1話「モラトリアムへの転落」ー前編


「今年も、お疲れ様でした!」


乾杯の声と、ガラスをぶつけ合う乾いた音が響く。



2023年12月末日

T島県T島市、鷹条町、居酒屋"まかまか"


掘りごたつ式の座席が楽で仕方ない。2時間飲み放題で4000円、良心的な価格で場所と酒、食事が提供されるから、大学生の篠部怜子(ささべれいこ)も堅苦しくなく歓談と酒を楽しむ事ができていた。


大きな島、小さな島に分かれ、その群島がまとめて簾の中にいるから"別の空間"となっている。大小の島に散らばっている1つの集団はスーツを着ている中高年もいたり、オフィスカジュアルに身を包んだ大人の女性だっている。怜子と年齢が近いのは、散らばって座る数名ぐらい。


…これが"大学の"飲み会で無いのは明らかだった。辺りで聞こえるのは、"来年もよろしくお願いします"という言葉だけじゃなくて、ヒエラルキーの確立した獣の群れのように暗に上下をハッキリさせる"社交辞令"が飛び交っているからだろう。


怜子は大学生でありながらも、ローカル誌"わわわ"のグラビアアイドルをやっている。大学生活の4年間を"二足の草鞋"に費やしてきた甲斐もあってか、今の人気と共に来年度は"正社員"として"わわわ"を支える一員としての将来を嘱望される状況にあった。



スーツを着た社員達の話を、とりあえずニコニコしながら聞く怜子。素直に自分の事を褒めてもらえるのは嬉しいが、言われ慣れてしまった言葉を真に受け切る事は難しい。そんな言葉で怜子を流していた社員も、やがて目上の人に呼ばれてそれぞれ別の島へと流されてしまう。



「怜子ちゃん、前座るね」


数秒、1人の時間をこっそり頼んでいた梅酒と過ごしていた怜子の前に座ったのは1人の女性。誰もが羨むような膨らみと締まりの波をその長身に描いた体躯、栗色の波がかったロングヘアの間から覗かせた深海のような青い瞳の大きさが沈められる程に美しくて仕方が無かった。


それで中身も良い女性であるのだから、怜子には尊敬する以外の選択肢が無い。更にそれを裏付けるかのように長身に栗色の髪をした彼女も"グラビアアイドル"である。


"黒沢愛結(くろさわあゆ)"と言われれば、"わわわ"を代表するどころか地元を代表するグラビアアイドルだろう。共通点があるとするならば、人間の女性である事と本名でグラビアをやっている事ぐらいだと怜子は思っていた。



そんな女性が、怜子の正面に座る。


「今年も、お疲れ様でした」


そっと乾杯でグラスをぶつけ合うと、直ぐにワインが入った愛結のグラスは空になった。店員を呼んで梅酒を注文してから、2人の会話が始まる。


「写真集、また重版決まったんでしょう?」

「はい、お陰様で」

「"来年も楽しみ!"って皆、怜子ちゃんの事凄く持ち上げてたよ。」


身長も普通ぐらい、ちょっとクラスで"可愛い"と噂されたぐらいの自分がカメラに映ると別人のように大人になっていたり、少女の顔をしていたりするという。自分が思う自分と、カメラに映る自分とのギャップがたまらなく面白くて、まだどこかに行きそうだからグラビアの仕事を続けたかった。


「そんな事言ってたら愛結さんだって、止まる事を知らない。」



「"栄枯盛衰"、私も、また…。自分の先がどうなるかなんて、私には分からないわね。」

3年前に双子の女児を出産し、その半年後にグラビア復帰した彼女が考えていたのは"グラビア"という自分の仕事に対する展望だけでなく、それ以前に自分としてのこれから。


グラビアとして人気を博しながらもライターの仕事やロケにも力を入れているのは、その表れだろう。そんな彼女がふと放った言葉は、決して"他人事"なんかでは無かった。


「そんな肩の凝る話をしに来たんじゃないの」


急ハンドルで話を戻すと、愛結は襟を正して雑談に軌道修正する。ただ話がしたいだけの彼女は近くに余ったサラピンの箸を見つけ、テーブルの中心に余っていた唐揚げを挟んで一息に口へ放り込んだ。


