15話「龍が舞う」ー中編


数秒の静寂の後、ゴングが鳴る。


…その前に、リングの7割方の距離を城本は走っていた。"ゴング前に仕掛ける"という卑怯な戦法、始まった瞬間にはもう眼前に迫っている相手。


「もらったぁぁぁ!」


勢いと遠心力、本人の重さもあるだろう、喰らえばそれなりのダメージが入る右ストレート。通常であれば驚くべき状況にも、饗庭は冷静に構えていた。右手の位置がほんの少し高い、若干崩れたピーカブースタイル。それは城本の狙いを覗き込む、鉄壁の構え。


しかし、ただの鉄壁にあらず。


瞬間、城本の額がはじけ飛ぶ。衝撃の重さに後ろ足を踏んで後退してしまった彼には、それが砲門を構える動作も撃つ号令すらも無い一発だった事が分からない"ジャブ"。折角の不意打ちもここまで冷静に対応されては、驚かすつもりが逆に驚かされてしまう。


「手ぇ緩めたジャブでこれかい」

「行くぞおらあ!」


声を上げながら大振りのパンチを当てようとする城本。これも顔をジャブで撃って発動前に潰す。撃たれる度に叫び、拳を振り上げれば左のジャブに顔を撃たれる。


牽制どころではない、実力差を見せるための"威嚇射撃"であった。



「ふざけてんのかね、あのおデブは?」

「アレが本気なんですよ。最も饗庭が右ストレートでも出せば首から上が吹っ飛びかねませんが。」


"…そうなれば配信どころでは無いでしょう"と、ぶっきらぼうに辰実は答える。



"おらあ"と声を上げて拳を振り上げれば、直ぐにジャブが発射される。打撃の鈍い音と、"ふげっ"と情けない声を上げて仰け反る城本。相手の出鼻を挫くジャブに、正確に腹を撃つジャブ。ボクシングを極めた饗庭だからこそ可能である正確無比の芸当。


相手に"恐怖"を撃ちこむ術を、誰よりも理解していた。


更に言えば、腹の脂肪に守られた部分を殴っても同様に苦痛を与えている。防具をしていたところで、重火器ばりの剛拳の前には意味を成さない。続いて出だしをジャブで挫き、更に追撃。また頭の悪そうな声を上げて反撃するも撃ち出されたジャブにまたも制される。ここから更に饗庭が顔にジャブを撃つ。


よろけた瞬間に、3撃目の左ジャブが腹部ど真ん中にクリーンヒット。


「あびゅっ」


厚い脂肪を貫通した一撃。これでもかと情けなさを濃縮した断末魔をあげて城本は、泡を吹いてその場に倒れた。すぐさま"借りるぞ"と辰実は、菰田が撮影に使っている携帯電話をひったくり、倒れる城本をアップで撮影する。


「どアップで、惨めったらしく撮ってやれ」


グローブを外し練習生に渡しながら、倒れてしまった城本に目をやる饗庭。歴然たる実力差が招いた結果に、退屈してそうなのは見れば誰でも分かる。


「これで迷惑配信も観納めだな」

「最初から観ちゃあいねえだろ」

「まあそうだが」


「復活してすぐコレってのも何だか、哀れだな」

「珍しいな。君が哀れなんて思うのか」


"へっ、口だけだよ"と悪態をつく饗庭。その間も辰実は城本にカメラを向け続けている。…その様子を、悔しそうに眺めている菰田を歯牙にもかけないように背を向けていた。


(折角、"やり直そう"って決めたのによぉ…)


悔しさが、拳の握力を増していく。感情の赴くままに、何かしようと思っていた時には、既に行動は始まっている。


「撮るなぁぁぁぁぁ!!!」


涙目になりながら、走り込んで辰実に飛び掛かる菰田。すぐさま反応していた辰実は、しゃがんでいた脚を回転とともに起こし、余裕を持って回避する。既にカメラを切っていた携帯電話を投げて返され、キャッチしズボンのポケットにしまうと、殺意を以って身構えた。


