第10話 真実
「
翌日、乙女は早朝の見回りを終え、生徒会室を訪れた。タイミングよく部屋を出てきたのは生徒会会計、
「カイチョーなら中に居るよん」
棒キャンディを抜き取って返すと、手を覆い隠すほど大きな白衣の袖をひらひらと振りながら去っていく。三葉を見送ると、乙女は扉をノックした。
「早乙女です」
「どーぞ」
乙女が生徒会室に入ると、会長は眠い目を擦り、書類に目を通していた。接待用のソファーに腰掛けた吽が乙女を一瞥し、再び書類の束と向き合った。いかんせん厄介事の多い島、問題児の多い学園だ。頭を抱えるべき案件が山とあるのは学園の常であった。
「呼ばれた訳は分かっているね?」帝が片手間に尋ねた。
十中八九、昨日の件だろう。香月の乱入があったとはいえ、校則違反者を取り逃したのは乙女が風紀委員長となってからは初めての事だった。
遊馬が率いる部隊の追走により逃げた彼らはすぐに捕えられたが、乙女が違反者を取り逃したという噂は瞬く間に広がった。
「まあ悪事を働いたわけでは無いし、罰を与えるつもりはないよ」
「甘すぎます。会長」吽が帝を睨んだ。
「とはいえ今後は仕事も増えるだろう。罰とは言わないが、尽力を尽くしてもらいたい」
優しく言い渡される帝の言葉に「もうそれも出来ないかもな……」と小さく呟いた。
「どうかした?」黙りこくる乙女に帝が問う。
「単刀直入に」と前置きを置く。
「Hクラスで行っている実験について聞かせてください」
直接生徒会が関わっていると聞いたわけでは無い。しかし、学園で行われている実験に生徒会が関与していないなどあり得ない事だ。
刀を突きつけて「答えろ」と脅さなかったのは最後の良心かもしれない。
帝は驚く様子もなく書類をゆっくりと置き、深く息を吐いて乙女を見る。ソファでお茶を飲んでいた吽は驚きのあまり茶を吹き散らしていた。
「どこでそれを?」むせる吽を尻目に帝が質問を返した。
「昨日、三日月 香月に会った。彼は脇腹のあたりが変色していて、酷く憔悴していた。それでも仲間を守ろうとしていたんだ……その実験からな」
帝は少し考え込んだあと、立ち上がり「ついて来い」と部屋を出た。「まだ早いのでは?」と焦る吽に「いや、頃合いだよ」と返し、乙女と吽は続いて部屋を出る。
**********
向かった先はHクラスのある仮校舎。今にも崩れそうな木の床を鳴らし、使われていない筈の空き教室に入ると、明かりを付けるスイッチを押す。
新品のように白い蛍光灯が点くと同時、床が中央から別れて開き、ガラスに覆われた『箱』がせり上がってきた。
帝が扉を開き、箱の内側へと入る。吽がそれに続き、乙女も足を踏み入れた。
どうやらエレベーターのようだ。ガラスの箱は地下へと降りていく。しばらく暗い壁を見つめていると、開けた場所に出た。白い壁に覆われた空間にはどこから来たのか、たくさんの人間がひしめき合っている。
その光景はまるで空と雲であった。巨大な箱に小さな箱をいくつも取り付けたように小部屋が作られ、その部屋にも巨大な機械が多く並べられている。
研究室のようでもあったが、どこか病院のような雰囲気もあった。
「『ハイエンド』という薬を聞いたことは?」
乙女は逡巡すると「いや」と返した。帝は笑みを浮かべながら続ける。
「アウラの能力を底上げする薬だ。既に10年近く研究が続けられているが、どうにも副作用を無くす手段が見つかっていなくてね」
「人体実験か……!?」
施設の各所に患者用のベッドが見える。そして香月の言葉を考えれば、その答えにたどり着くことは容易い。
「必要な犠牲さ」
「必要な犠牲だと……? なんの大義があってだ」
「アウトローの未来のためだ。来たるべき日に備え、我々はもっと強くならなくてはならない」