「その髪飾り、ご主人さんからのプレゼントですか?」


大人の装いを崩し、緊張感の無い様子で唐揚げを頬張る愛結は"行儀が悪い"と思ったのか手早くそれを咀嚼して飲み込んでから怜子の質問に答える。慌てて唐揚げを頬張っている間も、愛結が右肩に垂らし三つ編みにしていた栗色の髪の先に、淡く光るサファイアと黒で分けられ、縁を金で彩った三角の板が怜子の視線の先には映る。



「そう。この間のクリスマスに、ね」

「オシャレですよねー、どこで売ってたんですか?」


シンプルながらも、思わず自慢したくなるようなブランド感があった。"お出かけ用"と簡単に言えばそれがしっくり来ているような感じがする。


「これ、手作り品なんだって」


愛結が三つ編みの先を持ちあげて怜子に見せてくれたそれは、ヘアゴムに金属の板が取り付けられていたもの。そして"手作り"と言われて怜子は"これは愛結さんに合わせて作られたものだ"と理解できた。


「夫婦で、仲いいんですね」


あまり器用な方では無いが、髪飾りの話を嬉しそうにする愛結の様子を見れば、前からずっと仲が良いと聞いている夫とそれが続いている事も理解はできた。6月の一時期には夫婦で"ちょっとした事件"があって、何とか乗り越えられた辺りから一層仲が良くなったとも聞いている。


「そうかしら?」

「愛結さんの様子を見れば分かりますよ」


一口より大きな唐揚げの、サクサクした衣と味が溢れる身を一緒に口にした後、梅酒で飲み込む。1切れだけ残っていただし巻き玉子の真ん中より少し手前を箸でつまんで口に放り込むと、しっかりした白だしの味と、卵のマイルドな風味が舌の上に乗せられた。


「最近、と言うか秋ぐらいになってからちょっと変わってきたのよ。」


"変わってきた"という単語が引っ掛かる。怜子も愛結の表情を読んでみたが、不安そうな様子でも無いから事の仔細を察する事が出来ない。


「隠し事をしなくなったのよ。」

「いい事じゃないですか」


怜子は即答する。


"隠し事"なんてのは、できるだけ無い方がいい。錘を付けて歩いているようなもので、その"隠し事"が多ければ多い程に錘の数と重さも増えていくようなものだと思っていたからなのだ。



「お、人気グラビアの2人がこんなとこに!」


話に水を差すように、スーツ姿の男が1人やってくる。30を超えたところではあるが未だ若さを保っているような雰囲気は、"ジムに通って鍛えている"という結果なのだろう。


「どうしたんですか、古浦(こうら)さん?」


酔っ払って出来上がっているのを茶化すように、怜子は愛想笑いで自分のマネージャーを迎え入れた。


「今年の怜子ちゃんの活躍は凄かったよー、もう"キテる"ねこれは!」

酒の回った古浦は、座って怜子の肩を叩きながら歓談に割って入る。


「凄いスカウトマンも"わわわ"に入ってくれたんですし、私の人気なんてすぐ抜かれるかもしれませんよ?…だから、来年は何があるか分かりませんって。」


「そいつは、"明けの明星"って奴かな?」


不器用と言っても、色んな不安要素を考えられるぐらいに怜子は聡かった。そんな不安をどこかにやった古浦の"斜めに投げた"発言には愛結を巻き込んで閉口してしまう。



「知らない?おみくじとか占いの"明けの明星"って。ざっくり言えば"不確定要素"なんだけど?」


天文学的に言えば夜明けに見える金星の事であったり、神と悪魔の話であれば神に反抗して堕天した天使の名前がそれを意味するものだったりとか…。怜子の頭に浮かんだのは、高校の時に地学で習った"天文学的な"話の方である。


