9話「夜空に紛れて」ー後編


「何だグルの可能性があるって事か。…と考えたいんだが、"予定だった"とはどういう事だ?」

「古浦は優秀なライターでな。自分だけで手が足りない事を取材するために、"ネットで動画配信"をやっている奴にかねてから目をつけていたらしい。当時あのストーカー野郎ってのは、ゴシップ的な話を本人の所に行って堂々と聞き出す、なんて肝の据わった事をする奴だった。…どういう訳かこじれて迷惑かけるだけの奴になってんだが。」


「人間、何があるか分からないな」


(それに関してはお前もだよ、黒沢。)


「協力関係で話が進めばお互いに理がある。…それができなかったのは、"篠部怜子"がグラビアとして人気が出始めたからだ。同時に優秀なマネージャーでもあった古浦に、人と協力してライターの活動する余裕なんて無いから"ゴシップ系"の話じゃなく別方向にシフトしてったよ。」


低いトーンで話を続ける間に挟んだ鶏むねの塩こうじ焼きが、舌に染みる。ほぐれるような繊維の感触と、鶏むね肉なのにも関わらずしっとり軟らかい。


「これはあくまで俺の推測でしか無いが、古浦は未だ"篠部怜子"に執着している。それがあって"やる事のなかった"協力関係を今になって結んだんじゃないか?」


真剣な話をしながらも、饗庭は肉料理を口に運び続けている。傍らで辰実は頭を働かせ出すと、ひたすらコークハイで胃袋を潤し続けていた。


(仮に今、"協力関係"にあるとして"アヌビスアーツ"や"若松物産"に届いた脅迫状は何のために?)


これについては、他社でも同じ事をしている可能性はあるだろう。


「そう言えば篠部の面接をした後すぐに、そのストーカー男から"篠部怜子を採用するな"なんて脅迫状が送りつけられてきたんだ。」


"何だそんな事があったのか"と、饗庭は心配するどころかご機嫌になった。…この話がギャグで済まされるのは、実際に辰実が脅迫を全く相手にする事なく怜子を採用しているからである。そもそも彼女を採用しなければ"成り立つ事の無い"物語があった事を饗庭は歓迎しているようであった。



「これも、あくまで俺の推測だ」

「できれば推測よりも"事実"を持ってきてもらいたい」

「それを基に事実を探り当てて行くのは、前職が"アレ"だったお前の得意技みたいなモンだろ。」

「…言い過ぎだ」


低い声でそう呟いて、辰実は2杯目のコークハイを空にした。カウンターに置いた空のジョッキを回収する梓と目が合うと、一瞬だけ悲しそうな顔で辰実を見ていたが直ぐに"笑顔を向ける"。ぱあっと光る感覚では無く、ほのかに傍らで光っていたという方が正しい表現だろう。


「まあ聞け。古浦はゴシップ系のライターだったんだ。"解雇されたグラビアのその後"なんてネタがあれば確実に追うだろうし、食いつかない理由がねえ。」

「…………」


自分がマネージャーとして一緒に仕事をしてきたグラビアアイドルの"転落劇"に食いつく男の構図に、どうしても辰実は好感が得られない。この時点で1つ考えられる事と言われれば、"怜子を助ける"という選択肢を選んだからには、どのルートを通っても古浦との接触もしくは衝突は避けられない事だけは分かる。


「自分が長く一緒にいたグラビアアイドルの不祥事に食いつく男の気は分からないな。」

「どうだろう?黒沢、俺はさっき"執着"と言ったろう?」

「聞いたな確かに」


「今から俺がする話を聞けば、"執着"の意味も分かる。」

「先に聞いておくが、その話は"事実"か?」

「事実と言われればそうだが、推測でもある。」


事実と推測の見分けがつくようであれば、事実混じりの推測なんて話はどうでも良かった。少ない事実から、饗庭も色々と考えてくれているという事は辰実にも伝わっている。



 *


某日、"わわわ"オフィスビル内。


(…ったくもう、俺が引っ張ってきたモデルでもねえってのに俺が尻拭いってのが意味わかんねえぜ)


