3話「ダーティー・チキン」ー前編

(前回のあらすじ)

天田の口利きにより、"アヌビスアーツ"の面接を受けた怜子。店長の黒沢辰実が醸し出す緊張感に大変な思いをしながらも、後に彼自身の口から告げられたのは"採用"という結果。


そして喜ぶ怜子に、更なる朗報。"Studio Bianca"が新作袴の撮影モデルを探しており、"袴を卒業式に着ていけるように頼んでみる"との約束と引き換えに怜子を撮影モデルとして推薦する。撮影の最中に、可愛さと美しさの二面性を見せてくれた事に感激した真崎は、怜子の写真をスタジオに飾ろうとした。


真崎を喜ばせる事ができた嬉しさから怜子は、面接の時に言えなかった"自分のパワハラで契約解除になった事"を正直に話す決意をし、辰実と伊達のいる前で正直に話をする。


しかし、怜子の人となりを分かった真崎から返ってきたのは激励の言葉であった。その一方で、辰実と伊達は既に怜子の契約解除に事情がある事を"もう1つの出来事"から察していたのであるが…。



 *


怜子の面接からすぐの話である。


採用した新入社員を迎えるための準備では無いのだが、"アヌビスアーツ"の面々は"とある話"をするため集合をしていた。…この話は、怜子を除いてである。


応接スペースの奥、デスク4つ分の島と、"店長"と札が置かれ、横にアヌビス神のゆるい感じの置物が置かれている辰実のデスク、そして伊達のデスクが離れ小島になっており、今はそれぞれ自分の持ち場に座っている状況であった。


「話し合いが上手くいってラーメンでも食べて帰ろうと思った所、君達にすぐ戻ってきてもらったのは他でもない。今さっき"採用面接"が終わったと思ったら"こんなもの"が投げ込まれた。」

「何ですかソレ、"脅迫状"か何かですか?」


帰ってきた3人は、割れているガラスの上に段ボールで養生がされていたのは見たが、"手紙"が投げ込まれたのはたった今知った。"読んでみるか?"と言われ手紙を渡された社員の熊谷悠翔(くまがいゆうと)は、2つ折りにされていたソレを開き、眼鏡の位置を整えて内容に目を通した。



"篠部怜子は採用するな。この忠告を無視するようであればどうなるかは知らないぞ?"



「どうだトビ、本当に"やる気"があるのか疑いたくなるような稚拙っぷりだろう?」


"トビ"というのは熊谷の愛称である。辰実は馬鹿にしたような笑いを交えながら、率直な自分の感想を熊谷に話した上で、彼自身がどう思っているのか質問をする。


熊谷はやや引きつった顔をしながら、向かいのデスクに座っているマイケル(金髪碧眼のアメリカ人)に手渡す。日本語の会話はできるが、ここは"サンキュー"と言っていた。


「いや黒沢さん、これ普通に"脅迫"じゃないですか?…それに"篠部怜子"って、グラビアの?」

「グラビアの篠部怜子だ。今はアルバイトで生計を立てているらしい。」


「ボスは、どうする気デスか?」

「どうするって、何を?言っとくがそんな脅しに従う義理なんてないぞ。」

「…oh」


強気な様子の辰実に、マイケルは閉口する。普通ならガラスが割られて脅迫状が投げ込まれるなんていう事をされたら、驚いてしまうにも関わらず辰実は平然としていた。伊達も平然としているのだが、年季による落ち着きの所為か"慌てふためく"というリアクションが想像できない。


「警察は、呼んだんですか?」


熊谷は小柄で天然パーマに眼鏡をかけた童顔の男なのだが、彼と真逆の大柄で筋骨隆々の男、栗栖暁登(くりすあきと)は冷静に通報の有無を辰実に確認する。


「呼んでない」

「まあまあタチの悪い事件ですよ?」

「栗栖の言う事も分かるのだが、防犯カメラに"やった奴"も映っている状況で、もし通報すれば犯人はすぐに捕まるだろう。…だがそうなっては、それで話が解決してしまう。」


「…"真犯人"がいると?」

「篠部怜子の人気を考えれば、大学を卒業してもグラビアを続けるだろう。…それが今はバイトで生活を賄っていて、うちに面接を申し込んできたぐらいだ。…グラビアじゃなくてもうちには欲しい感じの子だったけど。」

