、自分が追い出したグラビアにそんな言い訳するんですか?」
「君が契約を切られた理由が"嘘"なんだろう?それぐらいの事を平気でする連中だと思っていい。」
"しだまよう"を完膚なきまで潰す事に、"若松物産"の仕事だって残っている。更に"Lucifer"と"わわわ"の合同企画。最後の最後に残っている鬼門が"わわわ"であった。
"モデルやグラビアの利権に縋る連中"が厄介である事は、先日に古浦と話をした時に愛結も理解している。それが怜子にも理解してもらえるかと考えるなら、"理解してもらわなければ話が進まない"としか言えない。
ダイニングテーブルに置いていた、辰実の携帯電話が振動する。
「古浦さんだ、どうやら"しだまよう"が新しい動画を出したらしい。」
「私の事は気にしないで観て下さい。」
送られてきたURLをタッチし、動画アプリに接続する。若松町のどこかの公園だろう、日中の外で撮影していた。"公園でこんな事するなよ…"と心の中で毒づくも、直ぐに集中は動画の内容へと向く。
『どうも、"しだまよう"でっす!…前回の動画は観てくれたかな!?皆集まってくれてありがとう、おかげで話題になってくれたから"人気者"にも一歩近づいたぜ!』
"あんなに人殺しとか叫んで大丈夫だったんですか?"とテロップが流れる。
『事実だから仕方無いさ!それよりも明日、俺はまた挑戦に出るぜ!』
—挑戦?次はどこに行くんですか?
『商店街にある"961フィットネスジム"。ここに強い奴が要るんだが乗り込んでやる。これでも学生時代はレスリングで全国行ったんだ、そんじょそこらの連中じゃ敵わんぜ!』
—大胆に道場破り、カッコいいですね!
『おい"961フィットネスジム"!明日の夜7時、この強い強い俺様が可愛がってやるから首洗って待ってろ!』
堂々と宣言して、動画は終わった。
「…行くんですか?」
「あの2人が行った所で饗庭に返り討ちにされるだけだろうけど、俺も行くよ。直接問い正したい事もあるし。」
「直接?何を訊くんですか?」
「俺の予想が正しければ、あの2人は君の就職活動を邪魔していたのと、古浦さんに頼まれて何かしている。」
"私の邪魔…"
そう呟いた怜子の瞳の奥に、いつも差していたハイライトが消えていたのは辰実の網膜にも映っていた。
*
翌日、19時前。
若松商店街にある"961フィットネスジム"。ボクシングのみならず幅広くトレーニングを担っている年季の入ったジムであった。古臭い場所を一新しようと思い、多額の資金を使って中を新しくしたのは6年前になる。
「…こんな事言っちゃあだけど、うちみたいなジムに殴り込んで来て何がしたいってのかねぇ。」
会長の黒井は、もう70を過ぎているが元気に学生や社会人相手にボクシングを教えている。饗庭も彼の教え子の1人であった。"ワシもう歳で中々ヘビーになってきたから、気が向いたら手伝いに来てちょ"と言われ、恩義を理由に時々饗庭も顔を出しに来てはいた。
「知りませんよ。まあ何せ殴り込みには来ます。」
「そう?やめといた方が良いと思うんだけどなー、今日は饗庭ちゃんいるし。」
ここ15年近く、饗庭は黒井の"最強の教え子"として君臨し続けている。元はアマチュアで鍛えこんだ饗庭であった。プロデビューした頃に、上位の日本人を簡単にいなす外国人ボクサーと試合をさせて貰った際、逆にKOしてしまった伝説を持っている。
「逃げちまったら閲覧も人気も稼げませんからね」
「閲覧数とか話題とか、ジジイには分からんね。そんなモノは強いか格好良いかにつくんだよ。」
「同感です。」
ジャージ姿の黒井と、メッシュ生地の半袖シャツにハーフパンツ姿の饗庭。"今すぐ試合をしようぜ"と言われてもすぐに試合はできた。
「饗庭ちゃん、うちのルールは"道場破りは生きて帰すな"だからね。」
"へい"と低く、饗庭は答えた。
*
「はいどうもー、"しだまよう"でっす!」
"961フィットネスジム"入り口を背に、菰田が向けるカメラに向かって大声で話を始める。夜の商店街、ガラス貼りの屋根の向こうから見える漆黒の夜空に地球の青色の部分は分からない。
通りのど真ん中で大声を上げる不潔感を漂わせた肥満体の男に、通行人は思わず目をやってしまうと、それが却って城本の気持ちを高めてしまった。"俺をもっと見ろ"と言わんばかりに、商店街の通りに響く声。
—今日は予告通り、"961フィットネスジム"に討ち入りですか?
「そう!今夜は"961フィットネスジム"の一番強い奴をKOしてやる!ジムを俺の色に塗り替えてやるぜ!」
—凄い意気込み、勝てる見込みはあるんですね。
「当たり前よ!…ファンの応援で気合ぶちまけて、さくっとKOしてやるぜ!」
意気揚々とジムに入って行く城本を、カメラを向けた菰田が追う。"ああ面倒臭いな"とだるそうに開いた自動ドアを突っ切って、人がまばらに思い思い体を動かしている現場に乗り込んだ。
「おらぁぁ!!!"しだまよう"だぁ!!!」
あまりにも大きな声が響く。トレーニング、スパーリングとそれぞれいい雰囲気でやっていたのに、全員が手を止めて城本の方を向いてしまった。
(なんだ運動不足のデブじゃない…、入門生でも勝てるんじゃないの?)