「戦争でもしようっての?」
「したくなくとも、その時は必ず来る」
ふつふつと乙女の中に怒りがこみ上げてくる。どんな理由があろうとも、人の命を軽く扱うような実験が許されていいはずが無い。
乙女は帝の言葉を聞きながら、脳内では今すぐにでもこの施設を潰す計画を考えていた。
「乙女。君もこれで共犯者だ。なに、いずれは英雄として讃えられる役割さ。誇っていい」帝が貼り付けたような笑顔で言う。
乙女は一瞬、言葉の意味を理解できなかった。理解できたとしても、飲み込めるような言葉ではない。
「誇れるわけ、無いだろ……! こんな、人間を使って戦争の準備だと!? 馬鹿なことを言うな! 必要な犠牲? 犠牲になんかなる必要ない! 戦争なんてしなければいい! 子供にだって分かるぞ!」
「子供みたいなことを言うな。綺麗事だけでは生き残れない。戦争は必ず来る。奴らとて勝ちの算段もなく仕掛けては来ないだろう。ならばこちらも、相応の準備をしておかねばならない。それとも、黙って皆殺しにされるべきだとでも言うのかい?」
「違う! 戦争なんかしなくたって、共存すればいいって言ってるんだ!」
「分からない奴だなぁ」
はぁ、とため息をついて帝は続けた。
「だったらしょうがない。たった今より君の風紀委員権限を剥奪し、Hクラスへ降格とする。吽、彼女を上へ連れて行け」
「なっ……」
淡々と告げる帝に、呆然とする乙女。吽が乙女の腕を掴むが、乙女はそれを振り払った。
「下手な真似はよした方がいい。それとも、この俺に勝てるとでも?」
不可能だ。
先ほどまでのやさしさとは打って変わった冷たい帝の視線に、乙女の全神経が、本能がそう語っていた。だがそれ以前に、この男は許しておけない。
震える手を握る。
汗が滲んで熱い。
歯の奥がキシキシと音を立てた。
喉が乾いていく。
頬を汗か涙か分からない雫が伝った。
「キサマを倒す」
言葉を絞り出した直後、帝は乙女の顎を片手で掴み、持ち上げる。乙女が刀を作り出す時間など微塵も無かった。
帝は大した巨漢ではない。それどころか少女と間違えられかねない程華奢だ。いくら乙女が小柄だとしても、その顔を片手で掴み、あまつさえ持ち上げることなど出来るはずがない。
「【肉体改造】」
自分の肉体を自在に変化する帝のアウラである。
制服ははち切れんばかりに盛り上がり、筋骨隆々の右腕は身体よりも大きく見えた。
「そうか。なら分からせてあげよう。……とその前に、ここで暴れられるのは困る。上へ行こうか」
乙女の脳が揺れる。帝が乙女の顎を掴んだまま研究所内を駆け抜けているのだ。突風の様に書類を巻き上げながらもひとや機器の間を器用に縫って進んだ。巨体などまるで感じさせないような俊敏さだ。
仮校舎からとは別の出入り口があるのだろう、揺れる視界と掴まれているせいもあり、乙女はどう移動したかはわからないが、トンネルの様な坂道を通り、不意に梯子の前で立ち止まると長い縦穴をひとっ飛びで登る。マンホールの蓋に似た扉を吹き飛ばし、乙女は地上へと連れ出された。
「それじゃあ、死ね」
地上に着くと同時、帝は乙女を地面へ叩きつけた。乙女の身体は衝撃にバウンドし、浮いた身体へ帝は更に拳を振り下ろす。
「【無限一刀】──≪
カタツムリの殻の様に螺旋を描いて刀が連なり盾となった。衝撃を外へ向けて受け流す形で緩和するが、完全にゼロにすることは出来ない。帝の拳が盾を突き破り、乙女の身体を地面に突き刺した。
「がっ──!」
肺から空気が押し出される。脳に酸素が回らなくなり、視界がチカチカと点滅した。なんとか意識は保っているが、反撃する力なんて残っているはずもない。
「さすがはAクラスだ。この一撃を耐えるか」
