第3話どんなことがあってもあなたを信じるわ
私は今、あの相馬さんと会っている。あの喫茶店で。
「この前は、本当にすみませんでした。私も勢いといいますか、暴走しちゃっていまして……。でも、まず佐藤先輩に謝りたくて。本当にすみませんでした」
恋の熱にうなされて、暴走していた相馬さん。告白し、振られ、そのあと友達とゆっくり話し合うことでこの病から解放されたそうだ。そこで友達から私にちゃんと謝罪して和解した方が後々の部活の人間関係にも良いとアドバイスされたそうだ。そして、彼女はそれを実践しているというところになる。その背景まですべて話してしまう彼女は、やっぱりだいぶ不器用と感じるが、その謝罪は本心からのものと信じ、私たちは和解した。元々喧嘩していたわけではないので、ただ私ははいはいと受け入れただけなのだが。
そこから学校の話に移った。文理選択や部活の引継ぎや嫌いな先生の話とか。
相馬さんはどの話にも素直に受け答えしてくれるので、意外と本音で話せる相手だった。蛍太郎君の件もあったので、腹を割って話やすいのかもしれない。変な知り合いができてしまった。
話は色々変わり、進路の話になった。そこで相馬さんから、唐突に聞かれた。
「やっぱり佐藤先輩は山田先輩と同じ大学へ進むのですか」
***
「トイレの数ってどうやって決めるんだろうね」
今、蛍太郎君とデート中で、ランチセットメニューがお手頃なレストランに来ていた。
こういう時はまったく空気を読めない彼は唐突に変なことを言ってきた。私が適当な相槌を打つ前に、止まらない彼の興味は溢れ出す。
「学校でもレストランでも図書館とかでも大人数が生活や利用する場所のトイレの個室の数ってどうやって決めているのか気になるんだ。建物の間取りが決まっている以上、増設が難しいと思うんだ。だから最初から利用頻度とかを考えて作られていると思うんだけど、それをどうやって決めているのかわからないんだよね」
私も知らないし、興味もない。
彼はちゃちゃっとスマホにメモをし、食事に戻った。基本的に二人でいるときは両方ともスマホをいじらないが、このメモをとるのだけは、どうしてもしたいらしく許している。いや、許しているというのはちょっと傲慢な言い方だったな。認めている。彼のこういう所やちょっと変なところや子供っぽいところもまとめて認めている。受け入れているという程全部を許容できていないが、彼の個性として私は理解して、受け止めたい。
メインのパスタを食べ終え、デザート待ちの時間に相馬さんとの会話が蘇った。
軽い気持ちで蛍太郎君に最近していなかった進路の話を聞いてみた。
そう本当に軽い気持ちで、デザートが来るまでの時間潰しぐらいに。
この後どうなるかなんて何も考えずに。
蛍太郎君の表情が一瞬で固まった。
私は一瞬で雰囲気が変わったのが分かった。が、なぜ彼が固まったのかわからない。
私たちは文理選択を理系にし、一緒の大学に行きたいねとは話していた。もちろん蛍太郎君と私では学力に差があるので、同じ大学に行くのはもしかしたらできないかもとは思っていた。それでもお互いに近いアパートを借りるとか、一緒に住んでみるのもいいかもと漠然としたイメージを持っていた。というか、母親には勝手にそういう妄想を相談していた。母親からはすんなりOKを出してもらっていたので、妄想に拍車がかかっていた。
今はそんなことを置いておいて、彼の態度が気になる。この前の件で、二人の仲がより親密になったし、母からのOKも後押しし、浮かれていた私。何も考えず尋ねた。尋ねてしまった。特に大した問題もないだろうと思って。
「んー、あのね、春ちゃん。実はまだ決まっていないし、迷い中だし、今言うつもりはなかったんだけど、海外の大学受験の話が出ているんだ」
空白。脳内が真っ白。目の前を見ているのに見えていないような感覚。前に味わったものとは全く性質のことなる空白。
言っている意味が分からない。浮かれていた気持ちが急に冷え固まる。
