第11話 不足

 その夜、乙女が寮に帰ると引越し業者と思われる大人たちが、寮から荷物を運び出していた。学業と風紀委員の仕事で趣味に割く時間なんてほとんど無かった乙女の部屋には私物が少ない。だとしても手が早すぎる。同室の小糸が窓から顔を出して、不安そうに乙女を見ていた。


「戻ったか早乙女」利発的なメガネを光らせる寮長が事務室から現れた。


 手には一枚の紙を持っている。


「寮長! これはいったい……」

「聞いていないのか? こっちが説明してほしいくらいなのだが」


 寮長から数枚の書類を受け取り、乙女が目を通す。


「退寮申請……!」

「それだけじゃない。内容をよく見てみろ」


 クラス転向、退寮、風紀委員権限の剥奪。内容を要約するとこの主にこの3つだが、加えてもうひとつ。


「風紀委員との私的接触を禁止する──!?」


 容赦ない。というよりこれはもはや非人道的だ。友人である小糸やオトとも関わるなというのは乙女の人権すら無視するような内容だが、生徒会がその気になれば実現は容易い。


「完全に孤立させるつもりか……」


 情報の漏洩を防ぐため、クーデターを防ぐため。理由はいくらでも考えうる。同室の小糸との接触を絶つ事を考えれば手回しの良さも頷ける。


「お前、いったい生徒会長に何を……」


 言うことは簡単だ。だが乙女が本当のことを言えば寮長にも生徒会からの圧力がかかるのは目に見えている。


「すまない」と小さく吐いて乙女は書類に記された新居へと向かった。


「姐さん……」


 既に事を伝え聞いた小糸は、その後姿をただ見送る事しか出来なかった。



  **********



 つい先程まで風紀委員特権でAクラスに席を置いていた乙女が寝床としていた寮は、学生寮の中で最上級の設備を有していた。

 学園の正面にある大通りを進み、上り坂を登って住宅街に入る。この島は中央に行くほど高所になっている。立地も、物価もだ。学園からは少し離れるが、静かで過ごしやすい位置。星雲せいうん女子寮はそこにあった。A~Bクラスの生徒のみが住むことを許され、内装はさながらホテルのような建物だ。食事はバイキング形式で屋上にはプールがある。夜になると星がよく見えて美しい。


 乙女はぐぅと鳴るおなかを抑えながら、新しい寮へ向かっていた。元とはいえ風紀委員足るもの、買い食いなど言語道断だ。


「なにこれ……」


 そして待遇は打って変わる。AクラスからHクラス、最高から最低へ。


 ボロボロの木造建築。空いた穴はトタン板で無理矢理に塞いである。雨樋はすでに無いも同然。窓も扉も開けたままのところが多いように見えたがその実、壊れていてそもそもモノが無いのだ。九龍城に迷い込んだかと我を疑うのは無理もない。


「お荷物、ここに置いておきますね」

「え、ちょ」


 宅配業者も足を踏み入れたくないのか、乙女のとなりにダンボールを四つほど積み上げると、そそくさと引き上げてしまった。


「はあ」とため息を零し、乙女は割り振られた部屋へと荷物を運び込む。

 九龍城もとい『ひたむき荘』の110号室。四畳半の部屋は荷物を運び込むと、布団を敷くスペースほどしか残っていなかった。

 食堂なんてものは無く、買い物に行く元気も残っていなかったので、小糸が紛れ込ませてくれたのであろうお菓子を齧る。


 もう夜も遅い、荷解きは明日にして今日は寝てしまおう。

 乙女は畳の上にそのまま寝転がる。ベッドもシーツも寮の備品だったので、タオルケットを掛けただけの寝床である。日を跨ごうかという時間に開いている家具屋なんてあるはずもない。