「夏から"わわわ"に入ってきた饗庭(あいば)さんは、前の所でもいい子連れてくるので有名だからねー。まあでも、黒沢さんや怜子ちゃんみたいに"ちゃんとした"アイドルならその辺で拾ってきた有象無象の女の子なんて相手にならないでしょうよ?」


「下手したら私の半分ぐらいの歳の子だって、発見されるかもしれないわね。それを考えたらちょっと怖いかも…」

「愛結さんが、そんな事言わないで下さいよ」

「大丈夫よ、"大人にしか"できない事ってあるから。怜子ちゃんだって"それが"あればこの先何ともないから。」


自分で言ってしまった不安を自分で蹴散らす愛結を横目に、何が言いたかったか分からない古浦はしれっとどこかへ去ってしまった。脂ぎった役員に挨拶でもしに行ったのだろう。


…その後は、代わる代わる歓談をしながら飲み会を終えた。



 *


店の外に出て、飲み屋街を二分する道路を眺められる場所に出ると、この地方では珍しく雪が降っていた。積もらない粉雪を気にする事も無く、大小混じった乗用車や代行運転の車が右から左、左から右へと流れていくのが見える。


スマホで時間を見ると、もう22時を通りかかる所であった。飲み会にいた人達の数割ぐらいだが、スーツ姿の男にグラビア、読者モデルの女の子がついて行くような形でふらっと新し気な建物やしみったれた建物が群生する夜の街に消えていく…。


「怜子ちゃん、2次会行かないの?」

「私はいいです。社員さんは悪い人じゃ無いんですけど、秋ぐらいから来てる読者モデルの女の子達が苦手で…」

「同じ大学生でも、やっぱりそういうのあるんだ」


"すいません、愚痴みたいになっちゃって"と、すぐさま怜子は愛結に謝る。ポロっと出してしまった本音をクスクスと笑いながら聞いていた愛結も、同じような事を考えていたのかもしれない。


「それは貴女がプロで、自分の力でしっかり仕事してるからよ」

「だとしたら、凄く嬉しいです」



愛結も2次会には行かないようだ。普段はタクシーが停めていそうな路肩に寄せ、停車したボックスタイプの車に手を振ってここにいるという合図を送っている。


「ご主人さんですか?」

「そうよ。…私は帰るけど、怜子ちゃんも送って行こうか?」

「ご主人さんも気を遣うでしょうし、タクシーで帰りますよ。」


愛結を乗せた車が走り出した時に、笑顔で手を振る彼女の向こうでハンドルを握っているぶっきらぼうな面持ちの男の横顔がうっすらと見えた。




 *


2024年1月。


年は明けて、やっとこさ重い腰をあげながら飲み会で騒ぎ回っていたスーツ姿や着飾ったモグラ達が据え置きの高層ビルへと詰め寄ってきた中に勿論、怜子も混じっていた。



「契約の解除?どういう事ですか?」


マネージャーの古浦からも、"大学を出てからも安泰だから"と、アルバイトのグラビアではなく"正式な雇用"のグラビアになる予定であったにも関わらず。新年早々呼び出された会議室にて怜子は人事課長から真逆の言葉を言い渡される。


人事課長の横に座って、怜子を見据える古浦が少し悲しそうに見えたのだが、いつものように陽気に満ちたのとは別人のように"真剣な様子"を取り繕っていた。


「去年の春に辞めた、ガールズの新人がいただろう?」

「あの子達が、私の契約解除と何か関係があるんですか?」


「正直、こうなった事はマネージャーである僕の管理不足もあるかもしれないけど…。その3人が辞めた理由が怜子ちゃん、君の行ってた"パワハラ"というのが発覚したんだ。あの3人が"迷惑配信者"だっけ?そいつに追いかけまわされているのを良い事に暴言を吐いたらしいじゃないか?」