この日の饗庭であるが、最近人気が上がり過ぎたモデルが"無礼を"働いたと、ロケ先でお怒りの言葉を頂いたために謝罪のアポイントメントを取る連絡をした所であった。自分のスカウトしたモデルであれば責任を取るのは苦ではないのだが、何分"月島亜美菜"は饗庭よりも上のポジションにいる"プロデューサー"が直接スカウトした訳で、モデルやグラビアの売り出しに関する企画を担っている。言うなれば現場で一番偉い奴なのだ、そして"立場"を後ろ盾に好き放題やっていると言うのが現実である。


怜子に毒づいたシーンを呼んだのであれば、彼女の性格に難がある事くらいは分かるだろう。


更に言えば、そのプロデューサーにも問題がある。見た目だけの良い悪ガキを躾できる自信が無いならスカウトだけして野放しにするなと言いたい。電話が終わった時、"せめて責任ぐらい取れよ馬鹿"と饗庭は心の中で毒づいた。


"あーだりいな"と、ぼやきながらオフィスビル12階の通路をどかどかと歩く。この辺りは小さな応接ルームが詰め込まれた場所で、使われていない部屋に入って"誰かに電話をかけている奴"というのがよくいたりする。


今そこで饗庭が右を向いた時に視界に入っている、"使用中"の札を下げていないのにドアが閉まっている部屋がそうだ。


(…使ってないようで使ってるんだよな、これが)


"わわわ"の伝統と言ってもいい。社内でこのように"使用中"の札を下げずドアを閉めているというのは、"電話中なので入らないでください"というメッセージに、いつしか変わっていたそうだ。


(堂々と電話しろよなー)


札の下がっていないドアをぼうっと眺めながら"こそこそやるなんて男のやる事じゃねえ"と、豪胆な性格らしい事を思っていた饗庭の、若干のだるさを吹き飛ばす怒号が、部屋の向こうから聞こえる。



「勝手な事をするな!!!」


古浦の声であった。いつも薄ら笑いを浮かべて会釈をしてくる"スカした野郎だ"と思っていた男が、一瞬たじろいでしまうぐらいに鋭い圧を喉から張り上げている様子に、思わず饗庭は聞き耳を立ててしまう。


「いいか、僕たちが追うのは彼女の"スキャンダル"じゃない!彼女の"物語"なんだ。その純度を絶対に下げるな、君が言う"良いモノ"だって撮れなくなるぞ?」


怒号をあげながらも、"うん、…うん"と相手の話は冷静に聴く事ができている辺り、古浦は頭が悪い方の男では無さそうだ。あの"スカした薄ら笑い"の下に、黒いのか何色なのかも分からないモノが渦巻いていると考えると、油断ができない。


「連れの少年によく言っておいてくれ。くれぐれも"怜子"ちゃんに、気安く声を掛けるなと。」


暫く相槌の声も聞こえない様子から"電話が終わった"事を察した饗庭はその場を立ち去った。


(あの野郎、何を考えてる…?)



 *


饗庭は、盗み聞きした内容をそのまま伝えた。


「不祥事を起こして路頭に迷った彼女の"その後"を追うにしては、"物語"なんて言葉を使う意味が分からないな。彼女を影で守っていると考えるにしては、"就活を邪魔"している。矛盾してないか?」

「お前がそう考えると"分かって"の推測だよ。…すまん、この話はまだ続きがある。」


「そうだったな」


見た目から人に媚びない、堂々としているオーラを纏った饗庭が、いきなりしおらしくなって"すまない"と言われるとペースが狂ってしまう。梓が今しがたカウンターに置いた大粒の唐揚げが複数入った器を片手に取ると、そのうちの大粒1個を箸で掴み、口に運び込んだ。