「……おばあちゃん家みたいだ」


 ふかふかのベッドに比べると幾分質の悪い寝床であるが、疲れていたおかげか乙女はすぐに眠ることが出来た。


 夢を見る。

 い草の匂いに、風鈴の音。

 早乙女家の本家、おばあちゃんの家だ。


「いいかい乙女。力には、相応の責任が伴う。むやみに振りかざすのではなく、力のない人々を守るため、悪さを働くひとを嗜めるために使うのさ」


 小学生の頃、上級生と喧嘩をした。早乙女流剣術を叩き込まれていたわたしはもちろん圧勝したけれど、家に帰ってからこっぴどく叱られた。


 上級生だから。向こうから喧嘩を売ってきたから。

 そんなものは関係ない。力とは平等であり、不平等だ。

 わたしはたまたま戦うための力が優れているだけ。別の才能をねじ伏せて良いわけじゃない。


 あの頃のわたしはよく分かっていなかったけれど、今なら理解出来る。


 だからこそ。


 御海堂 帝は討たねばならない。



  **********



「ゴホ、エホ! ヴェッォオン! ……それではぁ、HRをはじめまぁす……」


 床や壁ミシミシと鳴り、割れた窓ガラスからは冷たい風が舞い込む。教壇に立つ教師は既に定年を迎えていそうな年齢で、逐一音声にノイズを交えながら出席を取っていた。

 Hクラスの人数は72人。しかし教室にいるのは半数にも満たない。サボりの類も多いのだろうが、そういった認識の穴をついて今も実験に使われている生徒がいると思うと、乙女の苛立ちも一入だ。


 クラス分けの制度は生徒たちのやる気を引き出すために考案された生徒であるが、ことHクラスにおいて向上心を持つものは少ないらしい。

 授業も始まったというのに悪びれもなく、あまつさえあくびをしながら堂々と遅刻してくる者も多く、出席している者の中でも真面目に勉強をしている生徒はほんの一握りだ。


「よう、風紀委員長様」


 当然のように手ぶらで登校し乙女の隣席へ腰掛けたこの男、黒間 浪漫も不真面目な生徒の一人だ。


「元、な」

「聞いたぜ。生徒会長に喧嘩売ったんだって?」


 やるじゃねーか。と浪漫が笑う。身体は完全に乙女の方を向いており、登校してきたものの授業を受ける気は無いらしい。そして教員は気づいていないのか慣れているのか、構わずに授業を進めていく。


「まあ理由は分かるぜ。大方ここの地下でやってる実験のことでも聞いたんだろ。俺もあの実験にはムカついてる。手前の力で強くならなきゃ意味がねぇしな。俺もそろそろアウラってもんが分かってきた。安心しろよ、俺が何とかしてやっから」


「黒間……」乙女が浪漫へ視線を向けた。

「おう、感謝に咽び泣いても良いんだぜ!」

「黙れ。授業中だぞ」



  **********



 浪漫は既に実験の事を知っていた。今まで幾度と喧嘩騒動を繰り返して来たのはアウラを学習するためだという。その点に関して言えば疑わしいものだが、実験を潰そうとしていることもとい、生徒会長を打倒しようとしていることは間違いない。


(だが何故だ? クラスメイトのためか? それとも拳闘家としてのプライドか? もしかして本当に本島からのスパイなのか……? アウトローが強くなるのを阻止するためだとしたら、辻褄は合う。そうであるのなら、帝の言う『戦争』も、本当に起きるっていうのか……?)


