3話「ダーティー・チキン」ー後編


「ブドウ糖タブレットだ、食うか?」

「え?…あ、はい。ありがとうございます。」


個包装されたブドウ糖タブレットを受け取ると、"頂きます"と言って包装から中身を取り出して怜子はそれを口に放り込んだ。疲労に効きそうな爽やかな酸味が口の中に溢れる。


不愛想な栗栖は、作業に戻っていた。傍らで熊谷が電話を終えると辰実が手をパンパンと叩き、そこにいる"全員"を注目させる。



「全員、ミーティングテーブルに集合!」



辰実の号令で全員が立ち上がると、皆が後ろにあるミーティング用テーブルを囲み始めたので、慌てて怜子もその場に入る。


「おやつジャンケンだ。」


"おやつジャンケン"とは、その場にいる社員全員でジャンケンをし、負け残った者がその日のおやつを買いに行くというものである。負けると悔しい気もするが、おやつは基本"負けた者"のチョイスに任されるため、実際は"負けた者勝ち"という面もあるのかもしれない。


ジャンケンの前の、鬼気迫る様子に怜子は後ずさりする。熊谷とマイケルは闘気を駄々漏らしにし、栗栖は居合の構えかと思うくらい集中を感じさせる。伊達は不敵な笑いを浮かべ、握り拳を前に出していた。


辰実のオーラが、淀みなく流れる川の如く静寂を湛えていた。…ように怜子には見えた。


「じゃん…、けん、ほい!!!」


それぞれが好き放題出したグー、チョキ、パー。"あいこ"だと分かった瞬間に、"次は何を出すのか?"と男達での腹の探り合いが数秒行われると、次の一手が出される。


怜子はグーを出したが、他の5人はパーを出していた。



「大人気ないかもしれないが、ルールはルールだ。」


"はいこれ"と、怜子は大きめの小銭入れを渡される。目の細い猫のシルエットをした小銭入れだが、この猫を怜子はよく知っていた。"白猫センパイ"という漫画のキャラで、雑貨店とかによく売っているのを見かける。


「…頭をフル回転させまくって集中切れだろう、気晴らしに行ってくるといい。」

「ありがとうございます」


「少し寄り道してきても構わない。ずっと座って頭だけ働かせているのも疲れるから商店街を歩いてきたらどうだ?」

「いいんですか?」

「構わない。…それで、買い物に寄る前に1つ、"毘沙門通り"にある"屋良商店"という所に寄ってくれ。頭にタオルを巻いた店主のオッサンにこれを渡して欲しいんだ。」


長方形の紙が入っていた茶封筒を、辰実は怜子に手渡す。"では行ってきます"と言うと、"行ってらっしゃいませ"と丁寧な口調で伊達が見送ってくれた。



商店街の通りに出ると、ガラス張りの屋根の上から陽気がよく見える。天気予報通りの快晴。"AMANDA"にいた頃に、店長の天田から貰っていた商店街のマップを開く。アルバイト先以外は、殆ど買い物をする事も無く、商店街と言われれば"アヌビスアーツ"か"AMANDA"、あとは24時間スーパーぐらいしか分からない。


(屋良商店、と)


マップを見れば歩いてすぐの場所にある事が分かる。右に向いて歩く事数十秒、そこには"屋良商店"と堂々と書いている看板、露店式で色とりどりの野菜が木箱に詰められて売られている光景は、昔ながらの風情が天皇数名分変わっても残り続けたものだろう。


「こんにちは。」


店番をしながら、建物からはみ出した庇の下で座って休憩している色黒に刈り上げの男がいた。土汚れのついたエプロンをして、長靴を履いた男は額にタオルを巻いている。


「屋良商店の、店主さんですか?」

「おう、そうだが。嬢ちゃんは?」


腕を組んで座ったまま、店主の屋良正明(やらまさあき)は答える。昭和の男を彷彿とさせる口調が、本当はあまり思い出したくない"お父さん"の雰囲気を感じさせた。




「"アヌビスアーツ"に今日から入社しました、篠部怜子と言います。よろしくお願いします。」


それでも、"実父"とは別者である。その辺りは商店街の新参としてしっかりしなければならない。その点だけしっかりしていれば、第一印象の良い怜子が悪い風に思われる事は無いだろう。


「おうよろしく。黒沢さんの店だな、何かあったらいつでも言ってくれ。」

「ありがとうございます。それで黒沢さんから、これを。」


怜子は、辰実から渡された封筒を屋良さんに渡すと、中から何かのチケットを取り出した。


「お、これこれ。頼んでた演歌のチケットだ。」


辰実と演歌が結びつかないが、そういうツテがあるのだろう。そんな事を一瞬思ってボケっとしてたら、屋良さんは何かを書いたメモを封筒に入れ、怜子に渡す。


「黒沢さんに、渡しといてくれ。」


"分かりました"と言って怜子は一礼し、おやつの買い物へと歩き出す。"少しくらい寄り道していい"とは言われたものの、あんまり時間を食う訳にはいかない。


("スケベ"って何だろう?)