「殺してやる!」

「無理な事を言うのはやめておいた方がいい」



右手で勢いよく殴り掛かる菰田、冷静に辰実はそれを左手でいなす。瞬間、ガラ空きの右脇腹に右手で掌底を打ち込み距離を取る。重火器を撃つような饗庭の剛拳とは異なるが、淀みなく相手の体の流れを制す"技"であった。


「野郎、なめやがって!」


崩れた体制を整え、辰実に向き直る菰田。正面に向き合う辰実は、自然体で腰を落とし、左手の甲を菰田に向け、右手は自分の胸の前で掌を相手に向けている。



「何アレ、空手の構え?…何にせよ只者じゃ無いのは分かるけど。」

「俺も分からんのですが、たぶん空手でしょう。」


辰実が小学生の頃から空手をやってるという話は、饗庭も知っていた。大学では柔道の段を取ったと聞いており、警察官になってからは"逮捕術"と呼ばれる独自の格闘技を学んだという。


「勝負はすぐ決まるでしょう、アイツは相当頭に来てますし容赦はしないです。」

「黒沢さんらしいね、そりゃ」


構えに警戒したのは正解であった。殴り掛かる事はせず、菰田は辰実に掴みかかろうとする。…だが、それも辰実が先に腕を掴んだ事で阻止され、そのままマットの上に背中から叩きつけられた。


どんなに防具で固められた所で染みわたる、"投げ"特有の衝撃が上半身全体に拡がる。


衝撃で動けない間。その隙を狙って辰実は膝を落とし、流星の如く拳を斜め下に、菰田の腹を打ち据える。肺の中の空気を吐き出させる一撃に、よろめきながらも立ち上がって辰実と対峙。態勢を整え、いざ攻撃!と思った瞬間に、居合ばりの鋭い蹴りが裂くようにヒットし、菰田の体はマットに投げ倒される。



「黒沢、完全に頭にきてますね」

「意外と短気なの、黒沢さん?」

「いや今回はガキがアイツの逆鱗に触れ過ぎただけです。」


菰田を指名したのは、辰実の方だった。事前に饗庭は辰実と話した内容を思い出す。


(あの菰田とか言う奴の方は、俺にやらせてくれ)

(汚ねえデブに触りたくねえんだが、まあいいぜ)

(すまない)

(しかしお前、弱い奴と戦って面白えのか?)

(つまらんが彼には灸を据えておかねばならんのでな)

(恨みでもあんのか?)

(篠部に対して数々の失礼な発言をしたのが許せないだけだ)



「すぐ決まりますよ、これも。もっと骨のある道場破りが来てほしかったですね。」


饗庭の言う通り、辰実も若干つまらなそうに戦っている。…が、それを出来る限り抑え真剣に勝負に向き合ってはいる。"野郎!"と出ない罵声を辰実に向け、殴り掛かってきた所を起き上がって蹴りかかる菰田は、それが"フェイント"だったと後になって気づく。


殴り掛かる"ふり"をして攻撃を誘う。そして手か足が出れば後退し回避、隙をついて一撃を叩き込む。腹にめり込んだ正拳突き、想像できるが故に見ているこちらも痛くなるような一撃に腹を抑えながら、菰田は膝をついた。


…それでも尚、起き上がってくる。


(そこで白目をむいてのびてる奴より根性あるな)


"迷惑配信者の連れで無ければ、もっといい奴になれたのに…"と心の中で残念に思いながらも、膝を起こし立とうとした瞬間に、横薙ぎの蹴りが直線を描き、菰田の顔ごと持って行く。


寸分のブレすらも認められない、まさに直線。銀色の一閃を描くような、抜き身の一振り。これが脚という竹光ではなく"真剣"で、菰田の首を横切るように直線を引いたなら亡き者になっていた事だろう。



蹴りの威力と衝撃に引き擦られ、摩擦によってマットに留められた体。…暫く、そのまま立ち上がって来ない様子を確認し、"KO"が判断される。気絶はしておらず、息をしていた。…されど、限界だろう。饗庭の勝利と同様、辰実の勝利にもジムのメンバー一同から拍手が贈られる。