 今日にも行動を起こすような言動では無かったが、乙女としてはほとんど部外者である浪漫が解決してしまうのは不本意だ。事を急がねばならない。


 乙女は授業終わり、とある場所を訪れた。住宅街の半ば、公園や寺、神社などが多く建てられている区画がある。

 立ち並ぶ寺の中に目的地はあった。

 長く長く続く階段を登ると、ほんのり寂れた寺院にたどり着く。立派な参道の奥に備え付けてある賽銭箱の上に、乙女が来るのを待っていたように腰掛ける男が居た。


「よう、遅かったな」


 五十嵐いがらし あらし。生徒会役員の一人であり、乙女の師でもある。


「帝とやったんだろ? どうだった」

「全く刃が立たなかった」

「はは、文字通りって感じだろ」

「師匠は、帝と闘ったことが?」

「無論、ある」

「……結果は?」

「聞くかよ、それ」


 帝が生徒会長であるということ。それが答えだ。


「それなら、どこまで──」


 乙女は全く歯が立たなかった。傷一つ付けられず、刀は折られた。


「……俺は奴の肉を裂き、骨をも断った」


 それは、乙女には出来なかった事だ。


「俺と奴は死力を尽くして闘った。最後にはお互いボロボロだ。だが俺は奴には及ばなかった」


 嵐はその時の事を思い出すように刀を少し抜いて刀身を見ると、すぐに納める。


「乙女、お前は強い」

「……何を。わたしはあいつに傷一つ付けられなかった」

「だが、負けてもいない」

「何をバカな。師匠のほうが負けてないじゃないか。もう一度闘えば、今度は勝てるかもしれない。その可能性はわたしよりずっと高い」

「俺は駄目だ。奴とは闘えない」

「どうして!」

「俺は刀を折られた訳じゃあない。だが、俺は心を折られた」


 何故。それこそ何故。だ。あと一歩のところまで追い詰めたのに。


「奴は怪物だ。化物だと恐れられるアウトローの中でもダントツにな」


 嵐の手は震えていた。一体何を見たというのか。乙女以上に帝の力を引き出した嵐だからこそ。乙女よりも観察眼に長けている嵐だからこそ、その内包する力に気づけたのかもしれない。


「乙女、お前があの怪物を退治しろ」

「それは、当然だ。だから……」

「駄目だ」

「修行を……って、え?」

「俺はお前の稽古を付けるわけにはいかない」

「なんで!? 今までの話は何だったんだ!?」

「俺は生徒会の一員だ。帝を倒す手助けは出来ない」

「だったら!」嵐が手のひらを突きつけ、「まて」と乙女の言葉を遮る。

「稽古は付けられないが、反抗的な生徒を粛清することなら出来る」


 嵐が得意げに笑うと、乙女もつられて歯を見せた。



  **********



「お前の能力は強い。剣術の腕も立つ。だが、それだけだ」

「どういう、事だ?」嵐は乙女の攻撃を軽くいなしながら言う。

「ひとつに出来ていない。お前の持つ能力をだ。【無限一刀】と≪早乙女流≫では駄目だ」

「なぜ?」

「今こうして実践しているだろ」嵐は言葉を交わしながら乙女の攻撃を躱す。


 斬り合いを始めてから既に一時間が経過しているが、乙女の攻撃は掠りもしない。

 嵐も刀を構えてはいるが、ほとんど躱しているだけだ。


「規則的すぎる。お前の攻撃は」


「だったら!」乙女が【無限一刀】で刀を3本生み出した。一つを握って振るうがすぐに手を離して囮にする。別の刀に持ち替えて攻撃することで無理矢理に軌道を変えた。


「それも規則的だ。攻撃前後の動き、目線、筋肉の動き。それら全て視られている」

「そんな!だったらどうすれば──!」

「視えるのは物理法則だけだ。だが、俺たちはこの世の法則に縛られない能力をもっているだろう」

「アウラか!」


 言うは易く行うは難し。まずは染み付いた固定観念を払うところから始めなければならない。そしてそれは一朝一夕で出来る事ではない。


「おそらく、一週間」

「3日でやる!」


 ──剣戟が交わる。



  **********



 黄昏時。茜色に染まる街を抜ける。西日に目を細めながら、浪漫は学園へと足を踏み入れた。


「何のようだ? とっくに下校時間は過ぎているぞ」

「忘れもんだ」

「だったら、新校舎に用はないよねぇ」

「……生徒会長は居ねぇのかい?」

「会長は居ない。いや、必要ない。お前を殺すのには」


 吽が鋭い眼光で浪漫を睨んだ。


「生徒会役員様がふたりか。肩あっためるにゃ丁度いいか」


 かかってこいよ。と浪漫が言うと同時、蜂の大群が浪漫に襲いかかる。百匹はくだらないが浪漫は臆することも無く、集る蠅を散らすように、蜂の群れを拳で砕いていく。


「メ────イビ────────」

 三葉が囁くように音を発し、蜂に命令を下す。蜂はさながら編隊のように陣形を組み、浪漫へ襲いかかった。

 雲の様に巨大な群れは、およそ拳一つでなんとかなる量ではない。


 しかし、この拳は最強を冠する黒間浪漫の拳である。


 ボッ!