「これはあくまで、"書き綴る側"の考えとしてなんだが。物語は、"緩急があるほど"良い。」

「緩急か。漫画で言えば、"主人公が上手くいく"話も"上手く行かない"話も必要だという事だな?」


言葉を失うくらいに、唐揚げは美味い。


歯ごたえのある衣をかみ砕けば、だしの入った甘辛いタレの味と肉汁がどっと溢れ、熱の通ったもも肉の弾力が歯に触れて一気に一口を楽しませてくれる。


咀嚼し飲み込んだ言葉の味を確かめるように、饗庭の"推測"は始まった。


「黒沢お前、"ドラクエ"やった事ある?」

「大体のナンバリングはやってる」

「じゃあⅤは?嫁さん選んで、モンスター仲間にできるやつ。」

「面白いよな、Ⅴは。」


「俺はドラクエやった事無かったんだけど、最近Ⅴは嫁と一緒にクリアしたんだ。」


(奥さんいる前で、どういう気持ちで嫁を選んだんだろうか…?と言うか奥さんの方もどういう気持ちで嫁選びを観てたんだ?)


「黒沢お前、今変な事考えただろ?」

「変な事を言っていないで早く本題に入ってくれ」


常に横ばい平行線でぶっきらぼうな表情をしている辰実が、その様子のまま変なものを見るような目で自分を見ていた事に気づき、饗庭は一言物申す。本題を求めたがる辰実には一蹴された。


「あのゲームはよぉ、とにかく"主人公が災難に遭う"じゃねえか。…それを乗り越えて幸せに近づくかと思えば、また悲しい事になっちまう。その過程がもし、何も災難が起こらねえ"単純に旅する"だけならどうだ?」

「"非常につまらん"と言う話だな」

「俺が言いたいのはソレだよ。」


ピンポイントな例えのお陰か、饗庭の話はさっき飲み込んだ唐揚げのように胃が受け入れた。"普通に旅するだけのドラクエもそれはそれで面白い"と思うぞという野暮な事は牛赤身ステーキの味とコークハイで飲み込む。


「…古浦さんの考えている事は何となく分かった気がするよ。」

「分かっちゃいると思うが、お前も"同じような"事を考えている。その事を忘れるな。」


就活の妨害も、古浦からすれば"物語の演出"だろう。篠部怜子の"物語を支える"という考えで観るのであれば、辰実の今やっている事も古浦のやってきた事も、"やり方が違う"だけで"根っこの部分"は一緒であった。


饗庭の言葉は、辰実にその現実を突きつけた。


「良い事を聞いたよ。明日から俺がやろうとしてる事を考えれば、そんな"傲慢"も忘れてしまいそうだった。」

「…おい何だ、その"やろうとしている事"ってのは?」


隠しているモノを、誇らしげに見せびらかすように隠している事を言って笑みを浮かべる辰実に、その隠し事を恨めしそうに饗庭は話を促す。



「"Lucifer"のアクセサリーのモデルを、月島亜美菜から篠部怜子に返り咲かせる」



暫く時が止まったかのように、饗庭はハイボールのジョッキを持ったまま辰実の方を見たままであった。…数秒それが続いた後、半分残っていたハイボールを一気に飲み干しカウンターテーブルにジョッキをゴトリと置くと、財布から1万円札を取り出し辰実の目の前に置いた。


「悪いな、俺は先に失礼する。釣りはくれてやるから、これで猫のオヤツでも買いな。」

「付き合いが悪いな、急用でも思い出したか?」

「お前の所為だよ。…急に面白い事を言い出すモンだから、俺は今から交渉をしに行かなけりゃなんねえ。」


「交渉?」

「生意気なクソガキが"後ろ盾ごと"椅子から転げ落ちる姿を、特等席で観なきゃなんねえだろ?」


"今ここで酒飲んでる場合じゃねえ"と、饗庭は意気揚々に置いた1万円札を辰実の近くに動かすと、カウンターの向こうで洗い物をし終わった梓に声を掛ける。


「じゃあな姉ちゃん。また来るわ。」

「ありがとうございました」

「変わらず黒沢にも負けず劣らん仏頂面だな。…そうそう、今日みたいに髪は下した方が綺麗だぜ?」

「饗庭さんの為に下した訳じゃありません、…早く交渉をしに行った方が良いですよ?」

「違いねえ」


ちょっかいをかけた梓の"無反応"ですら楽しんだ饗庭は、背後にいる2人に揚々と手を振りながら店を出て行った。ギラギラして忙しない、そして結婚して1年目の男の背中は楽しそうであった。

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