帝がまた拳を振り上げた。乙女にはその一撃耐える力は残っていない。しかし盾では帝の攻撃を防ぎ切れない。受け流すか。いや、力技で軌道修正されるのがオチだ。
帝の膂力は乙女を遥かに上回る。正面から向かい合うのは不可能だ。この状態から攻撃を防ぐ方法はない。
ならば。
乙女は自分の脇腹を突き刺す様に刀を生み出した。大きく刃の潰れた刀は乙女の身体を真横に吹き飛ばした。地面を転がって擦り傷が出来てしまうが、帝の拳を受けるより遥かにマシだ。
地面を掴むように手をついて勢いを殺し、乙女はフラつきながらも立ち上がる。
最初の一撃で既に負っていたのだろう、乙女は額からダラリと血を流していた。
「【無限一刀】……!」
それでも、乙女は居合の構えを取った。
「ふらふらじゃないか。維持を張るのは止めて、保健室へ行ったほうがいい」
「うるさい……! わたしは風紀委員長だ! この学園の秩序を、生徒たちを守ることが役目! キサマのように生徒たちを道具としか思っていない不良生徒をしゅくせーするのが、わたしの使命だ!」
「だから、君はもう風紀委員長じゃないんだよ」
「キサマを倒せば同じこと!」
「今の君じゃあ、僕の身体に傷一つ付けられやしないよ」
帝は一瞬足の筋肉量を爆発的に向上させた。爆裂音と共に砂塵を巻き上げ、砲弾の様に乙女へ迫る。
(正面からの攻撃が通らないなら……!)
相手の力を利用したカウンター。乙女の力は弱くとも、帝の力を利用すればその限りではない。
乙女は大きく息を吸って、帝を見た。
帝が迫る。
勝負は一瞬、チャンスは一度だ。
集中し頭に血がのぼる。更に傷口から血が溢れるのを感じた。
遮断する。
血が口元まで伝う。口内に鉄の味が広がった。
遮断する。
木々のざわめく音が、頬を撫でる風が、やけに鮮明に感じられた。
遮断する。
乙女は不要な情報を次々に意識の外へ追いやった。感覚が徐々に薄れていく。いや、研ぎ澄まされていく。
視界に映るのは帝の姿だけ。
世界がスローモーションに見えた。
帝が拳を振りかぶる。
腰に添えた手に刀の柄が触れる。
帝の拳が一瞬にして巨大化した。
乙女の顔に触れる、その瞬間。
乙女が両手を交差させ、刀の柄を握り、振り抜いた。
通常、日本刀と言われて想像するのは『打刀』と呼ばれる種類であり、その大きさはおよそ九十センチ程である。
乙女が一番よく使っている刀もその『打刀』だ。
だが、今乙女が作った刀はその基準を大きく超えていた。
分類で言えば『大太刀』と呼ばれる種類であるが、かつて戦国時代に見られた大太刀と比べても更に上回っている。
長さは二メートルはあり、柄の長さだけでも打刀の倍は優に超える。
乙女はそのあまりに巨大な刀をテコの原理と遠心力を利用し、身体全体でぶん投げるように振り抜いた。
小型船くらいであれば易々と真っ二つにしてしまいそうな刀だ。
さしもの帝も怪我では済まないだろう。
なにより乙女の全エネルギーを込めた刀である。
これで打ち勝てないようであれば、乙女に勝ち目はない。
大太刀が帝の拳をくぐり抜け、胴体を両断すべく振り抜かれた。
バキン!
鈍く、鋭い音がした。
鉄と鉄がぶつかり合うような、そして、鉄が砕ける音が。
「そ、んな……バカな……!」
乙女の希望は粉々に砕かれた。消耗したアウラは塵となって消え、残ったのは愕然と膝をついて帝を見上げる乙女だけだ。
「これで分かっただろ」
敗者にもう用はないとでも言うのか、アウラを解除すると感触を拭い去るように刀の触れた位置を手で払う。
「君も、僕にとっては道具に過ぎない」
涼しい顔で帝が吐き捨て、服についた砂を払った。
「さようなら、早乙女君」
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