蛍太郎君が何か続けて喋っているが聞こえない。聞き取れない。
が、私は気がついた。彼がなぜ進路を悩んでいるかを。
私は知っている。蛍太郎君は新しい事に強い興味があり、色々チャレンジするのが好きなこと。特に物理の分野に進みたいこと。そのために、毎日遅くまで勉強していること。それと同じくらい私の事を大切にしていること。
つまり、私だ。私と夢で迷っているんだ。いや、正確に言うと、夢を諦めるか、別れるかどうか迷っている。普段出来ないほどの察しの良さをこんなところで発揮している私。
だから最近進路の話がでていなかったんだ。
そして、今何が起きているか理解できてくると、蛍太郎君の声も聞こえてくる。
「……したい。それにまだ行けるかも分からないし。もし海外に行けたとしても、数ヶ月に一回は日本に必ず帰れるようにするから」
え、知らないよ、そんなの。それに急にそんなこと言われても分からないよ。私はそんなに我慢できないし、耐えられない。部活の後輩にすらあんなにモヤモヤしたのに、不安にならないわけない。私は毎日会いたいし、遠距離恋愛ができるほど頑丈にできていない。そんなことは蛍太郎君は分かっているでしょ。
私は蛍太郎君の声を拒絶するように、店から逃げ出した。
……いつ、どうやって家に帰ってきたか覚えていない。気がついたらベッドの上で枕に顔をこすり付けるように泣いていた。みっともなく。
なんだこれ、少女漫画みたい。しかもよくあるやつ。現実でもあるんだ。
何度も蛍太郎君から着信が来ていたが全部無視している。
蛍太郎君と別れたくない。でも、遠距離恋愛なんてできない。でも蛍太郎君から夢を奪いたくない。同じことを何度も何度もぐるぐると繰り返し考えている。もちろん答えなんて出てこない。出て来るのは鼻水と涙だけ。
「春、ごはんできたら部屋から出てきて」
母の声が聞こえた。気がつくと夕方になっていた。それと同時に空腹にも気がついた。
話は物語みたいなのに、私の体は現実で夕方になるときちんとお腹が空く。
夕飯は私の好物のすき焼き風鍋だった。私は良く分からないが、母曰く、作り方と材料が違うからすき焼きではないそうだ。が、今はそんなことどうでもいい。
父はまだ帰ってきていないため、二人で先に食べる。
母は何も聞いてこない。母なら少しは心配してよと思うが、これが母なりの優しさなのだろう。
すき焼き風鍋はいつもと同じ大好きな味で、少しずつ心とお腹が満たされていった。
涙を出し切り、料理で満たされ、気持ちが落ち着いて、母にぽつりぽつりと今日の話をした。
蛍太郎君の海外留学、遠距離恋愛、夢、別れる、とかとか。
母は口を挟まず全部聞いてくれた。そして、話し終わった私へ一言。
「で?」
え? 今、この人、『で?』って言った? こんな状態の娘へ?
一瞬で沸点に達した私は母へマシンガンのような文句をぶつけようとしたところで、母から追撃。
「前にあなた言っていたじゃない。同じ大学が厳しいなら、近くに住むか同棲したいって」
いやいや、母よ、私の話を聞いていた? 新潟とか東京とかじゃなくて、海外なんだよ、海外。私英語なんて話せないよ。どうやって海外で家見つけるの。そもそもパスポートとかもないし。
私は人生で初めて、文句というかツッコミたいことが多すぎると逆に喋れないということを体験した。そんな状態の私を無視し、母は私の方へ手を伸ばしてきた。
「ちょっとスマホ貸しなさい」
また良く分からないことを言ってきた。そして、あまりにも分からなさ過ぎて素直に渡してしまう私がいた。
スマホを手際よく操作した母は、どこかへ電話をかけた。
そして電話相手へ、「今決めろ」「すぐ決めろ」「なら早く来い」と命令していた。はっと、意識を取り戻した私はスマホを奪うが通話は切れていた。相手は蛍太郎君だった。
本当にキレた。何してんだこの親は。私が掴みかかる寸前に母は目で私の動きを止めた。
「もうすぐ蛍太郎君来るから」
あー、もー、意味が分からない。なんで蛍太郎君呼ぶの? 何してくれんの?