「何か事情はありそうですね」

「面接をした限りでは、"相手側"が臭う。」


「…でもこれ、関わった方が良い事なんですか?黒沢さんは"前職"がアレだから見慣れた話なんでしょうけど、普通に考えたら"また"変な事されて仕事にならないですよ?」


熊谷の言う事も最もだろうが、辰実の意思=決定権者の意思は既に決まっていた。


「トビ」

「はい?」



「確かに、普通では考えられない事が起こっている。…だからこそ、"アヌビスアーツ"が本当はどういう会社なのか問われるだろう。」

「へえ」



「女の子1人、"わが身可愛さ"で不採用にする会社が良い所だと俺は思えない。」



"脅迫に屈すれば会社の本質が問われる"という説得を受け、何とか熊谷も怜子の採用に納得する。…後から栗栖やマイケルに意見も聞いてみるが、"元から自分達は採用に同意している"と答えていた。



2024年4月1日。


世間一般に言う、"新年度"とはこの日から始まるのだ。ちょうど月曜日となったこの日に、怜子は"アヌビスアーツ"の社員として、新生活への1歩目を踏み出す。


"指定した時以外は、うちは私服で構わないから"

"あとは、おやつ休憩有りで、しかもその費用は経費からという"


それだけ辰実に言われたのみで、"後は入社してから話す。では4月1日に会おう、アデュー!"とかいう気障なのか何なのか分からないメッセージを送られたので、採用が決まってから本日までの2週間は"本当に大丈夫なのかなー"と若干、本当に微々たるぐらいの若干の不安を抱えながらも生活をしていた。



(さて、私服はこういうのでも大丈夫だろうか)


出てから思うパターンである。住んでいるアパートを出て、若松商店街の毘沙門通りに着いたところで自分の服装が気になりだす。水色のカッターシャツの上に着ている形になるのは、丈が短くてやや体にフィットしている黒色のエプロンワンピースで、首の後ろで紐を結んでいた。


少しヒールが入ったブラウンのアンクルブーツも、それ程派手では無いと思うのだが"さすがに私服と言われたらオフィスカジュアル的なのをちゃんと見てきた方が良かったのでは?"と若干の後悔をする。


極めつけは、髪の色。ダークトーンのカッパーブラウンで染めてはいるのだが、これも友人から聞いた話によると"業種によって明るさの限界がある"そうだ。…が、これは"デザイン"という業界を考えれば確実にセーフだろう。ここがアウトで無ければもう今の装い全てがアウトだ。


まだ開店の作業すらしていない呉服店の窓ガラスで自分の姿を確認しながらも、"もう今日はこれで行くしかない"と足を進める気持ちを固める。



無難な黒のリュック(何とエコバッグも入っているのだ!)を背負って、いざ"アヌビスアーツ"へ。希望やら不安やらで、感情のグラノーラが出来上がった怜子は"それを打ち砕く"ように入口のドアを開けると面接をした応接スペース、それを通り越して事務スペースへ。



「今日からお世話になります、篠部怜子です。よろしくお願いします!」



こういうのは元気が一番だ。グラビア時代に培った"元気"を、面接の時にいた初老の男性と、見知らぬ3人と"下向きで"顔の見えない店長に向けて振りまいた。


「ああ、よろしく」

「お、本物は可愛いなー」

「コレは、ジャパニーズ"萌え~"ですヨ!」


4つのデスクでできた島に座っていた"見知らぬ"3人は、怜子の顔を見た瞬間に思い思いの発言をする。傍らで伊達は先日に会った時のような紳士の雰囲気で"こちらの空いているデスクをお使い下さい"と、あっさりな返しをしてくれた筋骨隆々の男の隣を指示する。


「えっと…、黒沢さんは?」


隣にいる筋骨隆々の男は、無言で向こうの席を指さす。"店長"と書かれた札が置かれているそのデスクには、確かに人が座っている…のだが。


よく見れば、確かに"らしき人"ではある。面接の時に見た、黒いパーカーを着て腕を組んで座っている彼は"たぶん"黒沢辰実である。"たぶん"の理由は、その顔が本人かどうか"分からない"事にあった。