(レスリングで全国に行った事があるみたいで。パワーはありそうですよ。)
勝負が見えているような事を言った黒井。予告通り現れた迷惑な男と言えど"客人"だから仕方なく相手しなければと態度に出ている様子だった。
「一番強い奴と勝負をさせろ!!!」
「良いけど閲覧数は稼げないと思うよ?」
城本の正面に立つ饗庭。"一番強い奴"と言われればこの男はしっくりくる、覇気が大柄の饗庭の体躯を、城本の目に更に大きく見せた。対面するだけでも、感じられるプレッシャー。
「へっ、やってやるぜ」
「病院とオムツの用意はしとけよ、ガキ」
身長差で見下しているでは無く、体格差でも無く、内に秘める"実力差"。見えない部分、と言えど表に滲み出る部分。どうやったって今ここで覆す事のできない絶対的な力の差を、饗庭はやんわりと眼で叩きつける。
「…で、俺の相手はお前でいいのか?」
「あ?俺だって。コモちゃんはカメラだっちゅうに。」
「"道場破りは生きて帰すな"って言われてるんでな。…悪いがそのカメラマンも共犯者って事で痛い目に遭ってもらうんだが。」
「2対1か?情けない事はしねえよ。」
「やってもいいぜ?…けど今回はそのガキを相手するのは俺じゃねえんだな。」
饗庭が顎で、"お前らの後ろだよ"と城本と菰田の後ろを指示する。気づかない間に腕を組んで立っていたのは、2人が昨日に"人殺し"だと言って回った黒沢辰実その人であった。
薄手の黒いウインドブレーカーにダークグレーのハーフパンツ、その下に黒のレギンスと"いつだって運動ができる"恰好。いつもよりも険しい表情で観ていたのは城本では無く、その隣にいる"菰田"。
「いいでしょ城本さん、"人殺し"は俺が逆に殺してやりますよ!」
辰実の殺人が、"職務上やむを得ず拳銃を発砲した"事によるものだとは、勿論饗庭も知っている。その辺りを無視して面白半分に人を"人殺し"等と言って止まない馬鹿者2人に"何か言ってやれ、黒沢"と煽る。
「素手でいいのか?バットとかナイフは持っていても構わないぞ?」
"お、おい"と明らかに菰田は動揺している。
それもその筈。以前に"若松物産"の社員と、その後日に辰実が"ダイニングあずさ"の前で金属バットを持った男に襲われたのだが、それが菰田だった。辰実は一度、気絶させ彼の顔を確認している。
「おい、どっちが先にやる?」
「可哀想な瞬間をカメラに収めるのが先だ」
饗庭が城本、辰実が菰田と戦うという話は最初からついていた。格闘技用のマットが敷かれたスペースに、饗庭と城本は睨み合いながら移動する。
「リングもロープもいらねえ」
「グローブはしとけよ」
「何だ気い遣ってんのか?」
「お前にな。俺がグローブ無しの本気でやったら、お前が死んじまう瞬間を生配信する事になる。」
慣れた手つきで、グローブを装着する饗庭。軽くシャドーをするのも様になっている。
「あのデブっちょじゃなくていいのかい、黒沢さん?」
「道場破りでしょう、饗庭が返り討ちにするのがスジです」
"あらそう"と、黒井は饗庭の方を向いてしまう。"どっちにしたって、ここまで見え過ぎてる試合は面白くないねえ"と、ぼやいた黒井の気持ちは辰実に分からなくもない。この対戦が面白いかどうかよりも、辰実の心配は別の方向にあった。
その心配も、すぐ現実のものとなる。
饗庭と城本の対戦が始まる前に、怜子と愛結が駆けつけてしまう。
「…………」
「ごめんなさい、怜子ちゃんが居ても立ってもいられないって言うから」
険しい表情で怜子に視線を向ける辰実に対し、"ごめんなさい"と小さな声で答える怜子。弁明をする愛結に"分かった、もし何かあっても俺が何とかする"とだけ辰実は答えた。
「あの2人は今日中に出頭させる、これ以上危害は加えさせない」
心配とは、城本と菰田が"増援を呼ぶ"事であった。怜子を追いかける時ですら、マンションの近くに伏兵を準備していたのだ。今回も戦いの最中に同じような事が起こると考えて良い。
…その時に最低限、怜子と愛結を巻き込みたくは無かった。
「…っし」
簡単なシャドーで、準備体操を終えた饗庭。静まり返った彼とは正反対に"よっしゃ!!!"と声を上げる城本。"うるせえデブだな"と心の中で毒づくも、2人ともに正面に歩み寄る際に腹の内を一切見せない様子は大人の振る舞いであった。
レフェリー役のコーチが、お互いのグローブがきっちり装着されている事を確認する。ロープもコーナーポストも無い対角線上に、2人は距離を置く。
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