ここまでくると逆にもう落ち着いてしまい、すき焼き風鍋を味わうことにした。
母はもう一人分の茶碗とか用意しだしているが気にしない。
追加分の準備を終えた母が、私の正面に座り話し出した。
「春、あなた何か勘違いしているみたいだからいうけど、前に彼と一緒に住みたいって話を私にして、私もOKを出したじゃない。あれは、あなたが本気でそうしたいって言ってると信じて許したのよ。場所がとかお金がとか相手がとか私は何も気にしていなかったし、そんなものは本当に重要じゃないと私は思っているの。本当に重要なのはあなたの決心だけ。私はあなたの母親をやってきたから、あなたを見る目だけは自信があるの。言葉では仮の話だとかもしもだとか言ってし、自分自身では気がついてなかったかもしれないけど、私はあなたが本気で望んでいるって気がついてた。だからOKしたの。
それに、人生は、同棲とか、婚約とか、結婚とか、出産とか、それなりのいいタイミングで、いい雰囲気で、何もかもが幸せで進んでいくと思ってんの?それは夢見すぎよ。人生はそんなに甘くできてないから。そんなに簡単だったら、人生相談の雑誌は売れないし、テレビのワイドショーもあんなにゴシップならべてないわよ。よくある結婚適齢期とかなんとかって勝手に誰かが決めたものさしで自分の人生をはかれるわけないじゃない。
あとさ、自分だけがなんでこんなにつらいのって思ってるわよね。もちろん、人生の分岐点はだいたい辛いし、何選んでも大変になるわ。でもそれはみんなが何かしらでどこかしらで出会うの。あなたは周りより比較的早めに出会ったの。出会ってしまったの。なら、あとはやるしかないの。どんなに辛くても選ぶしかないの。春自身が。
そして、選んだら今度は私を信じなさい。絶対に私はあなたを信じ続けるし、私もあなたが選んだ道を選ぶ。私はあなたがお腹に入っているときからそう決めているの。なにがあっても、どんなことでもあなたを信じるって。だから、まずは私を信じて、そうして自分を信じて選んでみなさい。大丈夫だから」
***
十分後、汗びっしょりな蛍太郎君は我が家に到着した。
そして、我が家のすき焼き風鍋を食べている。
「秋葉さん、すき焼きとても美味しいです」
「いや、これはすき焼きじゃなくて、すき焼き風鍋よ。作り方と材料が違うの」
母から、まず夕食を食べ終えるまで何もするなという殺人鬼のような眼で言われているので、同じテーブルでムスっとしている私。蛍太郎君はいつものようにきれいにご飯を食べている。ああ、こういう姿も本当に好きだな。また胸がチクチクと痛む。なんか悩みすぎて良く分からなくなってきた。
この後に話されるであろう憂鬱な話が、私の心を底なしの泥沼へゆっくりと引きずり込んでいく感じがした。
食器を片付け、キレイになったテーブル。
食べ終えた蛍太郎君は一呼吸おいて、私と母の方を見て言った。
「春香さんを愛しています。必ず春香さんを幸せにしますので、結婚させてください」
***
「ええええええええ、ちょっと蛍太郎君!何を言っているの!」
春ちゃんはテーブルの上に体を乗り出していた。かなりびっくりさせてしまった。
秋葉さんから電話がきた。春ちゃんが僕との関係で悩んでいるからはっきり決めて伝えろと。今日、僕がちゃんと伝えていなくて春ちゃんを不安にさせてしまっていた。
あのレストランで海外の大学と婚約したいと話をしたのだけど、僕はかなり緊張していたし、春ちゃんも気が動転していて僕の話が伝わっていなかったらしい。
一般的な普通の段取りを踏んでいないのは十分理解していた。こういう方法では多くの敵を作ってしまうことも分かっていた。でも夢も春ちゃんも両方諦めない方法はこれしかないと思った。別れるなんて考えは一切なかった。他の誰かに春ちゃんを渡すなんてできない。
そうだ、僕は初めから決めていたんだ。ただ、勇気が出なくて言えなかったんだ。でも今ならわかる。これが僕の決心だ。
***
うちの母親は中々に変わっていると実感し直してすぐ、恋人も変わっていることを知った。
自分のことなのになんだか可笑しくなってきて、肩の力が抜けた。もしかして意外と単純なことだったのかも。そう思うと、悩んでいたことが嘘みたいに消えていった気がする。
これは私も変わっているってことなのだろうか。
でも、それはそれでまた色々な悩みが出てきた。というか、さすがにいきなりすぎなんじゃないだろうか。いや、もちろん別れ話じゃなかっただけで頭がいっぱいいっぱいなのに、プロポーズって。
「で、春はどうするの」
また、母は一言のみ。いや、もー、あー。
わかった、わかったよ、もう。いいよ、ここまできたなら、全部まとめて全てを蛍太郎君にぶつけてやる。
覚悟しないさいよ!
***
後日談として、あのあと父が帰ってきて、もう一度蛍太郎君が例のセリフを父に言って色々とあったが、概ね問題無しである。
それから、一週間後には両家顔合わせがあり、なんかあれよあれよと進んでいった。
実はあのレストランで婚約の話をされていたらしいのだが、私は全然話を聞けてなかった。ちなみに、数ヶ月に一回日本に帰るというのは私と蛍太郎君が一緒に海外に住んでいる場合の話だった。
そして、今、私たちはものすごく忙しい。語学勉強やVISA取得や私の海外への準備や学校の勉強やその他もろもろ。
本当にありがたいことに、金銭面もその他困ったことも親がかなりバックアップしてくれることになった。改めて心からありがたく感じたし、この人達の子供で良かったと思った。
準備中にふと感じる。これからもまだまだ大変なことがある、というよりこれからが本番なのだが、おそらく私は蛍太郎君となら乗り越えられる。いや、二人で乗り越えていきたい。周りのみんなにもたくさんの迷惑をかけていくと思うけど、一生懸命頑張るから応援よろしくお願いします。
蛍太郎君に会えて本当に良かった。愛しています、蛍太郎君。
End
デッサン用のピーマンに対する考察が長すぎる山田君と早く課題を描き終えたい私 森里ほたる @hotaru_morisato
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