その歓声も、敗者の叫びに搔き消されてしまう。


「来い皆!こいつらを早くやっつけろ!」



菰田の号令で、ぞろぞろと入ってくる増援。怜子がストーカーされた時にも出てきた不良風の男20数名。


「ジムにいる全員だ!女は攫って…」


瞬間、辰実が横向きに倒れている菰田の顔を蹴り飛ばす。三日月に体が反り上がる彼の意識が途切れる瞬間に目にしたのは、自分を見下ろしている"黒沢辰実"という男の双眸に、血の色をした閃光が揺らめいているような幻であった。


(怒らしちゃいけない奴を怒らせてしまったんだ…、増援も何も、どうにでもなっちまえ)



「乱闘になる。愛結は彼女を連れて避難してくれ」

「分かったわ、怪我だけしないでね」


"俺と黒沢が全員やっつけるまで端にどいてろ!"と饗庭がジムのメンバーたちを奥に誘導している中、突然現れた不良の集団に驚き戸惑う怜子の肩を押して、愛結に受け止めさせる。傍らで上着を脱いでトレーニングしていたギャルや、ウインドブレーカーに身を包んだ細身の男をはじめ、ぞろぞろと奥へ逃げ始める。


(2人とも、体動かして帰る気だったのか…?)


避難する怜子がウインドブレーカーにショートパンツ、レギンス姿なのと、愛結も似たようにウインドブレーカー、レギンス姿。明らかに運動をするための恰好だったのだ。"殆ど下着とインナーみたいな恰好で運動する女の子の気が知れない"と辰実はトレーニングをする時たまに思うのは別の話。


(呑気なもんだ)


早速ではあるが、辰実は増援の1人に飛び膝蹴りをお見舞いする。


吸い込まれるように、臍の中心に当たる膝の威力で体がくの字に曲がり悶絶してしまった男を、無機質な瞳で見下ろす辰実。すぐさま構えをとって戦闘の意を示す。



「おい化け物かよ…」

「構わねえやっちまえ!」


饗庭に襲い掛かる1人も、撃ち出される左ジャブに顔を吹き飛ばされ沈黙する。


「芋引いてねえでかかってきたらどうだ?結末が見えてんならさっさと終わらせようぜ。」


挑発。"100人来ようが汗一つかかず始末されるのだろう"と、増援1人1人の脳から足先まで刷り込む威圧感に、何人かが二の足の踏み、何人かが踵を後ろに引き摺った。


「逃げてもいいんだぞ?」

「お前等のアホ面がこれ以上ひどくならなくて済むぜ。」


一度やられた恐怖と、2人が醸し出す"強者"の気迫。"どうしてこれに気づかず殴り込みなんかしたんだ"と、事の発端を城本と菰田の所為に思わず誰もがしてしまう。城本はレスリングの経験が、菰田はボクシングの経験がなまじあるばかりに"自信"が目を曇らせていた事は否めない。


更には城本、菰田と一戦交えたにも関わらず息を切らしていない2人。逆に一戦が"準備体操"になって体が温まってしまった様子に、不意打ちが意味を成さない事も理解させられる。


「やってらんねえ、帰ろうぜ…」

「だよな。しだまさんも菰田も、もう終わりだし。」

「ここでボコボコにされる方がよっぽど怖え。」


先日にやられ、今も一撃で2人がやられた。


何千何万何億何兆とやっても"自分たちが負けて終わる"という結果になる事が足らない頭でも分かった増援は、一斉に撤収を始めようとする。


しかし、出口で聞こえた物音に、全員が足を止め一斉に視線を移す。"どさっ"と言う、荷物が投げ入れられる音。


投げこまれたのは荷物では無く、ジムの入り口で見張りをさせていた2人であった。



「おい何だ、骨のある奴でも来たか?」

「どうやら骨だけでなく癖もある奴みたいだな」


戦慄し、冷や汗を垂らす増援。更に恐怖を刷り込む不敵な笑みとともに現れた古浦。


「逃げられると思ってるんですか?帰るなら痛い目に遭ってからにしなさい。」



たった1人で片付けたと考えるなら、古浦も単騎で相当強い。束になっても敵わない、無数にも勝る1人が3人もいて、退路が塞がれたとなれば"選択肢"は1つ。


「篠部にいい顔をしたいなら、もっと早くするべきですね」

「仕事が立て込んでいたもので。黒沢さんからも上司に言ってやって下さい。」


"こうなったらヤケだ!"と降参を認めた"攻撃"。迫りくる群衆はこの時点で"完全に負けを認めた"と言っても間違いは無い。真っ先に古浦へと向かって行った1人は、突然糸が切れたようにその場に倒れる。


