地鳴り

 曲刀に罅が入った。


 素手で、塔子が刀身を掴んでいる。手のひらが切れて血が流れ、白いブラウスを染めている。

 ぐ、と刀が撓んだ。信じられない膂力だった。白い肌を血で濡らして、塔子は無言でハオランの首に手を伸ばす。


 首を絞められた。息が出来ない。のけぞってどうにか振りほどき、刀を塔子の胸に突き立てた。

 塔子は真顔でハオランの右手首を掴むと、躊躇いもせず、曲げた。


 骨が折れた。唇を噛んで睨むが、塔子は相変わらず無表情だった。



 ――出てこい。おい、俺が死んだら困るだろう。



 呼びかけても、唸り声すら聞こえてこない。ハオランは舌打ちし、周囲を見回す。

 天長門の護衛たちが死んでいる。それを遠くから見ている辟邪が数人。ハオランを助けようという気は無いようだった。天長門の門番は呆れたような顔で見物しているし、屋台の主人は巻き込まれないように商品を店の奥へと仕舞っている。

 人望の無さが悲しかった。ハオランは小瓶を取り出すと、中に入っていた粉末を塔子の顔に向かってかけた。

 白い粉末が広がり、塔子の身体を覆う。塔子の動きが止まった。見開かれた目が宙を彷徨う。ハオランはその隙に逃げ出し、天長門を潜り抜けた。


「何かけたの?」


 柱の陰に避難していた庸太が、隣に並んで訊いてくる。走りながら、ハオランは庸太を睨んだ。

「お前、助けろよ。なに逃げてるんだ」

「だって、喧嘩売るなって僕言ったよね?」

「普通助けるだろ、知り合いが困ってるのに」

「単なる知り合いを助けるほど余裕ありません」

 ばっさり切り捨て、庸太はハオランの手の中にある小瓶を取る。

「――潮の臭いがする」

しんの粉末。幻を見せる。蓋開けるなよ」

 小瓶を取り上げ、ハオランは人通りのない路地へと入った。折れた右手首が痛い。青く腫れている。早く手当しないと、悪化するだろう。

「いいねそれ。僕も作ろうかな」

 言いながら、庸太は器用にハオランの手首を固定する。痛み止めを渡されて、ハオランはそれを噛み砕いて飲み込んだ。


「ほんとに出てこないね、今日は。いつもそこら中大惨事にしてるのに」

 庸太の言葉に、ハオランは苦笑する。

「だから、前の不味い翡翠のせいで臍曲げてるんだよ」

「僕もねえ、馴染みの業者から騙されるとは思ってなかったからさ」

 どうも資金繰りに困ってたみたいで、と庸太は言う。

「他の騙された辟邪から吊し上げられてた。自業自得だけど」

「そりゃ、辟邪にとったら生きるか死ぬかだし。妖怪は制御できるわけじゃないんだよ」

「そう考えると、肉を喰ったあの人はわりと正解なのかな」

「肉喰うのはリスク高いだろ。使役するのもだけど――あの中国女は例外だよ。あんな数を使役する奴、どっか壊れてる」

「玄武門の? ……ジンリーはまあ、何だろうね、妖怪オタク?」

「そんなまともなもんじゃないよあれは」


 自分の身体が壊れてもなお、使役し続けるあの女は狂っている。普通の辟邪で妖怪を使役できる奴でも、せいぜい二体が限界だった。それ以上使えば、身体がぼろぼろになって死ぬ。

 ジンリーは恐ろしい。強さよりも、その異常さが怖かった。


「じゃ、一応手当したから、僕はここまで。死にたくないし。天長門通れないけど、どうするの?」

「市場通り門から行く。地久門まで行った方が変な奴に会わなそうだけど、延平門の連中と戦ってる暇ないし」

「ふーん」

 じゃあ、と庸太が何か言いかけた時、地面が揺れた。



 咄嗟に庸太の頭を押さえつけ、一緒に地面に身を伏せる。どん、どん、二度大地が鳴動し、露台の方で動揺した声が上がった。



 地震ではない。粉塵が舞い上がり、庸太が咳き込んでいる。がしゃん、と壜が割れる音がそこら中で聞こえる。最悪だ、商品ようかいが逃げ出してしまう。

 吹きつける風には血の臭気と磯の臭いが混じりあっている。唸り声が聞こえた。真後ろに、どこから逃げ出したのか、羅羅がいた。個体としては小さい。咄嗟に曲刀で、その喉を突いた。

 生温かい血が降りかかる。うえ、と庸太が嫌そうな声を上げた。その間にも、地面の揺れは止まらない。通りに吊るされた提灯が落ちて、灯が消える。


 闇の中、明るく炎をまとっているのは禍斗だろう。あれは商品として人気なのだ。

 その下、ずるずると地面を這いまわっているのは長蛇ちょうだだった。木魚のような声で鳴いている。

 混乱した声。悲鳴。ごりごりという音。喰われているのかもな、とぼんやり思った。そこまで助ける余裕はない。


「庸太、逃げられるか?」

「冗談じゃないよ。僕ぁ戦えないんです」

 前言撤回、庸太はハオランについてくることに決めたようだった。揺れが少し収まったところで庸太を引っ張って立たせる。

「これ、だいぶ酷いな。――ああ」

 揺れの原因が分かった。見上げて、呆れたようにハオランはため息をつく。


 雲を突くほど巨大な大男――ダイダラボッチだった。

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