怜子は真面目だった。"ニワトリ"についての思考を終えた後に、残りの"スケベ"について思考を巡らせる。凝り固まった事務室の中でいるよりも感じる開放感が、想像を巡らせる。


(嬉しくないけど私、"スケベ"には詳しいかも)


怜子がグラビアをしていた時に"スケベな人"と言うのはいくらでもいた。隙があれば下心を丸出しにして擦り寄ってくる者もいれば、ひたすらに予定を聞いてくる者、密室で2人きりになろうとする者もいれば、立場を武器にこっそり体の関係を迫ってきた者もいる。


身体を触られた事だって、勿論あった。


"考えすぎでは?"と思われてしまうかもしれないのだが、それぐらいの危機感が無いと生きていく事なんてできないのかもしれない。


…"危険因子"は、何もスケベな男だけではないのだ。


迫られている瞬間、密室で2人きりになってしまった瞬間を、同じ"わわわ"のモデルやグラビアに見られてしまった日にはたまったものでは無い(最も、全員がそういう事をやって来る訳では無いが)。"篠部怜子は枕営業をしている"とか噂を流され、風評被害に遭う事だってある。


実際に怜子は、これを"読者モデル"にされた事があるためか読者モデルだけは何があっても好きにはなれない。更に、そういう風に人の事を何だと言ってくる奴が本当は枕営業をしていたりと世の中は不可解に満ちている。


そんな内外で美醜のギャップがある人間がちらほら輝く中でも、"黒沢愛結"だけは強かったと、怜子はずっと憧れを持っていた事を思い出した。自らの魅力だけで勝負していた憧れの彼女が、怜子のパワハラをでっち上げたとは思えない。


しかし、それを話してくれた"元"マネージャーの古浦も信用できる人ではあった。



"スケベ"から話が違う方向に行ったとみせかけて、思い出した事がある。


怜子はグラビアデビューしてまだ数ヶ月も経っていないぐらいの飲み会の席。酒で気を大きくし、怜子の隣に座って肩を組んできたり背中や尻を触ってきた平社員の男がいた。


年季を重ねた"スケベ"な奴等の、ねっとりしっとりした汚い重厚な感じとは逆の薄っぺらさが印象に残る。その時は古浦が軽いノリで割って入り、セクハラ社員を別の場所にやってくれ愛結が隣に座ってくれた。…その時に何故か、少しだけ怖くなったのを思い出して泣いてしまったのを覚えている。


"怖かったね"と頭を撫でる愛結と、"マネージャーとして不甲斐ない"と謝った古浦が優しかった。


いい思い出なんて1つもないけど、"スケベ"と冷静に向き合える程に怜子は成長している。




(間違いないのは、イケメンなスケベはいない。全員がキモいオッサンだったわ。)


場所が変わって気持ちがリセットされたのか、閃きのきっかけが自分の中にあった事に気づく。何となく今までに経験した"スケベ"像がグラノーラして、ニワトリと悪魔合体を始めた。


最も、こんな風にタイトルを安易に使用してはならない。



そんな事を考えていた怜子だったが、"スケベなニワトリ"をしたためる前に糖分が切れていた事を思い出す。マップを見てみると、"都合よく"スイーツの店を発見した。


"Bobby's Sweets"


アンティーク調の木製ドアを開けると、木製ダークブラウンの落ち着いた装いに目がいく。初めて入る店への期待に胸を躍らせ入ってみたものの、ドアから感じられたアンティークの雰囲気の中に飾られたアサルトライフルにツッコミを禁じ得ない。


「いらっしゃい」


五分刈りに色眼鏡をかけた、長身に筋肉痛の男。あまりの厳つさに固まってしまう怜子。


「おい」

「あ、はい」


「ここにあるスイーツはどれも絶品だ、好きなのを買っていきな」

怜子は、ニコリとして頷きながら、辰実に渡された小銭入れを取り出す。店の大男が、その小銭入れを一瞥した後に怜子と目が合う。


「その小銭入れ…、"アヌビスアーツ"の社員か?」

「え?あ、はい。今日から入社しました。」


「そうかそうか。俺はここの店主をしてる"ボビー"ってもんだ。…黒沢の奴とは腐れ縁でな、"アヌビスアーツ"の社員ならサービスしてやる。」


気前のいいボビーは、"好きなのを選べ"と堂々としている。綺麗に作られ並べられたケーキやシュークリームを眺めながら、"あまりにも場違いな"名前に目を止めてしまう。


"イートイン限定!気まぐれボビーのハチャメチャパンケーキ!"