回し蹴り。それも左足の先で美しい円を描き意識を断つ。反動で逆回転、勢いに乗せた右フックでもう1人の意識を腹から吹き飛ばした。回転の勢いを活かし、細身な古浦でも饗庭の剛拳に劣らない一撃を繰り出せる。勿論、それを実現可能な身体能力と技術があっての事だが。


「何だアイツも強いのか」

「本当にいけ好かないなあの人は」


悪態をつきながら、辰実も襲い掛かる1人に投げ技をお見舞いする。背後を狙う1人には直線の蹴りで牽制、集団の動きはこれで撹乱できた。次の手を邪魔され、動きの止まった有象無象に拳2つで斬り込む饗庭は、左ジャブだけで相手をKOさせている。


20人近くが全て沈黙してしまうまで、分単位どころの話では無い。


「すいません黒井さん、どこか部屋借りていいですか?」

「事務所なら使っていいけど、何するの?」


「先に乗り込んできた2人には、聞かなければいけない事があるんです。」


"だったらもう来ないように言っといて"と、黒井の同意を得て、辰実は菰田を、饗庭は城本を担いで事務所に消えていく。騒ぎが収まったのを見計らい、怜子と愛結もついて来ていた。


古浦が大人しく待っている訳でも無い。当然について来る。


「古浦さんも何か用が?」

「僕は個人で、城本に言う事があります。」


"仕方ない"と、悪態と諦めを吐き出しつつ、迷惑配信者とそのカメラマンを事務所に運び込む。手頃な椅子を見つけ、辰実は乱暴に菰田を投げつけ座らせた。


「痛ってぇ!」


ガシャン、と喚いたパイプ椅子。衝撃で目を覚ます菰田の首根っこを、左手で辰実は乱暴に掴んだ。人の肉を容易に抉り取りそうな握力の、片鱗を見せる指圧に菰田は恐怖を感じずにはいられない。


逆に饗庭は、丁寧に城本を座らせた。起こすためにたるんだ腹肉をつねってはいたのだが。


これも、残った右手で辰実に首根っこを掴まれる。



「質問に答えてくれ。…嘘は、ついたら分かるな?」


今にも首を握って抉り取ろうとせんばかりな辰実の様子に、後ろでは饗庭が指を鳴らしている。城本と菰田は即座に、これが"質問"では無く"白状"である事を悟った。


"少しでも余計な事をしたら終わる"と城本は理解したのだが、どうやら菰田は理解できない。


「調子に乗んな、人殺し…がっ!」


"人殺し"と言われ、辰実は明らかに怒りを表情に出していた。椅子に座らされた2人にしか分からないが、辰実が菰田の首を掴んだまま壁に叩きつけた様子で、後ろの4人は事を察する。


「警察官だった癖に、取調の作法も知らないんだな」


壁に叩きつけられ、手が首から離れるとむせかえる菰田。変わらず生意気な口を利いた様子に憤ったのか、今度は後ろから古浦が彼の髪を引っ掴んで数発顔を殴る。鼻血に顔の腫れと、明らかにボロボロにする気で拳は入っていた。


「余計な事をいう奴はサンドバッグですよ」


うなだれた菰田の様子を見て、髪の毛を掴んでいた手を放し後ろに戻る古浦。



「馬鹿とコンビを組むと、割を食うだろう?気持ちはよく分かる。」

「否定はしねえが、俺についてきてくれるいい奴ではあるぞ。」


"いい所あるじゃないか"と、冗談めいて笑い辰実は質問を始める。

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