白塗りの顔に、目の周りを縁取るように赤紫色のメイクが施され、唇を黒紫に塗っている。"メタル"とか"悪魔"系統のバンドがやっている化粧と言えば正解だろう。


「よろしく…、お願いします。」

「ヌハハハハハ!吾輩が"アヌビスアーツ"の店長、デビル黒沢である!」


先日会った時の辰実と、全く結びつかない。そう思いながらも辰実、では無くデビル黒沢の近くへ行き深々と頭を下げ挨拶をした。先日の冷めた様子とデビルの高笑いが結びつかない。



「今日からお前を一人前の社員にしてやるから覚悟しろ!ヌハハハハハハハハハハハハハハ!」


"頑張ります!"とやや引きつった笑顔で答える怜子。。


「あんまり気負わずに。…あっそうそう、デスクはさっき座ってたムキムキの横だから。置いている本も仕事中に使ってくれたり、休憩中は自由に読んだりしてくれて良いから。」


デビル黒沢も、元の冷めた黒沢さんに戻ったようで、いつものぶっきらぼうな感じでさっき座っていた席を指さして説明する。"パソコンの立ち上げは伊達さんに教えてもらって"と説明を受けたタイミングで、伊達は立ち上がってお辞儀をしてくれた。


「メイクを落としてくるから、落としたら改めて挨拶をしよう」


と言い、怜子が自分のデスクに座るのを見届けた辰実はのれん分けされた洗面所の方へと消えていく。



 *


数分後、悪魔の顔は何処へ行ったか、素顔の辰実が帰ってきた。


「もう分かってると思うが、今日から新入社員が1人働くぞー。変な事しないように。」

「篠部怜子です、よろしくお願いします。」

「熊谷です」

「栗栖です」

「マイケルでーす」


先駆けて変な事をしていた奴に言われても、全くもって説得力が無い事を誰も突っ込まないまま全員が仕事に入った。


「さて今日から1か月間は研修期間だ。うちの仕事は基本"デザイン"や"企画提案"、あとはイベントの手伝いになるんだが、それらの仕事をするために"基本"となる3つをその間に学んでもらおう。」

「分かりました。」

「…と言いたい所だが、まずは色々と書類を書いてもらわないといけないんだな、これが。」


"覚えて頂いておられ何よりです"と出番を待っていた伊達が出現し、雇用保険に関する書類や保険証や給料振り込み先、雇用契約に関する書類を20分ぐらい説明を受け書いていった。



ようやく、"研修"が始まる。


「さて、"研修"と言っても講義的なものは何もやる予定が無いんだ。…その代わりと言っては何だが、簡単な仕事をこなしてもらいながら"実践的に"覚えてもらおうと思う。」


必要な時に知識を与え、直ぐに実践で身につけさせるやり方なのだろうが、まだ怜子には理解できていない。


「では今日、やってもらう事だがな」

「はい」



「"スケベなニワトリ"を描いてもらいたいんだ。」



ここまで生きてきて全く聞いた事の無い、そして金輪際使いそうもない言葉に、怜子は耳を疑った。入社初日の研修は分かるが、そんな事を言われる会社なんて絶対に無い。そして、この話を他の人にした所で絶対に信じてもらえないだろうと確信できるくらい、意味が分からなかった。



(聞いた事無いわよ!ニワトリにスケベなんてあるの!?)


「何ですかその…、"スケベなニワトリ"って?」

「"スケベなニワトリ"と言うのはだな、読んで字の如く"スケベ"な"ニワトリ"の事だ。」

「答えになってないです。」

「すまないが、俺もこれ以上の説明はできない。」


怜子の後ろにある、ミーティング用のテーブルの一席を引っ張り出して辰実はどっかり座る。


「1つ言える事があるなら、今後君の仕事をする上で"スケベなニワトリ"は凄く助けになるだろう。」

(やだなぁ~、変なニワトリが助けてくれるなんて…)


「今、"変なニワトリが助けてくれるなんてヤダな~"と思ったな?」


"図星"だったので、怜子は驚いた顔で辰実を見ていた。この男はどうしてこうも、自分の考えている事を"的確に"読んでいるのだろうか?