"ボビーのド根性タルト"

"苦難の道を往くガトーショコラ"

"男は繊細シュークリーム"

"基礎に忠実なショートケーキ"


味はどうなのだろうか?そんな疑問を持ちながらスイーツを選ぶ。"6人が"軽く食べられるのにいいものは何か無いか?簡単に食べられるものがいいかもしれない。


「あのー…、黒沢さんってどういう人なんですか?」

「黒沢か?アイツはアホだ。」


"グラビアの黒沢愛結も絶賛!5時からプリン"

"食べながらもインスタ映え?ボビーの漢気クレープ"



「だが、アイツは中々の男だ。"ナイスガイ"って奴かもな。」


気力があるのか無いのか分からない、ぶっきらぼうな表情を下げて仕事している辰実を想像すると、ボビーの言う"ナイスガイ"と結びつかないのだが、付き合いのある男が言っているからにはそうなのだろう。


「すぐには分からんかもな。アイツはすぐ人に本音を話さないから。」


そんな事を聞きながら、"私とも信頼ができたらいいな"と思ったのだが、うっかり言葉に出してしまっていた。…恥ずかしくなって、"男は繊細シュークリーム"を6つ注文する。


「あのー、もう1つ"別のお会計"で買ってもいいですか?」

「構わんぞ。」


と言い、6つ分の代金を辰実から貰った小銭入れから出し、レシートを受け取ると"もう1つ"は自分の財布からお金を出して買う。


「黒沢もよく、一緒の事をやってるぞ」

「それはちょっと、恥ずかしいですね」


美味しそうだから、もう1つ"自分の分"を買ってしまいたかった怜子だが、辰実も同じ事をやっていると聞いて恥ずかしくなったものの、こっそり1人分を別会計して買う辰実の姿を想像して少し笑いそうになってしまった。


「じゃあ、また来いよ」

「ありがとうございました」


次はケーキを買いに行こう、と思いながら怜子は"Bobby's Sweets"を後にする。



 *


事務所に戻ってくる前に、通りのベンチに座ってこっそり食べたシュークリームは、名前通り繊細な味がした。主張しないカスタードがほんのり甘く、香ばしいシュー生地と一緒に消えていく。


歩いてきた道程が、決して楽しい事ばかりではなかったのを振り返るように口の中に拡がっていく甘みと香ばしさが、怜子自身の歩いてきた道程を思い出される。



辛い事はあったが、決してそれだけじゃない。



染みるように糖分を吸収した怜子は、改めて"スケベなニワトリ"を描き始める。手に取ったのは、"不格好な"ニワトリばかり描かれた1枚目の紙。"これだ"と思えるニワトリを数秒、真剣に眺めた後にペンを手に取った。


思い出すのは、"スケベ"な記憶。べっとりと心に焦げ付いた、嬉しくない出来事を思い起こしながらザカザカ描いたニワトリの絵は怜子にとって100点の"スケベ"である。



「お、描けたか?」


頃合いを見て、面白い物見たさに現れた辰実は、怜子が描き終わった"スケベなニワトリ"を覗き込む。太ったニヤケ目の雄鶏が、ビールジョッキを片手に枝豆をつまんでいる絵が描かれていた。


「これは面白いぞ」

「オーウ、ディスイズジャパニーズ"スケベ"」


ニワトリの出来が見たくて、ひょっこり現れたマイケルにも辰実は"スケベなニワトリ"を見せる。すると腹を抱えて笑い出すので、怜子は恥ずかしくなってしまう。



「しかし、よく考えられている。」


そんな事を言うものだから、また恥ずかしくなる。



「…今回の事で、何か分かった事があるか?」

「"スケベなニワトリ"って聞いた時に、まずは"スケベ"と"ニワトリ"を分解して考えました。…その時に思ったのは、"スケベ"って何だろう?とか。」

「うん、そうか。」


「でも、もっと"相手の立場"になって考えられたらと思いました。…今回は"スケベの立場になって"考える事は出来ませんでしたが。とりあえず、相手の事を想像するのが大事だと言うのは分かりました。」


「…それだけ分かっていれば、もう充分"ニワトリの助け"を得られるだろう。」

「ニワトリに助けられるんですか?」

「これから君が、"相手の事を想像する"時に自ずとニワトリは現れる。」


ニワトリの出現、というのには未だピンと来ない怜子であったが、色々考えて"スケベなニワトリ"を描いてみた事で何かを得られたという感覚はしていた。

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