"思い当たる節が無い"というのが怜子の本音であった。せっかくの後輩を圧力で何とかする程、自分には余裕が無い。…それに、仲の良かった後輩である。



「私は、あの"3人がストーカー被害に遭ってる"って相談を受けたんですよ!?それに、"わわわ"にもその事は伝えたじゃないですか!私は、あの子達を助けようとしていただけです!」

「助けるも何も、現に怜子ちゃんが言ってる3人はいないんだ。」


謂れ用の無い事を突きつけられ、怜子は取り乱す。対して古浦の返答は、答えになってはいなかった。ちぐはぐなのに、無理矢理に話を進めようとしている"儀式"のような空間になっていた。


"わわわガールズ"というローカルアイドルのユニットに、怜子の次に加入した3人だが"迷惑な"動画配信者に嫌がらせや付きまとい行為を執拗に受けて"脱退"を選択したと本人からは聞いていた。…同じ男からの嫌がらせを、愛結や怜子も受けていたのだが、ここでは別件だろう。


その迷惑配信者も警察に逮捕され、事件は解決したのだが後輩が戻ってくる事は無かった。


やりきれない解決という結果の裏も合わせて今の状況、辛いながらも言ってくれた"本音"と思う言葉を疑う事は怜子にできない。



「古浦さんと言い争っていても仕方無いだろう。…ともかく、こちらの方針としては"売れっ子"と言っても、これから育っていく子らに害を与えるようでは面倒を見る訳にもいかないんですよ。」


「そもそも、やってすらいない事を勝手にでっち上げられても困ります!」


そもそも、昨年の春に辞めてしまった彼女らが今更になって"実は怜子からパワハラを受けていました"と言うのも唐突すぎる話ではあり、その内容について触れようとしても全く取り合って貰えない状況に辟易し始めた。



「あの子らはインパクトがあったからね。…正直怜子ちゃん、怖かったんじゃないの?だからあの迷惑配信者と手を組んで脱退に追い込んだとか?」

「どうしてそうなるんですか!?私があの男に大学までつけられていたのは、ちゃんと相談したから知ってるハズですよね!?」



「知らないよ?」



少しの間を置いて、冷静に否定を述べた古浦の声を最後に、視界が真っ白になる感覚を、生まれて初めて怜子は理解する。ここまで信頼し、"来年も頑張ろう"と激励をしてくれていたマネージャーの男が急に人が変わったように放った冷たい発言が少しずつ現実味を帯びていく。


この件については、警察だって事情聴取に来たのだ。それでなお"知らない"と言い張る男が、暗に権力を振りかざして自分を追い込む様子には絶望以外を浮かべられる事は無い。



「契約は、本日を持って解約とする」



打ちひしがれた彼女には、その無理矢理な押し付けを"返事をしない"ままに聞き入れる事しかできなかったのであった。茫然とぼやけた視界の正面だけを見据えていた怜子の事なんか気にもせず、古浦と人事課長が会議室のドアを大きな音で閉めて出ていく…。



「辛いですかな?」

「いいえ」


何か1つ、仕事をやり遂げたような軽い雰囲気で人事課長は聞いているのだが、それは古浦の心情を察しての事かどうかは定かではない。そんな様子の2人に対抗して廊下を歩いていたのは、別のグラビアのマネージャーをしている早瀬真啓(はやせまひろ)であった。


セミロングの黒髪に丸眼鏡をかけた彼女は、"わわわ"内でも敏腕のマネージャーでありライターでもある。


「これはこれは早瀬さん」

「古浦さん、人事課長と一緒に何か?」


「篠部怜子の契約解除の話ですよ」


古浦の瞳を覗き込む、早瀬の両目に焦点が合う。丸眼鏡の奥、黒曜石のように鈍く光った右目の近くに泣きボクロがあったのだが、それはぼやけて見えた。"そうですか"と流した彼女は、先に2人とすれ違った後に振り返り、誰もいなくなったのを確認するとスマートフォンを取り出した。

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