 空気が爆発するような音がした。空を裂く拳圧は蜂の身体を粉々に砕く。襲いかかる蜂の大群は恐怖に押されて散らばらざるを得なかった。

 三葉の能力は催眠に近い。強いショックや衝撃を受ければ解除されてしまう。


「なんで、わたしのベイビーたち! メイビ───!」


 しかし三葉の能力も強力ゆえ、そんな事態は早々ない。今までに能力を凌駕した相手は帝ただ一人だった。アウラも無しにそこへ並ぶ浪漫の膂力は、計り知れない。


「虫ごときでどうにかなると思ったかァ!」

「だったら私が相手をしよう」


 吽は浪漫の正面から、悠々と歩いていく。


「自信満々だな」


 浪漫が構えを取る。吽は素振りも見せず、浪漫の目の前まで詰め寄った。

 浪漫の拳が動いた。


「ぶべらっ」


 吽は反撃することも、避けることもしなかった。


「あァ?」


 浪漫が手応えに不思議がるが、吽の意識は既に無かった。


「なんだァこいつは……?」


 吽の能力【因果律の天秤スケイル】は因果律の操作をする能力だ。しかし成功率は五分。今回であれば浪漫の拳が外れる因果への変更を狙ったが、あえなく失敗したという訳だ。


 この能力は一見無謀な賭けに見えるが、その実吽はこの能力で失敗したことが少ない。そもそもこの能力が成り立っているのは吽の類まれなる豪運によるものだ。こと大きな失敗は帝との戦闘においてだけで、帝との戦闘時には三度失敗した。念には念を入れて三段階に分けた因果律変換が全て失敗に終わったのだ。


「まァいいか。……あの侍野郎はいねぇのか」


 チッ、と舌打ちを零す。


「おやおや、誰かと思えば潜入捜査官君じゃないか」


 ふたりの敗北を見かねたのか、帝が姿を現した。

「何の話か知らねぇが、丁度いいところに来てくれたぜ」

「生徒会長の席に興味があるのかい? そういった役職には興味が無いように見受けられるけど」

「ああ、無いね」

「では何の用かな」

「テメェに勝って俺が最強だと証明する。──それと、テメェの実験とやらが気に食わねぇからぶっ潰すのよ」

「あれきり随分と大人しくしているようだから、僕に勝つことは諦めたと思っていたよ」

「……ほざけ」勝てないと踏んで距離を置いたことは間違いない。浪漫は少しだけバツが悪そうに悪態を吐いた。


「本国から急かされたのかな? それとも、クラスメイトの姿に心でも打たれたのかい?」

「違うね」

「じゃあ、何のために?」


「惚れた女のため」


 ドンと胸を張る浪漫。予想の斜め上を行く答えに、帝は呵々大笑した。


「──なら、僕から言えるのはひとつだけだ」


「何だよ」すでに二人は間合いに入っていた。


「ここで死ね」


 火蓋は切って落とされる。



  **********



「姐さん! ああ、やっぱりここに居た!」


 息せき切らせ、小糸が乙女たちのいる境内へ駆け込んできた。


「小糸!? なんで、生徒会の目があるんじゃ……」

「それどころじゃないっスよ! あの男が!」

「黒間か!」乙女は汗を拭いながらすぐにその名を叫ぶ。

「よく分かったっスね! さすが夫婦!」

「茶化すな! まさかもう乗り込んだのか!」


 ご名答である。

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