「そのうち慣れる」

「慣れるんですね」

「ああ。助けを求める者にニワトリは現れる。」


(駄目、全然想像できない)



「あんまり分からなさそうな顔をしているからここで1つ、俺が大学のゼミで最初に習った事の話をしよう。」


辰実が大学生の時の話と、"スケベなニワトリ"がどのように繋がってくるのか分からないのだが、辰実にも考えがあるのだろうと思い、何かを描こうと考えていたペンを置いて話を聞く姿勢を見せた。


「物事を理解するには、"分解して"考えるというのが得策だそうだ」

「"分解する"と言うのは例えば"スケベなニワトリ"だったら、"スケベ"と"ニワトリ"に分けて考えるという事でしょうか?」

「物分かりが良いな」


辰実は感嘆する。"デザイン"や"企画"に対する知識があるかと言えば乏しいのだが(それは新入社員だから仕方ない)、相手の話す事を理解する力があった。これもグラビアアイドルとしての社会経験が培ったものなのだろう。


褒められたのが嬉しいのか、怜子はニコニコしていた。一瞬"可愛いな"と思ってしまった辰実だが、妻の事を思い出し冷静になる。辰実曰く、"うちの嫁は一目見るだけで国ごと傾くくらいの美人"らしい。


「"ものは考え方"だ。それはどの道にも通じている所はある、まずはそれを実践してみよう。」


"分かりました!"と答えて、まずは辰実に渡された白紙に2つの単語をメモする。"スケベ"と"ニワトリ"、2つの単語に分けられるのだから、これは"初歩的な"レベルなのだろう。


とりあえず怜子は、"ニワトリ"から攻めてみる事にした。


"ニワトリ"と言われれば、間違いなく鶏の事だろう。お腹が空いてきたのか、唐揚げの事を思い浮かべてしまうと余計に意識してしまうので、ここで止めておかなければいけない。そして一旦思考を止めた怜子の目に映ったのは、デスクの奥に置かれた小さな本棚であった。


"綺麗に見えるレイアウト"

"現代を切り拓く左脳思考"

"論理的思考によるデザイン"

"デザイントレンド図鑑2023"

"色の教科書"


左から見ていくとおおよそ、"参考書"として置かれているものであろうが、それを置いていた空席に怜子を座らせた事には"意図的な"ものが絡んでいるように思えた。"読んで勉強するように"と置かれたように見える参考書だが、その中に"ノート"が挟まれているのが気になって手に取ってしまう。


(何これ?)


"見ちゃダメだぞ!鳥のスケッチ集"と、無地の表紙にマジックで書かれていた。開いて眺めてみると、ボールペンで事細かくデッサンされた色んな鳥。中にはニワトリもいて、雄鶏のスケッチが幾つも書かれていた。


"泊まりの日に仮眠中、ニワトリが夜中の2時3時に鳴くモンだから全く寝れない。許すまじ。"


数ページにもわたる雄鶏のスケッチの、余白の部分に書きなぐられたそれが偶然目に入って怜子は笑いそうになる。深呼吸をした後に、ペンを手に取って白紙に何かを描き始める。


ニワトリのスケッチ。"スケベなニワトリ"を描くには"ニワトリ"が描けるようにならないといけない。理由なんて分からないけど怜子はおもむろに"ニワトリ"がどういう生物か形で理解したくて、白紙にニワトリのスケッチを描き始めた。


(形を捉えるって、難しいんだな…)


1羽、2羽、3羽と増えていく雄鶏のスケッチ。絵なんてちゃんと描いた事なんて無い、そんな怜子が描くものだから"変に"太ったニワトリややせ細ったニワトリ、更には首と胴が長くて"鶴"になってしまったニワトリが誕生する。


…それもやがて、ちゃんとしたニワトリへとなっていく。描きこんだ白紙1枚目と比べて、2枚目には変な形のニワトリがどこにも見当たらなかった。


描き疲れた怜子は、背伸びして辺りを見回してみる。黙々と作業をしているメンバーの中、電話をしている熊谷がいたり、隣に座っている栗栖がデスクの引き出しを開けて取り出した何かが、"ラムネ"みたいなものだと分かった時に目が合った。

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